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2011年12月31日土曜日

今年もあとわずかです。

さて、2011年もあとわずかとなりました。 今年も年末恒例の友人との食事を行い、久しぶりに映画も見ました。 映画はYouTubeでプロモーションビデオのような動画を上げた「けいおん!」でしたが。 今年も色々ありましたが、来年こそは良い年であることを願います。

2011年12月29日木曜日

自作パソコン製作③


購入したCPUであるCore i7 2600K(左側)には空冷式のCPUクーラーが附属していますが、今回は使用しません。



このマザーボード(P8Z68-V PRO/GEN3)に前述のCPUを取り付けます。上の写真では上半分の中央部分にCPUソケットがあります。
では、静電気を除いてから、CPUを取り付けます。



上の写真がCPUソケット(LGA1155)のカバーを取り外し、レバーを引き上げたところのものです。この上にCPUを載せて固定させます。CPUの四隅のうちの一つに▲印があるので、その▲印が上のCPUソケットの左下がくるように設置し、金属の枠を下ろし、レバーを下げて固定させます。



これでCPUがマザーボードに取り付けられました。後はCPUを冷却するためのクーラーを取り付けます。とはいうものの、今回は一体型簡易水冷クーラー(APSALUS120)を使用するため、クーラーをマザーボードに取り付けてから、PCケースに入れるのはラジエーター部分が邪魔になり、難しそうです。



上の写真はCPUクーラー、ラジエーター及びメモリ(DDR3 1600MHz 4GB)をマザーボードに取り付け、PCケースに固定させた状態のものです。途中、様々な工程があり、組み立てながら撮影するのは結構大変でしたので、写真撮影を省略してしまいました。すみません。
ということで、文章による説明となります。まず、CPUクーラーを固定する土台の一部であるバックプレートをマザーボード裏側に取り付けます。このとき、バックプレートはマザーボードの4つのねじ穴に合うようにします。なお、土台は前述のバックプレートと表側に取り付けるリテンションリングで構成されています。
ここで一旦、CPUクーラーの取り付け作業は中断し、次に、マザーボードにメモリを4枚、メモリスロットに入れ、固定しました。メモリには方向があり、スロットの凸の部分とメモリの凹の部分を合わせる方向に向け、スロットのレバーを倒し、メモリをスロットに入れます。メモリを差し込むと、スロットのレバーが立ち上がり、メモリが最後までしっかりと差し込まれると、レバーが元の位置に立ち上がります。
メモリ取り付け後、マザーボード附属の入出力部分に蓋をするQ-shieldをPCケースに取り付けた後、マザーボードを正しい向きに置き、ネジ9本で固定します。

マザーボードを固定した後、CPUクーラーの取り付け作業を再開します。冷却部分とポンプ部分にあたるヘッドユニットと土台の一部であるリテンションリングをかみ合わせ、ヘッドユニットのグリス塗布面をCPU上部に接着させ、リテンションリングのネジをバックプレートのネジ受けに差し込み、締め付けて、マザーボードに固定させます。
更に、PCケースの背面にあるファンを外し、代わりにラジエーターをPCケースに取り付け、そのラジエーターの内側に先程取り外したファンを排気側がラジエーターになるように取り付けます。なお、ラジエーターの向きは管が邪魔にならないように上の写真のように配置しました。
これでCPUクーラーの取り付けが完了しました。
次回はSSDとHDDの取り付けになります。

