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2007年9月28日金曜日

転居による更新休止のお知らせ

私の転居のため、しばらく更新を休止します。
おそらく、来週の半ば頃には更新を再開する予定です。
阪堺線沿線に戻ることになりましたので、更新再開後、阪堺線の情報もお知らせできると思います。
しばらくの間ですが、よろしくお願いいたします。

2007年9月19日水曜日

盲腸線の旅(第27回)~南海汐見橋線・津守駅

南海・汐見橋線・津守駅・駅舎(2003年8月15日)

今回は南海汐見橋線の津守駅です。津守駅は無人駅であり、駅舎もシンプルな造りとなっており、あまり愛想がありません。この駅舎は汐見橋方面ホーム側に建っています。


南海・汐見橋線・津守駅・ホーム(2003年8月15日)

2面2線の相対式ホームであり、岸里玉出方面ホームへは構内踏切で渡ります。構内は上屋の状態も含め、かなり年季が入っています。


南海・汐見橋線・津守駅・高野線跨線橋(2004年10月23日)

「新阪堺調査局」を本体とするこの「新・しゅらくの独り言」としては上の写真の跨線橋をふれなければなりません。
この津守駅の岸里玉出側には上の跨線橋が存在しており、現在は車が通っていますが、かつては新設軌道(通称、専用軌道)が敷設されており、新阪堺線、後の大阪市電三宝線がオーバークロスして通っていました。


南海・汐見橋線・津守駅・架線柱(2004年10月23日)

新阪堺線は1927年(昭和2年)10月1日に開通しましたが、この新阪堺線が敷設されていた頃、南海高野線(現在の汐見橋線の区間を含む)は複線化を始めていた頃でした。1924年(大正13年)3月18日に住吉東~我孫子前間の複線化を皮切りに、1926年(大正15年)12月1日までに、新阪堺線が立体交差している木津川~西天下茶屋間を除き、汐見橋~堺東間の複線化が完了しました。以後、何故か木津川~西天下茶屋間は複線化がしばらく行われず、堺東~北野田間が複線化された後の1930年(昭和5年)4月12日にようやくこの区間が複線化されました。
(南海高野線複線化の参考文献:『南海電気鉄道百年史』)
何故木津川~西天下茶屋間の複線化が遅れたかについては、その原因として新阪堺線の跨線橋建設が遅れたことが考えられます(1927年(昭和2年)になってようやく建設されはじめました。)。
ちなみに、上の写真は跨線橋付近の架線柱ですが、日付でもわかるように木津川~西天下茶屋間が複線化されたときに建てられたものです。
次回は西天下茶屋駅の予定です。

2007年9月16日日曜日

岸和田だんじり祭と岸和田駅

岸和田だんじり2007・地車(2007年9月16日)

昨日、今日と岸和田でだんじり祭りが行われました。だんじりビデオやDVDが岸和田商店街で売られているように、岸和田っ子はこの時期になると居ても立っても居られないというほどの祭りです。
堺っ子の私もせっかくの祭りを見物することにしました。
この岸和田のだんじり祭りはすっかり全国区になり、しかも祭礼日を土日に設定したため、見物客がいっぱい来ていました。


岸和田だんじり2007・臨時切符売場(2007年9月16日)

岸和田駅でも1年のうち、最も乗降客が多くなる岸和田のだんじり祭りに対応するため、南海電鉄も職員を一時的に増員し、臨時切符売場や精算所、臨時改札を設置していました。


岸和田だんじり2007・臨時改札口PiTaPa(2007年9月16日)

ではPiTaPaはどうするのかなあ?と思っていたら、臨時の有人改札口に、「盲腸線の旅」の阪神武庫川線の東鳴尾駅、洲先駅でも登場したPiTaPa専用のIC読取り機を出場用として臨時に設置していました。
なるほど、磁気カードは大がかりな自動改札機が必要になるけれども、ICカードはコンパクトなIC読取り機が必要になるだけなので、この点が優位なのか~と妙に感心した私でした。

