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2015年4月30日木曜日

2015年黄金週間・4/29編

2015年黄金週間が来ました。
今年は年末年始を中国・青島で過ごしたこともあり、長いものではなく(1/1~1/3・しかも1/4日曜日は出勤)、青島以外に行く場所もないので、久しぶりの寝正月に終始しました。
また、春節が始まると同時に帰国ということで、春節休暇もありませんでした。
この黄金週間については、当初は熊本と長崎の路面電車を絡めながら、温泉でも浸かろうと考えていましたが、5月の人事異動によりそれも叶わぬこととなりました。
ということで、今年の2015年黄金週間は引越準備等をネタにすることにします。

ということで、4/29の内容となるのですが、4/28には出張先の大阪・堺から飛行機で舞い戻り、東京の自宅で目覚めました。その後、2社ほど引越の見積にやってきたため、その対応をし、4/30の準備を行い、慌ただしく羽田空港から関西空港を経て、大阪・堺に舞い戻りました。

とにかく、しんどい。ろくに引越の準備もできないまま、4/29は終わりました。

2015年4月29日水曜日

2015年黄金週間 2014年のおさらい及び札幌市電乗車

今年2015年も黄金週間が来ました。そこで、(1日分書き損ねたことも含め、)2014年の黄金週間をおさらいしましょう。

昨年は北海道旅行で、特に道東を旅しました。

釧路から入り、釧路・和商市場では釧路の物産を買い込みました。

釧路湿原、阿寒湖、摩周湖(上の写真)、屈斜路湖とAQUAを操りながら、駆け足で北海道の自然を味わってきました。

網走ではオホーツク海でのホエールウォッチングを行い、また、博物館網走監獄では監獄の資料を見てきました。

AQUAで疾走し、網走から札幌まで半日以上車を運転しましたというところまで記述していたと思います。

(ここからが札幌市電乗車編の新作部分です。)

札幌で1泊し、5/6は札幌市電撮影を行いました。ここはすすきの電停です。

少しすすきの電停からは離れた場所で、超低床車のポラリスです。ポラリスとは北極星のことです。
選定理由は下記の通りです。
・北の空の中心で輝く北極星(Polaris)のイメージが、北の中心都市である札幌市を走る同車両のイメージに合致していること。
・また、北極星は三重連星であることから、3両編成である同車両との共通点がみられること。
・覚えやすく、呼びやすい愛称であること。
(札幌市ウェブサイトより引用)

ちなみに、2番目の理由はやや無理矢理という感じが個人的にはします。


また、前面眺望の撮影も行い、40分×2回を立ったままなので、非常に疲れました。

この後、札幌駅から新千歳空港を経て、羽田空港に向かい、2014年黄金週間の旅は終了しました。

ということで、2015年黄金週間はどうなるか、楽しみですね。(苦笑)

2015年2月15日日曜日

2014年黄金週間・5/5網走札幌移動編

では、5/5ドライブルートのC地点(博物館網走監獄)から一気にF地点(札幌市内)を目指し、移動します。
通常であれば、北見市から来た道を戻るところですが、それでは面白くないので、オホーツク国道こと国道238号線沿いに進むことを基本とし、能取湖、サロマ湖沿岸をまず進むことにしました。

道の駅サロマ湖(D地点)に到着しましたが、サロマ湖が見えません。おそらく、山からの展望台からはよく見えると思いますが、先の記事のとおり、時間がありませんので、物品のみ購入し、先を急ぎます。
道の駅サロマ湖から速度が上がる旭川紋別自動車道まではかなり距離があります。

遠軽町まで達し、ようやく旭川紋別自動車道の入口がある道の駅マルセップ(E地点)に到着しました。
しかしながら、札幌はおろか、旭川ですら遠い状況です。
旭川紋別自動車道に入ると、大雪山や天塩岳にしっかりと雪が積もっている様子が運転席から見え、5月にもかかわらず、冬を連想させる風景が続きます。

比布町で道央自動車道に入り、旭川周辺を進んでいきましたが、日没が近づく中、札幌市内に入ると混雑が予想されること、かなり疲労感を感じたことから、音江PAで休憩をとりました。
日が沈み、札幌市内に入る頃にはすっかり暗くなり、慣れない道を進みながら、定刻通りにレンタカー営業所(F地点)に到着することができました。延滞料も支払うことなく、AQUAを返却し、札幌で予約していたホテルに徒歩で向かいます。
とりあえず、スープカリーでも今日は食べることにします。

