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2008年1月27日日曜日

大阪府知事選挙に行ってきました。

今日は大阪府知事選挙の投票日です。
私は朝一番(7:00)に投票に行ってきました。「早起きは三文の得」といいますが、今回は、投票で初めてのことが2つありましたので、これらについて、記述したいと思います。
ます、今回は小学校の体育館に設置された投票所に最初に来た有権者だったので、投票前に投票箱が空であることを確認することになりました。「すみませんが、空であることをご確認下さい。」と投票事務を行っている係員の方が、開かれた投票箱を斜めに傾けたので、何も入っていないことを確認した後、「ええ、何も入っていません。」と私が答えました。「ありがとうございました。」と係員の方が投票箱に2ヶ所施錠を行い、私は投票を終えました。
次に、投票後、出口調査を受けることになりました。投票も終わったので、安心して、体育館を出ると、出口には腕章をつけた某三大新聞のひとつの記者の方に声をかけられました。「すみません。アンケートをお願いします。」とのことなので、アンケートの内容をみると、年齢、投票した候補者、支持政党、前回は誰に投票したかということが記述されていました。出口調査というものに今まで一度も出会わなかったので、いったい何処でやっているのかと思っていましたが、ようやく実際にやっていることがわかりました。
今回の大阪府知事選挙は主要3政党がそれぞれ候補者を立てているとともに、危機的な財政となっている大阪府をいかにして立て直すかがかかっているので、投票に行っていない大阪府の有権者はこれから投票を行いましょう。

2008年1月21日月曜日

盲腸線の旅(第40回)~JR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)・紀和駅

JR紀勢線・紀和駅・仮設ホーム(2007年8月13日)

今回はJR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)の紀和駅です。紀和駅は現在、高架化工事のため、仮設ホームとなっています。単式ホーム1面1線の地上駅で無人駅となっています。


JR紀勢線・紀和駅・高架工事中(2007年8月13日)

仮設ホームの南側に、高架化の工事現場を見ることができます。


JR紀勢線・紀和駅・旧駅舎(2003年11月3日)

和歌山駅で少し述べましたが、このJR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅間)には複雑な経緯があります。特に、この紀和駅にとって凋落の歴史ともいえるでしょう。紀和駅は今でこそ、寂れた無人の中間駅となっていますが、元々は和歌山市のターミナル駅でした。ここでは紀和駅の歴史を中心にその経緯を述べたいと思います。
紀和駅(以下、当駅)は紀和鉄道(現在のJR和歌山線)が1898年(明治31年)に「和歌山駅」として開業させたものです。こうして、当駅は和歌山市第一のターミナル駅として、歴史が始まりました。
しかし、1903年(明治36年)に南海鉄道・南海本線のターミナル駅として和歌山市駅が開業し、大阪に行くのに便利な和歌山市駅に和歌山市第一のターミナル駅を奪われ、当駅は第二のターミナルとなりました。
その後、関西鉄道への買収、関西鉄道の国有化の経過があり、当駅は国鉄和歌山線の駅となりました。1924年(大正13年)には、紀勢西線が当駅から「東和歌山駅」である現在の和歌山駅を経て、箕島駅まで開業し、当駅は和歌山線と紀勢西線の分岐駅となりました。
1930年(昭和5年)に阪和電気鉄道が開業し、和歌山側のターミナルを「東和歌山駅」とし、紀勢線との接続駅を「東和歌山駅」とすると、当駅のターミナル駅としての地位は更に下がりました。阪和電気鉄道が南海鉄道・山手線を経て、1944年(昭和19年)に国有化され、国鉄阪和線となると、大阪から紀勢線へ国鉄のみでつながることとなり、大阪からの南紀ルートから当駅は外れるようになり、和歌山市における国鉄のターミナル駅は「東和歌山駅」に移りました。
当駅の凋落は戦後も続き、1968年(昭和43年)2月に当駅は現在の紀和駅と改称され、同年3月には「東和歌山駅」が和歌山駅と改称され、名実ともにターミナル駅としての地位を剥奪されました。
更に、和歌山駅発が和歌山線のメインルートとなり、当駅発のルートは廃止され、当駅は紀勢線の中間駅となりました。1978年(昭和53年)の紀勢線(新宮駅~和歌山駅間)の電化の際も、当駅を含む和歌山市駅~和歌山駅は電化されず、蓑島方面からの直通列車が激減しました。1985年(昭和60年)には急行「きのくに」が廃止され、当駅を発着する優等列車が消滅するとともに、列車の行き違い設備が撤去され、無人駅化されました。
そして、高架化工事によりかつてのターミナル駅の雰囲気を残した旧駅舎が取り壊され、高架化工事が完成したとき、当駅は完全に単なる中間駅となります。
なお、上の写真は高架化工事により取り壊された旧駅舎です。
紀和駅についてはこれで終了です。和歌山市駅~紀和駅間の路線についてはまだ述べたいことがありますが、それは和歌山市駅で述べたいと思います。
次回は和歌山市駅の予定です。

