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2009年6月28日日曜日

播州織物検査懇話会で山代温泉に行く(往路編)

まだ、私が堺にいた頃、「しゅらく君(実際は本名ですよ)、播州織物検査懇話会で6/13に山代温泉へ行くから、準備しておいて。」とT見さんより連絡がありました。
「山代温泉って、確か北陸の方だったよな。兵庫県にはなかったよな。」ググるとやはり山代温泉は石川県にあることを示していました。
この半年で、北陸地方に3回も、しかも、転勤した週末の休日に行くことになろうとは。


懇話会旅行・播織・駐車場・観光バス(2009年6月13日)

ということで、土曜日に事業所へ向かい、駐車場に止まっていた観光バスに乗り込みました。播州織の産元の方も乗り込み、バスの後ろの方でカチカチと音を立てながらゲームを始めていました。


懇話会旅行・大阪・大阪モノレール(2009年6月13日)

中国自動車道を東に進むと、1週間もたたないうちに再び大阪の風景を見ることになりました。今回の旅は鉄分が少ないと予想されるので、大阪モノレールの写真をアップしておきます。


懇話会旅行・長浜・海洋堂フィギュアミュージアム・外観(2009年6月13日)

滋賀県長浜市に到着し、ここで昼食として美味しい近江牛をいただきました。その食後の空いた時間に長浜大手門通りをうろうろしていると、ケンシロウの人形が立っている建物を見つけました。


懇話会旅行・長浜・海洋堂フィギュアミュージアム・三女神(2009年6月13日)

この長浜には海洋堂フィギュアミュージアムがあり、フィギュア作品の展示がされています。有料スペースの2階に上がる階段の横には三女神が出迎えてくれています。ああっ女神様。


懇話会旅行・長浜・海洋堂フィギュアミュージアム・涼宮ハルヒ(2009年6月13日)

2階に上がるとあらゆるフィギュアが展示されていました。折角なので、涼宮ハルヒを中心に撮影しておきます。


懇話会旅行・長浜・海洋堂フィギュアミュージアム・恐竜(2009年6月13日)

海洋堂といえば、この恐竜のフィギュアを外せないので、掲載しておきます。恐竜でないのもいますが。


懇話会旅行・長浜・旧長浜駅舎(2009年6月13日)

アニメ分ばかり吸収するわけにはいかないので、数少ない鉄分をここで補給しましょう。現存する最古の駅舎である旧長浜駅舎がこの長浜にはあります。内部見学も可能ですが、時間がなかったので、外観のみです。折角なので、223系も撮影しておきます。
長浜ではすっかり趣味に走りまくり、ほとんど最後の方にバスに戻りました。再び高速道路で山代温泉を目指します。


懇話会旅行・石川・自動車博物館・外観(2009年6月13日)

山代温泉に到着する前に自動車博物館を見学することになりました。


懇話会旅行・石川・自動車博物館・自動車(2009年6月13日)

博物館は凄まじい数の貴重な自動車が展示されていました。のは解るのですが、私自身が興味がないため、淡々と見学するだけとなりました。そればかりか、まるで駐車場みたいと場を読まない発言までする始末です。


懇話会旅行・石川・自動車博物館・FIAT500(2009年6月13日)

その中で、少し時間をかけて見た車がこのFIAT500(2代目)です。この車は「ルパン三世カリオストロの城」でルパンたちが乗っていた車です。って、結局アニメ分かい。


懇話会旅行・石川・山代温泉(2009年6月13日)

と、色々ありましたが、ようやく山代温泉のホテルに到着しました。本物の温泉につかり、1週間の疲れをここで癒すことになりました。
次回は復路編となります。

2009年6月27日土曜日

しゅらくの憂鬱・通勤編

西脇市・市役所前の坂道(2009年6月13日)

