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2009年9月15日火曜日

大阪-西脇紀行(第4回)(8/30編)


「大阪-西脇紀行」の第4回目です。今回、再び阪急電車に乗ります。しかし、よく見てください、神戸本線ではなく、宝塚本線です。
今回は、前回の予告通り、阪急宝塚本線と阪急バスで有馬温泉へ行き、ゆっくりと日本三古湯のひとつに浸かり、疲れを癒した後、西脇に戻ることにします。
利用する交通機関は次の通りです。

梅田
↓ 阪急電鉄・宝塚本線
宝塚(宝塚駅前)
↓ 阪急バス(宝塚駅前~有馬温泉)
有馬温泉バス停
↓ 徒歩
銀の湯
↓ 徒歩
金の湯
↓ 徒歩
有馬温泉駅
↓ 神戸電鉄・有馬線(有馬温泉駅~有馬口駅)
有馬口駅
↓ 神戸電鉄・有馬線(有馬口駅~鈴蘭台駅)
鈴蘭台駅
↓ 神戸電鉄・粟生線
粟生駅
↓ JR西日本・加古川線
西脇市駅
↓ 神姫バス
アピカ西脇(旧鍛冶屋線・西脇駅)



梅田駅から宝塚駅までについて述べようと考えていたのですが、宝塚本線に乗っている間、爆睡してしまい、気づいたら宝塚駅でした。
宝塚駅に降りると、西宮名塩駅経由の有馬温泉行きの阪急バスが停車していました。景色を楽しむのなら蓬莱峡経由が良いのですが、時間もないので、これに乗ります。ただ、エコロジーのためなのか、バスのエンジンが切られていたので、冷房もなく、30℃を超えるバスの中では汗だくになってしまいました。


 

宝塚駅前を出発してすぐの頃は降車客も多かったのですが、バスが中国自動車道のそばまで来ると、降車客はほとんどいなくなり、少ない乗客がバスに乗り続けます。もしかして、これらの人たちは私と同じ有馬温泉を目指しているのかな、と思いつつ、西宮名塩駅前を通過し、半時間ぐらいバスが狭い道を進んでも、降車客はほとんどおらず、結局ほぼ全員が有馬温泉バス停まで乗車していました。



猿回しを見た後、目的である有馬温泉入湯を行います。有馬温泉には赤茶色をした金泉と透明な銀泉があります。まず、銀泉の外湯である「銀の湯」に入ります。温泉にはいるとやや白濁した透明な湯が張ってあり、非常に気持ちがいいです。効能はとにかく、癒されました。



続いて、金泉の外湯である「金の湯」に入ります。こちらは、赤茶色した湯が張ってあり、湯船の底が見えません。慎重に足を運ばせながら、肩まで湯につかります。何となく熱かったような気がしますが、気持ちが良かったので、良しとします。ただ、着色させないため、タオルは湯につけないように、頭の上に置きます。



温泉も十分に入ったので、炭酸煎餅を購入し、神鉄に乗り、西脇方面へ向かいます。まずは盲腸線状態になっている有馬線の一部である有馬温泉~有馬口間の電車に乗ります。



有馬口駅に到着すると、準急新開地行きが待っていましたので、ホーム上で素早く乗り換えます。



鈴蘭台駅まで準急新開地行きに乗り、そこから地下道を通り、粟生線を走る準急粟生行きに乗り換えます。



のんびりと、車内でくつろぎ、粟生駅に到着する頃には日没直前となっており、JR加古川線のホームに移り、改造された103系が到着する頃にはすっかり暗くなってしまいました。



半時間ほど、電車に揺られ、無事に西脇市駅に到着しました。ここからは神姫バスでアピカ西脇に向かい、自宅に戻ります。
次回は全てJRで帰ろうと思います。

2009年9月13日日曜日

お盆休み・九州縦断の旅(終章)広島市内~西脇帰還


平和記念公園すぐ隣にある某ホテルに一晩宿泊し、疲れもとれたことなので、市役所前電停、御幸橋電停及び元宇品口電停と高規格電停に改修された電停を中心に撮影し始めました。これらの写真は既に「しゅらくの日本全国路面電車の旅」にてアップ済みです。



