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2010年6月25日金曜日

本ブログのテンプレートを変更してみました。

ブロガーテンプレートデザイナーを用いて、本ブログのテンプレートを変更してみました。
今回は本ブログで扱っている主なテーマの写真をコラージュしたものを背景にしました。
今までと雰囲気が変わったと思います。これからも色々と試したいと思います。

2010年6月21日月曜日

阪堺電車の路面電車まつりに行きました。


今年も路面電車週間がやってきました。今回は6/6に開催された阪堺電車の路面電車まつりに行くことにしました。




今年の目的はこの東京都電の旧塗装が施された502号です。これは南海グループ(阪堺電気軌道及びその親会社である南海電気鉄道)が東京都交通局との共同旅客誘致活動である「PR相互乗り入れ」の一環として企画されたものです。
このため、方向幕には阪堺線・上町線にはあり得ない都電荒川線の「早稲田」の文字が入っています。



今年はトラバーサーの近くまで入ることができたので、普段は撮影するのが困難なTR-1号も撮影することができました。



同じく、TR-2号も撮影できました。



これが阪堺電車・大和川車庫のトラバーサーです。



最後に、TR-1号、TR-2号、トラバーサー、静態保存されている旧京都市電の256号及び浜寺駅前からの606号を一緒に撮影し、この大和川車庫から撤収しました。

2010年6月19日土曜日

大阪-西脇紀行(第14回)(5/22~5/23編)

前回は大いなる遠回りを行ったので、今回の大阪-西脇紀行はできるだけ直進するようにしたいと思います。なお、今回は高速・有料道路を一切使わず、西脇に戻ります。




いつものように、大阪の福島から堺浜へ移動し、一泊します。



翌朝、朝食をとるため、堺浜から旧26で南下し、石津川駅前で牛丼を食べ、西脇へ向かいます。



今回のコースは下記の通りです。
石津川駅前
↓ 旧26号線・国道26号線
北公園前交差点
↓ 府道29号線・新なにわ筋
野田阪神前交差点
↓ 国道2号線
神楽町交差点
↓ 県道82号線
阪急甲陽線と県道82号線の踏切

甲陽園駅

阪急甲陽線と県道82号線の踏切
↓ 県道82号線
盤滝トンネル前東交差点
↓ 県道16号線
六甲ガーデンテラス
↓ 県道16号線
小部峠交差点
↓ 国道428号線
原野南交差点
↓ 県道85号線・38号線・20号線・23号線・360号線
バイパス大村交差点
↓ 国道175号線他
アピカ西脇

石津川から一般道を進み、大阪府から兵庫県に入り、順調に進みます。



ところで、「涼宮ハルヒの憂鬱」でもお馴染みの水道路踏切ですが、踏切を平面交差するときに結構気を遣います。というのも、この踏切を平面交差する車の通行量と東側を通る車の通行量が結構多く、踏切が1時間に12回閉まり、阪神バスも休日で1時間に6回、この踏切を通過するからです。



というわけで、甲陽園駅前に到着しました。ここのケーキハウスツマガリでケーキを購入した後、再び阪急甲陽線に沿って県道82号線に戻り、いつもなら西宮北有料道路に入るところを県道16号線に入り、六甲山山頂を目指します。




六甲山山頂からは素晴らしい眺めが堪能できます。まずは阪神間です。



続いて、六甲アイランドです。



更に、ポートアイランドと神戸空港です。ただし、三宮は山影に隠れているため、見えません。



最後に、明石海峡大橋です。

六甲山を後にし、くねくね曲がる道に悪戦苦闘し、一般道をのんびりと三木市街を通過し、国道175号線を北上し、西脇へ戻りました。帰ると、速攻で眠りにつきました。

2010年6月18日金曜日

ケータイ国盗り合戦で河内国を統一しました。

前述の5月16日の河内国方面遠征により、河内国5地区及び大和国1地区を国盗りしました。


河内国:
枚岡地区、布施地区、八尾松原地区、金岡地区、富田林長野地区
大和国:
生駒郡山地区

これにより河内国を統一し、河内守の称号も得ました。
次は山城国、大和国の統一を目指し、畿内を手に入れるつもりです。
ただ、5月15日の奈良方面遠征では国盗りをするのを忘れていました。とほほ。
ちなみに、播州統一も忘れていないですよ~~!