西脇は坂が多い町で、自宅と西脇の事業所の間には山があり、近道をすると、毎朝、強制山登りサイクリングを強いられます。遠回りをすれば、比較的平坦なコースとなるのですが、やはり近道を通りたいと思うので、よほどことがない限り、このコースを通ります。しかし、平坦な堺、広島を自転車で走行していた私としてはこの坂道はきついです。
しかし、この山をこえれば、あとは下り坂になり、恐ろしいくらいに自転車の速度が上がります。そのときの風がとてもいいのですけど。ただ、最近、この坂道コースを毎朝通っているためか、最初のうちは坂の頂上に達したときは息が切れ切れの状態だったが、最近では平気になってきました。
もしかしたら、筋肉がついたのかな。でも、早く自動車が来てほしいな。

大阪-西脇紀行(第1回)(6/6編)

さて、今回より「大阪-西脇紀行」が始まります。この「大阪-西脇紀行」は私、しゅらくが大阪市福島にある病院に通院するため、1ヶ月に1回必ず西脇-大阪を往復するのを利用し、様々な経路を試してみようという短絡的に思いついた企画です。
記念すべき第1回は大阪→西脇のみとなりますが、私の親父が転居の手伝いに徳島から西脇に来るというので、大阪から親父と合流する明石海峡大橋の高速舞子バス停に立ち寄り、そこからJRで西脇市駅まで行くことにしました。
利用する交通機関は次の通りです。

梅田
↓ 阪神電気鉄道・阪神本線
元町
↓ 神戸高速鉄道・東西線
西代
↓ 山陽電気鉄道・本線
舞子公園
↓ 徒歩
高速舞子バス停
↓ 徒歩
舞子
↓ JR西日本・山陽本線
加古川
↓ JR西日本・加古川線
西脇市


阪神・阪神本線・梅田駅(2009年6月6日)

まずは阪神梅田駅で直通特急・姫路行に乗車します。待っていたのは阪神なんば線でおなじみの1000系でした。乗り心地はよいのですが、いかんせん阪神山陽の直通特急は停車駅が多いため、なかなか舞子公園駅に着きません。


明石海峡大橋上のJRハイウェイバス(2009年6月6日)

結局、ちょうど良いタイミングで舞子公園駅に到着し、テクテクと高速舞子バス停まで歩いていきました。去年の11月24日に明石海峡大橋の高速舞子バス停で写真撮影しましたが、ここで親父を迎えることになるとは思いませんでした。


JR西日本・山陽本線・舞子駅(2009年6月6日)

親父とともにJR舞子駅に向かい、ここで姫路方面の快速電車に乗ることにしました。この舞子駅は新快速電車は無情にも通過するため、我々はただホーム上から眺めるだけです。


JR西日本・加古川線・加古川駅(2009年6月6日)

JRの快速電車で加古川駅まで到着し、いざ加古川線に乗ろうとすると、山陽本線と加古川線の間に自動改札機が設置されています。よく呼んでみると、加古川 線はICOCAに対応していないとのこと、つまり、PiTaPaも使用できないと言うことです。加古川線が大阪近郊区間に入っているのですっかり油断して しまいました。折角、PiTaPaで入場したのに意味ないやんけ。と思っていると、西脇市行は1時間に1本しかなく、しかもあと40分待たなければならな いとのこと。
「がび~ん!」衝撃を受けた私が20分ほど待つと、改造された103系が入線しました。ドアが開かないので訝っていると、ドアはボタンを押して開けるとのこと。
「が、がび~~ん!!」更に衝撃を受けた私は出発の時を根気よく待ちます。
改造103系が加古川駅を出発し、3、4駅経過すると、そこはすっかりローカルムードの車窓となり、乳牛も生で見ることができ、気分はすっかり「いい旅、夢気分」となりました。な、 なんで、新快速がバンバン走る山陽本線の隣にこんなローカルムードな加古川線が接続しているのだろうと思っていると、「牟岐線(徳島~阿南・牟岐方面に向 かうローカル線)なんか日和佐に向かう列車なんて2時間に1本程度しかないから、まだましやぞ。」親父が言うのを聞き、「え~い、ここで牟岐線と比べる な!!」と思わず言い返したい気持ちになりました。