盲腸線の旅(第26回)~南海汐見橋線・木津川駅

南海・汐見橋線・木津川駅・駅舎(2007年6月16日)

今回は南海汐見橋線の木津川駅です。木津川駅は無人駅であり、駅前に店はありません。


南海・汐見橋線・木津川駅・ホーム(2007年6月16日)

1面2線の島式ホームであり、元々、木津川駅は貨物兼用駅だったため、写真左には貨物側線跡があります。


南海・汐見橋線・木津川駅・行先案内板(2007年6月16日)

木津川駅にあるのりば案内を見ると、高野山・堺東には乗換案内がなく、南海線に対して、乗換案内が行われており、この汐見橋線が南海高野線であることを示しています。
でも、よく見たら「高野山・堺東・南海線方面」とも読めるわけで、そういう意味では両方に乗換案内が行われているとも見えます。ただし、高野線(もしくはりんかんサンライン)方面とは書いていないから、やはり汐見橋線は南海高野線といえます。
次回は津守駅の予定です。

2007年9月13日木曜日

安倍晋三の驚愕

全く、9月12日には驚愕しました。
参議院選挙以後、辞任する機会はいくつかあったのにもかかわらず、臨時国会の所信表明演説の後、野党の代表質問の直前に辞任するというのは、最悪のタイミングではないかと思います。
健康に対する不安、思うように進まない政治運営等々いろいろあるのでしょうが、もう少しまともな辞め方というのもあったと思います。
当ブログでは政治・宗教の話については、ほとんどしないのですが、あまりにもびっくりしたので、敢て書き込みをしました。

2007年9月9日日曜日

盲腸線の旅(第25回)~南海汐見橋線・芦原町駅

南海・汐見橋線・芦原町駅・駅舎(2007年6月16日)

今回は南海汐見橋線の芦原町駅です。これは汐見橋線全体にいえることですが、駅舎及びホームの様子がまるで時間が停止したかのように、かなり古びており、ローカル線としての風情を醸し出しています。なお、芦原町駅は無人駅となっています。


南海・汐見橋線・芦原町駅・ホーム(2007年6月16日)

芦原町駅は2面2線の相対式ホームであり、駅舎は岸里玉出方面ホームにあり、汐見橋方面ホームへは構内踏切で渡ります。木製の上屋がローカル線の雰囲気を出しています。この芦原町駅の近くにはJR大阪環状線の芦原橋駅があります。
次回は木津川駅の予定です。

2007年9月4日火曜日

盲腸線の旅(第24回)~南海汐見橋線・汐見橋駅

今回は南海汐見橋線の起点の汐見橋駅です。 この汐見橋線についても盲腸線に含めるかは論議のあるところだと思います。
なぜなら、現在も南海高野線(汐見橋駅~極楽橋駅、64.5km)の起点であるからです。しかし、岸里玉出駅で岸里玉出駅~極楽橋駅及び汐見橋駅~岸里玉出駅に分断されており、前者は南海本線(難波駅~岸里玉出駅)の東線に乗り入れ、実質的な大阪側の起点を難波駅としている幹線であるのに対し、後者は基本的に全日終日30分間隔、線内運転のローカル線となっています。このため、本ブログでは汐見橋線(汐見橋駅~岸里玉出駅、4.6km)を盲腸線として扱います。
汐見橋線の駅は汐見橋駅、芦原町駅、木津川駅、津守駅、西天下茶屋駅、及び岸里玉出駅の6駅です。


南海・汐見橋線・汐見橋駅・駅舎(2002年12月31日)

汐見橋駅は時間が止まったかのように見え、おそらく長い間変化がないものと思われます。なお、大阪市内にありますが、閑散としており、とても大手私鉄の大阪側の起点駅とは思えない風情が漂っています。ちなみに、上の写真も2002年12月31日に撮影したもので、撮影場所の歩道橋は阪神なんば線の工事のため、撤去されていますが、汐見橋駅は2007年現在とほとんど変っていません。


