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2011年12月31日土曜日

今年もあとわずかです。

さて、2011年もあとわずかとなりました。 今年も年末恒例の友人との食事を行い、久しぶりに映画も見ました。 映画はYouTubeでプロモーションビデオのような動画を上げた「けいおん!」でしたが。 今年も色々ありましたが、来年こそは良い年であることを願います。

2011年12月29日木曜日

自作パソコン製作③


購入したCPUであるCore i7 2600K(左側)には空冷式のCPUクーラーが附属していますが、今回は使用しません。



このマザーボード(P8Z68-V PRO/GEN3)に前述のCPUを取り付けます。上の写真では上半分の中央部分にCPUソケットがあります。
では、静電気を除いてから、CPUを取り付けます。



上の写真がCPUソケット(LGA1155)のカバーを取り外し、レバーを引き上げたところのものです。この上にCPUを載せて固定させます。CPUの四隅のうちの一つに▲印があるので、その▲印が上のCPUソケットの左下がくるように設置し、金属の枠を下ろし、レバーを下げて固定させます。



これでCPUがマザーボードに取り付けられました。後はCPUを冷却するためのクーラーを取り付けます。とはいうものの、今回は一体型簡易水冷クーラー(APSALUS120)を使用するため、クーラーをマザーボードに取り付けてから、PCケースに入れるのはラジエーター部分が邪魔になり、難しそうです。



上の写真はCPUクーラー、ラジエーター及びメモリ(DDR3 1600MHz 4GB)をマザーボードに取り付け、PCケースに固定させた状態のものです。途中、様々な工程があり、組み立てながら撮影するのは結構大変でしたので、写真撮影を省略してしまいました。すみません。
ということで、文章による説明となります。まず、CPUクーラーを固定する土台の一部であるバックプレートをマザーボード裏側に取り付けます。このとき、バックプレートはマザーボードの4つのねじ穴に合うようにします。なお、土台は前述のバックプレートと表側に取り付けるリテンションリングで構成されています。
ここで一旦、CPUクーラーの取り付け作業は中断し、次に、マザーボードにメモリを4枚、メモリスロットに入れ、固定しました。メモリには方向があり、スロットの凸の部分とメモリの凹の部分を合わせる方向に向け、スロットのレバーを倒し、メモリをスロットに入れます。メモリを差し込むと、スロットのレバーが立ち上がり、メモリが最後までしっかりと差し込まれると、レバーが元の位置に立ち上がります。
メモリ取り付け後、マザーボード附属の入出力部分に蓋をするQ-shieldをPCケースに取り付けた後、マザーボードを正しい向きに置き、ネジ9本で固定します。

マザーボードを固定した後、CPUクーラーの取り付け作業を再開します。冷却部分とポンプ部分にあたるヘッドユニットと土台の一部であるリテンションリングをかみ合わせ、ヘッドユニットのグリス塗布面をCPU上部に接着させ、リテンションリングのネジをバックプレートのネジ受けに差し込み、締め付けて、マザーボードに固定させます。
更に、PCケースの背面にあるファンを外し、代わりにラジエーターをPCケースに取り付け、そのラジエーターの内側に先程取り外したファンを排気側がラジエーターになるように取り付けます。なお、ラジエーターの向きは管が邪魔にならないように上の写真のように配置しました。
これでCPUクーラーの取り付けが完了しました。
次回はSSDとHDDの取り付けになります。

2011年12月25日日曜日

自作パソコン製作②

いよいよパソコン製作のため、数回、大阪・日本橋へ出かけ、パーツ集めを行いました。使用するバーツは下記の通りです。

CPU: Intel Core i7 2600K(3.40GHz)
(CPUクーラーAPSALUS120(一体型簡易水冷ユニット))
M/B: ASUS P8Z68-V PRO/GEN3
Memory: Team DDR3 1600MHz 4GB×4(16GB)
SSD: crucial M4SSD 256GB×2(raid 0で使用)(システム用)
HDD: Western Digital 3TB(回転数5400rpm、キャッシュ64MB)×2(データ用)
光学ドライブ: Sony BD-5300S+S
グラフィックボード: SAPPHIRE Radeon HD 6950 flex editon
(6代目デスクトップPCより流用)
サウンドカード: Creative SOUND BLASTER X-Fi Titanium HD
(光学ドライブ以外で)5インチベイに入れるもの:
 マルチフロントI/Oパネル
 SATAリムーバブルケース
 KAZE SERVER KS01-BK
ケース: Antec P183
電源: SilverStone SST-ST75F-G
OS: Windows 7 Professional 64bit版

今回の7代目デスクトップPCでは第2世代「Sandy Bridge」かつオーバークロックもでき、価格もそこそこのCore i7 2600Kを採用しました。このオーバークロック対応かつCore i7に組み込まれているGPUを利用するため、マザーボードはIntel Z68チップセットを搭載したASUS社製のP8Z68-V PRO/GEN3を選択しました。また、このマザーボードがSATA 6Gbps、raid対応であり、後述のSSDの速度も生かせると考えたからです。更に、CPUを十分に冷却するために、一体型簡易水冷ユニットを用います。
メモリは余裕の16GBとし、システム・アプリケーション用にraid0でSSDを512GBとし、(バックアップ分も含め)データ保存用にHDDを3TB、2台用意しました。
光学ドライブにはSony製のブルーレイディスクドライブ(読み込みだけでなく、書き込みもできるもの)を使用します。
グラフィックボードは既にWindowsエクスペリエンスインデックスで7.9をたたき出している6代目デスクトップPCに使用しているものを流用することで、支出を抑え、MIDI打ち込みやTHX承認のONKYO製AV Center TX-NA609の能力を発揮させるため、THX承認のサウンドカードを用います。
その他、カメラやビデオで撮影した写真や動画を容易にPCへコピーするため、マルチフロントI/Oパネルを5インチベイに入れます。また、大震災などの災害時に容易にデータ用HDDを持ち出せるようにSATAリムーバブルケース、PCケースの温度を管理するため、KAZE SERVER KS01-BKも入れます。
PCケースはこれらのパーツが入り、電源とマザーボードが分離し、配線用のスペースがあるものを選びました。そして、このPCケースは外見が比較的良く、なおかつ「痛い絵」の塗装もしくはラッピングが容易にできるところも重要なポイントです。
電源は750Wの80PLUS GOLDで電気ケーブルがコネクタで接続できるものを選びました。
モニタは6代目デスクトップPCのものを継承し、SonyのBRAVIA(26インチ)とLGのモニタ(24インチ)×2台によるトリプルモニタとし、スピーカーシステムも同様に継承し、前述のONKYOのAV Center TX-NA609を中心としたフロント、リア及びセンタースピーカーの5ch(将来的にはサブウーハーを加え、5.1chにする予定)の贅沢なPCシステムとします。
では、PC本体に用いるパーツを写真で紹介します。