西脇市駅前の神姫バス(2009年6月6日)

ともあれ、加古川線に約1時間ほど揺られ、ようやく西脇市駅に到着しました。とはいえ、西脇市駅は市街中心部よりかなり南にずれているので、神姫バスで自宅近くまで乗ることにしました。
結局、この旅程の半分近くを加古川線で使ったような気がします。 次回はどうやって大阪と西脇を往復しましょうか、う~む、ちょっと先が思いやられそうです。

2009年6月26日金曜日

せっかくなので、阪急三複線をじっくり観察した。(6/6)

阪急・神戸本線・十三駅付近(2009年6月6日)

S谷さんに斡旋してもらった新大阪のビジネスホテルに宿泊したので、福島の病院に行く前に、阪急神戸本線、宝塚本線、京都本線の三複線を淀川に架かる橋の十三駅側で阪急電車を撮影しました。
ビデオで三複線の特急及び急行電車が同時に淀川の橋梁を並んで走っている様子を撮ろうとしましたが、残念ながらうまく撮ることができませんでした。仕方がないので、この日はあきらめ、次回(おそらく7/4)に持ち越すこととしました。ただ、梅雨なので、天気が心配です。

2009年6月22日月曜日

いよいよ、堺とはしばらくのお別れです。(6/5)

堺・石津・堺港発電所(2009年6月5日)

6/5(金)、いよいよ、堺の事業所の最終日になりました。堺の事業所に再赴任にして4年、長かったようで短かった4年でした。6月第1週をホテル住まいしていた私は石津の最後の写真として、埋立地にある関西電力の発電所の煙突を撮影しました。
この日、仕事を終え、飲み会の後、S谷さんがご厚意で宿泊の手配をしていただいた新大阪駅のビジネスホテルに宿泊し、いよいよ、翌日西脇にむかうことになります。

2009年6月21日日曜日

写真雑記その15~めぞん二刻

めそん二刻(2009年5月31日)

さて、久しぶりの写真雑記のコーナーですが、前の記事で鍛冶屋線跡を自転車で疾走していると、「めぞん二刻」の文字が見えてきました。こんな写真雑記ネタを西脇に来て早々に見つかるとは思いませんでした。オーナーさんはめぞん一刻のファンなのでしょうか。
いや~、ほんまにびっくりした。

旧鍛冶屋線跡を辿る(5/31)


折角、西脇市に来たので、1990年(平成2年)に廃止された鍛冶屋線跡を自転車で行ける範囲で辿ってみました。新居は旧鍛冶屋線跡の道路のすぐ近くにあるので、まず市原方面に向かい、北上していきましたが、進めば進むほど淋しくなり、林の中を抜けていくような感覚に襲われ、本当に市原に着くことができるのかと不安になり始めたときに市原駅跡が見えてきました。市原駅跡にはキハ30系気動車が2両とホームが保存されていました。



続いて、旧駅舎を復元した鍛冶屋線市原駅資料館が建てられていました。



内部には鍛冶屋線の資料がたくさんしかもきれいに保管されており、地元の人の鍛冶屋線に対する想いが感じられました。
資料を読むと、まず、加古川~西脇(現アピカ)が、次いで西脇~鍛冶屋の鍛冶屋線が開業し、野村(現西脇市駅)~谷川の現加古川線がその後に開業したようです。なるほど、だからT見さんは加古川線のことを谷川線と呼んでいたわけなのかと、納得してしまいました。



では、市原駅跡で南に引き返し、旧西脇駅跡に建ったアピカ西脇まできました。このアピカ西脇には高速バスのバス停があり、ここから新大阪や大阪、神戸三宮に行くことができます。西脇~野村間の利用客は大変多かったみたいなので、廃止する必要があったのかなと思いますが、今となってはどうしようもないですね。



