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2010年1月31日日曜日

2009年年末旅行第4日目~徳島・和歌山・大阪編


12/30は夜遅くに徳島市に到着しました。徳島港フェリーターミナルに自動車を駐め、市バスで両親の家へ向かい、一泊しました。
翌12/31、徳島でも雪が舞い降るほど寒い朝となりました。一人で帰る予定でしたが、母が「一緒に大阪へ連れてって」ということで一緒に大阪へ行くこととなりました。どうやら大伯母(祖母の姉)に用事があるようです。まず、一人で徳島港フェリーターミナルへ向かい、自動車で両親邸に戻ります。大阪へ行く前へ祖母の様子を見るため、病院に行きます。祖母は転院をしていましたが、前回見舞いに行ったときに比べると、容態は落ち着いているようで、安心しました。その後、母が徳島を一時的に離れるので、祖母の世話を託すため、叔父に会いに行きます。叔父にも久しぶりに会いましたが、元気そうでした。



四国での要件を終え、南海フェリーに乗り込みます。南海フェリーには幾度か乗っていますが、車では初めてです。冬型の気圧配置が強くなっているため、紀伊水道は割と荒れていました。
和歌山港に到着すると、車に乗って堺へ向かいます。いつもと違い、特急サザンには乗らず、横目に見ながら、国道26号線に向かいます。
基本的に旧道ではなく、第二阪和国道で向かいます。途中色々と立ち寄った後、鳳の大伯母のところまで母を送りました。そこで、しばらく、母と大伯母が話をしていましたが、90歳になっている大伯母も元気でした。もしかすると、私の父系、母系ともスタミナたっぷりの血統なのかもしれません。大伯母の家を離れ、弟の顔を見るためにどりあんのもとに向かいます。
最終目的地、どりあん邸に到着し、2009年年末旅行はこれで終わりです。
弟の顔を無事に確認し、次のイベントに向かいます。それについては次回述べたいと思います。
ちなみに、今回の年末旅行で会った親族は父母、弟、父方の伯父伯母夫婦、母方の祖母、叔父、大伯母です。

2010年1月27日水曜日

2009年年末旅行第3日目~高知・日和佐編



宿泊したホテルサンルート高知はJR高知駅の近くにあり、土電の軌道線・併用軌道並走には絶好のロケーションとなっています。では「Tramway Killer号」の第14のターゲット、土佐電鉄の併用軌道を並走することにします。JR高知駅に向かうと、早速元名鉄岐阜600V線区で活躍した590形が出迎えてくれました。




高知駅前電停より桟橋線を南下し、桟橋通五丁目電停を抜け、いったん併用軌道並走を中断し、一度行きたかった桂浜へ行くことにしました。
相変わらず、細い道を勧めるいけずなカーナビのおかげで、細い道がスイスイ行けるようになり始めている私が嫌になりながら、ようやく桂浜に到着しました。
この桂浜に到着すると、目に入る「龍馬伝」の幟たちがありました。松山の「坂の上の雲」の次は、「龍馬伝」ですか。この高知もNHK大河ドラマ「龍馬伝」で沸いているようです。
まあ、「龍馬伝」はともかく、丘にある海援隊隊長・坂本龍馬の像を見た後、桂浜に下ります。



桂浜に下りました。幸いにもこの日の太平洋は穏やかでした。坂本龍馬もこの太平洋を見て、日本の将来を考えていたのでしょうか。
しかし、この風景をみると、ソフトバンクの携帯電話CMを思い出すのは私だけでしょうか。



桂浜を去り、再びいけずなカーナビの案内により細い道路を通過した後、桟橋線を北上し、高知駅前電停に到着した後、はりまや橋電停より後免線に沿って、進みます。所々、併用軌道ではありませんが、かまわず東の起終点である後免まで進みます。久しぶりにきた後免ですが、いつの間にか隣にローソンができていました。