まず、CPU(手前)とマザーボード(奥)のパッケージです。



CPUに取り付ける水冷式のクーラーです。



続いて、メモリ(手前)、SSD(奥・左)及びHDD(奥・右)です。



更に、サウンドカード(手前)及びグラフィックボード(奥)です。



また、5インチベイに入れる予定のものです。



ちなみに、PCケース(下)と電源のパッケージ(上)です。



最後にマウス(手前・左)、キーボード(奥)及びWindows7(手前・右)です。

ではPCを組み立てることにします。

2011年12月13日火曜日

自作パソコン製作①

久しぶりに自作パソコンを製作することにしました。自作パソコンとしては2台目の挑戦です。これまで私が購入もしくは製作したデスクトップPCは6台なので、次のPCが7台目となります。
今回のPCのテーマは「痛くする」です。中身を高性能にすることで財布が軽くなることで痛くなるという意味もあるのですが、 外見もラッピングして痛くするという意味もあります。ということで、次回から製作の様子をお伝えします。

2011年12月4日日曜日

島村楽器 COOL-Z ZST-1M/STS

今日は某サイトのように物品の紹介です。


今回はエレキギターです。ストラトキャスタータイプのギターで、島村楽器のオリジナルブランドですが、実際には長野県松本市にある「フジゲン」というギタークラフトがOEM生産しているものです。つまり、日本製です。
サークルフレッティングシステム(以下、C.F.S.)と呼ばれる円弧状フレットテクノロジーを採用しており、弦とフレットを直交させることにより、1弦から6弦の各フレットにおける弦間の距離が同一となり、正確なピッチ感が得られるとのことです。
また、エリートフィニッシュと呼ばれる全てのフレットの両端を丸く仕上げることにより、ネックを握ったときのスムーズな運指を実現されるとのことです。
とはいえ、吾四十而弾吉他(われ四十にしてギターを弾く)という状況で、まだろくに弾けないため、正確なピッチ感が元々ないし、左手はろくに動かないので、スムーズな運指はできていません。とはいえ、ある程度弾けるようになると、解ってくることかもしれません。
ボディにはアルダー材、ネックにはメイプル材を使用しています。
とにかく、今はあまり弾けませんが、オーバードライブで歪ませて、パワーコードでブリッジミュートをかましながら弾いていくと、アンプから
ジャーン、ズン、ズン、ズン
が響いてきます。
これよ、これ!これぞエレキギターの音
打ち込みでは味わえない本物のエレキギターの音が聞けるだけで今は幸せなしゅらくでした。うまく弾けるようになるともっと面白くなるような気がします。
ただ、今は左手が痛いです。


東京出張なので、久しぶりの荒川線


2011年11月25日から26日かけて東京に出張して参りました。
大塚駅前で宿泊したのに、都電荒川線を無視するのは失礼なので、26日朝、撮影しました。
とにかく、しんどかった~。

これでは血糖値が上昇する~!

事の始まりは2011年11月22日の終業後のことです。
このときに、同じ職場のkiribooさんと私の一押しの堺浜の回転寿司に一緒にいくこととなり、そのついでに堺のスイーツを巡るということになりました。
翌23日となり、ひねくれ者の私は国道372号線、国道173号線及び阪神高速池田線で堺に入ろうとしましたが、素直なkiribooさんの希望もあり、中国自動車道及び阪神高速池田線で入ることになりました。運転手は私で、車掌、もといナビゲーターはkiribooさんで我が愛車「Tramway Killer号」に乗って行くこととなりました。そのため、「only my railgun」「God knows ...」や「NO, Thank You」といったkiribooさんには馴染みのない曲を強制的に聴かせてしまうことになってしまいました。すまんのう~、Kiribooさん。



堺へ行くための阪神高速環状線の位置取り(右から2番目をキープ等)の話を偉そうにしながら、堺の石津へと向かいました。そこで大阪の事業所のMさんと合流し、上図の堺浜シーサイドステージにある回転寿司に向かいました。



大きな地図で見る



回転寿司を満喫した後、旧堺市街に入り、上図のかん袋で上写真の氷くるみ餅を食し、すっかり満足してしまいました。ちなみに「かん袋」には駐車場があるので、車で来ても混雑していない限り大丈夫です。なお、写真は今回の堺行きで撮影したものではなく、以前に撮影したものです。以後のものについても記述がない場合、以前のものを流用しています。
はっ!そういえば前回Mさんを案内したときと全く同じコースになってしまいました。Mさん、次回は別の店にするようにします。


 

Mさんとはこれで別れたのですが、このときに諏訪ノ森の美のやのスイートポテトを頂くことになろうとは。Mさんありがとうございます。「kiribooさん、これはもうぜいたくやで。くるみ餅ばかりでなく、スイートポテトまで食べることができるなんて。でも折角やから、八百源来弘堂の肉桂餅も食わなあかんな。1個210円やで。でも美味しいで~。」
この「美のや」には駐車場はないので、南海電車か阪堺電車を利用した方がいいと思います。




与謝野晶子の出身校である泉陽高等学校を横目で見ながら、狭い一方通行の道が入り、八百源来弘堂に到着しました。堺の旧市街地は南側は戦時中の堺大空襲で焼けてしまいましたが、北側の一部は焼けなかったところがあるため、狭い道が入り組む状態になっています。
この「八百源来弘堂」にも駐車場がない上、南側へ向かう一方通行の狭い道の前に店舗があるので、阪堺電車の利用がいいと思います。私はkiribooさんを店舗の前で降ろし、その場所をしばらく離れ、再びkiribooさんを店舗の前で拾いました。





「おっ、15時10分前や。近くのプランタンで夕張メロンパンが焼き上がるから買うて帰ろうか。」
NTTの裏にあるコインパーキングに車を駐め、焼きたての夕張メロンパンをプランタン工房で購入しました。この夕張メロンパンは中に夕張メロンをたっぷり入れたクリームが入っており、絶品です。ただし、炎髪灼眼の討ち手のようにメロンパンの内部に何かを入れるのを邪道とする人には向かないかもしれません。
このプランタン工房にも駐車場はありません。阪堺電車の利用をお勧めします。車を利用する方は近くのコインパーキングに駐車するのが良いと思います。