アピカ西脇からは自転車道になっており、これが西脇市駅まで続きます。西脇大橋付近では踏切の跡を見ることができます。



更に南に行くと、加古川線の西脇市駅に到着します。よくみると、旧鍛冶屋線が直線で、谷川に向かう現加古川線が曲がっており、旧鍛冶屋線が本線格なのがここでも解ります。
とりあえず、旧鍛冶屋線跡を辿る旅はひとまず終わりました。自動車に乗るようになったら、鍛冶屋駅跡も訪ねてみようと思います。
なお、翌日は再び大阪・堺に戻り、1週間ホテル住まいをすることとなりました。

さらば堺の家、そして(5/30)

堺の我が家その1(2009年5月30日)

5/30いよいよ転居する日がやってきました。あれだけ物だらけだった我が家もすっかり箱詰めされ、トラックに積み込まれたため、何もなくなってしまいました。いよいよ、西脇に向かうときが来ました。


堺の我が家その2(2009年5月30日)

部屋の窓から阪堺線を眺める生活もわずか1年半で終了しました。さらば、阪堺線!そして堺の我が家!
荷物を運ぶトラックとともに、阪神高速道路、中国自動車道を経由し、1時間半後には西脇の新しい住宅に到着しました。
西脇の新しい住宅に到着すると、兵庫のT橋さんが待っており、荷物の搬入を手伝っていただきました。一通り落ち着いた後、部屋で4時間ほど話し込み、その後、食事のため、四川料理の店に行き、やはり2時間ほど話し込みました。
なんだか、新しい場所での生活が楽しみになってきました。

エンドレスエイトが放送されました、がっ!

6/18深夜(正確には6/19未明)、「エンドレスエイト」が放映されました。蝉の鳴き声とキョンの「気怠いが、…」で始まったことで、予想通り、今回は「エンドレスエイト」だったことに安堵しました。夏の高校野球中継の描写が終了した後、オープニングが始まりました。
「笹の葉ラプソディ」ではオープニングがなかったので、2期はオープニングがないのかな?と思いましたが、新しいオープニングは作られていました。POPな感じのオープニングで、楽曲である「Super Driver」も含め、1期オープニングとはイメージの異なるものであり、多少戸惑いを感じました。このオープニングではSOS団のメンバーが走っている描写があり、通行止め、一時停止、制限速度40km/h及び赤信号といったものが進行可、進め!、∞(無限大つまり制限速度なし)、青信号で走れ!と変化するのもハルヒたちSOS団が突っ走るイメージをもとに作られたものと思われます。また、エンディングの「止マレ!」と対照的に作ったのかもしれません。
本編に入り、タイトル(前編も付いていなかったこと)から、1話分の尺で「エンドレスエイト」が足りるのかとやや不安に思いながら、8月後半の夏休みの日常が次々と描写されているのを視聴しました。市民プール、浴衣購入、盆踊り、河原での花火、蝉捕り、着ぐるみのバイト、天体観測、バッティングセンター、神戸の花火大会、県境の川でのハゼ釣り大会、墓地での肝試し、映画館のはしご、海水浴、ボウリング、長時間耐久カラオケと次々と夏休みの日常が描かれていくのですが、放送の残り時間がどんどん少なくなっていき、本当に1話で終わるのかとドキドキしながら、ついに8月30日を迎えたものの、何も起こらず終わり、8月31日も平凡に終了し、キョンが就寝したところで終了しました。
<以下、ネタバレ部分あり。文字を背景と同色にしています。見たい方は文字を反転させて読んでください。>
今回は8月後半のループから抜け出せなかった失敗ループを描いたエピソードでしたね。まさか、原作にも記述されていない失敗ループの時の様子を1話かけて放送するとは思いませんでした。そのため、キョンたちの既視感があるという描写がなかったわけですね。おそらく、はじめの方のループを描いているのかもしれません。ただし、長門有希の表情を察すると、退屈しているもしくは、うんざりしている様子が伺えます。彼女は全ループの記憶を持っているのですから、いい加減気づいてくれと思っているのかもしれません。

