ヘッダーのタイトルイメージ

2009年8月25日火曜日

お盆休み・九州縦断の旅(序章)

さて、今年のお盆休みも旅に出ることにしました。今回はこの私が自動車を手に入れた後のお盆休みと言うことで、自動車で九州縦断を行うことにしました。
今回の旅の目的は主に2つです。一つ目は桜島、阿蘇山という火山を巡り、撮影すること。二つ目は鹿児島、熊本及び長崎の路面電車の併用軌道を走行し、車窓ビデオで撮影することです。どちらも「Tramway Killer号」あっての旅となります。
さて、ルートとしては、次の通りとなります。

自宅(兵庫県西脇市)
↓ 
堺事業所(大阪府堺市)

大阪南港(大阪府大阪市)
↓ サンフラワー・1泊
志布志港(鹿児島県志布志市)

桜島(鹿児島県鹿児島市)
↓ 桜島フェリー
鹿児島市内(鹿児島県鹿児島市)

熊本市内(熊本県熊本市)・1泊

阿蘇山(熊本県阿蘇市)

長崎市内(長崎県長崎市)・1泊

関門橋(福岡県北九州市・山口県下関市)

広島市内(広島県広島市)・1泊

自宅(兵庫県西脇市)

まずは、自宅から堺の事業所へ向かい、必要な仕事をすることにしました。順調に中国自動車道から阪神高速道路に入り、環状線までやってきました。前回、堺の事業所に行ったときは堺線を利用したのですが、カーナビは前回同様、湾岸線経路を勧めてきました。今回はカーナビに従おうという気になり、中央大通りの高架ジャンクションで右折しようと思ったところ、誤って本町出口に出てしまいました。
「安土町、ほんまに本町や……。orz。」
思わず溜息が出てしまいました。大阪市内の走行は避けようとしていたのに、よりにもよって本町!!大阪市内のど真ん中に入ってしまいました。まだ業務を行っていた会社もある8/12、しかも昼過ぎだったので、人や車が多いこと多いこと。強制自動車教習第1課「大都市中心部走行教習」が始まりました。
「と、とりあえず、御堂筋に出て国道26号線で行こう。」
多少、気を取り直して堺に向かいましたが、その後も渋滞に巻き込まれるなどして、ようやく堺の事業所に着いた頃には精神的に疲れていました。どうやら、我が愛車のカーナビはこの旅であたかもあらゆるケースの運転を経験させようとしているかのようでした。
堺の事業所での仕事を終え、大阪南港・かもめ埠頭に向かいました。



かもめ埠頭にはさんふらわあ・さつま号が待っていました。カーフェリーを自動車で乗るのは初めてなので、どうするのだろうと思っていると、所定の駐車場所(写真下部の車が止まっている場所)に導かれ、駐車させられました。そこで、自動車を降り、フェリーターミナルで車検証や乗船名簿を提出し、乗船の手続きを行いました。手続き後、再び自動車に戻り、乗船するのを待ちました。
乗船はフェリーの4階部分から入り、3階、4階、5階と振り分けられます。私は3階へと案内され、そこで駐車しました。降車後、荷物を持ち、6階の客室へと向かいました。



実はこのさんふらわあは初めてではなく、3回目の乗船となります。1、2回目は1987年(昭和62年)の初春で、高校の修学旅行の往復に乗りました。実に22年ぶりとなります。
22年前にはなかったWTCを見ながら、大阪を離れていきます。



折角なので、船内のレストランでバイキングを食べることにしました。その後は船内の風呂に入り、翌日以降のことを考え、さっさと寝ることにしました。



前日、早く就寝したため、夜明け前に目覚めました。船は太平洋上にあり、大きな波で船は結構揺れており、甲板の外に出ると、強風が吹いていました。その中、太平洋上から登る日の出をじっくりと甲板から眺めました。いつ見ても、船から見る朝日は良いものです。周りを見ても陸地は一向に見えず、絶海を行く旅路です。



