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2010年9月28日火曜日

大阪-西脇紀行(第18回)(9/11~9/12編)


今回の大阪-西脇紀行は堺のホテルで一泊し、堺から宝塚を経由し、西脇へ戻ります。

ルートは下記の通りです。

堺駅
↓ 府道29号線
北津守ランプ前交差点
↓ 国道43号線
武庫川交差点
↓ 県道192号線・県道42号線(通称、尼宝線)・国道176号線
阪急宝塚駅屋上駐車場(駐車し、宝塚市探訪)
↓ 国道176号線
宝塚IC
↓ 中国自動車道
滝野社IC
↓ 国道175号線他
アピカ西脇



毎度お馴染みの福島駅付近の駐車場です。ここから、堺へ向かいます。



堺ではリフレッシュのため、楽天温泉で風呂に入り、足裏マッサージをするなどし、十分にリフレッシュした後、このホテルサンルート堺へやってきました。このホテルサンルート堺は堺の観光を前面に出しているようです。ここで一泊しました。



このホテルサンルート堺はトレインビューならぬトラムビューが可能なホテルとなっています。眼下には阪堺線のセンターリザベーションが見えます。
また、この場所は私の西脇転居前の自宅のあった近所なので、旅をしているよりも帰省している感じがします。



一泊後、前の自宅があった場所に来たので、空いている内にかん袋に入ります。



暑い日にかん袋に入ったので、当然氷くるみ餅を食べます。自宅が西脇になっているので、家で食べるためにくるみ餅もお土産として購入します。



堺を後にし、正午に宝塚へ到着しました。ここで、色々と探訪した後、西脇へ戻りました。西脇に戻るときにはすっかり日が暮れていました。
宝塚での探訪の様子は、「堺っ子の兵庫県旅行記」で述べたいと思います。

2010年9月27日月曜日

無題

2010年9月26日日曜日

仕事で神戸へ出張しました。


9/1は仕事で神戸へ出張することになりました。仕事なので、自家用車ではなく、公共交通機関を利用して、神戸へ向かうことになりました。
久しぶりに西脇市駅からJRに乗ることになります。今回、乗車するのは103系ではなく、125系です。ちょっとラッキーです。



というのは、125系なので、クロスシートとなり、しかも1+2列シートなので、1列の席に座り、パソコンでお仕事ができるからです。加古川駅まで到着するのに、45分はかかるので、仕事は完了しました。



加古川線からは新快速電車です。ここから神戸はすぐに到着できます。




しかし、目的地は鷹取駅なので、西明石駅で新快速電車を降り、普通電車に乗ります。普通電車は須磨駅で快速電車と接続し、待避線でしばらく待機しています。須磨駅からは大阪湾越しに和泉山脈が見えています。ほんと、ええ天気やなあ~。



鷹取駅に到着し、会議の場所へ向かいます。ここでじっくりと会議をします。



会議も終わり、懇親会が終わった後、鷹取駅から三ノ宮駅に移動し、神戸土産を購入し、西脇へと戻ることができました。
結局、神戸には仕事へ行ったので、これだけですが、休みだったらどんなに良かっただろうと思うと同時に、西脇からは神戸は遠い、むしろ大阪より遠いと感じた一日でした。
(注釈)
西脇ー神戸間の場合、加古川経由で(山陽本線から加古川線への接続が悪い)JR線を利用するか、神姫バスの西脇急行線で一般道を加東市、小野市、三木市、神戸市北区、神戸市中央区と片側1車線の道を2時間程度かけることになります。
一方、西脇ー大阪間の場合、中国自動車道を通る高速バスがあり、約1時間半程度ですみます。
自家用車でも大阪の場合、中国自動車道と阪神高速11号池田線で市内に入ることができますが、神戸の場合、一般道で山陽自動車道まで行き、第二神明道路、阪神高速3号神戸線や中国自動車道、六甲北有料道路、阪神高速7号北神戸線、新神戸トンネル有料道路等、いくつかの有料道路を利用するか、一般道で行ってしまうか、いずれにしても金がかかるか、時間がかかる等でハードルがやや高くなっています。