2014年黄金週間・5/5博物館網走監獄編


ホエールウォッチングを終え、5/5ドライブルートのB地点からC地点に移動しました。
網走市には高倉健主演の映画「網走番外地」でも舞台になった網走刑務所があります。網走刑務所に行くつもりはないので、網走刑務所の旧建造物が保存されている「博物館網走監獄」へ行きます。

 
(青○:道の駅流氷街道網走B地点)
(赤○:博物館網走監獄)
(赤◇:網走刑務所)

博物館網走監獄は網走湖の近くにあります。道の駅流氷街道網走からもそう遠くありません。
では、博物館網走監獄へ向かいます。


(赤○:パンフに付番されていた建造物+説明板の情報付き)
(黄○:パンフに付番されていない建造物+説明板の情報付き)
(赤□:パンフに付番されていた建造物+説明板の情報なし)

上図は「博物館網走監獄」の航空写真です。
タイトルである「博物館網走監獄」の直下にあるリストのアイコンをクリックすると、順路に従い、上から各建物のリスト一覧が表示されます。それぞれの建物名をクリックすると、写真とその説明が表示されます。また、図中の図形をクリックしても、該当の建物の同様の説明が表示されます。ただし、このままでは見にくいので、右上の右から2番めにある[]の形に近いアイコンをクリックし、大きな地図にしてから見たほうが見やすいと思います。

2015年1月25日日曜日

「被災局サンテレビの記録と記憶」の感想

先ほど、1/17に放送された神戸にあるサンテレビの「被災局サンテレビの記録と記憶」(未明3:00~5:30放送)という番組を見終わりました。

全体の印象として、震災当日の様子をライブのようにありのまま当時の映像を見せようという番組の作り方をしていました。司会者や解説者といった2015年現在の視点から当時を振り返る人物や第三者的な立場から説明するナレーションも置いておらず、聞こえる音声は当時撮影したカメラマンの声、カメラに写っていた被災者や救助者の声及び火災の音やヘリコプターやサイレンの音といった撮影時に記録された周囲の音だけです。また、撮影場所のテロップを除き、状況をわかりやすく説明するための資料は一切出てきませんでした。一見、不親切な作りとなっていますが、当時の雰囲気をそのまま見せるという点では良かったと思います。要点を押さえた編集は行われているため、何を伝えようとしているのかわからないということはありませんでした。また、2時間半に及ぶ番組で一切、CMがないこともそういう番組の作り方に対するサンテレビの強い意思を感じることができました。

サンテレビの本社は人工島であるポートアイランドにあり、ポートアイランドも震災の被害を受けました。番組冒頭ではサンテレビ本社の様子を伝えていましたが、まさに滅茶苦茶な状態であり、本来であれば、他人のことに構う余裕などなかったはずだと思います。また、当時神戸市中心部と唯一結ばれた神戸大橋が破損し、車両通行ができなくなり、ポートアイランドとの行き来に徒歩しか手段がないにもかかわらず、1月17日の兵庫県内の被災地(北区や西区以外の神戸市や淡路島北部等)をよく撮影したものだと思います。

映像では頑丈と思われたビルや高速道路等の高架があっけなく崩壊し、瓦礫となった街並、必死に生き埋めになっている人を救助する人々、また病院で無事なことを確認し、安堵のためか喜び泣く人々、また、人手や機械がないため、生き埋め者を救助できない、あるいは火事が発生しているのに、水が出ないため消火できないといった無力感、そういった人々の背後に響くヘリコプターの爆音や鳴り止まないサイレンの音などが記録されており、被災当日の様子がよく伝わっていました。

更に、被災地の人々が非常に冷静であり、出会った人々がカメラマンの質問に対し、淡々と答えていました。落ちた道路上を走っていたドライバーがその状況を説明していたのが特に印象深く感じました。また、被災地でのスーパーでも買い物をする順番を秩序正しく待っている様子も印象的でした。

番組は1月17日の暗くなった神戸三宮の様子と朝から火災が続いている神戸長田の様子を放送して終了しました。

そして、神戸市役所の南側にある東遊園地で毎年行われる慰霊式典の放送にバトンタッチされました。

過去に囚われすぎる必要はないとおもいますが、次に発生する災害のために、(この番組では述べられていませんが、どう行動すべきか等の対処方法も含め、)こういった記録や記憶は大切に後世に残すべきではないかと感じました。