時間が経過し、朝食を再びレストランで食べることにしました。今回はデザートにストロベリーのフルーチェがあったので、少し多めに食べておきました。



いよいよ、九州が近づき、都井岬が見えてきました。船旅も終盤になります。



都井岬を過ぎると、志布志湾に入るため、波は穏やかになりました。そうしているうちに、志布志港に船が入りました。いよいよ、九州上陸となります。このときはその後の旅が予想以上に過酷なものになることを想像できませんでした。
本章その1に続きます。

2009年8月24日月曜日

続・旧鍛冶屋線跡を辿る(ほぼ8/8)・後編


いよいよ、後編です。ちなみに前回までの記事は下記の通りです。
グリーンプラザのある曽我井駅跡から先は西方向から次第に北方向に鍛冶屋線跡は向かいます。
車道に沿って進み、多可町の中心部に入ってくると、あかね坂公園が見えてきます。そこが中村駅跡となります。ちなみに、ここの駅名票はイミテーションです。



やはり、この中村駅跡のあかね坂公園にも元鉄道駅跡であることを示すデザインのタイルがありました。



ベルディーホールの横を通り過ぎ、中町中学校までたどり着くと、車道は丁字路になっており、鍛冶屋線跡である直進方向には遊歩道が設置されています。その入口にあるモニュメントとして、山田錦つまり米粒を模したものがありました。



遊歩道をしばらく歩くと、橋があります。この橋をよく見ると、鉄橋を改装したものであることがわかります。



橋を渡り、鍛冶屋駅跡に近づくと、信号機用のリレーボックスが遊歩道脇に残されています。なお、リレーボックスは2つ設置されています。




遊歩道を抜けると、鍛冶屋駅跡に到着します。鍛冶屋駅跡には改装した駅舎が残されており、鍛冶屋線の資料館となっています。



中にはいると、資料室がありますが、鍵がかけられているため、中にはいることはできません。



また、駅舎横にはキハ30系気動車が静態保存されています。
これで鍛冶屋線跡を西脇市駅から鍛冶屋駅まで辿りましたが、総じて言えることは鍛冶屋線の各駅跡にはきちんと鍛冶屋線があったことを示すものが残されており(特に市原駅跡、鍛冶屋駅跡には資料館があり)、また、廃線跡は遊歩道もしくは車道として整備され、現在もしっかり利用できるようになっている点が好感をもてます。おそらく、利用客がそれなりにおり(特に西脇~野村駅(現西脇市駅)は乗客がたくさんあったようです。)、鍛冶屋線は惜しまれつつ廃線になったことが要因かもしれません。

2009年8月23日日曜日

続・旧鍛冶屋線跡を辿る(ほぼ8/8)・前編


前回の「旧鍛冶屋線跡を辿る」では市原駅跡から南下し、加古川線との合流駅である現在の西脇市駅(旧野村駅)まで向かいましたが、今回は逆に鍛冶屋方面に向かうことにしました。
まず、市原東交差点から北へ向かう遊歩道です。ここから鍛冶屋へ向かいます。



遊歩道を北上して、しばらくすると、羽安駅跡が見えてきます。



遊歩道は県道296号線と交差するところで終わり、鍛冶屋線跡は車道に変わり、北から西へと向かう方角を変えます。
ちなみに、この鍛冶屋線跡を利用した車道の家々をよく見ると、道路側に玄関のない家をたくさん見ます。これは廃線跡を利用した道路に面する家によく見られるものです。(つまり、通常、線路側には玄関は設けないので、鉄道から転換した道路に面する側には玄関がないことが多いわけです。)



上記の車道にはこのような電車(鍛冶屋線は非電化路線でしたが、)の絵が描かれており、鉄道があったことを示しています。この絵が出てくると、まもなく曽我井駅跡になります。