さて、用件が大分すんだので、
「芥子餅、大寺餅、最中もあるけど、時間もおしているから、神戸方面に向かおうか。」と運転を始めたところ、
『あの~、ツマガリに寄りたいのですが。』
「おっ、西宮に寄っていくことにするか。」
ということで、急遽西宮に寄ることになりました。なぜか、ツマガリのある甲陽園で私がkiribooさんに滋賀県豊郷町の「けいおん!」の町おこしの話を解説しながら、ツマガリの上の階にある喫茶カブトヤマに入り、コーヒーと洋菓子を堪能しました。上の写真は当日のものです。男2人で来るのはこれで2回目です。と、欲望のまま購入した和菓子、洋菓子を見て、しばらくこれは甘いものしか食わんことになるなあ。これでは血糖値が上昇する!といっても、後の祭り。しばらくは甘いものが続くことになってしまいました。
スケジュールがだいぶん後ろにずれてきたので、予定していた神戸三宮はパスし、kiribooさんに無理を言って、神戸市西区にある伊川谷へ向かいました。



さくっと、上写真の目的物をゲットし、国道175号線を北上し、西脇に戻りました。kiribooさんお疲れ様でした。
そういえば、今日は12月4日、昨日「けいおん!」の映画が公開されましたね。京阪グループ、USJ、ローソン、ナムコ等あちこちでキャンペーンをしていました。相当、力をいれている証左ともいえるでしょう。
ところで、この記事では当然のことながら、私、しゅらく視線で記述しましたが、kiribooさんの記事は下記にありますので、ご覧ください。
http://kiriboo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-8f86.html

2011年12月1日木曜日

神戸マラソン折り返しイベント中止

2011年11月20日、第1回神戸マラソンが行われ、その折り返し点にあたる明石海峡大橋でラジオの公開録音等のイベントがあるとのことなので、明石海峡大橋のある舞子公園に向かいました。が、残念なことにこの日は強風が吹きすさび、イベントは中止になっていました。



前日(実際には当日未明)のその公開録音の行う予定だった番組中で天候で中止になったらどうしようといったことが語られていましたが、見事にそのとおりになってしまいました。


ゆるキャラのイベントもあったようですが、当然中止となり、各地のゆるキャラたちが明石海峡大橋の下でうろうろとしていたのが印象的でした。

ルーツ探しの旅

ルーツ探しといっても、私のルーツではありません。私の母のルーツです。所用のため、11月12日に徳島から両親が堺へ出てくることになりました。そのついでにルーツ探しのため、神戸を経由するとのこと。ちなみに、私の母は実質徳島県人なのですが、出生地が神戸市の新開地付近という神戸っ子なのです。折角なので、補正予算作成という重要な仕事があったのですが、堺まであのTramway Killer号を乗り付け、神戸まで案内することにしました。
母の生まれた場所の周辺には神戸高速鉄道の大開駅があります。とはいえ、この辺りは1995年(平成7年)の阪神淡路大震災、1968年(昭和43年)の神戸高速鉄道の開通そして1945年(昭和20年)の神戸大空襲により母の生まれたときから随分と変化、というより激変しています。
母の父、つまり私の祖父は戦時下に出征し、肺結核を患い、母が生まれる前に亡くなっています。その後、母の母、つまり私の祖母が神戸を離れ、徳島で母を育てていったとのことです。母によると、戦時中及び終戦直後の混乱もあり、母の父の墓がどこにあるかもわからないとのこと。って私が生まれてから随分と年月が経っているけど、初めて聞いたぞ、その話。結局、母の父の墓の手がかりはわかりませんでした。
それにしても、母の誕生や、神戸大空襲前に祖母と母が神戸を離れる際どさを考えると、私やどりあんの命も結構危ういものだったようです。ちなみに、父も病気がちで抗生物質ペニシリンが入手できるようになったことで死ぬこともなく、健康に過ごせたとのこと。ますますこの命は大切にしないといけないなと改めて感じた私でした。
(でも、私もどりあんも未婚であり、子供もいないので、2人の血統は断絶の危機にはあるのですが。)
ちなみに、両親は因縁の神戸に徳島から出てきたのですが、いろいろなことがあって神戸を離れ、私が生まれる前に堺に住むようになったようです。私のプロフィールにある「神戸っ子になり損ねた堺っ子」とはそういう事情によるものです。

2011年11月27日日曜日

リベンジのはずが、聖地巡礼へ

11月3日のリベンジに向け、国道372号線を通り、右京区役所のある太秦天神川駅から京阪大津線のある浜大津駅に行くはずが、私の完全な気まぐれにより山科駅よりJR、彦根駅より近江鉄道と乗り継ぎ、「けいおん!」の桜が丘高等学校のモデルとされている豊郷小学校旧校舎に行きました。



ということで、近江鉄道初乗車になります。この近江鉄道は西武グループの企業なので、多くの車両が黄色の西武鉄道の塗装になっています。



ちなみに、これは2008年3月16日に撮影した西武鉄道・東村山駅での車両です。



さて、近江鉄道の豊郷駅を下車し、豊郷小学校旧校舎に向かっていると、早速「けいおん!」関連のポスターを発見しました。



更に歩いていくと、 秋山澪をモチーフにしたと思われる「飛び出し花子」もあり、他の「けいおん!」のキャラクターをモチーフにしたものも多数見つけることができました。やはり、「けいおん!」で町おこしを行っていることが伺えます。



途中、中山道に沿って豊郷小学校旧校舎に向かいます。豊郷小学校旧校舎は中山道に面しています。




約10分程度歩くと、目的地の豊郷小学校旧校舎に到着しました。では敷地内に入ることにしましょう。

2011年11月22日火曜日

大津線感謝祭にまたまた来ました。

まもなく、勤労感謝の日を迎えようとしているにもかかわらず、文化の日に話題をします。
11月3日、予告通り「大津線感謝祭」に参りました。
定番と化した国道372号線を通り、丹波国を経由して、右京区役所付近に駐車し、太秦天神川駅より乗り入れるルートを選択しました。