折角、広島市に来ましたので、「Tramway Killer号」の第4のターゲット、広島電鉄の1号線(広島港→紙屋町東→広島駅)と5号線(広島駅→比治山下→広島港)の併用軌道並走を始めました。(広島はとても残りの時間で全併用軌道並走はできません。)
6年間在住した広島市なので、基本的に道はしっかりと頭に入っています。落ち着いて運転することができました。ちなみに上の写真は紙屋町東電停で、八丁堀方面を向いています。



何より、広島の路面電車の特徴は運行本数が多いこととグリーンムーバーmaxをはじめとする車体の長い連接車が多いことです。蛇のようにくねらす連接車は車にとっては脅威でしかありません。



無事に予定の広電撮影も終わり、いよいよ西脇へ帰ります。山陽自動車道に乗り、小野方面を目指していたのですが、やはり渋滞の洗礼が待っていました。特に事故に関する渋滞が多かったように思います。2回、休憩をとり、その2回目の休憩場所である道口PAを発った後、播磨JCTの先で10km以上の渋滞を知りました。「これはいけない。」と急遽、岡山JCTから岡山自動車道に乗り換え、中国自動車道へのルートへ切り替えました。しかし、この岡山自動車道は途中から対面通行となり、強制自動車教習、第7課「対面通行の高速道路教習」が始まりました。
中国自動車道に乗り換え、アップダウンが続き、カーブが多い高速道路を進んでいたにもかかわらず、平気でいられたのも九州自動車道での経験が生きたからかもしれません。夕方が近づき、滝野社ICの文字が見えたときはようやくゴールにたどり着けそうだという気持ちでいっぱいになりました。
高速道路を降り、一般道である国道175号線を走っていると、この町は何と交通量や歩行者が少なく、運転しやすいところなんだろう、と思えるほどでした。
自宅に戻り、ゆっくりと休むことにしました。疲れましたが、色々と楽しかった旅でした。ちなみに、出発時は走行距離1200km程度だったと思いますが、帰宅時には2700kmになっていました。
(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

お盆休み・九州縦断の旅(断章その3)長崎~広島編


長崎市内を出発し、再び長崎自動車道に乗り、長崎空港へ向かうバスのことをふと思い出しました。そういえば、長崎自動車道は大村湾のそばを通っていたな、と。そこで、ほとんど思いつきで大村湾PAに立ち寄りました。やはり、大村湾のすばらしい景色が広がっていました。
そうしているうちに長崎自動車道から九州自動車道へ順調に走行していたのですが、天候は悪化していき、遂に大雨が降ってきました。まさにバケツをひっくり返したような雨となり、ワイパーを最速にしてようやくフロントガラスに雨粒が残らない状態となり、しかも前方の車がまき散らす水しぶきのため、前の視界は悪くなる一方でした。ここに強制自動車教習、第6課「大雨の高速道路教習」が始まりました。
その大雨の後、8月12日に地滑りによる通行止めが解除された福岡IC~太宰府IC間での速度制限による渋滞が待っていました。



渋滞のあまり、疲労した私は直方PAで休憩することにしました。実は、この先も渋滞とのことなので、英気を養うという意味合いもありました。
この直方PAのすぐそばを山陽新幹線が走っており、鉄分が不足気味の私にはうれしい場所でした。上の写真は博多に向かうごだま号と新大阪に向かうひかりレールスター号です。
ちなみに、路面電車の車両を用いて運行する筑豊電気鉄道が直方PA付近で九州自動車道と立体交差しているのですが、筑豊電気鉄道は併用軌道はなく、全線新設軌道(専用軌道)なので、「Tramway Killer号」のターゲットではなく、そのまま通過しました。