続いて、元来た方向へ東の起終点の後免電停より桟橋線と平面交差するはりまや橋を経由し、西の起終点の伊野電停へ向かいます。後免電停より伊野電停までは22.1kmと非常に長く、南海本線でいうと、難波から忠岡のちょっと手前までの距離となり、結構な距離です。無事に伊野電停に到着し、折り返して「はりまや橋電停」に向かうのですが、途中の朝倉にはどうしても軌道敷を走らなければならない場所があります。つまり、その道路は両側2車線分しかなく、そのうち北側の1車線分が単線の軌道敷となっています。(ちなみに、この道路は軌道敷進入可です。)伊野へ向かう場合は軌道敷上を通りませんが、はりまや橋へ向かう場合は軌道敷上を通らなければなりません。しかも、軌道は単線なので、場合によっては車と路面電車の進行方向がかち合う場合が生じます。正直、あまり通りたくない気持ちですが、「やらないで後悔するよりもやって後悔した方が良いって言うよね!」という気持ちで朝倉駅前からその道路に進入します。
道路に入り、しばらくは順調でしたが、予想通り、軌道敷上を進行中に向こうから路面電車がやってきました。げっ!という気持ちになりましたが、幸いこちらに向かってくる車はいません。そこで、軌道敷の右側へ移動し、路面電車をやり過ごすことができました。阪堺線大阪市内区間よりもスリルのあるこの道路、もう通りません。



朝倉方面からの帰り、はりまや橋電停に到着しました。何回かはりまや橋電停の前を通りましたが、伊予鉄の大手町駅前とは異なり、平面交差する路面電車の絵は撮影できませんでした。orz
時間も迫ってきたので、室戸岬、日和佐経由で徳島市に向かいます。基本的に国道55号線の旅となります。



国道55号線を東進し、高知市、南国市そして香南市まで来ると、国道55号線は太平洋岸を進むことになります。整備された道、そんなに多くない車の通行量、フロントガラスを通して飛び込んでくる青い空・青い海・緑の山々、これらのため、ドライブをするには非常に良い道です。
約2時間かけ、ようやく室戸岬に到着しました。室戸岬には陸援隊隊長・中岡慎太郎の像があります。
この室戸岬は大阪における三大台風(室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風)が通過したことで知られています。ちなみに、室戸台風、第二室戸台風はここに上陸し、ジェーン台風はここをかすめ、次の目的地・日和佐に上陸しました。また凄まじい記録を残したことで知られ、室戸台風は上陸時の中心気圧が911.6ヘクトパスカル、第二室戸台風は最大瞬間風速84.5m/s以上(風速計が振り切れたため、以上となりました。なお、時速に変換すると304.2km/h以上)を記録しました。
この日は良い天気だったのですが、岬という場所のため、やはり風は強かったです。



室戸岬には月見が浜があり、その名の通り月の名所であり、朝日が美しいことで知られています。夕方に来たこともあり、満月が既に海の上に出ていました。交通の便が良くないため、変に観光地化されていないのも良かったです。

 

再び、国道55号線に戻り、やはりドライブするには良い道だなあと思いながら、夕日が沈んだ後、しばらくして日和佐駅に到着しました。20年以上ぶりの日和佐です。到着したとき、加古川線西脇市駅よりも本数の少ない牟岐線日和佐駅に上下線の気動車が奇跡的に停車していました。



日和佐は四国八十八箇所霊場の第23番札所・薬王寺の門前町です。この薬王寺は堺とは深い縁のある行基が創建し、空海が再興したとされる薬師如来を本尊とする寺です。また、ウミガメで町おこしを行っている町としても知られています。
しゅらくの本家筋の伯父、伯母に挨拶すべく、町の中に入っていくと、あちこちに「ウェルかめ」の幟があります。ここもNHK朝の連続テレビ小説の舞台になっていたことに気づきました。私は路面電車巡りと本家筋挨拶でこの旅程を組んだのですが、偶然にもNHKドラマの聖地巡礼の旅になっていたようです。



本家前に到着しましたが、やや不安な気持ちで玄関の呼び鈴を鳴らします。なにせ20年以上もの経年による容貌、体格の変化のため、親父の名前を出す必要がありましたが、親父似の容貌で何とか認識してもらいました。伯父、伯母に会い、元気だったので安心しました。特に伯父は80歳なのに、70歳ぐらいにしか見えず、相変わらず元気なのが印象的でした。
挨拶の後、アカウミガメの産卵で有名な大浜海岸に行きました。しかし、照明がほとんどなかったので、真っ暗で何も見えませんでした。残念。ちなみに上の写真は三脚を用い、シャッター速度を遅くした写真です。明るいように見えますが、実際には真っ暗です。
では、日和佐を離れ、一路両親のいる徳島市へ向かいます。

