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2006年10月4日水曜日

阪堺電車・200円均一運賃・社会実験

阪堺電軌・花田口電停(2006年10月1日)

堺市と阪堺電軌による200円均一運賃の社会実験が10月1日より始まりました。この社会実験は、阪堺電軌全線の運賃を200円にすることで、乗客が増加するか調べる目的で11月30日まで行われます。
阪堺電軌では大阪市内もしくは堺市内で乗降する場合、運賃は200円ですが、大阪市と堺市にまたがって乗降する場合、運賃は290円となります。これで乗客が増加すれば、200円均一運賃になるかもしれませんが、逆に乗客の増加が認められなければ、最悪の場合、岐阜600V線区のように堺市内区間廃止に行く可能性も秘めています。
阪堺線の場合、200円均一運賃よりも、信号システム等の改善を行い、所要時間の短縮を図った方が良いかと思いますが、阪堺線をなるべく利用していきたいと思います。
阪堺線堺市内廃止を防ぎたい方は是非ご利用下さい。

2006年9月23日土曜日

福井で見つけた岐阜の思い出その3~サーキュレーター~

サーキュレーター(2006年9月16日)

第3回目はモ880形の窓際の天井にあるサーキュレーターです。
サーキュレーターとは送風機であり、モ880形が600Vダイレクトクーラーによる冷房のため、夏期に各務原線1500Vを走っているとき、冷房が止まった車内に風を送るものです。
架線電圧600Vの福井鉄道において、このサーキュレーターの出番はあるのでしょうか?私が乗車したときには送風はされていませんでした。(冷房は効いていましたが。)
今回で「福井で見つけた岐阜の思い出」は終了です。

2006年9月22日金曜日

福井で見つけた岐阜の思い出その2~架線電圧計~

架線電圧計(2006年9月16日)

第2回目はモ800形の運転席近くの扉にある架線電圧計です。
この架線電圧計は文字通り架線の電圧を示す機器であり、乗車したモ800形は電圧600Vを示していました。
名鉄岐阜~競輪場前~新関・関の系統は名鉄各務原線に乗り入れていたため、架線電圧が直流600V及び1500Vでも走行できるようになっていました。こうした車両を複電圧車といい、このモ800形とモ880形がそれに該当し、岐阜600V線区の特徴の一つとなっていました。田神~市ノ坪ではこの架線電圧計の指針が1500V(各務原線)、0V(死電区間)、600V(田神線)と動きました。
なお、福井鉄道に移ったモ800形及びモ880形は単電圧化されました。
次回はモ880形のサーキュレーターです。


<追記、2010年10月19日>


モ880形の田神~市ノ坪間の動画を貼り付けます。

2006年9月21日木曜日

福井で見つけた岐阜の思い出その1~続行運転表示板~

今回より3回の予定で、福井鉄道で見つけた岐阜時代の思い出の品を紹介します。


続行運転表示板(2006年9月16日)

まず、上記写真中央にある福井鉄道モ880形中の続行運転表示板です。
この続行運転は2編成の電車が連なって運転されます。下は岐阜時代のモ880形の続行運転の写真です。続行運転のしている2編成の電車のうち、前を走る電車に続行運転表示板が掲示されています(矢印の先)。
美濃町線では名鉄岐阜~競輪場前~新関・関の系統と徹明町~競輪場前~野一色・日野橋の系統の電車が走っていました。両者は路線の重なる競輪場前~日野橋では、続行運転されており、美濃町線の特徴のひとつとなっていました。


美濃町線・日野橋・続行運転中(2005年3月27日)

次回は、モ800形の架線電圧計の予定です。

2006年9月17日日曜日

トホホな乗越

この土日は福井鉄道に撮り鉄して参りました。
これに伴い、名古屋鉄道・岐阜600V線区から福井鉄道へ譲渡された車両のアップを行い、「岐阜600V線区の電車」を更新しました。これで、岐阜600V線区の車両について、静態保存先、譲渡先の写真が全て揃いました。
ところで、福井から大阪に帰るとき、新今宮駅で南海本線に乗りかえるために「福井~新今宮」の乗車券を購入しました。しかし、途中でJR阪和線の連続立体交差事業により、上下線が高架になったのを思い出し、その高架の車窓を見たくなり、途中でJR阪和線で帰ることにしました。ルートとして、下図の矢印のルートをとりました。(大阪駅からJR大阪環状線(赤線)内回りで天王寺駅まで、JR阪和線(橙線)でりんくうタウンまで行き、そこから南海(青線)に乗り換えて帰る方法を考えました。)

今回のルート(2006年9月17日)

りんくうタウン駅で自動精算機で精算すれば、問題ないだろうと思っていました。しかし、その考えは非常に甘く、下の切符は自動精算機では精算できませんでした。駅員に頼んで精算する手もあったのですが、南海が改札業務を行っているりんくうタウンで、下のようなけったいな切符の精算はお願いしにくく(新今宮も南海とJRの乗換駅で、南海の精算ではなく、JRの精算をお願いするのはねえ)、仕方なくこのまま関西空港駅まで行き、精算しました。


普通乗車券(福井~新今宮)