2011年12月25日日曜日

自作パソコン製作②

いよいよパソコン製作のため、数回、大阪・日本橋へ出かけ、パーツ集めを行いました。使用するバーツは下記の通りです。

CPU: Intel Core i7 2600K(3.40GHz)
(CPUクーラーAPSALUS120(一体型簡易水冷ユニット))
M/B: ASUS P8Z68-V PRO/GEN3
Memory: Team DDR3 1600MHz 4GB×4(16GB)
SSD: crucial M4SSD 256GB×2(raid 0で使用)(システム用)
HDD: Western Digital 3TB(回転数5400rpm、キャッシュ64MB)×2(データ用)
光学ドライブ: Sony BD-5300S+S
グラフィックボード: SAPPHIRE Radeon HD 6950 flex editon
(6代目デスクトップPCより流用)
サウンドカード: Creative SOUND BLASTER X-Fi Titanium HD
(光学ドライブ以外で)5インチベイに入れるもの:
 マルチフロントI/Oパネル
 SATAリムーバブルケース
 KAZE SERVER KS01-BK
ケース: Antec P183
電源: SilverStone SST-ST75F-G
OS: Windows 7 Professional 64bit版

今回の7代目デスクトップPCでは第2世代「Sandy Bridge」かつオーバークロックもでき、価格もそこそこのCore i7 2600Kを採用しました。このオーバークロック対応かつCore i7に組み込まれているGPUを利用するため、マザーボードはIntel Z68チップセットを搭載したASUS社製のP8Z68-V PRO/GEN3を選択しました。また、このマザーボードがSATA 6Gbps、raid対応であり、後述のSSDの速度も生かせると考えたからです。更に、CPUを十分に冷却するために、一体型簡易水冷ユニットを用います。
メモリは余裕の16GBとし、システム・アプリケーション用にraid0でSSDを512GBとし、(バックアップ分も含め)データ保存用にHDDを3TB、2台用意しました。
光学ドライブにはSony製のブルーレイディスクドライブ(読み込みだけでなく、書き込みもできるもの)を使用します。
グラフィックボードは既にWindowsエクスペリエンスインデックスで7.9をたたき出している6代目デスクトップPCに使用しているものを流用することで、支出を抑え、MIDI打ち込みやTHX承認のONKYO製AV Center TX-NA609の能力を発揮させるため、THX承認のサウンドカードを用います。
その他、カメラやビデオで撮影した写真や動画を容易にPCへコピーするため、マルチフロントI/Oパネルを5インチベイに入れます。また、大震災などの災害時に容易にデータ用HDDを持ち出せるようにSATAリムーバブルケース、PCケースの温度を管理するため、KAZE SERVER KS01-BKも入れます。
PCケースはこれらのパーツが入り、電源とマザーボードが分離し、配線用のスペースがあるものを選びました。そして、このPCケースは外見が比較的良く、なおかつ「痛い絵」の塗装もしくはラッピングが容易にできるところも重要なポイントです。
電源は750Wの80PLUS GOLDで電気ケーブルがコネクタで接続できるものを選びました。
モニタは6代目デスクトップPCのものを継承し、SonyのBRAVIA(26インチ)とLGのモニタ(24インチ)×2台によるトリプルモニタとし、スピーカーシステムも同様に継承し、前述のONKYOのAV Center TX-NA609を中心としたフロント、リア及びセンタースピーカーの5ch(将来的にはサブウーハーを加え、5.1chにする予定)の贅沢なPCシステムとします。
では、PC本体に用いるパーツを写真で紹介します。


まず、CPU(手前)とマザーボード(奥)のパッケージです。



CPUに取り付ける水冷式のクーラーです。



続いて、メモリ(手前)、SSD(奥・左)及びHDD(奥・右)です。



更に、サウンドカード(手前)及びグラフィックボード(奥)です。



また、5インチベイに入れる予定のものです。



ちなみに、PCケース(下)と電源のパッケージ(上)です。



最後にマウス(手前・左)、キーボード(奥)及びWindows7(手前・右)です。

ではPCを組み立てることにします。

2011年12月13日火曜日

自作パソコン製作①

久しぶりに自作パソコンを製作することにしました。自作パソコンとしては2台目の挑戦です。これまで私が購入もしくは製作したデスクトップPCは6台なので、次のPCが7台目となります。
今回のPCのテーマは「痛くする」です。中身を高性能にすることで財布が軽くなることで痛くなるという意味もあるのですが、 外見もラッピングして痛くするという意味もあります。ということで、次回から製作の様子をお伝えします。