車道の右側にグリーンプラザが見えてくると、その手前が曽我井駅跡です。その場所には曽我井駅の駅名票があります。なお、上記写真と下の2枚の写真は8月23日に撮影したものです。



思い出の曽我井駅という内容の説明が駅名票の近くにあります。



国鉄時代の鍛冶屋線乗車キャンペーンのものが曽我井駅跡には残っていました。これはもう20年以上前のものなので、かなり色あせています。



この曽我井駅跡の近くには贈答品には喜ばれるクワムラ食品株式会社があります。
では、自転車に乗り、鍛冶屋線跡をさらに辿っていきます。後編に続く!!

2009年8月20日木曜日

いよいよ選挙です。

衆議院が解散され、ようやく総選挙の公示を迎えました。

公示日に一日前に堺市から選挙の案内がきました。

まだ、転居して3ヶ月以内のため、私は堺市堺区の選挙区の投票をすることになりました。

たまたま、8/29に福島の病院に通院するので、8/30に堺で投票します!!!

2009年8月19日水曜日

天目一神社に参拝しました。(8/8)

西脇市・天目一神社鳥居(2009年8月8日)

西脇市大木町には天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を祭った天目一神社(あめのまひとつじんじゃ)があります。この天目一箇神は鍛冶の神として知られ、奈良時代に編纂された「播磨国風土記」の託賀郡(多可郡)の条に天目一命(あめのまひとつのみこと)として登場します。このため、播磨国多可郡(現在の西脇市、多可町及び神河町の一部)の地が古代から鍛冶に関する高度な技術を持っていた可能性もあるとのことです。そういえば、西脇市と多可町を通っていたJRの廃線の名称も鍛冶屋線といいますね。(ちなみに、この天目一神社はJR鍛冶屋線廃線跡のすぐ近くです。)平安時代に編纂された「延喜式」には多可六座の一つにこの天目一神社が含まれており、全国でも重要な神社の一つだったようです。現在の天目一神社は大正時代に再興されたものです。


西脇市・天目一神社拝殿(2009年8月8日)

立派な鳥居をくぐり、しばらく歩いていくと、狛犬と拝殿が見えてきます。周囲は田園風景ですが、神社内は高い木々が植えられており、神社としての雰囲気を感じます。


西脇市・天目一神社本殿(2009年8月8日)

拝殿の奥には本殿があり、これも神社らしい立派な建物があります。
普段は人がいませんが、毎年12月の第一日曜日には「ふいご祭り」が行われ、播磨地区ばかりでなく、丹波、但馬、美作及び和泉からも参詣者があったそうで、現在は参詣者は少なくなったそうですが、「ふいご祭り」は盛大に行っているそうです。
和泉から参詣者というのはもしかすると堺からかもしれません。堺は包丁の町ですから。美作国は岡山県北部ですが、この岡山県津山市にも中山神社というのがあり、金山彦命(=天目一箇神)が祭られているので、この関係でここまで参詣していたのかもしれません。(ちなみに、天目一箇神を知ったのは灼眼のシャナの「天目一個」をググり、中山神社にヒットしたときです。)
ふいご祭りは一度見たいと思います。

2009年8月18日火曜日

闘竜灘に行きました。(8/8)

加東市・闘竜灘・その1(2009年8月8日)

正確には西脇市ではなく、南隣の加東市の話題です。丹波市から播磨灘に流れる兵庫県最大である加古川には闘竜灘という名勝があります。この闘竜灘は幕末の詩人梁川星巖の七言絶句によりその激しい水の流れが巨龍の躍動に似ていることから、名付けられました。
上流である西脇市で加古川、杉原川及び野間川が合流し、川幅が最大で約100mまで広がった後に、闘竜灘で突如現れる巨大な岩場により、川幅が一気に約15mまで狭まるため、激しい水の流れになります。
また、日本一早い鮎漁解禁がされる場所でもあり、飛び鮎の名所としても知られています。