その結果、余計な時間と余計な2000円以上をかけて、戻って来ました。
トホホ。

2006年8月25日金曜日

冥王星が惑星でなくなり、ワイドショーを見ながら、徒然なるまま感じたこと

最近、テレビのワイドショー中心に「冥王星」が「惑星」から外されることで、騒いでいるのを見ます。
そもそも、チェコのプラハで開催されていた国際天文学連合において、2006年8月24日に新たな「惑星」の定義が採択され、これにより「冥王星」が「惑星」の分類から外されることがきっかけで騒ぎ始めたものと思います。ちなみに、この新たな「惑星」の定義は下記の通りです。
<以下は国際天文学連合のウェブサイトの原文を私が訳したもの>
「惑星」は次の3つの要件を満たす天体である。
(a) 太陽の周囲を回っていること
(b) 自己重力でほぼ球形を保つことが出来る十分な質量をもっていること
(c) その天体の軌道上周辺に同程度以上の質量をもった天体がないこと
注) 要件(c)の原文は”a celestial body that (中略) (c) has cleared the neighbourhood around its orbit.”となっていますので、訳にあまり自信がありませんが、上記のような意味だと思います。
このため、「冥王星」はその軌道上に海王星という「惑星」がいるので、要件(c)が満たせなくなりました。ちなみに、上記の原文の「planet(惑星)」には、「8惑星は水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星である。」という注釈が付されています。
こうして、「冥王星」は「惑星」から外されました(降格という表現は私は適切ではないと思います。)が、1930年の発見以来、太陽系の惑星として認知されていましたので、人々にも惑星として浸透しており、アニメ等でも太陽系最果ての惑星という位置づけでよく登場していました。
私が小さい頃、よく見ていた「宇宙戦艦ヤマト」ではガミラスの太陽系における前線基地があり、地球に対し、遊星爆弾を投下していました。ヤマトが冥王星で反射衛星砲により苦しみながら、前線基地を叩き、これを突破することで、地球を苦しめた遊星爆弾の脅威を除き、本格的に宇宙の旅に出るという演出がされていたように思います。(ただし、本作の続編では冥王星外側軌道にあるアステロイドベルト(第10番惑星)、第11番惑星が登場します。)
私はほとんど見ていないので、よくわかりませんが、セーラームーンのセーラープルートが外部太陽系三戦士の一人に挙げられているのも惑星扱いだったからと思います。
また、日本では太陽系の惑星を覚えるために「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」の語呂合わせが用いられていますが、この語呂合わせを用いたアニメソングがあります。まずは、「宇宙大帝ゴッドシグマ」(1980年~1981年放映)のエンディングで用いられた「レッド・ブルー・イエロー」(オープニングの後にエンディングがあります)で、次に「勇者警察ジェイデッカー」(1994年~1995年放映)のエンディングで用いられた「笑顔は君の忘れ物」です。
前者は「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」を2回歌い上げた後、「太陽を囲むみんな仲間だ」と続きます(バックのコーラスは更に2回歌っています。)。この語呂合わせのフレーズのときには太陽系の絵となっており、軌道が8つの「惑星」の公転軌道に対し、傾いている細長い楕円の公転軌道をもつ「冥王星」もしっかり入っています。ちょうど、私は10歳頃で、「ゴッドシグマ」を見た記憶はありませんが、このメロディーは聴いたことがあり、テンポ良く太陽系の惑星配列を覚えることが出来ます。
後者は「星が今夜集まるよ」の後に、各惑星の絵が登場しながら、「水・金・地・火・木・土・天・冥・海」と歌われています。1979年から1999年にかけて、「冥王星」が海王星の内側に入っているのを考慮したものと思われ、海王星と「冥王星」の位置が逆転しています。(「ゴッドシグマ」は「冥王星」が海王星の内側に入ろうとする頃に製作されたこと、もしくは物語の舞台が2050年だから「海・冥」となっているものと思われます。実際のところ不明ですが。)
徒然なるままに、駄文を記述して参りましたが、「冥王星」がなくなるわけではなく、人間の都合で「惑星」でなくなっただけで、太陽を囲む星の一つには違いはないので、特に騒ぐほどのものではないとワイドショーを見て感じました。

2006年8月16日水曜日

写真雑記その10~全部の信号が赤

東京・西武練馬駅(2006年8月12日)

<写真雑記・第10回目>
第10回目は東京の西武・練馬駅にいたときに出会ったものです。タイトル通り、写真中のすべての信号が赤になっています。これは、8月12日の11時頃に西武池袋線・武蔵藤沢駅で人身事故が生じたため、全線をストップさせていたときのものです。
信号がこんなにもあるのは西武・練馬駅が西武池袋線、西武有楽町線及び西武豊島線の結節駅であるからだと思います。
しかし、この日は午後に大雨と落雷があったため、この後に大規模な電車の遅れがあちこちで生じ、西武池袋線はこの人身事故と落雷により長時間遅れが回復しなかったようですね。西武鉄道の方、お疲れ様でした。
この日は東京(とその周辺)をかけずり回っていましたが、その落雷による電車の遅れは影響を受けなかったのが幸いでした。
しかし、この2日後に高圧電線切断による停電が起こるとは思いもよりませんでした。

2006年8月3日木曜日

写真雑記その9~看板の下のロシア語

富山市・標識(2006年7月23日)

<写真雑記・第9回目>
第9回目は富山市へ行ったときに見つけたものです。日本語、英語及びロシア語で書かれた標識を富山ライトレールの終点である岩瀬浜付近で見つけました。
伏木ではありますが、富山とロシア極東の中心都市ウラジオストックとは定期船が就航しており、ロシア人がよく訪問しているようなので、このような標識があるものと思われます。大阪なら、日本語、英語、中国語及び韓国語となるところだと思います。

2006年7月12日水曜日

中国語レッスンレベルアップか?