2010年9月24日金曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第5回(神戸市兵庫区)


堺っ子の兵庫県旅行記の第5回は摂津国の神戸市兵庫区です。
神戸市兵庫区といえば、大輪田泊、兵庫津と呼ばれる日宋貿易で栄えた港町であり、兵庫県の名称の由来となった場所です。
堺っ子の私の個人的なイメージとして、兵庫区の東側にある中央区の三宮や元町の華やかさに隠れて、あまりイメージできませんが、両親の話から昔は栄えていた街だったというイメージをもっています。




より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示


今回はJR和田岬駅前からスタートします。なお、上の地図にある黄色の印の場所を訪れました。黄色の線は兵庫七福神を訪問するために通った道です。



(写真①:2010年8月22日)

さて、車を和田岬駅の地下駐車場に駐め、「盲腸線の旅」で訪問した和田岬駅からスタートします。3年前と異なり、駅舎が無くなっており、その跡にはコンビニとバス停みたいな上屋をもった簡素な駅となっていました。


(写真①:2007年6月3日)

ちなみに、上の写真は3年前の和田岬駅です。


(写真②)

和田岬駅はJR和田岬線と神戸市営地下鉄海岸線が乗り入れており、地下鉄海岸線が通っている道路より海側は三菱系の企業の敷地となっており、勝手に入ることはできません。ということで、海側からその様子をうかがうことにします。7月に乗船した神戸港をクルーズした際、撮影したのが上の写真です。海上自衛隊の潜水艦が三菱重工業・神戸造船所にいます。ウィキペディアで調べたところ、「はくりゅう」という名称があるようです。就役は2011年2月の予定とのことなので、これは就役前です。


(写真③)


同じく、7月に撮影した和田岬の様子です。この和田岬付近に和田岬砲台があるはずなのですが、どこにあるのかわかりませんでした。
地図で見ると、和田岬は特徴ある出っ張った形をしていますが、これは旧湊川から運ばれた土砂と明石海峡からの海流により運ばれた土砂が堆積したために形成されました。

2010年9月16日木曜日

ケータイ国盗り合戦で山城国を統一し、畿内を統一しました。

前述の大阪-西脇紀行により、山城国1地区を国盗りしました。

山城国:
洛北地区

これにより山城国を統一し、山城守の称号も得ました。そして、畿内統一により管領の称号を得、摂津守から管領に変更しました。
室町幕府再興への道を歩みそうです。

2010年9月15日水曜日

大阪-西脇紀行(第17回)(8/21~22編)


今回の大阪-西脇紀行は大阪から一旦、京都へ向かいます。その後、堺へ行き、一泊した後、神戸市兵庫区へ向かい、西脇へ帰ることとします。
しかし、京都へ車で向かうのも面倒くさかったので、福島から中之島へ車で移動した後、京阪と叡電で鞍馬へ向かいます。




車を駐車場に駐め、なにわ筋を北上し、京阪中之島線の中之島駅に向かいます。



中之島駅でエレガントブルーが特徴的な3000系(2代目)の快速急行出町柳行きに乗ります。



出町柳駅まで1時間強かかりましたが、そこで叡電に乗り換え、終点の鞍馬行きに乗り込みます。



鞍馬駅に到着しました。今年は暑い夏のため、鞍馬でも十分に蒸し暑かったことを覚えています。



鞍馬駅には叡電のカットボディがあります。



鞍馬といえば、天狗です。それにしてもこんな大きな天狗の顔の像があるとは。



鞍馬駅を後にし、出町柳駅まで戻り、ブラブラと京都市内を歩くことにしました。賀茂川沿いを散歩し、出町柳駅から京阪で大阪市内に戻り、堺へ向かい、久しぶりに弟のどりあんと食事をし、楽天温泉で一泊しました。




翌日は、堺浜より和田岬駅へ向かい、その後、有馬街道、主に県道85号線を通り、西脇へ戻ります。



堺浜から松屋付近の吉野家で朝食を採ります。その後、神戸へ向かいます。



和田岬駅に到着し、車を駐車場に駐め、神戸市兵庫区を探訪します。このときの探訪については「堺っ子の兵庫県旅行記」で報告します。兵庫区を色々と回った後、再び車に乗り、三木、小野、加東を経由し、フィギュア用のアクリルケースを佐川急便・社店で回収し、西脇に戻りました。