次回に続く。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年1月23日土曜日

2009年年末旅行第2日目~松山市内編

さて、宿泊したホテルサンルート松山はJR松山駅の近くにあり、伊予鉄の軌道線・併用軌道並走には絶好のロケーションとなっています。では「Tramway Killer号」の第13のターゲット、伊予鉄道・軌道線の併用軌道を並走することにします。





フジグランのある宮田町電停より、道後温泉方面に向かいます。松山城の南側を通り、松山市役所、愛媛県庁のそばを通り抜け、しばらくすると、松山市の中心商店街のある大街道電停が見えてきます。このあたりはいくつもの運転系統の路面電車が集まるため、頻繁に電車と出会います。
大街道を抜け、松山城の南側から東側を通り、松山城をバックにし、道後温泉電停へ向かい、東進します。




道後温泉電停に到着すると、すぐに来た道を戻ったのですが、行きとは異なり、松山城の南側にある南堀端電停より枝線に入り、松山市駅前に入ります。伊予鉄・鉄道線の松山市駅が見えてくると、坊ちゃん列車が松山市駅前電停より出てきました。




松山市駅前から出発点の宮田町電停に戻り、西堀端電停より松山城西側を通り、西堀端~本町六丁目電停間を往復します。




一通り、併用軌道を並走した後、道後温泉へ向かい、久しぶりに松山市内を観光することにしました。道後温泉にある臨時駐車場に車を駐め、道後温泉本館へ向かいます。道後温泉電停の留置線にはちょうど坊ちゃん列車が留まっていました。




道後温泉電停からしばらく歩き、商店街のアーケードを抜けると、そこには道後温泉本館の建物が見えてきます。この道後温泉本館にはいるのも、与島PAに行ったのと同様に、約20年ぶりとなります。
この道後温泉本館はまるで上海にある南翔饅頭店のように、1階から3階にかけ、上の階に上るほどサービスの質と入湯料が高くなります。1階は神の湯(階下)として、「神の湯」を銭湯のように入るだけです。2階は神の湯(2階)と霊の湯(2階)があり、まず神の湯(2階)については1階と同じ「神の湯」に入るものの、2階の大広間で休憩ができ、温泉に入った後、お茶とお菓子をいただけます。また、霊の湯(2階)については、少し湯船がデラックスになった「霊の湯」に入れるだけでなく、「神の湯」も入ることででき、2階の大広間(前述の神の湯(2階)の大広間とは別の場所)で休憩ができ、やはりお茶とお菓子がいただけます。最後に3階は霊の湯(3階個室)となっており、入湯は霊の湯(2階)と同じですが、個室で休憩ができるデラックスなものです。ちなみに、お茶とお菓子もいただけます。また、霊の湯に入ると、2階、3階個室とも、皇室専用の又新殿(ゆうしんでん)を別料金なしで見学することができます。
前回は金のない学生だったため、1階にある神の湯(階下)で湯に浸かっただけですが、今回は奮発して3階個室の霊の湯に入ることにします。




階段を上り、3階の休憩室に案内されました。良い感じの和室です。この広い個室をたった1人で利用する贅沢は堪りません。




同じく、3階の休憩室から眺めた外の様子です。神の湯か霊の湯のどちらかから桶を床に置くコーンという響く音や、体を洗うときの湯が落ちるジャバーという音が周りから聞こえ、温泉風情を十分に堪能できます。