某英会話スクールの中国語講座を受けていますが、本日、レベルアップのテストが15分間ありました。
今まで学んだことをテストするという形でした。これで合格すれば、レベル7Cから7Bへ昇格です。目標の7Aのマスターに一歩近づきました。次の上海までには達成したいですね。

2006年6月16日金曜日

長崎に行って来ました。(その2)

長崎電気軌道・浦上車庫前・168号(2006年6月10日) 

路面電車の日関連イベントというのは、木造車である168号が営業車として、運転されることです。
この168号は1911年(明治44年)に製造されたもので、西日本鉄道福岡市内線から移籍してきました。営業車として、運転される日は6月10日(「路面電車の日」)、10月14日(「鉄道の日」)及び11月16日(長崎電気軌道の「開業記念日」)となります。
ちなみに、1911年は阪堺電軌(初代)が阪堺線(恵美須町~大小路間)を開通させ、南海鉄道が上町線から大阪市電の天満橋南詰まで乗り入れた年です。大阪市電では初のボギー車501型を導入した年でもあります。
残念ながら乗車はできませんでしたが、20世紀初めの雰囲気を十分に感じさせる車両を見ることができたのは幸いでした。

2006年6月11日日曜日

長崎に行って来ました。(その1)

長崎電気軌道・思案橋(2006年6月11日) 

6月10日から11日にかけて、長崎に行って来ました。ということで、思案橋付近の写真を掲載します。
6月10日は「路面電車の日」でその前後の日曜日に、大阪では我孫子道で阪堺電気軌道が、広島では千田車庫で広島電鉄が路面電車まつりを開催しています。今年は両者とも6月11日でした。長崎では両者のような「まつり」は6月10日前後にはありませんが、関連イベントはあります。それについては次回に述べたいと思います。

2006年6月5日月曜日

我回来了!!

上海から戻って参りました。しばらく、更新をしておりませんでしたが、ぼちぼち更新していこうと思っています。
よろしくおねがいいたします。

2006年5月4日木曜日

新阪堺の成分解析

先日、成分解析のプログラムをダウンロードしました。
この成分解析のプログラムとは、入力した言葉(固有名詞、一般名詞等)について、どういう成分が、どれだけの比率で構成されているか算出してくれる遊び心があるプログラムです。ということで、いくつか入力してみました。なお、成分解析プログラムはVer0.1のものを用いました。
さて、まず生まれ故郷の「堺」を入れると、

保存料73% 見栄14% 野望13%
となります。保存料はともかく、あとの2つが微妙に合っているような気がするなぁ~。
せっかくなので、阪堺電車の「阪堺電気軌道」を入れると、
夢83% 気合い17%
となります。
そうか、阪堺電車は夢と気合いで走っとんねんや。
更に、新阪堺の正式名称「阪堺電鉄株式会社」を入れると、
苦労62% 鉛18% 怨念11% やらしさ4% 黒インク3% 濃硫酸2%
となります。
苦労って、確かに苦難の経営ではあったけれど。怨念って、やはり無念の買収だったのか!
最後に、「大阪」を入れると、
元気玉100%
となります。うん、大阪らしい。
(元気玉とは、ドラゴンボールに登場する技のひとつで、生きとし生けるものから元気を少しずつ分けてもらい、それを一つのエネルギー体として集め、敵にぶつける技だったと思います。)
遊びでやるには結構おもしろいプログラムだと思います。

2006年4月17日月曜日

宇宙刑警って、何?

穏やかな上海の日曜日、私は「宇宙刑警」という日本製アニメを見ました。この「宇宙刑警」という文字で何の作品かわかるでしょうか?
直訳すると、宇宙を舞台に活躍する刑事事件を扱う警察官の話になってしまいそうですが、これは「ロスト・ユニバース」の中文名なのです。
簡単にあらすじを述べると、
腕利きのトラブルコントラクターのケインは太古の超文明の遺産であるロストシップ・ソードブレイカーに乗り、あらゆるトラブルを解決していくが、次第に、財閥であるゲイザー・コンチェルンを隠れ蓑に暗躍する犯罪組織ナイトメアに対し、押しかけ乗員となったミリィとソードブレーカーの制御コンピューターであるキャナルとともに戦うようになる。
という、お話です。
あっ!最終的に犯罪組織と戦っているわけだから、刑警でもいいわけか。でも、本作品の登場人物のひとり、星間警察のレイル警部なら、刑警といっても文句はないのだけれど。
それはともかく、久しぶりにロストユニバースを見ることとなりましたが、全員中国語を話すので、我不明白(私にはわからん)。せめて、中国の番組には必ずある字幕があればいいのですが、これも没有(ない)。ストレスばかりたまって番組が終わってしまいました。しかも、エンディングは途中で切られるし、ありゃりゃのりゃという感じでした。(ちなみに、エンディングは日本語のままです。)
結構、日本のアニメをやっているので、また、ブログで報告したいと思います。

2006年4月16日日曜日

皐月賞惜しい~!!

春のG1シリーズも既に始まっており、高松宮記念及び桜花賞が終わり、皐月賞が今日行われました。
武豊騎手が悪いわけではないのですが、武豊騎手を絡めた馬券を買うと、私の場合、どうも外れるようです。
私は三連単馬券(1着から3着を、着順も含めて予想する馬券)を買うのですが、(欲張りと言わないで下さい。)今回は選んだ馬が1着から5着に入っているのに、外れてしまいました。
5→6→2(左から1着、2着、3着)の馬券は買っていたのですが、来たのは5→2→6となり、見事撃沈です。å
当たれば、20万円が手に入ったのに~~~~~!!
(武豊騎手の馬は確か4着に入ったと思います。)
とほほほほ。仕方ないので、次回、天皇賞(春)に続く。

(追記、2006年7月12日)
続きませんでした。ちなみに的中はなしです。とほほ。

2006年3月31日金曜日

地上を走る地下鉄(第10回)~東京地下鉄・半蔵門線(曳舟)

東京地下鉄・半蔵門線・曳舟<東武伊勢崎線>(2004年11月21日)