浜大津駅まで京津線で、錦織車庫のある近江神宮前駅まで石山坂本線でむかいました。



今年は10月の引き籠もりのため、この「大津線感謝祭」が鉄道の日イベントの最初です。道理で貧血気味(鉄分不足)だったわけです。
この「大津線感謝祭」には何度か来訪しているので、経験済みのイベントも多いのですが、今年新設されたものもありました。
まずは、今年は京津線開通100周年ということで、大津線の歴史を振り返るパネルが展示されていました。このパネルを見て、1997年の京津線の京津三条~御陵間廃止前に、京都市内の京津線に乗れなかったことを改めて残念に思いました。
次に、乗務員室で色々操作が体験できるトーマス号の乗車体験、リアルな(レール運搬台車)クレーンを用いたUFOキャッチ、有料で先着10名まで撮影した写真をヘッドマークにしてくれる制服で記念撮影というイベントが新設されていました。それにしても、本物のクレーンでUFOキャッチというのも操作が大変です。
一通り、見学した後、錦織車庫を後にし、浜大津駅で石山坂本線のラッピング電車を撮影することにしました。



浜大津駅で戦国大津物語号、写生コンクール号、機動戦士ガンダムAGE号の撮影を行った後、その機動戦士ガンダムAGE号を坂本駅から折り返して浜大津駅に戻ってくるところを再び撮影しようと考え、その待ち時間に夕食をとることにしました。その後、浜大津駅に戻ってくると、ちょうど坂本駅方面から機動戦士ガンダムAGE号がやってきました。一方、石山寺駅方面からは放課後ティータイムトレイン号が。これわっ!!まずスパロボでも実現しないだろう「けいおん!」と「ガンダムAGE」のコラボレーションが今ここで実現か。録画ボタンを押し…たつもりが、押していなかったため、撮影ができませんでした。とほほ、な~んてこったい。これ以外、全て目的を達成しており、95%満足のはずが、♪それだけ、でなんで敗北感♪という気持ちに陥り、太秦天神川駅までショックを引きずっていました。
むむむ、♪すかさずに目標~♪をリベンジすることにし、11月6日再来訪しようと心に決め、国道372号線に沿って帰りました。



なお、右京区役所まで来て、嵐電を無視するのは嵐電に失礼なので、嵐電の動画もアップしておきます。

2011年11月10日木曜日

ボーカル部分をつけてみました。

またまた、動画アップに関する記事です。「京阪・石山坂本線 放課後ティータイムトレインの旅」でBGMとして用いた「No, Thank You!」のoff vocal版にAquesToneという合成音声によるフリーの歌唱ソフトウェアにより、vocalを加えました。




滑舌がいまいち良くないので、聞き取りづらいかも知れませんが、字幕を参照願います。(私の場合は脳内補完されてしまうので、聞こえてしまいますが。)

2011年11月3日木曜日

昨日の動画の英語版ができました。

珍しく2日連続で更新です。
といっても、昨日の動画の英語版のアップに関する記事です。
内容はテロップ関係が日本語から英語に変わっただけなので、ほとんど変わりません。
興味を持たれた方はご覧いただけると幸いです。

2011年11月2日水曜日

ようやく更新したと思えば、11月ですね。

前回の更新から約半月が経過してしまいました。
何故、更新が滞っていたかというと、下のビデオの編集、というよりBGMの作製でほぼ10月の休日が吹っ飛んでしまったからです。




何せ今までDTMをほとんどやっていないのに、BGMを自分で作ろうと思ったのが不幸の始まりでした。しかも、よりによって「No Thank You」なんぞを選ぶし。その結果、エレキギター、ベース、ドラム及びキーボードについて、奏法について理解しなければならない、しかもMIDIの打ち込みの注意で、ギターは楽譜通り打ち込んではだめだ、楽譜より1オクターブ低く打つこと、楽器の演奏の音の出方に合わせて打ち込むべし等々、はじめから苦難の連続でした。
フリーのVSTiやVSTエフェクトのことも色々勉強し、一つの楽曲にするためのミックスダウンの技術も含め、本当に勉強させてもらいました。
しかも、この動画のおかけで、「けいおん!」を全話見ることにもなり、「けいおん!」にも興味を持つようになりましたしね。(現在、けいおん!のOP曲ED曲全6曲のカラオケ練習中です。)
いろいろな意味で、いい経験をもたらした動画となりました。
折角なので、この動画、英語版も作ってみようかなとも考えています。
また、「No Thank You」も伴奏まで完成したので、ボーかロイドに歌わせてもよいかもしれません。(ボーカルとコーラス部もサックスで打ち込んだのですが、どう聞いても量販店で流れるBGMにしか聞こえないので、採用しませんでした。)
では、一仕事終わったので、11月3日はどこか出かけようと思います。そういえば、11月3日は「大津線感謝祭」があったので、そこに行っても良いかもしれません。って、また大津かい。

2011年10月10日月曜日

恐ろしいことに3日間引きこもっていました。

この10月の三連休、天気もすこぶる良く、どこかに出かけて写真や動画を撮影するには絶好だったはずなのに、家からほとんど出ませんでした。というのも、ある作業にかかりきりになっていたのですが、なにぶんにも初めて挑戦することだったので、手間がかかってしょうがありませんでした。
1日目はほとんどウェブサイトで言葉や記号の意味を探り、それをどうすれば、PC上で実現できるのかを確認することで手一杯でした。
おかげで、グリッサンド、ハンマリングオン、プリングオフやピッチベンド、ベロシティ、デュレーションといった言葉を覚えることになりました。
まだまだ、半分ぐらいしか進捗していません。11月初頭に間に合わせるべく頑張ります。

2011年10月2日日曜日

いざ!富山へ

さて、「ボイコットします!!(I shall boycott!!)」でもお知らせしたように、当初の予定を変更し、富山に向かいました。



今回は車を使う気が全くなかったので、中国ハイウェイバスとJR特急のサンダーバードを使います。中国ハイウェイバスは時間通りに新大阪駅に到着しましたが、サンダーバードが台風15号の影響による降雨のため、北陸本線・新疋田駅から敦賀駅にかけ徐行運転をし、上下線とも遅れており、大阪行きサンダーバード6号も15分ほど遅れて大阪方面ホームに到着していました。



15分ほど遅れて、サンダーバード11号が新大阪駅に到着し、富山へ向かいました。新大阪から富山までは3時間強の旅程です。iPhoneで音楽を聴きながら、車窓を見ることにしました。京都を過ぎると、湖西線に入ります。富山行きの2週間前及び1週間前に映画「けいおん!」ラッピング電車を撮影した京阪石山坂本線を見ながら、大津京駅を通過し、進行方向右手に琵琶湖が現れました。なんと、3週間連続で琵琶湖を見ることになりました。