加東市・闘竜灘・その1(2009年8月8日)加東市・闘竜灘・その2(2009年8月8日)

闘竜灘上流にある橋からの写真です。右が闘竜灘、左が1872年(明治5年)に開削された堀割水路です。江戸時代までは上流で伐採された松、杉及び檜を筏で下流へと運んでいたものをこの闘竜灘上流側で解体し、1本ずつ滝落としにかけ、下流側で再び筏として組み直していました。その手間を省くため、造られたのが堀割水路であり、これにより組み直すことがなくなり、堀割水路を通り、下流へ直通することができました。


加東市・滝寺荘・鮎定食(2009年8月8日)

闘竜灘のすぐ横にある滝寺荘では鮎づくしの定食があります。内容はご飯、味噌汁、漬け物に加え、鮎の塩焼き、フライ、甘露煮及び南蛮漬けとなっており、最後にリンゴのシャーベットが出てきます。非常に美味しかったです。

2009年8月17日月曜日

お盆休みのドライビング訓練

お盆休み(8/12~16)は九州に行ってきました。大阪南港から自動車とともにフェリーに乗り、鹿児島県・志布志港より桜島、鹿児島市、熊本市、阿蘇山、長崎市、広島市を経由し、自宅まで自動車で帰ってきました。今回は九州の2つの火山と九州の路面電車の併用軌道を走行するのが目的でした。これらについては、後日アップします。しかし、自動車の運転がメインになってしまったような気がします。走行距離は約1500km、直線距離にすると、西脇から中国・洛陽までの距離となります。しかも、人ばかり歩いている大都市中心部の道路、山間の細い道路でのヘアピンカーブ、大型路線バスと路面電車による挟撃、夜の市街地や高速道路、渋滞の一般道・高速道路等、いろんなシチュエーションでの走行を余儀なくされました。おかげで西脇だけ走っていては得られない経験をしました。まさに今回の旅はドライビング訓練でした。とにかく、しんどかったです。

2009年8月8日土曜日

大阪-西脇紀行(第3回)(8/2・後編)

大阪-西脇紀行(第3回)の後編です。


神戸・元町・南京町(2009年8月2日)

暑い中、三宮センター街を抜け、元町商店街の脇を通り、神戸南京町に到着しました。


神戸・元町・南京町・マンゴーかき氷(2009年8月2日)

「羊肉两个(yang・rou・liang・ge);羊肉両個」と発注したりと、暑い中、熱くてしかも辛いものを食べていたので、雪花冰(xue・hua・bing);雪花氷が欲しかったのですが、なかったので、冷たくて甘いマンゴーのかき氷を南京東路・長安門そばのRed☆Star(1F)で食べました。氷に練乳とマンゴーの果肉及びソースがかかっており、甘くて、しかもマンゴーの酸味が絶妙に効いており、これは推奨品です。ここの濃厚な杏仁豆腐も美味しいので、ぜひご賞味ください。ちなみに、2Fはチャイナドレスの店、紅星(こうせい)です。


神姫バス・三宮バスターミナル(2009年8月2日)

暑い中、JR三ノ宮駅高架下に来ました。ポートライナーが急カーブをする場所のすぐそばに神姫バスが発着するバスターミナルがあります。


神姫バス・三宮バスターミナル・西脇営業所行きバス(2009年8月2日)

乗車時間が来たので、バスに乗り込むことにします。この行き先案内板の急行が気になります。


神姫バス・つくはら湖(2009年8月2日)

神姫バスは東に向かい、反対車線の三宮に向かう阪神バスを横目で見ながら、左折し、新神戸駅を上に見、新神戸トンネルで北上します。このトンネルがとにかく長く(7.9km)、15分くらいトンネルの中を走っていました。
その後、くねくねと曲がる道を進み、ダム湖であるつくはら湖まで来ました。見上げると、明石海峡大橋に向かう山陽自動車道があり、短い期間にこのつくはら湖の上と下の道路を通ることになるとは思いませんでした。なお、40分近く道路を走っていますが、まだ一度もバス停に止まっていません。