浴衣に着替え、霊の湯及び神の湯にじっくりと浸かり、疲れを落としてきました。これで2009年は有馬温泉と道後温泉という、日本三古湯のうち2つに入ったことになります。ちなみに、あと一つは南紀白浜温泉です。
霊の湯、神の湯に入った後、又新殿を見学しました。2階には「御居間」、「御次の間」、「玉座の間」と手前から奥にかけて配置されており、一番奥の「玉座の間」は一段高くなっており、玉座と三種の神器のレプリカがあり、御簾がかけられるようになっていました。「玉座の間」はその名称の通り、天皇陛下のみが使用する部屋で、陛下以外の皇室の方はその一つ手前の「御次の間」を使用するそうです。なお、「玉座の間」の隣には警護が控える「武者隠しの間」があります。1階に下りると、洞の間(うつおのま)には最上の御影石、庵治石でできた浴槽があります。これ以外にも御手洗所として(未使用の)畳敷きのお手洗いがあり、さすがにやんごとなき貴人が使用する優雅な造りでした。ちなみに、又新殿内部の写真については松山市のホームページで見ることができます。(松山市観光ガイドの道後温泉をクリックしてください。)なお、この又新殿は1950年(昭和25年)に昭和天皇が来浴されて以来、使用されていないとのことです。
又新殿見学の後、3階へ戻り、夏目漱石と道後温泉と関わりを展示した「坊ちゃんの間」を見学した後、休憩室に帰ります。休憩室に入って、しばらくすると、上の写真のようにお茶とお菓子(坊ちゃん団子)が出てきました。坊ちゃん団子はやはり美味しかったです。




さて、道後温泉も十分に満喫したので、次もやはり約20年ぶりに城山の上にある松山城に登ることにします。大街道電停へ伊予鉄の路面電車に乗り、大街道電停からロープウェイのりばまでの間、NHKでドラマ化されている「坂の上の雲」の幟をいくつも見ることになりました。ああ、上海で夕食の度にあのH澤さんがおっしゃっていた「坂の上の雲」はここが舞台だったのか、と今更ながらの感慨を抱きながら、ロープウェイに乗り込みます。




残念ながら、天守閣は年に一度の煤払い(年末なので当然ですね。)のため、見学はできませんでした。天気が良かったため、城山からは瀬戸内海の海と島も見え、松山市街も一望できるので、一見の価値はあります。ちなみに、天守閣も江戸時代に建てられたものが残っている現存天守なので、本物の天守閣を見たい方にはお勧めです。(ただし、登るのはしんどいですよ。)




往路について、ロープウェイで城山へ上ったので、 復路はとなりのリフトで下りることにします。
大街道電停から道後温泉電停に戻り、松山市を後にし、高知市に向かいます。予定では国道33号線で高知へ向かう予定でしたが、すっかり夕刻となっており、初めての道(おそらく山間部を抜けることになる)なので、そのルートは諦め、高速道路でむかうことにします。




その高知に向かう前に伊予鉄の大手町駅附近に向かいます。この大手町駅附近には郊外線である鉄道線と市内線である軌道線が平面交差している箇所があり、ここでは路面電車が踏切の前で、鉄道である郊外電車の通過を待機する様子が頻繁に見られます。かつては日本各地にあったものですが、現在では日本で唯一の箇所になりました。動画としてアップしていますので、ご覧ください。

大手町駅を後にし、再び高速道路に入ります。夕日も沈み、周囲の暗い中、四国中央市から高知県に入り、トンネルだらけの高知自動車道を高知市に向かます。午後8時くらいに高知市内に到着し、ホテルの1階の駐車場に駐めます。ただ、松山以上に狭い駐車場で空いていた1箇所に駐めるのに何回も切り返しを行う羽目に陥りました。どうやら、今回の度は私の苦手な車庫入れを訓練する旅となりそうです。はりまや橋附近で土佐料理をいただき、すぐにホテルに戻り、就寝し、翌日に備えます。

次回に続く。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年1月20日水曜日

2009年年末旅行第1日目~西脇から松山まで

2009年の年末年始の休暇は「Tramway Killer号」による併用軌道並走、室戸岬撮影及びしゅらくの本家筋への挨拶のため、四国に行くことにしました。12月28日に会社と家の仕事を終えた後、出発しました。
西脇市より国道175号線を南下し、三木小野ICで山陽自動車道に乗り、岡山方面に向かい、瀬戸大橋を渡り、香川県から四国に入ります。愛媛県松山市、高知県高知市を訪問した後、国道55号線で室戸岬、徳島県の日和佐、徳島市を経由し、南海フェリーで和歌山より大阪の堺に入り、しばらく堺に滞在した後、中国自動車道で西脇へ戻ることにします。