富山に30分ほど遅れて到着し、昼食をすました後、まず、2009年12月23日に開業した富山都心線に向かうべく、新たに設定された3系統(環状運転系統)に乗り込みます。リニューアルされた丸の内、新たに設置された国際会議場前、大手モール及びグランドプラザ前の電停写真を撮り、3系統が通る既存線の電停写真を撮りました。
次に、3系統に用いられている超低床車9000形・セントラムを撮影しました。セントラムは同じ富山県にある富山ライトレールのTLR0600形・ポートラム及び万葉線のMLRV1000形・アイトラムとほぼ同じ車両なので、外見がそっくりです。(熊本市電0800形、岡山電気軌道9200形MOMOとも外見はそっくりです。)



更に、1系統(富山駅前~南富山駅前)で運用されている超低床車T100形・サントラムを撮影しました。こちらはリトルダンサータイプUの狭軌形なので、豊橋鉄道T1000形・ほっトラムと外見がそっくりです。



一通り、目的の写真を撮りおわったので、富山大橋から大学前にかけての複線化工事の様子を見に行きました。大学前付近では複線化工事が始まっており、軌道敷設作業が行われていました。



また、富山大橋も1936年(昭和11年)に架橋された橋梁の神通川下流側に隣接して新しい橋梁が架橋されており、現在は軌道部の敷設工事が行われているところです。この新しい富山大橋は2011年(平成23年)末には供用が開始されるとのことです。現橋梁が片側1車線、軌道が単線なのに対し、新橋梁は片側2車線、軌道が複線、歩道部も拡幅され、利便性が高まるものと思われます。



富山で一泊し、翌日は環状運転系統の動画撮影を行いました。午前10時頃から午後1時頃まで、3時間ほどかけて撮影し、後日編集したのが上の動画です。



ちなみに、上の動画は2年前の2009年9月20日に撮影した敷設工事中のものです。車載カメラから撮影したものです。



動画撮影の際に見つけたのが、パリで「ヴェリブ」として導入されている次世代のレンタサイクル「シクロシティ富山」です。近くにあるステーションから自転車をレンタルし、目的地に向かい、借りた場所とは異なるステーションにも返却できるレンタサイクルシステムです。事前登録し、月額700円を払うと、毎回30分までだと追加料金なしで利用できるというものです。市街地では徒歩で行くにはちょっと遠く、自動車で行くには億劫になるという場面もよくあるので、面白いシステムだと思います。
「シクロシティ富山」のウェブサイトはhttp://www.cyclocity.jp/ です。



北陸新幹線関連工事中の富山駅に戻りました。この北陸新幹線及び在来線の高架工事が終わると、富山ライトレールと富山地方鉄道を結ばれるようになります。



というわけで、2週間前の嵐電と同様、富山市に来ていながら、富山ライトレールを無視するのも失礼なので、富山駅北電停に停車中のポートラムを撮影しました。
その後、大阪まで3時間強、西脇まで1時間半かけて自宅へ戻りました。
往復の道中、カラオケ用に「GO!GO!MANIAC」を延々と(100回以上)聴いていましたが、これを歌うのは難しそうです。

2011年9月20日火曜日

再び!!大津へ

先週、京阪大津線の放課後ティータイムトレイン(けいおん!ラッピング電車)の動画及び写真を撮影に行きました。しかし、動画編集の際、2、3話程度しか見ていなかった「けいおん!」のことをしっかりと知っておかなければならないと感じ、この1週間、「けいおん!」(1期全12話+2話)の全話及び「けいおん!!」(2期全24話+3話)の半分を視聴しました。そうしてみると、動画編集にあれもこれも入れたいと考えるようになり、再び大津へ向かうことにしました。



今回は、病院の都合で堺浜より出発です。出庫の様子を撮影すべく、堺を午前1時20分に出発し、ラジオ関西のアニラジを聞きながら、阪神高速、名神高速と乗り継ぎ、桂川PAでプランを立て、2時間程度の仮眠をとり、京都東ICから国道161号線・西大津バイパスでJR大津京駅前(京阪・皇子山駅との乗換駅)の駐車場に車を駐め、錦織車庫のある近江神宮駅まで徒歩で向かいます。



夜明け前の近江神宮前駅で出庫する大津祭ラッピング電車の609-610号をまず撮影し、日出とともに出庫してくる映画けいおん!613-614号も撮影しました。南側の石山坂本線の起点・石山寺駅へ向かい、阪急甲陽線で行ったように石山寺駅から坂本駅へ向かう613-614号の動画を撮影しました。
しかしながら、阪急甲陽線は盲腸線であり、夙川-甲陽園駅間2.2kmしかないため、同じ編成が同じ方向で戻ってくるのに20分程度待てばよいのですが、京阪石山坂本線は石山寺-坂本駅間14.1kmあるため、70分から80分しないと戻ってきません。(時間差があるのは一部坂本駅折り返しではなく、途中の近江神宮前駅折り返しがあるため。)そのため、朝の5時から夕方の18時まで撮影に追われることとなりました。



とは言え、その途中には出会いがありまして、浜大津駅では、私とほぼ同じ年齢の男性が声をかけてきました。話の内容を聞いていると、どうやら京都市内在住の「けいおん!」ファンで、その中でも上の写真の「ムギちゃん」こと琴吹 紬のファンでした。私が兵庫県の西脇市から来たことを知ると、(大津・京都から見て)神戸の向こうで和田山の手前にあることを認識した上で、随分と遠いところから来ましたね、と感心されました。(実際には、大津市、京都市そしてもちろん西脇市も北緯35度上にあるので、大津・京都からはちょうど西になるのですが。)



http://maps.google.co.jp/maps?q=%E8%B1%8A%E9%83%B7%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1&hl=ja&ie=UTF8&ll=35.203655,136.232271&spn=0.026089,0.052958&oe=utf-8&client=firefox-a&fb=1&gl=jp&cid=0,0,14647792719787497644&t=m&z=15&vpsrc=6&layer=c&cbll=35.203655,136.232271&cbp=12,0,,0,0&photoid=po-30708992

その「ムギちゃん」ファンの男性は京都市内から作品中の舞台と思われる豊郷小学校旧校舎群に10回訪問し、豊郷小学校(上の地図の印の場所、地図下のリンク先はgoogleマップでの写真)での様子を詳細に説明してくれたおかけで、豊郷小学校での誕生会等の様子が目に浮かぶようでした。「ムギちゃん」グッズも多数収集しているようで、あつく「ムギちゃん」のことを話していました。あまりに濃い内容なので、1週間、「けいおん!」を勉強していなかったら、話について行けないところでした。
ただ、京阪石山坂本線のことはあまりくわしくないみたいなので、浜大津駅から終点の坂本駅まで同乗することにしました。坂本駅で色々と撮影した後、もっと撮影したそうな感じだったので、起点駅の石山寺駅なら京阪石山駅で大半の乗客が降り、残っているのはけいおん!ファンの同業者たちが大部分なので、撮影しやすいのでは、と勧め、併用軌道での動画撮影のため、坂本駅から三井寺駅まで同乗し、三井寺駅で別れることになりました。



