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2015年1月25日日曜日

「被災局サンテレビの記録と記憶」の感想

先ほど、1/17に放送された神戸にあるサンテレビの「被災局サンテレビの記録と記憶」(未明3:00~5:30放送)という番組を見終わりました。

全体の印象として、震災当日の様子をライブのようにありのまま当時の映像を見せようという番組の作り方をしていました。司会者や解説者といった2015年現在の視点から当時を振り返る人物や第三者的な立場から説明するナレーションも置いておらず、聞こえる音声は当時撮影したカメラマンの声、カメラに写っていた被災者や救助者の声及び火災の音やヘリコプターやサイレンの音といった撮影時に記録された周囲の音だけです。また、撮影場所のテロップを除き、状況をわかりやすく説明するための資料は一切出てきませんでした。一見、不親切な作りとなっていますが、当時の雰囲気をそのまま見せるという点では良かったと思います。要点を押さえた編集は行われているため、何を伝えようとしているのかわからないということはありませんでした。また、2時間半に及ぶ番組で一切、CMがないこともそういう番組の作り方に対するサンテレビの強い意思を感じることができました。

サンテレビの本社は人工島であるポートアイランドにあり、ポートアイランドも震災の被害を受けました。番組冒頭ではサンテレビ本社の様子を伝えていましたが、まさに滅茶苦茶な状態であり、本来であれば、他人のことに構う余裕などなかったはずだと思います。また、当時神戸市中心部と唯一結ばれた神戸大橋が破損し、車両通行ができなくなり、ポートアイランドとの行き来に徒歩しか手段がないにもかかわらず、1月17日の兵庫県内の被災地(北区や西区以外の神戸市や淡路島北部等)をよく撮影したものだと思います。

映像では頑丈と思われたビルや高速道路等の高架があっけなく崩壊し、瓦礫となった街並、必死に生き埋めになっている人を救助する人々、また病院で無事なことを確認し、安堵のためか喜び泣く人々、また、人手や機械がないため、生き埋め者を救助できない、あるいは火事が発生しているのに、水が出ないため消火できないといった無力感、そういった人々の背後に響くヘリコプターの爆音や鳴り止まないサイレンの音などが記録されており、被災当日の様子がよく伝わっていました。

更に、被災地の人々が非常に冷静であり、出会った人々がカメラマンの質問に対し、淡々と答えていました。落ちた道路上を走っていたドライバーがその状況を説明していたのが特に印象深く感じました。また、被災地でのスーパーでも買い物をする順番を秩序正しく待っている様子も印象的でした。

番組は1月17日の暗くなった神戸三宮の様子と朝から火災が続いている神戸長田の様子を放送して終了しました。

そして、神戸市役所の南側にある東遊園地で毎年行われる慰霊式典の放送にバトンタッチされました。

過去に囚われすぎる必要はないとおもいますが、次に発生する災害のために、(この番組では述べられていませんが、どう行動すべきか等の対処方法も含め、)こういった記録や記憶は大切に後世に残すべきではないかと感じました。

2015年1月17日土曜日

阪神淡路大震災から20年経ちました。

阪神淡路大震災から20年経過しました。
今回は1995年1月17日の朝の話をしたいと思います。

当時は私は会社の社員寮があった大阪府高石市に住んでいました。海岸線が目と鼻の先にあり、付近には旧国道26号線があります。また、震災から10ヶ月後にセアカゴケグモが初めて発見された高石斎場の近くでもありました。

当日は火曜日で、ちょうど成人の日(1月15日)が日曜日と重なり、1月16日が振替休日となり、3連休となっていました。(今では成人の日が1月の第2月曜日にあてられているため、3連休は当たり前になっていますが、当時は1月15日固定だったので、3連休になると嬉しかったものです。)

通常であれば、6時半頃に目覚めるところですが、不思議なことに午前5時45分に目覚めました。しかも、前日はどちらかというと夜遅くに就寝したというのに。
「なんでやろ、こんな朝早くに起きるなんて。」と呟きながら、1分間ほど天井をぼーっとして見つめていると、突然、今までに経験したことのない強さの震動が襲ってきました。

「あかん、これはでかい地震や。震源地、この辺に間違いない。」
眠気は一気になくなったものの、動揺していたのか、頭だけをこたつの中に入れながら、震動が収まるのを待ちました。

震動が収まった後、早速テレビをつけ、NHKにチャンネルをあわせ、情報収集を行いました。各地の震度が報道されており、大阪は4(体感的にはそれ以上に思えましたが。)、京都は5、豊岡は5、彦根は5,姫路は4となっており、どうやら大阪が震源地ではなかったことがわかりました。しかしながら、このとき神戸の震度が表示されておらず、違和感を覚えたものです。その後、震度6が出て、神戸付近が震源地であることが判明し、更に震度7に修正され、この地震がとんでもない地震であることを認識しました。

時間が経過すると、神戸市内及び阪神地区の被害が明らかになってきました。三宮にある多くのビルの倒壊、グチャグチャに倒れている阪神電車、倒れている阪神高速3号神戸線、炎とともに黒煙をあげる長田の市街地がテレビから伝わってきました。

そうしているうちに出勤時間が近づいてきました。本来、新入社員であった私が事務所の鍵を持つことはなかったのですが、たまたま、責任者がその前の週の12日から13日(木曜日、金曜日)に風邪で休んでおり、私が鍵を持っていました。
南海電車も地震後の点検のために運転を見合わせていましたが、事務所のある石津川駅と社員寮のあった高石駅の距離はそう遠くなく、また、中間にある駅の一つである浜寺公園駅の近くには実家があり、そこに通うために自転車を浜寺公園駅前駐輪場に置いていました。
そこで、浜寺公園駅まで歩き、そこから事務所へは自転車で向かいました。誰もいない事務所に到着し、鍵を使って中に入りました。被害状況を確認すると、自分のPC-9801UV2のキーボードが少し傷ついた以外は被害はなく、安心しました。
その後、8時25分頃になると、一斉に事務所の複数の電話が鳴り始めました。全て、職員の遅刻を伝える電話でした。1時間後、所長が出勤し、残りの職員が出勤してきましたが、その日はあまり仕事になりませんでした。

この地震は自身が体験した1995年の出来事としては、一番印象に残っている思い出となっています。しかし、この地震と同じぐらいの衝撃を受ける事件がこの2ヶ月後に起こるとは思いませんでしたが。

2015年1月1日木曜日

2015年の挨拶

皆様、2015年になりました。今年は個人的な諸般の事情により、正月恒例の挨拶ができませんが、よろしくお願い致します。しかしながら、皆さんは2015年を実感していると思いますが、私は今この時には2015年になったという実感があまりなく、おそらくあと1時間経過したら、2015年を実感するものと思います。

さて、今年の目標は次のものをしたいと思います。

  • 昨年同様、月に2件以上更新していきたいと思います。特に毎月2件以上更新したいと思います。
  • 新阪堺サイトを4月1日にオープンしたいと考えています。
  • 全国の路面電車のうち、前面眺望動画を半分は撮影したいと思います。
  • YouTubeのShrike's Channelにおいて、2009年から2010年にかけて行った全国併用軌道巡りの動画を3つ以上アップしたいと思います。
今年の年末年始は日本の路面電車巡りができないので、1/1~1/3は久しぶりに寝正月をしようと思います。初詣は前述のとおり、個人的な諸般の事情及び周りに神社がないので、春めいてから行きたいと思います。