年末は高速道路のETC割引上限1000円ではなかったため、いつもよりもトラックが多かったように思います。倉敷市で山陽自動車道から瀬戸中央自動車道へ入り、鷲羽山が見えると、まもなく瀬戸大橋となります。
瀬戸大橋を自動車で渡ったのは約20年ぶりとなります(鉄道ではその後何度かあります。)。折角なので、約20年ぶりに与島PAに降り立つことにします。しかし、深夜0時に到着したため、あらゆる店が閉まっており、明るい光を放つ自動販売機以外は闇に覆われていました。上の写真は赤外線暗視カメラ状態にし、瀬戸大橋を渡るJRの車両を撮ったものです。




与島PAを後にし、安全運転に心がけ、2時間後にようやく松山市に到着しました。松山市のホテル1階の駐車場への駐車は苦労しましたが、これでゆっくりと眠ることができます。
翌朝、非常によい天気に恵まれました。ホテルからは伊予鉄と松山城がはっきりと見えます。では、早速併用軌道並走を始めることにします。

次回に続く。

2010年1月19日火曜日

大阪での忘年会に参加しました。そのついでに...

12月18日は大阪の事業所の忘年会でした。愛知県よりkinbooさんが参加するとのことなので、私も乱入することにしました。そこで、ほぼ定時で仕事を終え、西脇から堺に向かいます。




堺に到着し、駅前のAPAホテルにチェックインした後、先週、プラットプラットで買い物をした際にもらった抽選券を手にクリスマス大抽選会に参加しました。
しかし、残念ながら、抽選は外れ、うまい棒を1本ゲットしただけとなりました。残念。
堺駅前の居酒屋で大阪事業所の人たちとkinbooさんと仕事のことやら、近況のことやら色々と話をしながら、楽しいひとときを過ごしました。kinbooさんに天ぷらの大吉を紹介した後、私はAPAホテルへ戻りました。
kinbooさんのその翌朝の話はこちらです。
http://kinboo.blogspot.com/2009/12/blog-post_26.html



(この写真のみ2009年12月13日撮影)

さて、今回宿泊するAPAホテルはウェブ上にも明記されていたのですが、トレインビュー、つまり、高架の南海本線を満喫できる部屋らしいのです。




さて、トレインビューと謳っているだけあり、高架とほぼ同じ高さで、実際に窓から南海本線が十分に堪能でき、非常に満足行く部屋でした。(設備も当然良いんですよ。)

ところで、「Tramway Killer号」で来ましたので、ここでいよいよ阪堺電気軌道の併用軌道を並走することにしました。ということで、第12のターゲットは「阪堺電気軌道」です。





予想通り、堺市内の併用軌道並走は大道筋が片側3車線と広く、また、センターリザベーションで軌道が物理的に分離しているとともに、車の交通量も少ないため、今までで一番安心して走行できます。ただ、右折は少々難しいとは思います。





それに比べ、大阪市内の阪堺線の併用軌道はとにかく走りにくく、南海高野線の高架下から東粉浜までの区間では軌道が西側に片寄っているので、上の写真のように、恵美須町方面へ北上する場合、どうしても恵美須町方面の軌道上を走らざるを得ないことと、車線中央に寄りすぎるとあびこ道方面の電車とぶつかってしまいそうになるので、とても怖いです。






一方、上町線の場合も天王寺駅前から阿倍野までの区間は交通量が多いにもかかわらず、車線が1つ分しかなく、路駐があったり、市バスが通るので、やはり別の意味で怖いです。ただ、ここは道路拡幅をするようなので、そのときには多少ましにはなるかとは思いますが。





また、北畠から帝塚山四丁目までの区間は人や自転車が道路中央を通っていることが多々あるので、ここも怖いです。

とにかく、阪堺電車の大阪市内区間の併用軌道は十分に注意しないと行けないことがわかりました。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年1月11日月曜日

大阪-西脇紀行(第8回)(12/12~13後編)

前回の続きです。



南海・堺駅を出発した後、国道26号線(第二阪和国道)、浜寺南町3丁交差点、浜寺公園南交差点を経由し、旧国道26号線を阪堺電軌・阪堺線の浜寺駅前電停から北上することにします。
旧国道26号線、国道26号線、府道29号線と旧・新阪堺線沿道を北上し、浜寺公園から芦原橋駅前まで無事に走行することができました。
大阪市内から、西長堀入口より阪神高速3号神戸線に乗り、新長田駅を目指します。阪神高速道路までは順調でしたが、あいにく新長田駅周辺の駐車場はほとんど満車だったので、仕方なく、更に西に進み、須磨海浜公園の駐車場に駐めることにします。