第10回目は東京地下鉄・半蔵門線です。
この写真は東武伊勢崎線の曳舟駅で撮影しました。半蔵門線は東急田園都市線と東武伊勢崎線・日光線と相互乗り入れを行っています。営業区間である渋谷駅から押上駅まで全線地下となっています。相互乗り入れ区間で地上部分を見ることができます。
半蔵門線は、昭和53年(1978年)に渋谷駅~青山一丁目駅が開通し、平成15年(2003年)に渋谷駅~押上駅間が全通しました。
相互乗り入れは、昭和53年(1978年)に東急田園都市線(当時は新玉川線)と、平成15年(2003年)に東武伊勢崎線・日光線と相互乗り入れを始め、東急田園都市線側では中央林間駅~渋谷駅間、東武伊勢崎線・日光線側では曳舟駅~南栗橋駅間が相互乗り入れ区間となっています。
もう少し良い写真を撮影をしましたら、またアップする予定です。
次回は東京地下鉄・南北線と都営地下鉄・三田線を予定しています。

2006年3月25日土曜日

阪堺線と南海線の立体交差

阪堺線・旧海道畑停留場付近(2006年2月19日)

2006年3月25日・第2弾は阪堺電軌の旧海道畑付近にある南海線との立体交差の写真です。ちょうど、うまい具合に阪堺線と南海線が撮影できています。
おそらく、南海線のダイヤが15分サイクルに変わり、阪堺線のダイヤがそのまま12分サイクルであることが影響しているのかもしれません。
もし、このような写真が撮れるか試してみたい方は、土日の毎時35分くらい(例えば、13時35分とか17時35分)で観察してもよいと思います。ただし、必ず、阪堺と南海が出会うことを保証するものではありませんので、あしからず。

マイヤヒ~、マイヤフ~

今日、上海事業所に出勤したとき、昨年、日本で注目されたO-ZONEのDragostea Din Tei(直訳:菩提樹の下の恋)<邦題 恋のマイアヒ>(公式ホームページはこちら)が上海の事業所のすぐ近くの散髪・パーマ屋で思いっきり流れていました。
上海のこんな外れでこの曲を聴くことになるとは思いませんでした。
モルドバ・ルーマニアから始まり、ヨーロッパ、アメリカ、日本を経て、中国にまでやってきたわけです。
今年は中国で流行るのかな??
ともかく、思わず、飲ま飲まイェイと口ずさんでしまいました。

2006年3月24日金曜日

Happy birthday to me!

誰も祝ってくれないので、自分で祝います。
Happy birthday to me!

2006年3月22日水曜日

地上を走る地下鉄(第9回)~東京地下鉄・有楽町線(新木場検車区)

東京地下鉄・有楽町線・新木場検車区(2004年9月26日)

第9回目は東京地下鉄・有楽町線です。
写真は起終点の新木場駅の先にある新木場検車区で撮影しました。今回は左の有楽町線の車両(黄色の帯の車両)と中央及び右の千代田線の車両(緑色の帯の車両)が写ったものを掲載しました。この写真の撮影日は新木場検車区の一般公開の日で、有楽町線だけではなく、千代田線、半蔵門線、南北線のほか、東武東上線と西武有楽町線・池袋線の車両もいました。
有楽町線には地上区間が両端の和光市駅付近と新木場駅付近に地上部分があります。
ちなみに、和光市駅のある和光市駅~営団成増(現、地下鉄成増)間は1987年(昭和62年)に、新木場駅のある新富町駅~新木場駅間は1988年(昭和63年)にそれぞれ開通しました。また、東武東上線及び西武有楽町線・池袋線と相互乗り入れを行っています。
次回は東京地下鉄・半蔵門線を予定しています。



東京地下鉄・有楽町線・練馬駅(2006年8月12日)
<練馬駅・2006年8月12日撮影> 

東京地下鉄・有楽町線・和光市駅(2007年3月18日)
<和光市駅・2007年3月18日撮影> 

<追補:2007年3月25日>
2006年8月に練馬駅で、2007年3月に和光市駅でそれぞれ撮影したので、アップします。

2006年3月21日火曜日

地上を走る地下鉄(第8回)~東京地下鉄・日比谷線(武蔵小杉・北千住)

東京地下鉄・日比谷線・武蔵小杉駅<東急東横線>(2006年8月12日)

第8回目は東京地下鉄・日比谷線です。
この写真は東急東横線の武蔵小杉駅で撮影しました。日比谷線は東急東横線と東武伊勢崎線と相互乗り入れを行っています。なお、日比谷線の両端部分、つまり、北千住駅~南千住駅の三ノ輪寄りと中目黒駅付近は地上に出ています。
日比谷線の場合、南千住駅~(三ノ輪駅)~仲御徒町駅間が昭和36年(1961年)にまず開通し、続いて北千住駅~南千住駅間が昭和37年(1962年)に開通しました。一方、中目黒駅については、恵比寿駅~中目黒駅間が昭和39年(1964年)に開通しました。
相互乗り入れについては、私鉄最初の相互乗り入れであり、昭和37年(1962年)に東武伊勢崎線と、昭和39年(1964年)に東急東横線と相互乗り入れを始め、東武伊勢崎線側では東武動物公園駅~北千住駅間、東急東横線側では中目黒駅~日吉駅間が相互乗り入れ区間となっています。
日比谷線区間での撮影をしましたら、またアップする予定です。
次回は写真のない東京地下鉄・東西線と千代田線をとばして、有楽町線を予定しています。


東京地下鉄・日比谷線・北千住駅(2006年8月12日)

<追補:2006年10月12日>
改めて、東急東横線・武蔵小杉駅での日比谷線車両を撮影したものをアップすると共に、東武伊勢崎線と東京メトロ・日比谷線の接続駅である北千住駅での日比谷線車両をアップしました。

2006年3月19日日曜日

緑色の気持ちって何?

