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2008年4月30日水曜日

2008年黄金週間・第4日目

2008年ゴールデンウイークの4日目は昭和の日でした。
この日はほぼ一日、寝ていました。
たまにはこういう日も良いと思います。
明日から3日間は仕事です。おそらくコメントが変化しないと思いますので、5/3に記述したいと思います。

2008年4月28日月曜日

2008年黄金週間・第3日目

2008年ゴールデンウイークも3日目となりました。
今日は仕事の日でした。
家に帰り、ホームページのリニューアルを進めたいと思います。

2008年4月27日日曜日

2008年黄金週間・第2日目

2008年ゴールデンウイークも2日目となりました。
しかし、今日は一日中部屋におり、久しぶりに家でテレビや昼寝三昧を楽しみました。「かん袋」でくるみ餅を食べようとも思ったのですが、人でいっぱいだったので、断念しました。
明日は仕事です。ただ、明後日も外に出る予定はありません。家でゆっくり過ごすことになるでしょう。

2008年黄金週間・第1日目

2008年黄金週間第1日目

いよいよ、今年もゴールデンウイークが始まりました。今年は後半は4連休ですが、前半は飛び石連休となっているので、第1日目は近くの信貴山に行きました。
信貴山は奈良県にあり、日本で最初に毘沙門天王が現れたとされる霊地であり、毘沙門天王の総本山です。蘇我氏と物部氏の抗争中、信貴山で聖徳太子が戦勝祈願を行ったところ、毘沙門天王が現れ、必勝の秘法を授かりました。その日が寅年、寅の日であり、寅の刻でした。そのこともあり、寅をシンボルとしています。その後、蘇我氏が勝利した後、聖徳太子が自ら毘沙門天王の像を彫り、伽藍を創建し、「信ずべき、貴ぶべき山、信貴山」と名付けられました。
花見シーズンでも紅葉シーズンでもないためか、また時間も遅かったため、人があまりいませんでしたが、観光シーズンになると、多くの人々がこの信貴山を訪れます。
今回、はじめて信貴山に来ましたが、この山の中にこんな立派な建造物があったので、少々驚きました。次回は紅葉シーズンに行きたいと思います。

2008年4月20日日曜日

…迂闊、堺駅西口~出島が廃止されていたとは…

大阪市営バス29A系統・堺駅西口バス停(2007年10月7日)

2008年3月30日に、大阪市交通局の市バスの系統に変更がありました。この中に住之江公園~三宝~堺駅西口~出島の29A系統及び住之江公園~三宝の29B系統が統合された上、29A系統は住之江公園~三宝~堺駅西口に短縮されました。つまり、堺駅西口~出島間は廃止となりました。両者合わせて1時間に2本程度になっているので、三宝地区の乗客が住之江公園に出る場合は減便となりますが、主に利用客が多い堺駅西口から住之江公園に出ている乗客にとってはあまり変化はありません。
また、堺駅西口~出島間が廃止になっても、実際には南海バスがほぼ同じルートを通っており、乗客も少なかったこともあり、あまり影響はないものと思われます。また、三宝地区にも南海バスが走っていることからこちらも大きな影響はないでしょう。
ただ、いくらこの3月が仕事で忙しかったとはいえ、またホームページで名古屋鉄道・岐阜600V線区のリニューアルに集中していたとはいえ、メインコーナーである新阪堺、大阪市電三宝線及び大阪市営バス29系統関連情報を見逃すとは、、、迂闊。
てっきり、阪堺線と大小路で平面交差する予定の堺市LRTが新設されたときに、この大阪市営バスの廃止が始まるものと思いこんでいました。それにしても、迂闊。
さて、愚痴を言っても仕方ないので、堺駅西口~出島間のバス路線について、その歴史を現在からさかのぼって述べると、1994年(平成6年)に堺駅に西口ができたときに、大阪市営バスが乗り入れました。堺駅西口ができる以前の1968年(昭和43年)より、住之江公園~出島間を大阪市営バスが大阪市電三宝線の代替として運行されていました。つまり、大阪市営バスは出島まで40年間走っていたことになります。路面電車である大阪市電三宝線として、1944年(昭和19年)~1968年(昭和43年)まで24年間走りました。ただし、途中戦災により2年間ほど休止していました。更に、前身である新阪堺電鉄として、1934年(昭和9年)に龍神通(大浜北町バス停付近)から湊ノ浜(出島のひとつ南の電停)まで延長したときから1944年(昭和19年)に大阪市電気局(現在の交通局)に買収されるまでの10年間走っていました。
ということで、実は路面電車として出島まで走っていた年数よりも、廃止後市電代替のバスとして走っていた年数が長かったことになります。この長く続いていた出島までのバス運行がなくなることはしゅらく個人としては大変寂しいものがあります。というのは、ホームページの「新阪堺調査局」を開設するにきっかけが出島を転回する大阪市営バスだったからです。ただし、前述のように経営的には今回の29A系統、29B系統の統合は妥当だと思います。
この堺市側の終点が堺駅西口になったというのも何かの因縁で、堺駅西口は戎島にあり、元々の新阪堺電鉄の特許が芦原橋から堺市戎島までとなっており、新阪堺線特許線上にあった南海鉄道の発電所(これは堺化学工業株式会社堺事業所内に旧跡として現存しています。)の撤去問題、国道16号線建設(現在の国道26号線及び旧国道26号線)等あり、最終的に浜寺公園の北まで延伸しましたが、元の特許線の位置に新阪堺の後身である大阪市営バスの終点が設置されることになります。
今後のことを考えると、堺市LRTが堺浜方面に敷設されたときに、大阪市営バス29A系統は再び短縮され、住之江公園方面から四つ橋線が延伸したとき、この29A系統は完全に廃止されるものと思われます。それもそんなに先ではないと感じています。