久しぶりに見る須磨海岸です。ここは浜寺公園と異なり、砂浜が残っていますが、色々調べると昔日の面影はやはり失われているようです。それでも夏には海水浴目的でたくさんの人でいっぱいになります。ただし、さすがに真冬なので、人がまばらにしかいませんでした。




須磨海岸からみる明石海峡大橋です。いろいろな角度で明石海峡大橋を撮影しているので、いつか、明石海峡大橋の写真の特集も組んでみたいものです。




さて、車を駐めた後、須磨海浜公園駅より山陽本線で新長田駅へ向かいます。新長田駅を出ると、「←鉄人」と鉄人28号のモニュメントへの案内があったので、その案内に従い、先に進みます。




案内の先、新長田駅から見て、ジョイプラザの裏側にある若松公園に立っている等身大の鉄人28号のモニュメントが現れます。それにしてもでかっ!!




この鉄人28号のモニュメントは阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして建てられたそうで、全長18mと手前の人及び背景の建物との比較するとその高さがわかります。





新長田駅前には新長田1番街商店街、大正筋商店街、六間道商店街、本町筋商店街、西神戸センター街、丸五市場といくつかの商店街があります。
大正筋商店街を北から南下していくと、まず関羽像があります。関羽といえば、劉備と義兄弟の契りを交わしたと言われている劉備配下の将軍であり、中華街にある関帝廟で祭られているため、メジャーな三国志の登場人物です。




大正筋商店街の南端で六間道商店街へ左折し、東進すると、すぐに魏武帝廟があります。魏武帝とは曹操のことです。劉備視点で描かれる三国志演義では実質的に後漢から国を簒奪したために、どうしても悪の親玉のイメージがつきまといますが、混乱した華北地方を統一した文武両道の名君として再評価がされています。私は劉備よりも曹操が好きなので、曹操を祭ることには抵抗はありませんが、それにしても珍しいですね。





六間道商店街を更に東進すると、神戸市営地下鉄海岸線の駒ヶ林駅には周瑜像があります。周瑜といえば、呉の将軍であり、赤壁の戦いにより呉軍を勝利に導きました。




六間道商店街の東端で左折し、本町筋商店街を北上してすぐの場所に諸葛亮像があります。諸葛亮(字:孔明)は劉備の軍師であり、蜀の丞相として活躍します。
この近くに劉備の像もあるようですが、残念ながら見つけることができませんでした。




再び、大正筋商店街の方に戻ると、ちょうど大正筋商店街と六間道商店街の角に当たる場所に、KOBE鉄人三国志ギャラリーがあります。ここで様々なグッズが購入できます。




その向かい側には震災ミュージアムがあり、1995年の阪神淡路大震災での被害状況を展示しています。
一通り、見終わった後、新長田駅から須磨海浜公園駅へ戻り、須磨海浜公園駐車場から西脇に向けて、出発します。須磨ICで第二神明道路に乗り、名谷JCT、垂水JCTを経由し、神戸淡路鳴門自動車道、山陽自動車道を進み、三木小野ICから国道175号線で西脇に戻ります。今回は前回よりも早く帰ることができました。
なお、祖母の調子が戻るまで、車を続ける予定なので、次回も車です。

大阪-西脇紀行(第8回)(12/12~13前編)

さて、今回の「大阪-西脇紀行(第8回)」も前回、前々回に引き続き、「Tramway Killer号」により西脇に帰ることにしました。




今回も前回と同じ場所に駐車します。とはいえ、その駐車場での写真を迂闊にも取り忘れました。ということで、解体されつつある大阪タワーの様子をアップします。病院で診察を受けた後、西脇ではなく、まず我が故郷、堺に向け、出発することにします。

今回のルートは下記の通りです。

福島駅前
↓あみだ池筋
芦原橋駅前
↓府道29号線・国道26号線(ほぼ旧・新阪堺線電車道)
堺駅前(プラットプラット)