2015年1月17日土曜日

阪神淡路大震災から20年経ちました。

阪神淡路大震災から20年経過しました。
今回は1995年1月17日の朝の話をしたいと思います。

当時は私は会社の社員寮があった大阪府高石市に住んでいました。海岸線が目と鼻の先にあり、付近には旧国道26号線があります。また、震災から10ヶ月後にセアカゴケグモが初めて発見された高石斎場の近くでもありました。

当日は火曜日で、ちょうど成人の日(1月15日)が日曜日と重なり、1月16日が振替休日となり、3連休となっていました。(今では成人の日が1月の第2月曜日にあてられているため、3連休は当たり前になっていますが、当時は1月15日固定だったので、3連休になると嬉しかったものです。)

通常であれば、6時半頃に目覚めるところですが、不思議なことに午前5時45分に目覚めました。しかも、前日はどちらかというと夜遅くに就寝したというのに。
「なんでやろ、こんな朝早くに起きるなんて。」と呟きながら、1分間ほど天井をぼーっとして見つめていると、突然、今までに経験したことのない強さの震動が襲ってきました。

「あかん、これはでかい地震や。震源地、この辺に間違いない。」
眠気は一気になくなったものの、動揺していたのか、頭だけをこたつの中に入れながら、震動が収まるのを待ちました。

震動が収まった後、早速テレビをつけ、NHKにチャンネルをあわせ、情報収集を行いました。各地の震度が報道されており、大阪は4(体感的にはそれ以上に思えましたが。)、京都は5、豊岡は5、彦根は5,姫路は4となっており、どうやら大阪が震源地ではなかったことがわかりました。しかしながら、このとき神戸の震度が表示されておらず、違和感を覚えたものです。その後、震度6が出て、神戸付近が震源地であることが判明し、更に震度7に修正され、この地震がとんでもない地震であることを認識しました。

時間が経過すると、神戸市内及び阪神地区の被害が明らかになってきました。三宮にある多くのビルの倒壊、グチャグチャに倒れている阪神電車、倒れている阪神高速3号神戸線、炎とともに黒煙をあげる長田の市街地がテレビから伝わってきました。

そうしているうちに出勤時間が近づいてきました。本来、新入社員であった私が事務所の鍵を持つことはなかったのですが、たまたま、責任者がその前の週の12日から13日(木曜日、金曜日)に風邪で休んでおり、私が鍵を持っていました。
南海電車も地震後の点検のために運転を見合わせていましたが、事務所のある石津川駅と社員寮のあった高石駅の距離はそう遠くなく、また、中間にある駅の一つである浜寺公園駅の近くには実家があり、そこに通うために自転車を浜寺公園駅前駐輪場に置いていました。
そこで、浜寺公園駅まで歩き、そこから事務所へは自転車で向かいました。誰もいない事務所に到着し、鍵を使って中に入りました。被害状況を確認すると、自分のPC-9801UV2のキーボードが少し傷ついた以外は被害はなく、安心しました。
その後、8時25分頃になると、一斉に事務所の複数の電話が鳴り始めました。全て、職員の遅刻を伝える電話でした。1時間後、所長が出勤し、残りの職員が出勤してきましたが、その日はあまり仕事になりませんでした。

この地震は自身が体験した1995年の出来事としては、一番印象に残っている思い出となっています。しかし、この地震と同じぐらいの衝撃を受ける事件がこの2ヶ月後に起こるとは思いませんでしたが。

2015年1月1日木曜日

2015年の挨拶

皆様、2015年になりました。今年は個人的な諸般の事情により、正月恒例の挨拶ができませんが、よろしくお願い致します。しかしながら、皆さんは2015年を実感していると思いますが、私は今この時には2015年になったという実感があまりなく、おそらくあと1時間経過したら、2015年を実感するものと思います。

さて、今年の目標は次のものをしたいと思います。

  • 昨年同様、月に2件以上更新していきたいと思います。特に毎月2件以上更新したいと思います。
  • 新阪堺サイトを4月1日にオープンしたいと考えています。
  • 全国の路面電車のうち、前面眺望動画を半分は撮影したいと思います。
  • YouTubeのShrike's Channelにおいて、2009年から2010年にかけて行った全国併用軌道巡りの動画を3つ以上アップしたいと思います。
今年の年末年始は日本の路面電車巡りができないので、1/1~1/3は久しぶりに寝正月をしようと思います。初詣は前述のとおり、個人的な諸般の事情及び周りに神社がないので、春めいてから行きたいと思います。