2008年4月12日土曜日

盲腸線の旅(第44回)~近鉄道明寺線・柏原駅

近鉄・道明寺線・柏原駅・1番ホーム(2008年3月8日)

今回は近鉄道明寺線の終点・柏原駅です。柏原駅はJRを含め、2面5線の橋上駅舎をもつ地上駅です。1番ホームに近鉄道明寺線が乗り入れており、切り欠き式のホームとなっています。2番線はJR関西線・JR難波方面ホームであり、1番ホームとプラットホームを共有しています。更に3番及び4番ホームは島式ホームであり、JR関西線・奈良方面ホームとして利用されています。


近鉄・道明寺線・柏原駅・ICカード用簡易改札機(2008年3月8日)

柏原駅はJR西日本の管轄駅であり、1番ホーム上には近鉄の券売機は設置されていません。また、和歌山市駅と異なり、近鉄とJRとの間に柵は設けられていません。
しかし、ICカード対応の簡易改札機とチャージ機がいくつか設置されています。


近鉄・道明寺線・柏原駅・乗換時の注意(2008年3月8日)

近鉄道明寺線とJR関西線の乗換客がICOCAやPiTaPaを利用した場合、簡易改札機にタッチする必要があるため、上屋から上写真の注意が「これでもか!」いうくらい大きく数多くありました。ちなみに、一番の上の写真にはこの注意が少なくとも3つは撮影されています。


近鉄・道明寺線・柏原駅・関西線ホーム(2008年3月8日)

JR関西線の2番ホームと3番ホームとの間にはJR難波方面の通過線が敷設されており、JR難波を含む大阪・天王寺駅方面への快速電車はこの線を通過します。
近鉄道明寺線は平日・土休日とも1時間に3本、朝夕は4本とそれなりの本数の電車が運行されています。なお、他線との連絡接続は同一会社である道明寺駅側の近鉄南大阪線とは連絡を考慮に入れてダイヤが組まれている印象を私は受けましたが、異なる会社である柏原駅側のJR関西線とは(当然といえば、当然なのですが、)考慮されていない印象を受けました。
今回で近鉄道明寺線は終了です。次回は近鉄御所線・尺土駅の予定です。

2008年4月8日火曜日

2008年花見・山中渓へ花見に行く(第2回)

2008年花見・山中渓駅・駅舎(2008年4月5日)

普段は無人駅の山中渓駅ですが、桜が満開となったこの日(2008年4月5日)には複数の臨時駅員がいました。小ぢんまりとした木造の駅舎を通り抜け、駅舎前の熊野古道を北(上写真の右手前)へ進みます。


2008年花見・山中渓駅北・トンネル(2008年4月5日)