近鉄沿線の河内国を巡る


一人になり、本町駅から大阪市営地下鉄中央線に乗り、近鉄けいはんな線の生駒駅まで向かいます。
生駒駅でけいはんな線から奈良線に乗り換えます。上の写真は奈良線ホームから撮影した生駒線電車です。



近鉄奈良線の車窓から大阪の街を眺めながら、東大阪市の布施駅まで戻ります。布施駅で奈良線から大阪線に乗り換えます。



大阪線普通電車で柏原市の安堂駅まで向かいます。この駅から道明寺線柏原南口駅まで大和川沿いを歩きます。



天気が非常に良かったので、大和川の河岸にはたくさんの人がのんびりと過ごしていました。



道明寺線の柏原南口駅に到着し、ここから道明寺駅に向かいます。



道明寺駅で近鉄南大阪線に乗り換え、羽曳野市の古市駅に行きます。



古市駅から南大阪線で松原駅まで進み、松原駅から南海バスで近鉄沿線を離れ、JR阪和線の堺市駅へ向かいます。



堺市駅からJR阪和線で天王寺駅へ、天王寺駅から大阪市営地下鉄御堂筋線で本町駅に戻り、駐めていた車に乗り、西脇へ戻りました。
なお、国盗りの成果は次回で報告します。

2010年6月17日木曜日

久しぶりに新世界へ行きました。


翌5月16日、4人で新世界に行くことになりました。せっかくなので、新世界の北側に隣接する日本橋の電気街(正確にはオタロード)の駐車場に車を駐め、サブカルチャーと、こてこての大阪の街を見学することにしました。
それにしても、串カツ屋増えたなあ~。



新世界から戻ると、私以外の3人は大阪に来た本来の目的のため、本町で別れ、私は本町駅から中央線に乗り、ケータイ国盗り合戦の河内国統一、つまり堺を中心とする摂河泉統一のため、近鉄沿線を疾走することにします。

ちなみにkinboooさんの関連記事は下記の通りです。
http://kinboo.blogspot.com/2010/06/blog-post.html

深夜の御堂筋を北上しました。

3人は奈良から大阪に戻り、肥後橋のホテルにチェックインし、梅田に向かいます。
梅田でK本さんと合流し、サクッと串カツを食べ、千日前へ移動し、まったりと居酒屋で食事をし、南海難波駅のなんばこめじるしにある龍旗信で塩ラーメンをツルッとすすりました。
深夜0時を過ぎたため、難波駅から肥後橋駅まで4人は歩くことになりました。

ちなみにkinboooさんの関連記事は下記の通りです。

梅田松葉総本店:
http://kinboo.blogspot.com/2010/05/blog-post_29.html
龍旗信なんばこめじるし店:
http://kinboo.blogspot.com/2010/05/blog-post_30.html



難波駅から心斎橋駅付近は深夜といえども、人通りも多く、電灯が煌々としていましたが、ビジネス街である本町付近ではすっかり人通りもなく、土曜深夜・日曜未明でもあり、煌々とした照明もない眠った街になっていました。
上の写真は御堂筋と本町通りの交差点です。平日の昼間とは大きな違いです。
4人は難波駅から45分ほど歩き、ようやく肥後橋のホテルに到着し、眠りにつきました。

奈良国立博物館にも行きました


平城宮跡を後にし、奈良国立博物館に行きました。そこでは平城遷都1300年を記念し、大遣唐使展が開催されていました。久しぶりに貴重な国宝等をたくさん見ました。



奈良といえば、この鹿です。残念ながら、そっぽを向かれてしまいました。



駐車場へ戻るときに、竹が生えている木を発見しました。周りには竹林があるので、おそらく地下茎が伸び、この木の下から生えたのでしょう。不思議な光景であるとともに、竹の恐ろしさも感じました。

ちなみにkinboooさんの関連記事は下記の通りです。

奈良国立博物館の記事:
http://kinboo.blogspot.com/2010/05/blog-post_22.html

木から竹の記事:
http://kinboo.blogspot.com/2010/05/blog-post_23.html

2010年6月16日水曜日

平城遷都1300年祭へ行ってみた

5月15日~16日にかけて、愛知県よりkinboooさんとH川さんが大阪方面にくる用件があり、私も西脇より大阪へ向かうことにしました。

中国自動車道を進む中、「昼食後、平城遷都1300年祭を行っている平城宮跡に行けたらええんやけど。他のところ考えた方がええんかなあ?」と思案していました。
JR福島駅で2人に会い、とりあえず、昼食は関西ローカルのTV番組でよく紹介される「大洋軒」でとりました。
(昼食については、kinboooさんのhttp://kinboo.blogspot.com/2010/05/blog-post_20.htmlを 参照してください。)

昼食をとっている最中、
kinboooさんより、「平城遷都1300年祭に行きたいのですが。」
(えっ!平城遷都1300年祭の平城宮跡に行っていいの!!)
「ええよ!!」
ということで、奈良に向かうことになりました。