さて、その三井寺駅を降り、動画撮影の準備をしていると、今度は私の親父とほぼ同じ年齢の男性が声をかけてきました。話の内容を聞いていると、どうやら地元在住の鉄道ファンの方で、石山坂本線をよく写真撮影し、当日はビール電車を追いかけているとのことです。私が兵庫県の西脇市から来たことを知ると、随分と遠いところから来ましたね、とやはり感心されました。よくよく考えてみると、私が路面電車撮影のため、札幌、函館、熊本や鹿児島に平気に行っているので、同じ関西の大津は遠いと感じていなかったですが、直線距離100km先から来たというのは十分に遠いですね。
その石山坂本線を撮影している男性は昔から撮影しているようで、京阪大津線のラッピング電車の種類や、撮影時の逸話、桜の話等を聞くことができ、大変参考になりました。石山坂本線のダイヤは頭に入っているようで、次は○○時○○分頃にここを通過するというぐらいでした。
そこで、専用軌道区間のおすすめの撮影ポイントを尋ね、その場所で撮影することになりました。



三井寺駅から西北西に200mほど歩いた場所にある長等学校道踏切がその場所です。動画でもわかるとおり、カーブ、短い直線そしてS字カーブと連続しており、構図的にも音声的にも良い場所です。さすがに地元の鉄道ファンは違います。
「けいおん!」ラッピング電車の話に及ぶと、沿線の撮影者が増えたという話とお孫さんが「けいおん!」ファンでラッピング電車の写真をあげると非常に喜ばれたという話を聞かせていただきました。
浜大津の朝市のイベントに出場している奥さんのところへと向かうため、年配の男性と私は別れました。
その後、浜大津~三井寺間の併用軌道上で撮影し、年配の男性にもう一つ教えていただいた南滋賀駅のアップダウンのある長い直線で撮影を行いました。ここも撮影はしにくいものの、いい感じの写真がとれる場所でした。
「けいおん!」ラッピング電車が坂本駅を折り返し、再び南滋賀駅に到着するのを坂本駅方面行きホームで待っていると、停車した坂本行き電車から「やあ、どうも」と先ほどの年配の男性と再会しました。まあ、住まいが南滋賀駅のひとつ坂本駅寄りの滋賀里駅にあるとは聞いていたものの、再び会えるとは思いませんでした。
終点の坂本駅に到着し、夕方の「けいおん!」ラッピング電車の終点到着の動画を撮影し、「けいおん!」ラッピング電車に乗り、夕食を食べるため、浜大津駅に向かいました。夕食後、浜大津駅から皇子山駅に向かおうと考えていると、もしかすると、とは思っていたものの、「やあ、どうも」と今度は「ムギちゃん」ファンの男性と再会した時には驚きました。しかも、京都の自宅に一旦戻り、散髪をした後、再び大津に来たようでした。なお、石山寺駅~坂本駅を何度か往復しているみたいで、三井寺駅付近で先ほどの年配の方と一緒にいるところも見ていたとのことでした。浜大津駅での撮影に専念されていたようなので、私が603-604号の坂本駅行き電車に乗る際に、次の電車が「けいおん!」ラッピング電車ですよ、といいながら別れを告げました。




皇子山駅に着いた後、再び車に乗り、国道161号線、国道1号線、国道9号線と渋滞の中、乗り続け、先週と同じコースで西脇へと帰ることとなりました。

ほぼ徹夜で過ごしていたので、午後10時前に帰宅した後、すぐに眠りにつき、翌日はそのまま爆睡していました。
ま、それにしても旅先でのこういう出会いというのもいいものだと思いました。

ところで、毎週のように遊んでばかりで、仕事はちゃんとしているのかって?
Please don't say "You are lazy."
でもこんなことをしているのは本当はcrazyかもしれませんけどね。
ただ、仕事は一応しているとは思います。

2011年9月11日日曜日

一粒で二度美味しい、京阪大津線・けいおん!ラッピング電車(The Advertising train, on Keihan Otsu Line, which was wrapped with “K-ON!” and could enjoy both tramway and cartoon)

さて、久しぶりに路面電車撮影に行くことにしました。今回は滋賀県大津市です。浜大津駅周辺の併用軌道での撮影を行うこととしました。

I shot streetcars after a long time. I visited Otsu city of Shiga Prefecture at this time in order to shoot streetcars on the street-running section near Hamaotsu station.


滋賀県の大津市へ行くのにわざわざ大阪市に出るのも面倒くさく、また、1000円を超える高速料金を支払うのも億劫になるので、兵庫県西脇市から国道372号線で加東市、篠山市、京都府南丹市、亀岡市を経由し、京都市に入ることにしました。ただし、京都市の中心街を通るのはもっと億劫なので、手前の右京区役所付近のコインパーキングで車を駐めることにしました。

Because I thought it was troublesome that I would specially go to Osaka city in order to visit Otsu city of Shiga Prefecture and that I would pay the highway charge which exceeds 1000 yen, I went first from Nishiwaki via Kato, Sasayama, Nantan and Kameoka to Kyoto along the Route 372. Nishiwaki, Kato and Sasayama belong to Hyogo Prefecture, and Nantan and Kameoka belong to Kyoto Prefecture. I parked at a coin parking near Ukyo Ward government office because It felt more troublesome for me to pass through central Kyoto city.


大きな地図で見る

右京区役所最寄り駅である京都市営地下鉄・太秦天神川駅から京阪大津線浜大津駅へは電車で向かうことにしました。

I went from Uzumasa-tenjingawa station of Kyoto city subway as the nearest station of Ukyo Ward government office to Hamaotsu station of Keihan Otsu Line, by train.



というわけで、京阪浜大津駅に到着しました。ここでは記念乗車券が販売されていましたので、早速購入しました。
After that I arrived at Hamaotsu station of Keihan. A commemorative ticket of K-ON! were sold here. I bought it soon.