やはり、予想通り渋滞に巻き込まれ、時間のみが過ぎていく中、ようやく関門橋が見えてきました。めかりPAに立ち寄り、関門橋をじっくりと撮影しました。



めかりPAの建物と関門海峡の写真です。しかし、こんな建物あったかなあと、帰宅して過去の写真を探していると。



ありました。よくみると同じ建物が上の写真に小さく見えていました。なお、上の写真は2008年5月3日に撮影したものです。このときの記事は「2008年黄金週間・第8日目」にあります。
関門橋を渡り、九州から本州へと戻ってきました。中国自動車道、山陽自動車道と順調に進むものの、疲労は溜まっていき、休憩する間隔も短くなってきました。宮島付近で日没となり、三度、「夜の高速道路教習」となりました。暗くなりながらも、先に進み、いよいよ廿日市JCTから廿日市ICへ抜け、気力を振り絞って西広島バイパスに入りました。
西広島バイパスは学生時代、昼間。車に乗せてもらったときに恐いと感じた道です。自動車の通行量は多く、走行速度も速いため、できれば避けたいと思っていた道でしたが、今回はその上夜間走行です。しかし、どうにか無事にホテルまでたどり着けました。立体駐車場に車を預け、夜の広島の街に出かけました。広島に到着したとたん、不思議と疲労が取れました。やはり、第二の故郷なのでしょうか?翌日は広島市内を回った後、西脇に戻ります。
終章につづきます。

お盆休み・九州縦断の旅(本章その5)長崎市内編


一夜明け、早朝に目覚めた私は近くにある出島まで散歩しました。鹿児島、熊本と晴れが続いていましたが、まるでこの日の厳しい旅路を暗示するかのように、長崎は今にも雨が降り出しそうな曇り空でした。



長崎市内での目的、「Tramway Killer号」の第3のターゲット、長崎電気軌道の全併用軌道並走を始めました。今回は鹿児島、熊本の反省をもとに、カーナビには頼らず、長崎市内を回る道路を頭にしっかりたたき込んで、臨むことにしました。
長崎は鹿児島や熊本と異なり、狭い道路に軌道敷があるところが所々あり、鎖国時代に日本の玄関口であった出島の前の道路では軌道敷内を走行しました。なお、ここでは自動車は軌道敷内進入可となっています。



また、トンネルではないですが、トンネルのような場所も走行しました。



しかし、基本的に長崎は道幅の広い道に軌道敷が敷設されているので、走りやすい道路が多いです。



たまに、こういうことも生じます。同じ車線上に大型の路線バス、軌道敷には路面電車に止まられると、前の様子がほとんどわかりません。



ここは長崎の中心部、浜んまちにある観光通電停です。朝早く走っているので、あまり人がいませんが、昼間以降は人でいっぱいになります。



その観光通電停のすぐそばにあるベルナード観光通りは午前10時以前は自動車通行可だったので、通りましたが、商店街を車で通行するのはやはり緊張します。



ベルナード観光通りを出て、中島川沿いの併用軌道では、左前方には駐車している車、右前方には5系統石橋行路面電車、右隣には4系統正覚寺下行路面電車がおり、前方の狭い範囲を右の路面電車に気を配りながら通り抜ける羽目になりました。ふ~、やれやれ。(こんなところに車を駐めるな!!!)
とにかく、長崎電軌の全併用軌道を無事に並走しました。時間も頭に道をたたき込んだこともあり、比較的早く終えることができました。
こうして、長崎を後にしましたが、実はここからがこの旅でもっとも過酷なドライブとなりました。
断章その3に続きます。
(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2009年9月12日土曜日

お盆休み・九州縦断の旅(断章その2)阿蘇~長崎編

阿蘇を後にし、まず九州自動車道に向かうため、来た道を再び反対方向に向かい、進みました。しかし、当然ながら、渋滞が発生しており、再びゆっくりと進まざるを得なくなりました。
しかしながら、都市部に近づくと、2車線となり、車は流れるようになりました。ただ、日没の時間がもう迫っており、2日連続で「夜の高速道路教習」となりました。