次回の放送では最初の方はほぼもしくは全く同じ描写が続き、視聴者に「おやっ!」と思わせ、キョンたちが感じた既視感を視聴者にも与える演出が展開されるものと思われます。

<ネタバレ部分終了>
どうやら、今回は前編だったようです。原作未読の方にはただ、夏休みの日常を延々と垂れ流しているようにしか見えず、今回の話は何だったんだと思われたかもしれません。しかし、次回で今回の放送の意味がわかると思います。次回に期待しましょう。
追伸、今回は西宮・神戸周辺の様々なスポットがたくさん出ました。聖地巡礼をする方にとっては重要なエピソードになったものと思われます。聖地巡礼のウェブサイトを見るのが楽しみです。

2009年6月18日木曜日

堺文化財公開(平成21年春季)

平成19年、20年と連続して開催されていた堺文化財公開が平成21年は秋季だけではなく、春季にも開催されました。今回は「堺と天下人の物語 ~信長・秀吉・家康~」というテーマで三寺社の文化財が平成21年5月20日から24日にかけて公開されました。
私は徳島から(結婚式出席のため)名古屋経由で堺に来た母に転居の手伝いをしてもらい、この三寺社を見学することにしました。


堺・南宗寺・唐門(2009年5月24日)

まずは南宗寺です。南宗寺は前回、前々回も公開されていたのですが、今回は上の重要文化財である唐門が開門され、ここから南宗寺に入ることができるようになったことが公開のポイントです。唐門は征夷大将軍と堺奉行にだけ通行が許された門であり、歴代の堺奉行は就任後、この唐門を通って参詣したとのことです。


堺・南宗寺・唐門・瓦(2009年5月24日)
実際にこの唐門には徳川家の葵の紋が用いられています。


堺・南宗寺・徳川家康の新墓(2009年5月24日)

唐門を通ると、この徳川家康の墓の前に到着します。この徳川家康の墓は戦後、水戸徳川家家老の子孫である三木啓次郎や松下電器の松下幸之助らが建立したものです。この墓のあった場所にはかつて東照宮拝殿があり、徳川家康と縁のある場所といえます。
ちなみに、観光ガイドのボランティアの方によると、松下幸之助が「ナショナル」でテレビ放映するコンテンツを三木啓次郎に相談したところ、明るいナショナルのイメージから水戸黄門を薦め、松下幸之助は水戸黄門が続く限りスポンサーを続けるといった逸話があるそうです。


堺・南宗寺・伝徳川家康の墓(2009年5月24日)

なぜ、この南宗寺に徳川家康の墓があるのでしょうか?実は徳川家康は大坂夏の陣のとき、槍で突かれ、討ち死にしたという伝説がこの南宗寺にはあります。合戦中のため、家康の死は秘され、遺骸を南宗寺の開山堂の下へ仮に葬り、その後、上写真の無銘の供養塔が建てられたとされています。ちなみに、その後の家康は影武者が務めたとのことです。この無銘の供養塔では十分ではないという話が出て、三木啓次郎や松下幸之助らが徳川家康の墓を建立することになったそうです。
この話について、伝説の域を出ないのですが、この南宗寺に2代将軍秀忠、3代将軍家光が相次いで参詣していることも前の伝説が語られている要因と考えられています。


堺・大安寺・枯山水(2009年5月24日)

次は大安寺です。場所は南宗寺のほぼ隣といってもよいくらいの場所にあります。ここではやはり重要文化財に指定されている本堂と本堂内にある同じく重要文化財の狩野派の襖絵が公開されました。以前の公開よりも近くで襖絵を見ることができました。なお、襖絵の撮影が禁止されていたので、代わりに大安寺の枯山水をアップしておきます。


堺・妙国寺・天然記念物の蘇鉄(2009年5月24日)

最後は妙国寺です。今回のテーマでは信長と縁のある蘇鉄が有名です。妙国寺から株を分けられ、安土城に植えた蘇鉄が「堺に帰りたい」の泣き叫び、信長がその蘇鉄を切らせたところ、赤い血のような液体を出し、恐ろしくなった信長が蘇鉄を妙国寺にもどしたというのが大まかなあらすじです。上の写真は安土城から戻ったとされる天然記念物の蘇鉄です。