2008年1月14日月曜日

盲腸線の旅(第39回)~JR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)・和歌山駅

今回はJR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)の和歌山駅です。この紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)について、盲腸線に含めるかは論議のあるところだと思います。
なぜな ら、この和歌山駅~和歌山市駅間は紀勢本線(亀山駅~和歌山市駅、384.2km)の終点部分の一部であるからです。(紀勢本線はJR東海とJR西日本の2社により運営されており、JR西日本の運営部分(新宮駅~和歌山市駅)に限っても、204.0kmの長距離です。)
しかし、和歌山駅~和歌山市駅間は実質支線として、独立した運転系統で毎時1~2本で運行されており、きのくに線と愛称のある和歌山駅~御坊・紀伊田辺・新宮駅間とは分離されています。(きのくに線の列車は和歌山駅を始発・終着駅としているか、阪和線に乗り入れ、大阪方面に乗り入れているかのどちらかです。)このため、和歌山市内を走るローカル線となっています。このため、本ブログでは紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅、3.3km)を盲腸線として扱います。
紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)の駅は和歌山駅、紀和駅、及び和歌山市駅の3駅です。


JR紀勢線・和歌山駅・7番8番ホーム(2007年8月13日)

和歌山駅は5面8線(単式ホーム2面及び島式ホーム3面)のホームをもつ地上駅であり、和歌山県を代表するターミナル駅のひとつです。和歌山駅には阪和線、紀勢線、和歌山線、和歌山電鐵・貴志川線が乗り入れています。
紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)は8番ホームから発着します。隣の7番ホームは和歌山線が粉河・橋本・五条方面に発着しています。


JR紀勢線・和歌山駅・1番ホーム(2008年1月13日)

和歌山駅の最西端にある1番ホームは主に大阪方面に向かう特急が使用しています。


JR紀勢線・和歌山駅・2番3番ホーム(2008年1月13日)

2番及び3番ホームは阪和線のホームとなっており、阪和線電車が発着しています。


JR紀勢線・和歌山駅・4番5番ホーム(2008年1月13日)

4番ホームは主にきのくに線の特急が使用しています。


JR紀勢線・和歌山駅・5番ホーム紀勢線電車(2008年1月13日)

5番ホームは主にきのくに線普通電車が使用しています。なお、東隣にはホームなしの6番線がありましたが、今はありません。


JR紀勢線・和歌山駅・9番ホーム(2007年8月13日)

紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅間)の東隣には9番ホームがあり、和歌山電鐵の貴志川線が使用しています。
紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅間)には複雑な経緯があるのですが、それに関しては紀和駅で述べます。
次回はその紀和駅の予定です。

2008年1月5日土曜日

盲腸線の旅(第38回)~JR羽衣線・東羽衣駅

JR東羽衣線・東羽衣駅・ホーム(2007年9月9日)

今回はJR羽衣線の終点・東羽衣駅です。 東羽衣駅は相対式ホームの2面1線の高架駅となっています。上写真左側(北側)が乗車ホーム、右側(南側)が降車ホームとなっており、乗降分離が行われています。


JR東羽衣線・東羽衣駅・駅舎(2008年1月5日)