高速道路上でも渋滞が発生しており、なかなか車は進みません。そのため、疲労が溜まり、鳥栖JCTを過ぎた後、山浦PAでゆっくりと休憩しました。
休憩後、再び長崎に向かい、いくつものトンネルを通り、長崎自動車道からながさき出島道路へと車を進め、最後のトンネルを抜け、長崎電軌の路面電車を見たとき、ようやく長崎市中心部に入ったことを確認し、ようやく安堵しました。
ホテルに到着すると、早速、ベッドの上で寝てしまいました。やはり疲れていたのでしょうね。
本章その5に続きます。

お盆休み・九州縦断の旅(本章その4)阿蘇山編

熊本市電撮影で多少、時間的余裕がなくなったものの、桜島に続き、阿蘇山に向かいました。
熊本市内からしばらくの間は2車線の道路でしたが、途中から1車線となりました。そこからが大変で、渋滞のため、少しずつしか車が動かなくなりました。強制自動車教習第6課、「1車線での長時間渋滞教習」が始まりました。CDの音楽を何回繰り返して聞いたことでしょうか。



渋滞は阿蘇山の近くに来ても続いており、私の疲労もかなりたまってきました。



そうしていると、阿蘇山ロープウェーのりば(阿蘇山西駅)が見えてきました。一応、車で火口付近まで行くことはできるのですが、渋滞が延々と続いているのが見えているため、ここで車を諦め、ロープウェイで火口付近まで行きました。



疲れているにもかかわらず、なぜか心躍る気持ちでロープウェイに乗りました。つくづく思いました、やはり公共交通機関の方が良いと。



ロープウェイに乗り、4、5分で火口西駅に到着します。駅を降りると、警告表示があり、パトライトの色を見ると、なんと黄色!赤の一歩手前でした。特に喘息持ちでもないので、注意して火口に近づくことにしました。



火口に近づくと、ここはマジノ線か?と思わせるトーチカに似た避難壕がたくさん設置されていました。噴火の際、避難壕に逃げ、降ってくる噴石等をそこで避けるようです。背景には噴煙が上がっています。少し緊張してきました。



いよいよ火口付近に来ました。植物は一切生えておらず、辺りは卵の腐ったような臭いがほのかに感じられ、噴煙も絶えませんでした。切り立った断崖の下には、青緑の水をたたえた火口付近のカルデラ湖も見えています。



火口付近にはわずかな時間だけ滞在し、いよいよ阿蘇山を下山することにしました。駐車スペースがあったので、杵島岳を撮影しました。



ここはどこかは忘れましたが、背景に写る外輪山が印象的だったのを覚えています。外輪山を見たとき、阿蘇カルデラの大きさを強く感じました。
では、次の目標地点、長崎市まで向かいます。ここから4時間弱かかります。
断章その2に続きます。

2009年9月9日水曜日

お盆休み・九州縦断の旅(本章その3)熊本市内編


睡眠を十分にとることができ、翌日は爽快な気持ちで迎えることができました。車はしばらく立体駐車場に預けたままとし、しばらく通町筋付近と熊本城付近を彷徨くことにしました。
まずは通町筋で今回の目的でもある熊本市電新形超低床車0800形を撮影しました。その姿は富山ライトレールのポートラム、万葉線のアイトラムにそっくりです。



通町筋にいるので、定番の写真を撮影し、いよいよ写真の背景にある熊本城に向かいます。今回は天守閣と、最近復元された本丸御殿へと向かいます。



坂を上り、熊本城の天守閣にやってきました。熊本城の天守閣は写真左の大天守と右の小天守があり、時間の都合もあり、大天守に登り、熊本市中心部を眺めることにします。



天守閣は多くの展示物があり、それらを見た後、大天守の最上階にたどり着き、熊本市内を一望しました。上の写真は通町筋を大天守より撮影したものです。



大天守の次は復元された本丸御殿に向かいました。



さすがに復元されたばかりとあり、全体がきれいでした。特に本丸御殿最深部にある「昭君之間」はさすがに藩主との会見場だけあり、非常に煌びやかでした。ちなみに昭君とは中国・前漢元帝の時代に現在のモンゴル地方にいた匈奴の単于に嫁いだ王昭君のことであり、王昭君が向かっている方向にはモンゴル風の衣装をまとった人物が描かれています。