堺・妙国寺・ただの蘇鉄(2009年5月24日)

妙国寺には安土城には行かなかった蘇鉄もあるのですが、こちらは天然記念物には指定されていません。こちらの方が立派なのですが、逸話のあるなしで大きな違いがでている例です。おや、秀吉の話はどうしたのか、という人もいらっしゃると思いますが、今回の文化財公開に当たり、大阪城から秀吉の朱印状が妙国寺に戻っており、これがここで公開されていました。この妙国寺は本能寺の変のとき、家康が宿泊しており、ここから伊賀越えをし、三河まで帰りました。
秋季に文化財公開があると思いますので、西脇から堺にまた行きたいと思います。

2009年6月15日月曜日

笹の葉ラプソディが放送されていましたね。

涼宮ハルヒの憂鬱の「ミステリックサイン」「孤島症候群(前・後編)」の3話が既に放送され、次に新作の「エンドレスエイト」が放送されるかもしれないというときに、「笹の葉ラプソディ」の話題をするのも遅いとおもいますが、なにぶん転居の影響がありましたので、ご勘弁をお願いします。
さて、富山・高岡に小旅行に行くため、夜行バスに乗っている間の5/22の0:40にサンテレビで「笹の葉ラプソディ」が放送されました。この「笹の葉ラプソディ」は主人公であるキョンが朝比奈みくるとともにある年の七夕から3年前の七夕にタイムトラベルし、「涼宮ハルヒの憂鬱I」で谷口が語った東中・校庭落書き事件を中心に、トラブルが発生したものの無事に元の年の七夕に戻る話であり、今後放送されると思われる新作の重要な伏線が詰まった話でもあります。
3年ぶりの新作について、個人的には満足しました。時間の尺の都合もあり、いくつか原作にあった台詞が抜けていますが、キーとなる台詞は残っているので、問題ないと思います。また、やや絵の雰囲気が変わったような感じを受けましたが、細かな動きも描かれており、十分許容範囲と思います。また、キャストも1期と同じであり、キョンの語りが相変わらず良かったですね。
また、よく見ると、未放映の伏線らしき画面もあったり、また、古泉曰く、機関が注目しているのは(チェスの)クイーン(に相当する存在)であるという場面でチェスのクイーンの駒とキョンがフレーム内に収まっているのも興味深いですね。キョンはクイーン(=女性、涼宮ハルヒ)と解釈したようですが、おそらく、古泉はクイーン=キョンであると言及していると思われます。いずれにしても今後の放送が楽しみです。
新エンディングについても、ユニークなものではなく、正統なものですが、いいと思います。1期のダンス付きのエンディングと同じようなものをしても、面白くはないですからね。
なお、「盲腸線の旅」の著者としては、作中の阪急甲陽線のパンタグラフが異常に大きかったのが少し気になりました。(さらに、詳しくみると、実際の甲陽線のパンタグラフは甲陽園駅側にあると思いますが、作中では夙川駅側にあるのも少し気になりました。) 
いよいよ、今週「エンドレスエイト」が放送される、はずです。繰り返される8月後半をどう描くのかが楽しみです。

2009年6月12日金曜日

富山・高岡小旅行(5/22)

富山ライトレール・岩瀬浜付近(2009年5月22日)

また5月の話題で申し訳ないですが、4月中旬頃に雪をかぶった立山連峰を背景にした富山ライトレールと富山地方鉄道の写真を撮ることを企画し、特急サンダーバードの切符を格安チケット屋で購入していました。期限は6月中旬までだったので、5月~6月にかけて行こうとしていましたが、急遽6月に兵庫県・西脇市への転勤が決まったため、5月22日に代休をとり、転居の準備に忙しいにもかかわらず富山に行くこととしました。
少々、曇りがちでしたが、立山連峰の姿も見ることができたのは幸いでした。まずは岩瀬浜付近の富山ライトレールの写真です。