一見、ただのキャラクターグッズにみえるB3二つ折りのこのB4の冊子が京阪大津線(京津線及び石山坂本線)の1日乗車券5枚分となっています。この記念乗車券1セットが3000円となっており、7000セットを販売しています。ちなみに左のものは先日ゲーセンでゲットしたフィギュアです。
Though looking like normal character goods seemingly, this B4 booklet as the commemorative ticket of K-ON! made by folding into two from B3 size sheet, is a set of five one-day passes which is able to use on Keihan Otsu Line (Keishin Line and Ishiyama-Sakamoto Line). A commemorative ticket of K-ON is sold at 3000 yen. 7000 commemorative tickets are sold by Keihan. Incidentally, a PVC figure in left side above photo is what I got at a game center recently.


一通り、浜大津駅で撮影を行った後、浜大津駅から石山寺駅へ移動しました。ここでの目的は…、

After I shot streetcars near Hamaotsu station briefly, I moved from Hamaotsu station to Ishiyamadera station. The purpose in here was …


タイトルと先ほどの記念乗車券で察しがつくかもしれませんが、映画「けいおん!」のHO-KAGO TEA TIME TRAINとして運用されているラッピング電車(613-614号)の撮影です。やはり人気アニメの全面ラッピングのため、鉄っちゃんだけでなく、アニメファンも多数撮影していました。(当然、それら2つを兼任する人もですが。)

to shoot the advertising train (No.613-614) which was used as HO-KAGO TEA TIME TRAIN of “K-ON!” the movie, though someone may be able to recognize by this document title and above mentioned commemorative ticket of “K-ON!”. As I expected, not only many railway fans but also many cartoon fans shot the HO-KAGO TEA TIME TRAIN because it was wrapped fully with a popular cartoon “K-ON!”. (Of course, someone who likes both railway and cartoon also do.)



このラッピング電車ですが、外側に「けいおん!」のメインキャラクター5人が描かれており、窓を含めた車体全体をラッピングしています。しかも、専用のヘッドマークも付けているばかりでなく、内側も乗降用ドア、妻部(連結部分のドア側)、網棚上部及び吊革といった部分も「けいおん!」仕様となっていました。ただ、残念なのは吊り広告が一般のものだったことです。映画とのタイアップで誕生したこのラッピング電車なので、JR山手線に走っているADトレインのように吊り広告も映画「けいおん!」の宣伝にすれば、完璧でした。ただし、京阪の大津鉄道部の本気度を感じさせたラッピングです。
Five main characters of “K-ON!” were drawn outside the advertising train. The advertising train was wrapped fully, including windows. Additionally the head marks for exclusive use is also attached the train front. Also inside the advertising train, that is, the passenger doors, the corner on wagon, wall above the luggage rack and the straps, almost all were covered with "K-ON!". But I thought unfortunately that the advertising poster hung in the train was general. The advertising train was made by tie up with the movie. Therefore, like the AD train of JR Yamanote Line in Tokyo, if "K-ON!" the movie was used as the advertising poster hung in the train, it would be perfect. However, I felt earnestness of Otsu Railway Department of Keihan by wrapping of the advertising train.



では、このラッピング電車の動画をお楽しみください。撮影場所は石山坂本線の三井寺駅~浜大津駅間の併用軌道です。やはり、軌道線は専用軌道よりも併用軌道が好きです。
路面電車とアニメが堪能できる一粒で二度美味しいラッピング電車でした。
京阪と沿線住民にとっては、ラッピング電車によって、鉄っちゃん及び鉄っちゃん以外の顧客が来訪し、記念乗車券購入や大津線利用により、収入が増え、経営が安定するのであれば、大津線が存続することとなり、良いことだと思います。これで映画の観客動員が増えれば、制作会社側も潤うので、やはり良いことだと思います。

Please watch previous video in which the advertising train was shot. I shot the video on the street-running section between Hamaotsu and Miidera stations of Ishiyama-Sakamoto Line. I like tramway which runs on the street-running section better than on the segregated section.
The advertising train acts like killing two birds with one stone surely for me because it was possible for me to enjoy tramway and cartoon.
If the advertising train brings more passengers who are not only railway fans but also railway non-fans, the Otsu Railway Department gets more income by using Otsu Line and buying commemorative tickets. Otsu Line will be continued without abolishing by stable management of the Otsu Railway Department. I think that above case is good for Keihan and residents along Otsu Line.
If the advertising train brings larger audience of the movie, the production companies also get more income. I think that this case better.



浜大津駅を後にし、再び右京区役所前に戻ってきました。この右京区役所前には嵐電こと京福電気鉄道嵐山本線が走っています。目の前を通っている嵐電を無視するにはもったいないので、撮影をしました。
再び、来たルートを戻るように、京都市から亀岡市、南丹市、篠山市、加東市を経由して帰ることにしました。
改めて地図を見ると、西脇市と京都市及び西脇市と我が故郷・堺市の直線距離がほぼ同じことがわかります。(どちらもほぼ90km弱で、一般道で行くと、約2時間半です。)西脇から京都に行く際にはこのルートで今後も行くことをします。

I left Hamaotsu station and came back to Ukyo Ward government office again. Arashiyama Line of Keifuku Electric Railroad known as Randen is going in front of Ukyo Ward government office. If I left Kyoto without shooting Randen's tram which was run in front of my eyes, I would be sorry. Therefore, I took a photo of Randen at this time. I returned from Kyoto via Kameoka, Nantan, Sasayama and Kato to Nishiwaki reversely along same route of the outward journey. Looking at the map again, you can see that distance between Nishiwaki and Kyoto is nearly as long as distance between Nishiwaki and my hometown Sakai. (Both distance is approximate 90km and both take approximately 2 hours 30 minutes without driving the highway.) When I will go from Nishiwaki to Kyoto, I will drive also this route from next time.