中国にも日本同様にアイスキャンディーが販売されています。
その中に緑豆を使ったアイスキャンディーがあり、その名も「緑色心情」となっていました。
味は小豆アイスキャンディーとほぼ同じだったので、宇治金時アイスキャンディーをよく食べる私としては満足いくものでした。
「緑色心情」を直訳すると、文字通り、緑色の気持ちなのですが、さて、緑色の気持ちって何?
こういう微妙な言い回しはネイティブの中国人に聞くのが一番なので、中国人に聞きました。そうすると、落ち着いた気持ちいい状態だそうです。なるほど、森林浴で森の中でのんびりしているイメージと考えて良さそうです。
ついでなので、他の色についても聞いてみました。
「紅色心情」(赤)はとてもうれしい、盛り上がった状態
「青色心情」は落ち込んだ状態、つまり「ブルーになった」状態
「桃色心情」は愛し合っているラブラブな状態
「黒色心情」は青よりもさらに酷い状態、最悪な状態
「黄色心情」はいやらしい、異性に対し、何かしようと企んでいる状態
とのことです。
だから、うかつに「黄色心情」とは言わないで下さいね。

地上を走る地下鉄(第7回)~東京地下鉄・丸ノ内線(御茶ノ水)

東京地下鉄・丸ノ内線・御茶ノ水(2005年8月15日)

第7回目は東京地下鉄(東京メトロ)・丸の内線です。
写真は御茶ノ水駅付近にある神田川の橋梁部分で撮影しました。ちょうど、JR中央総武線の下にある神田川のところで短い距離ですが、地上に出ています。
丸の内線は茗荷谷駅、後楽園駅、この神田川の橋梁部分及び四谷駅で地上に出ています。
丸ノ内線は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)になってから、初めて作られた地下鉄であり、茗荷谷駅及び後楽園駅がある池袋駅~御茶ノ水駅間が1954年(昭和29年)に、神田川の橋梁部分がある御茶ノ水駅~淡路町駅が1956年(昭和31年)に、四谷駅がある1959年(昭和34年)にそれぞれ開通しました。
丸ノ内線も銀座線・御堂筋線と同じく、第3軌条式の集電方式なので、架線がありません。
次回は、東京地下鉄・日比谷線を予定しています。

2006年3月18日土曜日

地上を走る地下鉄(第6回)~東京地下鉄・銀座線(渋谷)

東京地下鉄・銀座線・渋谷(2004年11月23日) 

第6回目は東京地下鉄(東京メトロ)・銀座線です。
写真は渋谷駅で撮影しました。銀座線の渋谷駅はJR山手線・埼京線や東急東横線よりも高い位置にあります。
銀座線の場合、営業区間である渋谷駅~浅草駅のうち、この渋谷駅付近のみが地上に出ています。(ただし、上野付近にある上野検車場へ入るため、地上にあがる場所があり、踏切まであります。)
銀座線は東京地下鉄道により1927年(昭和2年)に上野駅~浅草駅間が開通し、日本初の地下鉄となりました。
地上部分のある渋谷駅~表参道駅間については、1938年(昭和13年)により、東京高速鉄道により開通しました。
ちなみに、東京地下鉄道と東京高速鉄道から、帝都高速度交通営団が設立され、現在の東京地下鉄(東京メトロ)へとつながっています。
銀座線は御堂筋線と同じく、第3軌条式の集電方式なので、架線がありません。
次回は、東京地下鉄・丸の内線を予定しています。

2006年3月17日金曜日

地上を走る地下鉄(第5回)~大阪市営地下鉄・堺筋線(柴島)

大阪市営地下鉄・堺筋線・柴島<阪急千里線> 

第5回目は大阪市営地下鉄・堺筋線です。
写真は阪急千里線の柴島駅で撮影しました。この阪急千里線及び京都線と相互乗り入れを行っているため、阪急千里線及び京都線で堺筋線車両を見ることができます。
堺筋線の場合、営業区間である天神橋筋六丁目駅から天下茶屋駅まで全線地下であり、地上にでるのは阪急電鉄の路線となります。大阪万博の開催に合わせ、1969年(昭和44年)に堺筋線が開通したと同時に阪急との乗り入れが開始されました。
今まで紹介した大阪市営地下鉄の路線と紹介していない千日前線は第3軌条式ですが、この堺筋線は架線式となっています。
次回は場所を変え、東京地下鉄・銀座線を予定しています。

2006年3月16日木曜日

地上を走る地下鉄(第4回)~大阪市営地下鉄・中央線(生駒)

大阪市営地下鉄・中央線・生駒<近鉄東大阪線>(2006年1月22日) 

第4回目は大阪市営地下鉄・中央線です。
写真は近鉄東大阪線の生駒駅で撮影しました。この近鉄東大阪線と相互乗り入れを行っているため、奈良県の生駒駅で中央線車両を見ることができます。
中央線の場合、昭和36年(1961年)にまず開通した大阪港駅~弁天町間駅は高架となっており、つづいて昭和39年(1964年)に開通した弁天町駅~本町(仮)駅間のうち、弁天町駅~九条駅の阿波座よりまで高架となっています。更に、昭和61年の近鉄東大阪線との相互乗り入れ開始により、東大阪線の荒本駅の吉田よりから生駒駅間では地上を走る地下鉄が見ることができます。
中央線区間での撮影をしましたら、またアップする予定です。
次回は大阪市営地下鉄・千日前線ではなく、堺筋線を予定しています。

2006年3月15日水曜日

地上を走る地下鉄(第3回)~大阪市営地下鉄・四つ橋線(緑木検車場)

大阪市営地下鉄・四つ橋線・緑木検車場(2005年11月13日)