熊本城見学も終わり、再び車に乗り、「Tramway Killer号」の第2のター
ゲット、熊本市電の全併用軌道並走を始めました。やはり、市内中心部は道路は広いものの車の往来は多く、路線バスもたくさん走っているため、鹿児島の天文館通同様、通町筋も走りにくいです。



今回は時々、道を間違え、時間がかかったものの、並走の目的を無事果たし、いよいよ阿蘇山に向け、車を転進させました。しかし、右隣に路面電車がいるのは怖いですね。
本章その4に続きます。
(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

お盆休み・九州縦断の旅(断章その1)鹿児島~熊本編


鹿児島市中心部を後にし、九州自動車道に沿って熊本へ向かいました。途中の桜島SAでは既に5時近くになっており、強制自動車教習第4課、「夜の高速道路教習」が決定的になりました。
鹿児島と熊本の距離は意外とあり、結構な時間がかかりました。しかも、高速道路はトンネルが多く、しかもかなりカーブが多いため、運転がしにくいものとなっています。それにもめげず、とにかく熊本を目指していたのですが、遂に八代付近で日没となり、「夜の高速道路教習」が始まりました。



慣れない夜の高速道路運転だったため、益城熊本空港ICの手前、緑川PAでしばしの休憩をとることにしました。しかし、益城熊本空港ICに降りた後に第5課「都市内複数車線夜間走行教習with熊本市電」が待っていました。熊本市内は車が多く走っている上に、なんとなく車線の幅が狭く感じ、しかも途中から熊本市電が並走するようになり、これにはさすがに参りました。最後に熊本市の繁華街である銀座通りを通り、立体駐車場に車を駐車させ、ようやく1日が終わりました。ホテルに入ると速攻で眠りにつきました。
しかし、まだまだ強制自動車教習は続きます。
本章その3に続きます。

2009年9月8日火曜日

お盆休み・九州縦断の旅(本章その2)鹿児島市内編

 

桜島フェリーに乗り込むことができ、桜島を後にします。フェリー上で少し休憩することにしました。桜島上空もようやく晴れ始め、御岳が見ることができるようになりました。



次の写真は22年前の1987年(昭和62年)3月の高校の修学旅行時の桜島の写真です。桜島はあまり変化していないように見えます。
桜島フェリーも鹿児島港に到着し、再び車に乗ることになりました。いよいよ「Tramway Killer号」の最初のターゲット、鹿児島市電の全併用軌道並走を始めました。そして、強制(?)自動車教習第3課「併用軌道走行教習」が始まりました。



鹿児島駅前よりスタートし、高見馬場、鹿児島中央駅前、郡元、涙橋と進むことにしました。基本的に軌道敷のすぐ左側の車線を走っていましたが、そのとき感じたことは路面電車がとにかく威圧感があることです。歩行者や乗客として路面電車を見たときはそう感じませんでした。おそらく、それは車を運転しているとき、目線が低くなっているからかもしれません。
特に、上の写真のように、天文館通付近で左の大型路線バス、右の路面電車に挟まれているときは生きた心地がしませんでした。



その後も鹿児島市電の併用軌道部分の隣を順調に並走しました。車もたくさん走っていましたが、幸いなことに前日の大阪市内走行の免疫があったため、ある程度は落ち着いて運転することができました。
しかし、郡元電停交差点で右折するときに、軌道敷に入らないように慎重に待機していると、鹿児島駅前行きと谷山行きの電車が目の前ですれ違ったため、さすがに緊張しました。



無事に鹿児島市電の全併用軌道走行は完了し、市役所前より城山に向かいました。鹿児島市には何度か来ていますが、城山に行くのは今回が初めてです。上の写真はその城山の展望スペースから桜島と手前の鹿児島市街を撮影したものです。
自分で選んだこととはいえ、この鹿児島市中心部では併用軌道のある道路走行教習となりました。城山でしばらく休憩した後、次の熊本市へ九州自動車道で向かいました。しかし、私の強制自動車教習はまだまだ続きます。
断章その1に続きます。
(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。