神姫バス・三木付近(2009年8月2日)

バスに乗車してから40分以上経過して、三木市に入り、ようやくバス停に止まり始めましたが、やはり急行という名は伊達ではなく、いくつかのバス停ははじめから通過していました。


神姫バス・滝野社インター(2009年8月2日)

その後、小野市、加東市を通り、中国自動車道・滝野社インターチェンジまで戻ってきました。西脇まであともう少しです。


神姫バス・西脇(2009年8月2日)

急行バスもさすがに西脇営業所管轄内に入ると、全バス停に停車するようになるようですが、大半の乗客は小野市を過ぎた段階で降りており、わずかな乗客だけが西脇に向かっているようです。
ようやく、旅の終点であるアピカ西脇に戻ってきました。(往路はここから高速バスで大阪へ向かっています。)南京町滞在時間を除いたバス乗車時間は約4時間となり、すっかり疲れてしまいました。バスは西脇市の中心街を通り、カナート西脇傍の西脇営業所へ向かいました。
次回は疲れを癒すため、天然温泉でも浸かって、西脇に帰りたいと考えています。

大阪-西脇紀行(第3回)(8/2・前編)

阪神・阪神本線・梅田駅(2009年8月2日)

「大阪-西脇紀行」の第3回目です。おや、今回も阪神電鉄で帰ると思ったあなた、甘いです。よく見てください、普通車のジェットカーです。特急・急行ではありません。
今回は、旧阪神国道線の跡を巡り、神戸の南京町で中華料理が食べたかったのと神戸・三宮-西脇を結ぶ路線バスに乗りたかったため、思い切って野田阪神前から西脇まで路線バスで帰ることにしました。
利用する交通機関は次の通りです。

梅田
↓ 阪神電鉄・阪神本線
野田(野田阪神前)
↓ 阪神バス(野田阪神前~尼崎・浜田車庫前)
浜田車庫前
↓ 阪神バス(阪神尼崎~阪神芦屋)
夙川
↓ 阪神バス(阪神西宮~神戸税関前)
三宮駅前
↓ 徒歩
三ノ宮駅(JR高架下)
↓ 神姫バス(三ノ宮駅~西脇営業所)
アピカ西脇(旧鍛冶屋線西脇駅跡)


阪神バス・野田駅前バス停(2009年8月2日)

では、阪神野田駅・北側からバスに乗ることにしたのですが、このバス、休日は1日7本、2時間に1本しか走っておりません。また、ここから中津・天神橋筋六丁目方面にもバスがあるのですが、休日はほぼ40分に1本で、しかも昼間は中津で折り返しとなっています。
実は、この阪神バスが止まっている場所は1975年(昭和50年)まで路面電車である阪神国道線と北大阪線のターミナル電停があった場所です。私が乗ろうとしているバスが国道線の代替、天神橋筋六丁目方面のバスが北大阪線の代替路線です。ちなみに、阪神野田駅・南側には大阪市電のターミナル電停がありました。この電停名が野田阪神電車前であり、この名称が省略され、地下鉄千日前線の駅名にもなっている「野田阪神」がこのあたりの通名になっています。


国道2号線・旧阪神国道線・架線柱(2008年1月6日)

阪神バスは国道2号線いわゆる阪神国道をひたすらに神戸方面に向かい、進んでいきます。淀川を渡る前に明らかに電柱とは異なる架線柱が2本あります(上記写真では道路右側の2本の柱)。これが阪神国道線の架線柱です。
なお、車内から撮影した写真はぶれまくっていたので、1年半前の2008年1月6日に撮影した写真を使用しました。(故に、柱の影が長くなっています。)