第3回目は大阪市営地下鉄・四つ橋線です。
写真は北加賀屋駅と住之江公園駅の間にある緑木検車場を撮影しました。
四つ橋線の場合、厳密に言うと、営業区間での地上部分はありません。ただし、緑木検車場では地上で留置されている地下鉄を見ることができます。この写真は緑木検車場に隣接する大阪市電の車両が保存されている「市電保存館」と古い地下鉄やニュートラムが保存されている「車両保存館」が一般公開されたときのものになります。
ちなみに、緑木検車場のある玉出~住之江公園間が1972年(昭和47年)に開通しました。ちょうど、大国町駅より国道26号線に沿って南下していた四つ橋線が玉出駅で南港通と大阪市電・三宝線の走っていた新なにわ筋に進路を変更した区間となります。
次回は大阪市営地下鉄・中央線を予定しています。

2006年3月13日月曜日

モ162とモ163のそろい踏み

阪堺電軌・浜寺駅前・モ162&モ163(2006年3月4日) 

2006年3月13日・第2弾は阪堺電軌の浜寺駅前で撮影したモ162とモ163のそろい踏みの写真です。
休日の浜寺駅前ではなかなか2両の車両がそろうことが珍しいのですが、貸切運転が発生すると、2両そろうことがあります。この日はたまたまモ162が貸切運転され、南海時代の旧塗装のモ163(通常運転)とモ162(貸切運転)が浜寺駅前で会ったものです。感謝、感謝。
ということで、一体どんな団体がモ162を貸切したのか興味深く観察していると、男女のカップルが1組乗り込んだだけで恵美須町方面に向かいました。
デートなんかい、これは!!!!
運転士 殿、ご苦労様です。

地上を走る地下鉄(第2回)~大阪市営地下鉄・谷町線(八尾南)

大阪市営地下鉄・谷町線・八尾南(2006年2月12日) 

第2回目は大阪市営地下鉄・谷町線です。
写真は八尾南駅に隣接する八尾南検車場を撮影しました。
谷町線の場合、南の終点である八尾南付近のみが地上部分となります。なお、北の終点である大日(大日駅は地下)に隣接する大日検車場も地上にあります。
ちなみに、1980年(昭和55年)に天王寺~八尾南間が開通しました。天王寺~平野付近までは谷町線開通当日まで営業していた南海平野線のルートを通っています。
次回は大阪市営地下鉄・四つ橋線を予定しています。

2006年3月12日日曜日

地上を走る地下鉄(第1回)~大阪市営地下鉄・御堂筋線(西中島南方)

大阪市営地下鉄・御堂筋線・西中島南方(2004年4月24日) 

今回より、地上を走る地下鉄の写真を掲載していきたいと思います。
第1回目は大阪市営地下鉄・御堂筋線です。
こうして写真を見てみると、第三軌条方式のため、空がすっきりしています。また、軌道が新御堂筋に挟まれているため、センターリザベーション化された道路を走っているようにも見えます。
ちなみに、現在の御堂筋線の地上・高架部分は中津の北側である新淀川大橋の南詰から江坂までの区間となっています。これらの区間は1964年(昭和39年)の新幹線開業にあわせて梅田~新大阪間(中津は梅田の新大阪よりの次駅です。)が、1970年(昭和45年)の万博開催にあわせて新大阪~江坂間が開通しました。
なお、かつては天王寺~西田辺も堀割ではあるものの、地上から姿をみることができたそうです。しかし、工事で蓋をされ、地下化され、現在に至っています。
次回は大阪市営地下鉄・谷町線を予定しています。

2006年3月11日土曜日

上海にまたまた出張です。

久しぶりにブログに書き込みました。
上海出張のための準備でほとんど2月は書き込みができませんでした。
と、言うことで3月6日、上海に着きました。
関西空港はあいにくの雨で、離陸とともに雲の中に入り、ずっと雲を見たまま、上海の浦東空港に着陸しました。これから3ヶ月中国での生活となります。
上海で起こった出来事等を上海日記として書き込みたいと思います。また、日本で撮りだめした写真も随時掲載していく予定です。
よろしくお願いします。

2006年2月6日月曜日

神戸空港へ行ってきました。

神戸空港からポートアイランドを望む(2006年2月5日) 

先週の日曜日に神戸空港に行きました。といっても、同日の空港の見学会には行かず、ポートライナーの神戸空港駅止まりでした。
1枚目の写真は神戸空港駅から撮影したポートアイランド方面です。写真をみると、神戸ポートピアランドの観覧車が人工島の上にあるとは思えなくなっています。


ポートアイランドから大阪湾を望む(1991年1月15日) 

2枚目の写真は15年前にポートアイランドから大阪湾を撮影したものです。ちょうど、神戸ポートピアランドの最寄り駅である南公園駅のすぐ近くで撮影したように覚えています。当時はポートアイランド第1期の埋立地しかなく、神戸ポートピアランドのすぐ南が海岸線でした。このとき、海だったところに私が行けるようになるとは考えもつきませんでした。
ところで、神戸ポートピアランドが閉園になるようですね。25年前の1981年の神戸博ポートピア’81の時に開園した遊園地ですが、もうそんなに時間が経過したんですね。このとき、私は親と一緒にポートピア’81に行ったのですが、どういう訳かポートライナーに乗らず、歩いて行ったような記憶があります。
神戸ポートピアランドで遊べるのもあとわずかなので、行きたい人は早くいった方がいいですね。(私は行かないと思いますが。)
ちなみに、神戸ポートピアランドのアドレスはこちらです。
http://www.portopialand.co.jp/(リンク切れ:2010年10月19日追記)

2006年2月1日水曜日

ああ!モ570形!!!