南海・汐見橋線・汐見橋駅・古い観光案内図(2006年8月14日)

この汐見橋駅駅舎の中には、かつての始発駅としての名残があります。改札口の上には昭和30年代の南海沿線観光案内図が掲げられています。昭和30年代とあって、南海天王寺支線、平野線、北島支線、和歌山軌道線、淡路交通の鉄道線が存在します。また、大阪環状線はまだ完成しておらず、泉北高速鉄道もなく、和歌山港線も廃止された水軒まで伸びていません。
なお、この観光案内図はあちこちに亀裂、剥離が目立っているので、いつまで保つかが心配です。この観光案内図は2006年8月14日に撮影しました。


南海・汐見橋線・汐見橋駅・ホーム(2002年12月31日)

汐見橋駅は1面2線の頭端式ホームとなっています。なお、大阪市営地下鉄千日前線桜川駅と接続しており、将来は阪神なんば線桜川駅とも接続する予定です。上の写真は2002年12月31日に撮影したものです。
次回は芦原町駅の予定です。

2007年9月1日土曜日

今里筋線に初めて乗った。

大阪市交通局・今里筋線・今里駅(2007年9月1日)

今里筋線に初めて乗りました。上海出張中に開業した今里筋線ですが、帰国してからも乗る機会がありませんでした。ですが、取材のため、鴫野付近に行くことになり、ようやく乗ることができました。
この今里筋線は長堀鶴見緑地線同様のリニア式のミニ地下鉄です。さすがに最も新しく開業した路線なので、きれいであり、ホームドアがあるため、乗客もホーム下に転落することもないと思います。また、液晶モニタもまるで上海の地下鉄のようにホーム上に多数設置され、わかりやすい表示がなされていました。ただし、乗客が思ったより伸びていないようなので、先が思いやられそうです。
1944年(昭和19年)に、阪堺電鉄株式会社(いわゆる新阪堺)を買収した大阪市電気局(現在の交通局)は採算見込のない湊ノ浜~浜寺間をあっさり切り捨てることができたのに、今里筋線をなぜ建設することになったのでしょうか。不思議です。
ちなみに、取材は新阪堺絡み(正確には室戸台風ですが)です。

盲腸線の旅(第23回)~阪神西大阪線・西九条駅

阪神・西大阪線・西九条駅・ホーム(2006年8月20日)

今回は阪神西大阪線・終点の西九条駅です。 西九条駅は2面2線の相対式ホームの高架駅です。相対式ホームということからも、この西九条駅はあくまで途中駅として建設されたことがわかります。
なお、普段使用されているのは上写真左側の2番線ホームで、右側1番線ホームは使用されていません。


阪神・西大阪線・西九条駅・高高架橋(2006年8月20日)

阪神西大阪線の西九条駅は大阪環状線を乗り越える必要があるため、かなり高さのある高高架となっています。


阪神・西大阪線・西九条駅・阪神なんば線予告(2007年8月15日)

阪神西九条駅から大阪環状線方面をみると、近鉄難波へ向け、延長工事が着々と進んでいることがわかります。


阪神・西大阪線・西九条駅・阪神なんば線建設中(2007年8月15日)

阪神西大阪線の近鉄難波までの延長工事が完了し、新たに西九条駅~近鉄難波駅間が開業したとき、尼崎駅~近鉄難波駅間は「西大阪線」ではなく、「阪神なんば線」と名称が変更されます。このため、「西大阪線」は盲腸線として歴史に刻まれることになります。
ちなみに、2009年春の阪神なんば線開業時に西九条駅~近鉄難波駅間に誕生する新規駅は次の3つとなります。
  • 九条駅
  • ドーム前駅
  • 桜川駅
今回で阪神西大阪線は終了となります。次回は上記阪神なんば線とも接続する南海汐見橋線・汐見橋駅の予定です。