JR東羽衣駅は名称通り、南海羽衣駅の東側にあります。手前の踏切は南海本線のもので、羽衣駅の北側にあります。羽衣駅の駅舎はこの場所より南側にあるので、徒歩で数分かかります。
羽衣線は平日・土休日とも、昼間は1時間に4本運行されています。
阪和線が阪和電気鉄道だった時代には、この羽衣・東羽衣駅界隈で、浜寺公園利用客に対する阪和及び南海の熾烈な客引き合戦がありましたが、今となっては昔の話です。
羽衣線は今回で終了となります。
次回はJR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)の和歌山駅の予定です。

日本全国路面電車の旅、取材完了

「日本全国路面電車の旅」の全電停撮影がこの年末・年始で完了しました。


土佐電気鉄道20071229
(高知駅前電停にて、2007年12月29日)

高知には2007年年末に訪問し、残っていた西半分(いの~はりまや橋)の撮影を完了しました。


江ノ島電鉄080103
(湘南海岸にて、2008年1月3日)

そして、最後は江ノ島電鉄を訪れ、撮影し損なった駅を全て撮影しました。
あとは執筆のみなのですが、現在、公営4市電(札幌、函館、熊本、鹿児島)が完了しているだけなので、頑張って更新を続けていきます。

阪堺電車・ほろ酔い電車に乗る

2008年になり、5日が経過しましたが、今回の話題は2007年のものです。
2007年12月22日に、「堺のチンチン電車を愛する会」が主催する「ほろ酔い電車」に乗ることになりました。


阪堺イベント・ほろ酔い電車・出発(2007年12月22日)
(大小路電停・浜寺駅前方面ホームに入線するモ354号) 

阪堺電軌が走る大道筋と堺LRTが敷設される予定の大小路の交差点にある紀陽銀行で、雨の中を多くの人々が待っていました。聞き耳を立てて聞いていると、「ほろ酔い電車」に参加する人たちは結構顔見知りになっているようでした。また、「ほろ酔い電車」と同時に「クリスマス電車」も走るため、親子連れがたくさん認められました。
まず、「クリスマス電車」が入線、参加者を乗車させた後、いよいよ「ほろ酔い電車」が入線、我々が乗車することとなりました。


阪堺イベント・ほろ酔い電車内(2007年12月22日)
(飾り付けされたモ354号の車内)

モ354号に入ると、きれいに飾り付けされた車内に多くのテーブルが運ばれており、酒のあて、いわゆる酒の肴とビールはもちろん、様々な種類の日本酒が何本も運び込まれていました。
各人、様々な話や車窓(といっても、雨と寒いため、結露が生じ、ほとんど見えなかった)を眺めたりしていました。そうしているうちに、各自の自己紹介が行われ、「堺のチンチン電車を愛する会」の事務局の方はもちろん、堺市鉄軌道対策担当の方をはじめ、何回も乗車されているベテランさんまで樣々な方が参加されていました。また、私も含め、初参加の人も結構いました。
それぞれの人たちが、阪堺電車に対する思い、堺市LRTに対する期待等を語っていました。


阪堺イベント・ほろ酔い電車・車庫内のクリスマス電車(2007年12月22日)
(大和川車庫に停車中のクリスマス電車モ709号)

休憩のため、大和川車庫に2回停車しました。このため、車庫内を範囲限定されながらも、見学することができました。ちなみに、上の写真は同時に走っている「クリスマス電車」です。「クリスマス電車」「ほろ酔い電車」とも「堺のチンチン電車を愛する会」が広告主となっている電車を使用していました。
大小路→浜寺駅前→あびこ道→天王寺駅前→あびこ道→大小路という経路を通り、2時間かけてこの貸切イベントは無事終了しました。また、こういったイベントがあれば、参加してみたいですね。

2008年1月1日火曜日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
昨年は色々と驚くようなことが起こりましたが、
今年は平穏な一年であることを願っています。
また、「Shrike Reports」のリニューアルを完成させ、「新阪堺調査局」の充実していきたいと考えています。現在も連載中の「盲腸線の旅」、連載休止中の「地上を走る地下鉄」等を次々とアップしていくように頑張っていきます。
更に、「しゅらくの日本全国路面電車の旅」での全電停掲載を目指し、「しゅらくの堺ぶらり見聞録」の「てくてくろーどを行く」等を進めて行きたいと考えています。
では、本年もよろしくお願いいたします。