名鉄モ571(2003年7月19日) 

市ノ坪に残されていたモ570形が残念ながら解体されたようです。譲渡先がなかったため、やむを得ないといったところでしょう。上の写真は忠節で留置されていたモ571を撮影したものです。


名鉄モ571(2003年7月19日) 

上の写真は新岐阜駅前に停車していたモ571の内部を撮影したものです。岐阜の路面電車で最初に乗ったのが、このモ571でした。この
ときの乗客は私も含め、2人だったのを覚えています。
これ以後、2年間で10回(廃止後の2回も含む)岐阜を訪れることとなりました。
とにかく、おつかれさまでした。

2006年1月31日火曜日

航空写真

ふと、Googleの航空・衛星写真を見ていると、こんなものを見つけてしまいました。
縦方向に美濃町線があり、その上を路面電車が走っているのがわかります。ちなみに、ほぼGoogleの写真とほぼ同じ場所で撮った写真が下の写真です。

美濃町線・下芥見~上芥見(2005年3月19日) 

しかし、最近は(っていうと、いかにも歳をくったようでいややけど)航空写真も容易に見ることができる時代になったんですね~。(我が家や上海での家も見ることができるのだから、凄い凄い。)
(追記)
改めて、上記1行目のリンク先を見てみると、写真が更新されており、美濃町線廃止後の写真となっていました。(2010年10月18日)

2006年1月22日日曜日

ICOCA最強~~

ICOCAカード 

昨日(1月21日)より、阪急電鉄・能勢電鉄・京阪電気鉄道でICOCAが使えるようになりました。
阪急・梅田駅でタッチ&ゴー(これはSuicaのキャッチフレーズだったかな?)するときは、少しドキドキしてしまいました。



ICOCA履歴(2006年1月22日) 

今のところ、JR東日本の首都圏、仙台、新潟エリアとJR西日本のICOCAエリア、Pitapaエリアが使えるICOCAが一番使えるのではないかなあ~と思います。
ちなみに、上は私のICOCAの履歴で、JR西日本はもちろん、JR東日本、東京モノレール、そして阪急の履歴が残っています。

2006年1月19日木曜日

写真雑記その8~宅地内降灰指定置場

鹿児島市内(2005年12月3日) 

<写真雑記・第8回目>
第8回目は鹿児島市へ行ったときに見つけたものです。宅地内降灰指定置場とは、宅地内に降った灰を捨てる場所です。
ゴミといえば、大阪の堺市のように主に「生活ゴミ」「缶ビン類」「粗大ゴミ」といった分別が簡単なものから(注:ペットボトルは量販店が回収したり、紙、布は自主的に行われる集団回収が行われています。)、広島市のように「可燃ゴミ」「ペットボトル」「リサイクルプラ」「その他プラ」「不燃ゴミ」「資源ゴミ」「有害ゴミ」「大型ゴミ」と複雑なものまでありますが、降灰というのは鹿児島ならではと思います。
なお、鹿児島市ホームページによると、市内に約5570箇所設置しているとのことです。
天気予報も桜島付近の風向きがあり、鹿児島市電にも2001年9月まで、散水機能をもった車両が在籍していたことからも、いかに桜島の灰が降るかがわかります。

2006年1月14日土曜日

ああっ!!時間がない。

今日はブログを書く時間がほとんどないっ!明日にしよ。

2006年1月13日金曜日

2006年1月12日木曜日

味千ラーメンについて

高知・味千ラーメン桟橋店(2005年12月30日) 

「味千ラーメン」さんは熊本ラーメンの店舗であり、公式ホームページによると、国内では熊本を中心に120店舗余り、海外では中国(主に香港、上海)を中心に65店舗を展開しているとのことです。
私と味千ラーメンとの出会いは日本ではなく、中国の上海でした。なので、てっきり中国の店舗かと思っていました。東京・大阪にはそれぞれ2店舗しかないですし。それが路面電車の旅で、鹿児島に続いて、この高知でも見ることができました。(でも、熊本で見た記憶がないやけどなあ)
また、上海のカルフールには家庭でつくることができる「味千ラーメン」のパックも売られておりまして、(悪いけど)日本人の私には合わない味の現地製のインスタントラーメンが多い中、美味しいラーメンとしてありがたく食べさせて頂きました。是非、一度トライしてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、中国未経験の方には意外に思われるかもしれませんが、ラーメンは日本式中華料理の一つともいえ、現地の中華料理にはありません。
写真の味千ラーメン桟橋店は土佐電気鉄道の桟橋車庫のすぐそばです。

2006年1月11日水曜日

今宮戎に行って来ました。

大阪・今宮戎神社(2006年1月9日) 

久しぶりに今宮戎神社に参りました。一昨日の宵えびすだったのですが、人出は多く、また出店もたくさんあり、賑やかでした。この十日戎の出店が「商売繁盛」になっているのではないかと思うほどでした。まあ、お膝元が商売繁盛でなければ、その御利益も疑われるといったところでしょうか。
とにかく、今回も、仕事の「商売繁盛」を祈願しました。

2006年1月10日火曜日

姫路・駅そばを食す!