素直に阪神高速道路から第二阪奈道路を通り、平城宮跡を目指します。



平城宮跡に到着しました。まずは平城宮の南側にある復元された朱雀門です。復元とはいえ、立派な建物です。



朱雀門から北へ向かい、第一次大極殿に向かいます。これも復元された物ですが、立派な建物です。その大きさは写真に写っている観光客の大きさと比較して明らかなようにかなり大きいです。



第一次大極殿に入ると、その中央に高御座が鎮座していました。高御座は天皇の正式な所在地を示す特別な玉座であり、本物の高御座は現在、京都御所に常設されています。(高御座の存在から考えると、京都が未だに天皇の正式な所在地ということになるわけですね。)


平城京歴史館へ近づき、これまた復元された遣唐使船を外から眺めます。船の上には平城京歴史館に入場しないとできないようなので、眺めるだけにします。しかし、こんな船が荒れる東シナ海を越えていったと思うと、当時は大変だっただろうを思います。
まだまだ、無意味に空き地が多い平城宮跡ですが、私が小学生の頃、遠足で出かけた頃と比べるといろいろな建物が建ちました。(当時はほとんど何もありませんでした。)



ところで、平城宮跡というと、上の地図のようにその真ん中を近鉄奈良線が貫いているのも特徴のひとつでしょう。



1922年に史跡に指定される前、1914年に大阪電気軌道(近鉄の直系の前身)が奈良線を敷設したことによるものですが、それにしても違和感ありありです。



しかし、違和感を感じつつも、思わず近鉄奈良線を注視し、近鉄電車を撮影します。



平城宮跡では奈良市内にいるにもかかわらず、奈良線関係以外の人工的な建物が全く写らない写真も撮れます。
なお、kinboooさんの平城宮跡に関する記事は下記を参照ください。
http://kinboo.blogspot.com/2010/05/1300.html


次の記事も奈良です。

2010年6月15日火曜日

ケータイ国盗り合戦で9地区を国盗りしました。

黄金週間の東京遠征により、武蔵国2地区、甲斐国1地区、信濃国2地区、三河国1地区、伊勢国1地区、近江国1地区及び大和国1地区を国盗りしました。


武蔵国:
大宮地区、足立北千住地区
甲斐国:
都留地区
信濃国:
諏訪地区、伊那地区
三河国:
豊田地区
伊勢国:
桑名地区
近江国:
甲賀信楽地区

大和国:
北葛城高田地区



自動車で移動していたため、思っていたより国盗りできませんでした。

大阪-西脇紀行(第13回)・黄金週間編(5/1~5/5)・終章・西脇帰還編(5/5編)



さて、堺浜で一晩過ごした後、西脇へ向かうことにします。



折角、堺に来たので、プラットプラットでブラブラと買い物をし、堺駅で南海電車を撮影することにします。




長旅で、早く家に帰りたかったので、阪神高速道路と中国自動車道を経由し、西脇へ戻りました。

2010年6月6日日曜日

大阪-西脇紀行(第13回)・黄金週間編(5/1~5/5)・断章その3・関西帰還編(5/4後編)



諏訪湖を離れ、中央自動車道に乗り、関西へ向かいます。とりあえず、中央自動車道、東名高速道路、名神高速道路及び中国自動車道のコースで西脇に向かうことにします。



今年の春は寒かったためか、この駒ヶ岳SAには桜がまだ咲いていました。
なお、この駒ヶ岳SAで渋滞情報を確認したところ、東名高速道路と合流する小牧JCTと名神高速道路の米原JCT付近の双方で渋滞が発生しているとのこと。
駒ヶ岳SAを離れ、岐阜県に入ったところで再び渋滞情報を確認したところ、前の2箇所に加え、大津IC付近でも渋滞が発生したとのこと。名神あるいは新名神を進んでも渋滞に巻き込まれることは必至です。



渋滞にはもう巻き込まれたくなかったので、土岐JCTで中央自動車から東海環状自動車道に乗り換え、以後、伊勢湾岸自動車道及び東名阪自動車道へ抜け、名阪国道(国道25号線)、西名阪自動車道を経て、結構疲労度も上がっていることから、堺で一泊することにします。



急いでも仕方がないので、湾岸長島PAで休憩します。遠くに見えるナガシマスパーランドのジェットコースターを眺めます。



東海環状自動車道、伊勢湾岸自動車道及び東名阪自動車道を順調に進んだのですが、名阪国道という一般国道を通るルートを選択したため、いけずなカーナビが変な指示を出してきました。
東名阪自動車道をまっすぐ進むと、名阪国道に行くはずなのに、カーナビの案内により国道1号線に降りることになりました。カーナビはどうやら名阪国道以外の一般国道を案内し、このまま行くと、非名阪の酷道に行くみたいです。
「もう、運転は得意じゃないんやから、(上の写真のような)酷い非名阪(これも国道25号線)にはいかへんで~!!」
自分で、地図を確認し、名阪国道に向かいます。