堺浜・楽天温泉祥福(一泊)

堺魚市場
↓国道26号線(第二阪和国道)
浜寺駅前
↓旧国道26号線・国道26号線・府道29号線
芦原橋駅前

西長堀入口
↓阪神高速3号神戸線
柳原出口

須磨海浜公園
↓徒歩
須磨海浜公園駅
↓JR西日本・山陽本線
新長田駅
↓JR西日本・山陽本線
須磨海浜公園駅
↓徒歩
須磨海浜公園

須磨IC
↓第二神明道路
名谷JCT

垂水JCT
↓神戸淡路鳴門自動車道・山陽自動車道
三木JCT
↓山陽自動車道
三木小野IC
↓国道175号線
アピカ西脇

自宅

福島からは旧大阪市電30系統の経路で堺に向かい、堺を満喫した後、再び旧・新阪堺線沿線沿いに北上し、新長田で鉄人28号と会う経路で向かいます。前回と経路が似通っているのは気のせいにしておいてください。





色々と、用事を済ませた後、堺駅前のプラットプラットにやってきました。このプラットプラットの前に立つと、帰ってきた気がするのは気のせいでしょうか?




宿泊費を浮かすため、金土オールナイト営業中の堺浜楽天温泉祥福で一晩滞在します。




翌日、月に一度、開催される堺旧港観光市場のため、堺浜から堺駅西側にある堺魚市場に向かいます。




朝食を食べるため、天ぷらの大吉で天ぷらを食べることにします。




ということで、ご飯と具だくさんなアサリの味噌汁、そして好きな天ぷらを選びます。アサリの貝殻を床に捨てながら、美味しい天ぷらを食べます。




堺観光ボランティア協会の方が大浜公園周辺を案内してくれるというので、参加することにします。まずは堺魚市場の近くにある、左の「堺事件の碑」と右の「天誅組上陸の碑」です。いずれも幕末に起こった事件で、時系列的にはまず天誅組上陸があり、続いて堺事件となります。堺事件は森鴎外の「堺事件」の元となったもので、旧堺市街の妙国寺に、自害させられた土佐藩士の遺品が残っています。




堺の旧港沿いに歩き、阪神高速道路4号湾岸線の下をくぐると、旧堺灯台があります。この木製洋式灯台は建設当時と同じ場所にあるものとしては日本最古のものです。




旧堺灯台を離れ、府道29号線の下をくぐり、大浜公園に入ります。かつて一大リゾート地であった大浜公園は今は静かな公園となっています。その中に南極地域観測隊・第1次越冬隊で南極に置き去りにされた樺太犬の慰霊像があります。タロとジロの生存確認前に慰霊像が作られたため、タロとジロを含めた15頭のブロンズ像となっています。ちなみに、このブロンズ像は2代目であり、初代はコンクリ像とのことです。




大浜公園にはアカゲザルがいます。彼らは第二室戸台風(1961年9月)被災後、閉館した堺水族館で飼育されていたサルたちの子孫たちです。




では、大浜公園内にある蘇鉄山に登頂することにします。蘇鉄山は一等三角点のある日本一低い山(標高6.8m)で、登頂後、蘇鉄山登山認定証をいただきました。ちなみに、大阪港にある天保山は標高4.5mであり、山頂には二等三角点があります。




大浜公園ツアーが終了すると、お昼時となり、歩き回ったこともあり、昼食も堺魚市場内でとることにします。昼食はPASTAマニアで食べます。




今回は漁師風パスタを食べました。漁師風パスタはぴりっとした辛みがあり、たくさんの海鮮の具があり、美味しくいただけました。しかし、一押しはエビの中華風パスタがだったようで、次回は中華風パスタに挑戦してみたいと思います。
なお、天ぷらの大吉とPASTAマニアは場所は下記堺ジャパンの下になります。







時間があったので、堺駅下のゲームセンターでクレーンゲームを行い、らき☆すたのフィギュアを2体ゲットしました。左の柊かがみが初音ミク、右の泉こなたが長門有希のコスプレしているバージョンです。




コスプレの元ネタの2人です。

では、新阪堺線沿線を北上した後、神戸方面に向かいます。

(12/12~13後編につづく)