2011年9月5日月曜日

台風一過となりましたが、大変でした。

ゆっくりと四国及び中国地方を縦断した台風12号がようやく日本海へ抜け、兵庫県播磨地方はようやく落ち着きを取り戻しました。
台風12号通過時で最も緊張したのは日曜日の未明でした。




日曜日に変わった頃に、北播地方に急激な雨が降り続け、杉原川の水位は急激に上昇しました。上の写真は午前3時頃の杉原川の様子であり、あと1mほどで堤防から水が溢れそうになっていました。
これを見て、私は一つ前の記事のとおり、近くのスーパーへ避難することにしました。
午前3時から午前6時まで杉原川の水位が下がらなかったので、スーパーの駐車場に駐めた車の中で夜を明かすことになりました。




ようやく上流の多可町、西脇市での杉原川の水位が下がり始めたようなので、自宅へ帰ることにしましたが、杉原川は上の動画のとおり(9/4、午前6時頃)尋常ではない濁流となっていました。(対岸の人の身長及び川の水面とガードレールの高さを比較してください。もうちょっとで溢れそうな状態になっています。また、聞こえてくる音は川の濁流の音です。)
対岸の郷瀬町では床上浸水が発生したようで、排水ポンプで激流となっている杉原川に水を戻していました。また、上流の多可町では護岸が崩れ、家屋が流出したそうです。幸いにも人的被害はなかったみたいですが。
その後、徹夜を強いられたため、日曜日は一日中眠ることになりました。月曜日に職場で話をしてみると、どうやら皆さん同じ状況になっていたみたいです。
めでたくなし。めでたくなし。

2011年9月4日日曜日

杉原川が大変です。

台風12号の接近により、北播地区には断続的な大雨が降っており、大雨洪水警報が出たままですが、杉原川の水位が橋のすぐ下まで迫り、警報が真実味を帯びて来ました。とりあえず、近くのスーパーに避難する事にします。と、来て見ると、同様のことを考えた人が多く、地元の人にとっても危険なのでしょう。本当に不味い状況です。

2011年8月31日水曜日

今回も2年前の明石海峡大橋走破の動画をアップしました。

また、大分前に編集済みの動画をYouTubeにアップしました。



素材は2年前の明石海峡大橋を淡路方面に向かっているときに撮影した自動車の前面眺望です。また、ぼちぼちとアップしていきます。 

2011年8月28日日曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第8回(赤穂市)


久しぶりの堺っ子の兵庫県旅行記の第8回は播磨国の赤穂市です。実は前回の小野市との間に、神戸市北区、明石市、西宮市、香美町、新温泉町及び淡路市を訪問しており、今回は神戸市北区の予定でしたが、諸般の事情で赤穂市を先に紹介します。


より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示

さて、赤穂市といえば、忠臣蔵と塩田ではないでしょうか。忠臣蔵であまりに知られているため、播州(播磨国)のイメージが赤穂に引きずられてしまっている感があります。



(写真①-1)

JR加古川線、山陽本線及び赤穂線を乗り継いで、播州赤穂駅にやってきました。


(写真①-2)

駅の南出口には「忠臣蔵」と大きく書かれた額が飾られていました。


 (写真①-3)

出口の階段には仮名手本忠臣蔵の双六からとったと思われる絵が壁に埋め込まれていました。


(写真②)

播州赤穂駅を出て、南に向かうと、赤穂城の大手門が見えてきます。


(写真③-1)

大手門を入るとすぐに、大石邸長屋門に到着します。その名の通り、浅野家筆頭家老大石内蔵助一家三代が57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋です。元禄14年(1701年)3月の浅野内匠頭長矩の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいた門でもあります。


(写真③-2)

大石邸は現在、赤穂大石神社の境内となっています。この赤穂大石神社の参道には47士の石像が並んでいます。


(写真③-3)

元禄赤穂事件以降、義士を称える人々により旧赤穂城の大石邸に小さな祠が設けられ、密かに祀られていましたが、1900年(明治33年)に「大石神社」として創建することが政府より許可され、1912年(大正元年)に社殿が竣工しました。 


 (写真③-4)

四十七士に関する宝物が義士宝物殿、宝物殿別館に展示されています。内蔵助が討ち入りに使用した采配等ばかりではなく、赤穂浅野家断絶後に赤穂を治めた森家の宝物も展示されています。


(写真③-5)

また、四十七士、浅野内匠頭長矩及び萱野三平重実の木像を収めた義士木像奉安殿、先ほどの大石邸長屋門の裏手にある大石邸庭園もあり、かなり見所があります。これらの4カ所については大人1人420円で拝観できます。


(写真④)

赤穂城址は公園となっていますが、その隣接するところに赤穂市立歴史博物館があります。赤穂市の歴史に関することが展示されており、元禄赤穂事件だけではなく、塩田開発で発展した赤穂の歴史が見ることができます。千種川からの上水道の資料もあり、大人1人200円で入場できます。
ここで人形浄瑠璃文楽「仮名手本忠臣蔵」の三段目及び四段目(塩冶判官高貞の高師直への刃傷と塩冶判官高貞の切腹の場面)のダイジェストビデオを見ることができます。仮名手本忠臣蔵は太平記の設定に仮託したものなので、浅野内匠頭長矩は塩冶判官高貞に、吉良上野介義央は高師直としています。


(写真⑤-1)

赤穂市立歴史博物館を後にし、赤穂城址の本丸に来ました。本丸跡には本丸御殿や天守閣といった建物がなく、天守台のみが残っています。


(写真⑤-2)

天守台から望んだ本丸跡です。右側に本丸御殿の間取りが示されています。この赤穂城址では工事が行われており、復元作業を少しずつ進めているものと思われます。


(写真⑥-1)

さて、赤穂城址を離れ、赤穂市立民俗資料館にやってきました。この建物は元々1908年(明治41年)に塩務局の庁舎として建てられました。現存する塩務局庁舎としては保存状態が良く、明治末期の洋風建築としても価値の高いものです。
その後、1949年(昭和24年)に日本専売公社赤穂支局、1982年(昭和57年)に赤穂市立民俗資料館となりました。この資料館には大人1人100円で入場できます。


(写真⑥-2)

かなり暑かったので、しばらく涼んだ後に、館内を見学しました。このような昔の道具がたくさん展示されていました。


(写真⑥-3)

古い紙幣も展示されていました。伊藤博文、岩倉具視といった私も使用したことのある紙幣はもちろん板垣退助の100円札やそれ以前の紙幣もありました。


 (写真⑦-1)

さて、赤穂市中心街を後にし、播州赤穂駅から岡山方面へ2駅目の備前福河駅に向かいました。
あれ、ここは兵庫県旅行記ではないかと思われる方もいると思いますが、ここは間違いなく兵庫県赤穂市です。ただし、ここは播磨国ではなく、備前国にあたる場所です。
というのは、1955年(昭和30年)3月1日、岡山県和気郡福河村にあったこの地に備前福河駅が開業した後、1963年(昭和38年)9月1日、地元の要望により備前福河周辺が兵庫県赤穂市に編入された経緯があるからです。


(写真⑦-2)

備前福河駅の後ろに見えるJA兵庫西がこの地が兵庫県にあることを示しています。
この後、播州赤穂へ向かい、播磨の中心地、姫路で一泊しました。
次回こそ神戸市北区をお伝えしたいと思います。