しばらく進むと、人、一人が入れるくらいの阪和線の下を貫く小さなトンネルがありました。「さくら並木」と小さな看板があり、このトンネルを抜けると、山中川に出ることができそうです。


2008年花見・山中渓駅・山中川桜並木(2008年4月5日)

トンネルを抜けると、そこには山中川を挟み、両岸が桜でいっぱいの美しい光景が広がっていました。夙川公園もそうですが、川を挟む桜並木というのは大変美しく、私は大好きです。


2008年花見・山中渓駅北・山中川橋梁(2008年4月5日)

阪和線はこの山中川を橋で越えており、山中川、桜そして橋梁上を通過する阪和線電車を撮影することができます。


2008年花見・山中渓駅・上りホーム・普通天王寺行き(2008年4月5日)

山中渓の桜を十分に楽しんだ後、再び阪和線・普通天王寺行きに乗り、堺市に戻り、堺市中心街の桜を見ていきたいと思います。

2008年4月6日日曜日

2008年花見・山中渓へ花見に行く(第1回)

さて、いよいよ花見のシーズンがやって参りました。去年は「涼宮ハルヒの憂鬱」の影響をもろに受け、夙川公園へ花見に行くことになりましたが、今年は私の地元である堺市とJR阪和線の山中渓駅へ行くこととしました。


2008年花見・三国ヶ丘駅(2008年4月5日)

JR阪和線の大阪最南部の駅である山中渓駅へ行くため、三国ヶ丘駅から阪和線に乗ることにしました。(三国ヶ丘駅へは自宅から自転車で南海高野線・堺東駅から各停電車に乗り、次の駅である三国ヶ丘駅まで行きました。)
三国ヶ丘駅は阪和線開業時(阪和電気鉄道時代)には建設されず、南海鉄道に買収され、南海山手線時代に高野線との連絡するために後から設けられた駅です。そのため、堀割に駅が設置され、狭苦しい感じがします。しかし、堀割の上に桜が植えられているため、桜が咲く時期は和歌山駅方面ホームから阪和線を見ると、華やかな印象を受けます。


2008年花見・山中渓駅・駅名標(2008年4月5日)

関空紀州路快速と普通電車を乗り継ぎ、JR阪和線・大阪府最南部の駅、山中渓駅に到着しました。


2008年花見・山中渓駅・跨線橋より(2008年4月5日)

この山中渓駅付近は天王寺方面ホーム(写真左側)の隣には山中川が流れており、その両岸に桜が植えられています。また、和歌山方面ホーム(写真右側)の隣には熊野古道があり、そちらにも桜が植えられているため、JR阪和線は桜で囲まれることになります。ピンクの桜花、緑の山々、スカイブルーで塗装された阪和線103系電車がよく調和し、鉄道撮影ポイントにもなっています。そのため、鉄道ファンがホームの天王寺駅側に集まっています。


2008年花見・山中渓駅・下りホームより(2008年4月5日)

ということで、和歌山駅方面ホームの天王寺駅側の端っこから撮影した鉄道写真らしきものを1枚掲載します。
首都圏ではすっかり姿を見なくなり、関西圏のアーバンネットワークでも見なくなりつつある103系が、この阪和線ではまだまだ主役で頑張っています。私の幼少の頃から頑張っているので、かれこれ30~40年この阪和線で走っています。
では、山中渓駅を降り、花見をすることとします。

2008年4月2日水曜日

盲腸線の旅(第43回)~近鉄道明寺線・柏原南口駅

近鉄・道明寺線・柏原南口駅・ホーム(2006年10月9日)

今回は近鉄道明寺線の中間駅、柏原南口駅です。道明寺駅は単式の1面1線のホームをもつ地上駅で、無人駅です。PiTaPa、ICOCA用の簡易改札機がホーム上に設置されています。なお、上記写真は簡易改札機は設置される以前の2006年10月のものです。柏原駅行きや道明寺駅行きが同一ホームに発着しています。


近鉄・道明寺線・柏原南口駅・全体(2006年10月9日) 

柏原南口駅は大和川北岸の堤防上にあるため、アンダークロスしている国道25号線からは階段を上ってホームに行くこととなります。
次回は終点の柏原駅の予定です。