お盆休みの堺で得たものです。


堺に滞在中、ゲームセンターでゲットしたプライズです。
フィギュア2体は「涼宮ハルヒの憂鬱」の朝比奈みくる(左)と涼宮ハルヒ(右)です。あのエンドレスエイトのときの立体化です。500円でこの2体が得られたので、正直驚きました。
後ろには「けいおん!」のティーポットとティーカップが置いてありますが、これも200円しかかかりませんでした。
更にその両者の下には「バカとテストと召還獣」のマイクロファイバータオル2枚となっています。
我ながら、暇ですね、、、。

2010年9月14日火曜日

ケータイ国盗り合戦で美作国、安芸国そしてようやく播磨国を統一しました。

前述のお盆休みの故郷めぐりの旅により、播磨国4地区、美作国1地区、備前国1地区、備中国2地区、備後国4地区及び安芸国10地区を国盗りしました。

播磨国:
夢前地区、姫路地区、飾磨地区、竜野赤穂地区
美作国:
津山真庭地区
備前国:
一宮建部地区
備中国:
新見地区、総社笠岡地区
備後国:
庄原三次地区、福山地区、松永地区、尾道三原地区
安芸国:
東広島地区、高田太田地区、安佐北地区、瀬野地区、安佐南地区、比治山地区、呉江田島地区、広島地区、佐伯地区、廿日市地区

これにより播磨国、美作国及び安芸国を統一し、念願の播磨守、美作守及び安芸守の称号も得ました。
備後国はあと1地区、備前国、備中国は岡山、倉敷付近を国盗りすることでこれらも統一ができそうです。

故郷めぐりの旅(本章後編)~生まれ故郷・堺でゆったり休息


呉からの強行軍もあり、ホテルでゆっくりと目覚め、特に用事もなく、堺に来たため、とりあえず、プラットプラットを彷徨くことにします。車は4階の駐車場に駐めます。



3階に降りると、ミドリ電化の前に百円ショップでお馴染みのダイソーができているではありませんか。長らく空き店舗でしたが、これで3階も少し賑やかになったかもしれません。
2階の本屋に立ち寄った後、1階に降り、いつものごとくゲームセンターに入りました。お盆休みだったせいか、快調にクレーンゲームの景品をゲットすることができました。



少し、堺駅周辺を散歩してみると、堺在住中にはお世話になった南半町の日之出屋が堺駅南口に進出しているのに気づきました。知らない間に街は変わっていきますね~。



堺駅を離れ、堺浜シーサイドステージに向かいます。この日もフリーマーケットがありますので、物品を物色することにします。しかしながら、心の琴線に触れるものがなかったため、靴下等の実用品を購入するに止まりました。
その後、このシーサイドステージのゲームセンターに入りましたが、ここでもクレーンゲームは好調でした。



堺浜・海とのふれあい広場へ行こうとしたら、間違えてしまい、シャープの工場の周りを1周してしまいました。そのため、三宝地区の臨海地区である堺浜の埋立地から石津地区の臨海地区を望むことができました。




堺から高石市にある羽衣駅に向かい、高石市の連続立体交差事業(高架化工事)のため、仮線に移動した高師浜線を撮影しました。
羽衣駅から浜寺公園駅へ向かい、徒歩で浜寺駅前電停へ移動し、阪堺線で大阪市内へ向かいます。それにしても、本当に暇やね~。




阪堺線で住吉鳥居前電停まで乗車しました。久しぶりに阪堺線を撮影していると、旧東京都電塗装の502号がやってきました。




住吉さんから堺に戻り、大阪府最大、というより日本最大の大仙陵に久しぶりに行くことにしました。空から見ると、前方後円墳なので、鍵穴のような形にみえるのですが、



地上から見ると、大きすぎるため、こんもりとした丘にしか見えません。
時間もいい時間になってきたので、友人と食事をするため、再び堺浜シーサイドステージに戻ります。
じっくりと、友人と食事をし、石津川駅周辺でカラオケを行った後、友人と別れ、楽天温泉で一泊し、翌日、西脇へと戻りました。
う~ん、この故郷めぐりの旅、結構ハードだったような気がしますが、十分に休みを満喫できました。