阪神バス・尼崎浜田車庫前(2009年8月2日)

なんやかんやで、春先にしょっちゅう来ていた阪神尼崎駅を横目で見ながら、浜田車庫前に到着しました。
この浜田車庫に隣接する阪神タイガース・浜田球場はかつての国道線の車庫跡となります。


阪神バス・尼崎浜田車庫前・阪神芦屋行バス(2009年8月2日)

先ほどのバスを降り、しばらくすると阪神芦屋行きのバスが来ました。このあたりではバスが頻繁に来るので、便利です。


阪神バス・阪急今津南線立体交差(2009年8月2日)

武庫川を渡り、西宮市に入りました。甲子園付近を過ぎ、しばらくすると阪急今津(南)線の阪神国道駅が現れます。ふと気づいたのですが、バス停名がいつの間にか阪神国道駅前になっていました。かつては違う名前だったと思いますが、これも阪急阪神経営統合の影響でしょうか?


阪神バス・夙川バス停・神戸税関行バス(2009年8月2日)
これまた、阪急甲陽線訪問の行き帰りでしょっちゅう見ていた阪神西宮駅を横目で見ながら、夙川バス停で降車しました。
しばらくすると、3台目の阪神バスである神戸税関前行きバスが来ました。このあたりもバスが頻繁にやってきます。


阪神バス・夙川公園(2009年8月2日)

桜の季節にはよく訪れていた夙川公園です。ここを通過し、ひたすら神戸方面にバスは向かいます。


阪神バス・六甲ライナー立体交差(2009年8月2日)

芦屋市を過ぎ、いよいよ神戸市に入りました。東灘区の区役所前では六甲ライナーと立体交差しています。


阪神バス・阪神本線立体交差(2009年8月2日)

灘区に入り、国道2号線は南に曲がり、阪神本線と立体交差します。その西灘駅を過ぎると、国道43号線と合流し、再び西に向かいます。


JR西日本・JR神戸線・三ノ宮駅(2009年8月2日)

阪神国道線の終点があった脇浜、かつて日本一狭いホームがあった春日野道駅の上を通過し、梅田から約2時間かけ、神戸三宮に到着しました。電車なら30分足らずで到着していたでしょう。
では、次の目的である元町の中華街まで徒歩で行くことにします。後編に続きます。

2009年8月6日木曜日

京阪交野線と阪神なんば線を撮影しました。

西脇市・杉原川(2009年8月1日)

8/1は毎度お馴染みの大阪市・福島への通院です。朝から雨は降っていましたが、豪雨ではありませんでした。高速バスに乗るため、アピカ西脇に向かう途中、杉原川が尋常ではない水量で流れているのに気づきました。川の水は茶色であり、木くず、草やゴミが勢いよく流されており、どうやら上流では豪雨が降っているようです。(このときの北播地方は大雨洪水警報か注意報が出されていたようです。)
少し心配しながら、中国ハイウエイバスに乗り込み、大阪へ向かいました。


京阪・交野線・私市駅(2009年8月1日)

通院も終わり、残りの時間は久しぶりに私鉄電車に乗ることにしました。今回は行く機会がなかった京阪交野線です。私の盲腸線の定義に合致しなかったので、盲腸線の旅では紹介することがなかったのですが、一応全駅の撮影を行いました。
そうしているうちにとっぷりと日が暮れ、8/1は難波のカプセルホテルでゆっくりと宿泊しました。やはり、湯船が広いのはいいですね。サウナも気持ちよかったです。


阪神・阪神なんば線・淀川橋梁(2009年8月2日)

さて、翌日は久しぶりに阪神なんば線に乗車しました。一度撮影したかった伝法駅と福駅の間にある淀川に架かる橋梁を中心に撮影を行いました。
やはり、鉄道はいいですね。(西脇では使う機会がほとんどないので、思いっきりPiTaPaを使用してしまいました。)