兵庫・JR姫路駅(2006年1月9日)
(写真1)

JR姫路駅のプラットホームには名物となった「まねき食品」さんの立ち食いそば屋があります。この立ち食いそば屋の特徴はかんすい入りの黄色いそばと和風だしの変わった取り合わせの「駅そば」(写真1)を販売していることです。
そもそも、太平洋戦争後の物資不足の頃、苦肉の策として編み出されたものだそうですが、半世紀以上たった今も多くの人に食べられています。
私事ですが、この「駅そば」は大学時代の6年間によく食べていました。在来線で広島~大阪間を往復しており、新快速の乗り換え時に必ず姫路駅に立ち寄っていたからです。


姫路・駅そば持ち帰り(2006年1月9日)
(写真2)

ということで、久しぶりに青春18きっぷを使って、姫路駅にわざわざ「駅そば」を食べに行きました。しかし、自販機を見ると、持ち帰り用の「駅そば」(写真2)なるものが販売されているではないですか!!思わず、衝動買いをしてしまいました。
ちなみに、この持ち帰り用の「駅そば」は2人前で480円となっています。(14時~17時にはタイムサービスも実施していますよ。)
まねき食品」さんの「駅そば」については下記のアドレスにて記述されています。
http://www.vzhyogo.com/~maneki/ekisoba/ekisoba.htm

2006年1月9日月曜日

写真雑記その7~油断めされるな

大阪・南海本線・春木駅(2005年11月27日)

<写真雑記・第7回目>
写真雑記第7回目は管理人がドッグ検診を終え、会社に戻るときに南海・春木駅舎で見つけた立て札です。(写真は検診当日ではなく、該当週の日曜日に撮影しました。)
ひったくりに対する注意を喚起するため、ちょっと時代劇風な立て札を作ったというところでしょうか?
(2005年12月19日既出)

2006年1月8日日曜日

写真雑記その6~wash wash wash

京都・阪急桂駅(2005年8月15日)

<写真雑記・第6回目>
第6回目は嵐山へ向かう途中、阪急・桂駅構内で見つけたイラストです。
桂駅のC号線(1号線の隣で0号線ともいえるところ)から桂車庫内の車両洗浄機が近くに見えますが、その車両洗浄機の側面に上のイラストが描かれていました。
こういう遊び心、私は好きです。
(2005年9月8日既出、追記記述あり)

2006年1月7日土曜日

写真雑記その5~消えた2つのもの

岐阜・新岐阜駅前停留場(2004年9月18日)

<写真雑記・第5回目>
第5回目は2005年3月31日まで岐阜で見られた光景です。
路面電車である名鉄の揖斐線直通電車とその右隣の岐阜市営バスが写っています。どちらも2005年3月31日をもって廃止され、岐阜の街から消えました。
このときは、後ろの高架線のJRの車両と名鉄の車両を撮影しようとしていた記憶がありますが、岐阜市営バスが入っていることには関心がありませんでした。今にして思えば、よく撮っていたものと思いました。
(2005年8月10日既出)

2006年1月6日金曜日

写真雑記その4~今も残る三宝線

大阪・南海本線・堺駅(2005年6月12日)

<写真雑記・第4回目>
第4回目は南海電鉄・堺駅構内で見つけた三宝線の入った地図です。
この写真の地図では三宝線とはっきりと記述されています。三宝線とは府道29号線のことであり、その由来はその道路上を元新阪堺線である大阪市電・三宝線が走っていたことによります。ちなみに、この道路は新阪堺電鉄により建設されたものです。
新阪堺電鉄については「新阪堺調査局」をご参照ください。
(2005年6月20日既出)

2006年1月5日木曜日

写真雑記その3~こんなところに?

大阪・日本橋筋商店街(2006年4月17日)

<写真雑記・第3回目>
第3回目は大阪市内で見つけた名古屋鉄道(名鉄)のロゴです。
岐阜・名古屋・豊橋といった名鉄沿線では当たり前のように見ますが、大阪でも見ることができました。でも、何故ここに名鉄のロゴがあるのでしょうか。
(2005年5月30日既出)

追伸、今日(2006年8月3日)、ここを通ると、名鉄のロゴはありませんでした。
(2006年8月3日)

2006年1月4日水曜日

写真雑記その2~短い共演

岐阜・名鉄岐阜駅(2005年3月27日)

<写真雑記・第2回目>
次に、2005年3月31日限りで路面電車が廃止された岐阜の写真です。上の写真は各務原線5番ホーム(手前)で停車中の普通・中部国際空港行きと美濃町線7番ホームから出発した新関方面行きモ870形を同時に写したものです。2005年1月29日に常滑~中部国際空港間の空港線開通に伴い、誕生した普通・中部国際空港行きと2005年3月31日限りに廃止された美濃町線電車との、110年にも及ぶ長い名鉄の歴史の中で、ほんの2ヶ月間だけ存在した共演でした。
(2005年4月4日既出)

2006年1月3日火曜日

写真雑記その1~京阪神の市電集う!

広島電鉄・鷹野橋停留場(2004年12月30日)

管理人のホームページにある写真雑記をこのブログで記していきたいと思います。これから7回にわたり、過去に私のホームページに記載したものを掲載していきたいと思います。
<写真雑記・第1回目>
まず、日本における路面電車王国である広島の写真からです。上の写真は、広島港(宇品)方面(写真では左奥方面)に向かう1904号(元京都市電)、1156号(元神戸市電)及び紙屋町方面(写真では手前方面)に向かう910号(元大阪市電)を同時に撮影したものです。管理人が広島の平和公園から日赤病院に向かっている途中でたまたま撮影したものです。
管理人が広島に住んでいたときに比べ、元神戸市電の車両が減少しているので、京阪神の市電が揃うことも珍しいのではないかと思います。なお、京都及び大阪市電がそれぞれ京都市電塗装及び大阪市電塗装なのに対し、1156号が神戸市電塗装ではなく、ハノーバー塗装なのが少し残念です。
(2005年4月4日既出)

2006年1月2日月曜日

あけましておめでとうございます。

阪堺電軌・住吉停留場(2006年1月2日)



本年より、しゅらくの独り言をブログで行うこととなりました。
名前は「新・しゅらくの独り言」となりましたが、今まで同様、本年もよろしくお願いいたします。
まずは、正月なので、阪堺電軌の住吉の写真を掲載します。