2010年9月13日月曜日

故郷めぐりの旅(断章)~広島から堺まで



さて、呉を出発し、再び広島呉道路に乗り、広島方面に戻ります。というのは、広島には国道2号線が走っている。大阪にも国道2号線は走っている。ということは、国道2号線沿いに進んでいけば、大阪に到着することになるのではないか、と考え、国道2号線をできる限り進んでいくことにしました。



いきなり、瀬野~八本松間の大山峠越えとなります。国道2号線と平行するJR山陽本線ではセノハチ越えと呼ばれる場所となります。



日が沈んだ頃には尾道の近くを通ることになりました。国道2号線、JR山陽本線が海と山に挟まれた狭いところを平行して走る場所で、向島等の島嶼部の風景がきれいな場所でもあります。




しかし、さすがにこのまま国道2号線で大阪まで目指すと、翌朝未明になってしまいそうだったので、早島ICで高速道路に乗り換えることにしました。
しかし、山陽自動車道(というより神戸JCTで合流する中国自動車道)での渋滞情報があったので、 龍野ICで高速道路を降り、再び国道2号線に戻り、姫路バイパス、加古川バイパスを経由することにします。



加古川バイパスから第二神明道路を避け、明石から舞子、須磨を経由することにします。奇しくも先日、堺っ子の兵庫県旅行記で訪れた地域(神戸市垂水区、須磨区)を通ることになりました。上写真は明石市内の様子ですが、右の灯りは明石海峡大橋のものです。
神戸市内に入り、国道43号線を選択し、西宮市内からは阪神高速5号、4号湾岸線を通り、堺にようやく到着することができました。

2010年9月10日金曜日

故郷めぐりの旅(本章中編)~呉観光

広島市を後にし、呉市へ向かいます。目的地は呉市海事歴史科学館・大和ミュージアムと海上自衛隊呉史料館・てつのくじら館です。



現在、広島呉道路は無料実験中なので、躊躇無く利用します。対面通行の広島呉道路を抜けると、そこはもう呉市街となります。



呉線を越え、呉港の近くに大和ミュージアムはあります。常設展だけを見るつもりだったので、入場料400円を支払い、中に入ります。



大和ミュージアムには全長26.3mの1/10縮尺の戦艦大和の模型が展示されています。上から全体の写真を撮ろうとしましたが、普通では収まりきらないので、パノラマ撮影で全体を撮影しました。2箇所で歪みがでているのはパノラマ撮影によります。 見学者との比較から大きいことがわかると思います。なお、この場所から撮影するには一通り館内を見学をし終わることが必要です。



呉の歴史の資料を見た後、大形資料室に移動しました。ここでは戦争中に使用された兵器が展示されていました。
まずは、特攻兵器である人間魚雷・回天です。



次に、日本を代表する戦闘機でもあった零式艦上戦闘機こと、ゼロ戦です。



大和ミュージアムを見終わった後、道路の向かい側にあるてつのくじら館に向かいます。入場料は無料なので、気軽に入館します。



ここは何といっても潜水艦あきしおの内部を見学できることです。潜水艦の巨大な姿が海ではなく、地上にあり、その存在感は半端ではありません。



海上自衛隊の歴史、機雷の掃海及び潜水艦に関する資料を見た後、いよいよ潜水艦あきしおの中に入ります。



ここが艦長室です。この潜水艦の中では比較的広いスペースですが、一般的には狭い場所です。



士官が寝るベッドです。三段式のベッドになっており、非常に狭くなっています。



昼夜を区別するために、潜水艦内では昼の時間には白色灯、夜の時間には赤色灯がつけられます。




潜水艦をコントロールする発令所の様子です。計器類等がたくさんあり、効率よく配置されていますが、やはり狭いスペースです。この中で数日過ごすのは私には難しいと思います。

一通り、見学が終了し、呉を離れ、いよいよ堺に向かうことにします。