無事に名阪国道に乗れたのですが、この道路が非名阪とは別の意味で大変な道路でした。確かに道路はいいのですが、急な上り坂がしばしば現れ、追い越し車線では明らかに法定速度を超えている自動車がびゅんびゅん進んできます。まあ、あの状態で制限速度近くで走っているとかえって危ないような気がしますが。運転が不得意な私は左側の走行車線でマイペースで西進することにします。



名阪国道を進むうちに、日没となり、天理に近づいてくると、急な下り坂の急カーブが現れ、周りが真っ暗な中、後ろから車が接近するのをヒヤヒヤしながら、慎重にカーブを曲がります。これが名阪国道のΩカーブのようです。
なるほど、名阪国道が事故が多い道路なのがよくわかりました。



西名阪自動車道から阪和自動車道を経、美原北ICを降り、中央環状線からヘトヘトになりながら、堺浜楽天温泉にたどり着くことがようやくできました。右足の筋肉がパンパンになっていたため、中国式足裏マッサージの人も驚いていたようです。私もかなり痛かったですが。

次回は終章(5/5編)西脇帰還編の予定です。

注)国道25号線(名阪国道及び非名阪)の写真はgoogle mapのものを利用しています。

大阪-西脇紀行(第13回)・黄金週間編(5/1~5/5)・本章その4(5/4前編)御柱祭に沸く諏訪大社編


今回の信州行きの目的である諏訪大社上社本宮です。そして、6年に1度行われる御柱祭が盛大に行われています。御柱祭では山中より樅の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、4箇所の各宮まで曳行し、社殿の四方に建て、神木とする大祭です。
4本の御柱の祭礼は時間をずらして行われています。



御柱祭が伝統ある祭と聞いていたので、ときどき聞こえてくるブラスバンドの音楽には正直驚きました。上の写真は本宮一之御柱の祭礼が行われている最中です。



次の写真は本宮二之御柱の祭礼がこれから始まろうとしているところです。



本宮三之御柱の祭礼はまだまだ始まらないので、皆さん待機をしています。



諏訪大社上社本宮の隣の法華寺に入ると、そこには赤穂事件の一方の当事者である吉良上野介義央の孫であり、養子である吉良義周の墓があります。吉良町から贈られた「あなたは赤穂事件の最大の被害者だった。」はインパクトがありました。
御柱祭ではこのあたりも関係者以外立入禁止のようなので、芸州浅野藩が治めていた広島に6年間在住し、現在赤穂とはかなり離れていると言え、播州に住んでいる私はそそくさと立ち去りました。私も赤穂事件はえらいとばっちりだったとは思います。




最後に、幣拝殿に向かい、旅の無事を祈りました。引いたおみくじは「中吉」でした。どうやら、十日戎の今宮戎神社で厄を落とせているようです。



せっかく、諏訪湖周辺に来ているので、上諏訪温泉に入りたいと思い、温泉が入れる片倉館に入ります。昭和初期に建てられた洋風の建物が片倉館です。



中も、独特な雰囲気を醸し出しており、じっくりと温泉とその雰囲気を味わうことができました。



信州にきたので、そばも食べることにしました。なぜか関西系のナンバーの車が多く駐まっていました。



十分に諏訪湖周辺を堪能したので、いよいよ関西に向けて長い道のりを進むことにします。


次回は断章その3(5/4後編)関西帰還編の予定です。

2010年6月1日火曜日

大阪-西脇紀行(第13回)・黄金週間編(5/1~5/5)・断章その2・湘南~諏訪湖編(5/3後編)

江ノ島電鉄との並走を終えたため、諏訪湖湖岸にある民宿に向け、出発します。


湘南海岸沿いを走り、秦野中井ICより東名高速道路に入り、御殿場ICから富士山と山中湖の間を抜け、中央自動車道に向かいます。しかしながら、ここでも渋滞となり、真っ赤な空を背景にした大きな富士山を眺めながら、忍耐強くゆっくりと進んでいきます。
東富士五湖道路に入った頃にはすっかり日も沈み、真っ暗となったため、周りの風景はさっぱりわかりません。甲府盆地に入ると、明かりも多くなり、少しは街の様子が伺えるようになります。
甲府盆地を後にすると、再び暗闇の世界が訪れます。
諏訪ICで中央自動車道を降り、民宿みなとを目指します。



民宿みなとに到着しました。いかにも民宿らしい民宿です。上の写真はちなみに翌朝に撮影したものです。



部屋の内部も懐かしい民宿のかおりがします。



信州の冬はやはり厳しいのか、強力なファンヒーターが据え付けられていました。



窓も北海道と同じく、二重窓になっています。
次回は本章その4(5/4前編)御柱祭に沸く諏訪大社編の予定です。