富山地方鉄道・富山大橋(2009年5月22日)

続いて、富山大橋を走る富山地方鉄道の写真です。


射水線代替バス(2009年5月22日)

ひととおり、立山連峰を背景にした写真を撮影した後、富山駅前よりバスに乗り、富山新港の渡船に乗ることにしました。富山駅前を出発したときには大勢の人々がいたこのバスも渡船の堀岡発着場に近づくと私の貸切バス状態となりました。
ちなみに、この富山駅前(正確には新富山)電停と堀岡発着場までの間は射水線という鉄軌道があり、富山新港の整備により、現在の万葉線と分断され、廃止に至りました。


富山県営渡船・富山新港(2009年5月22日)

堀岡発着場からこの渡船で越ノ潟発着場まで向かいます。富山県営の渡船は前述した射水線の代替交通のためか、無料です。


万葉線・越ノ潟駅・アイトラム(2009年5月22日)

越ノ潟からは万葉線に乗り、高岡駅前に向かいます。ちょうど赤いアイトラムが到着しました。この後、万葉線の電停写真を撮り直しに奔走することとなりました。
翌日は堺で三寺社での文化財公開がありましたので、日帰りで戻りました。
次回は堺の三寺社での文化財公開ではなく、「笹の葉ラプソディ」についてです。

2009年6月10日水曜日

2009年黄金週間(5/10)

堺魚市場・イベント・風船芸人(2009年5月10日)

転居の準備で鬱々真っ盛りだったため、昼食をとるため、堺駅に向かいました。そうしたら、堺魚市場でイベントが行われており、ちょうど風船を使ったショーが行われていました。


堺魚市場・イベント・会場(2009年5月10日)

せっかくなので、ここでベトナム料理やインド料理を食べ、若干心を落ち着けた後、再び家に戻り、転居準備を行いました。
今回の黄金週間は直前に転勤の内示を受け、五連休以外の土休日は転居準備にするはめになったばかりでなく、その五連休には高熱を出すなど、随分と予定が狂いました。秋の五連休は無事なことを希っております。

2009年黄金週間(5/9)

大阪市営地下鉄・中央線・弁天町駅・中央線電車(2009年5月9日)

今は昔、未だ堺なる町に住みたるときのこと。転居の急ぎ(準備)により、稍鬱気味になりたる為、気晴らしせむと思い、福島に在りし病院からの帰りに近場の何処へ立ち寄ることとしたり。弁天町より中央線に乗り、4年に1度開催されたる食博覧会会場の南港インテックス大阪へ向かいたり。


2009食博入口(2009年5月9日)

食博覧会で昼食を食ぶるものの、限界あり。どうせむか考へたりしところ、焼酎ブースを発見せり。


2009食博焼酎ブース(2009年5月9日)

こは酒の試飲をせばよいのにあらずやと思い、麦、 芋、米焼酎、泡盛、少量といえど、そのまま飲みたり。案通り、すなはち酔ひが回り始めしものの、酒飲むと、心地高揚し、調子乗りて、赤ワイン3種飲み、青島ビール、ハイボール、日本酒の試飲を行ひ、挙げ句に大吟醸を飲み干ししときにはやや後悔し始めり。「これにて帰りしは転居の準備ができなくなるや。」



ATCよりシャープ堺工場(2009年5月9日)

酔ひ覚ますため、WTC展望台にてゆっくりくつろがむとせしものの、例癖にて写真をついつい撮影せしめたため、WTCより出でしときはひたぶるに暗くなりき。このため、翌日、転居の準備に追はるることとなり、鬱心地が増加したりとなむ語り伝えたるとや。
次回、2009年黄金週間(5/10)は普通に記述します。

業務連絡です。

業務連絡です。
転勤に伴い、6月に堺市から兵庫県西脇市に転居しました。
ウェブ接続が復活しましたので、ご報告申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。