2011年12月4日日曜日

島村楽器 COOL-Z ZST-1M/STS

今日は某サイトのように物品の紹介です。


今回はエレキギターです。ストラトキャスタータイプのギターで、島村楽器のオリジナルブランドですが、実際には長野県松本市にある「フジゲン」というギタークラフトがOEM生産しているものです。つまり、日本製です。
サークルフレッティングシステム(以下、C.F.S.)と呼ばれる円弧状フレットテクノロジーを採用しており、弦とフレットを直交させることにより、1弦から6弦の各フレットにおける弦間の距離が同一となり、正確なピッチ感が得られるとのことです。
また、エリートフィニッシュと呼ばれる全てのフレットの両端を丸く仕上げることにより、ネックを握ったときのスムーズな運指を実現されるとのことです。
とはいえ、吾四十而弾吉他(われ四十にしてギターを弾く)という状況で、まだろくに弾けないため、正確なピッチ感が元々ないし、左手はろくに動かないので、スムーズな運指はできていません。とはいえ、ある程度弾けるようになると、解ってくることかもしれません。
ボディにはアルダー材、ネックにはメイプル材を使用しています。
とにかく、今はあまり弾けませんが、オーバードライブで歪ませて、パワーコードでブリッジミュートをかましながら弾いていくと、アンプから
ジャーン、ズン、ズン、ズン
が響いてきます。
これよ、これ!これぞエレキギターの音
打ち込みでは味わえない本物のエレキギターの音が聞けるだけで今は幸せなしゅらくでした。うまく弾けるようになるともっと面白くなるような気がします。
ただ、今は左手が痛いです。


東京出張なので、久しぶりの荒川線


2011年11月25日から26日かけて東京に出張して参りました。
大塚駅前で宿泊したのに、都電荒川線を無視するのは失礼なので、26日朝、撮影しました。
とにかく、しんどかった~。

これでは血糖値が上昇する~!

事の始まりは2011年11月22日の終業後のことです。
このときに、同じ職場のkiribooさんと私の一押しの堺浜の回転寿司に一緒にいくこととなり、そのついでに堺のスイーツを巡るということになりました。
翌23日となり、ひねくれ者の私は国道372号線、国道173号線及び阪神高速池田線で堺に入ろうとしましたが、素直なkiribooさんの希望もあり、中国自動車道及び阪神高速池田線で入ることになりました。運転手は私で、車掌、もといナビゲーターはkiribooさんで我が愛車「Tramway Killer号」に乗って行くこととなりました。そのため、「only my railgun」「God knows ...」や「NO, Thank You」といったkiribooさんには馴染みのない曲を強制的に聴かせてしまうことになってしまいました。すまんのう~、Kiribooさん。



堺へ行くための阪神高速環状線の位置取り(右から2番目をキープ等)の話を偉そうにしながら、堺の石津へと向かいました。そこで大阪の事業所のMさんと合流し、上図の堺浜シーサイドステージにある回転寿司に向かいました。



大きな地図で見る



回転寿司を満喫した後、旧堺市街に入り、上図のかん袋で上写真の氷くるみ餅を食し、すっかり満足してしまいました。ちなみに「かん袋」には駐車場があるので、車で来ても混雑していない限り大丈夫です。なお、写真は今回の堺行きで撮影したものではなく、以前に撮影したものです。以後のものについても記述がない場合、以前のものを流用しています。
はっ!そういえば前回Mさんを案内したときと全く同じコースになってしまいました。Mさん、次回は別の店にするようにします。


 

Mさんとはこれで別れたのですが、このときに諏訪ノ森の美のやのスイートポテトを頂くことになろうとは。Mさんありがとうございます。「kiribooさん、これはもうぜいたくやで。くるみ餅ばかりでなく、スイートポテトまで食べることができるなんて。でも折角やから、八百源来弘堂の肉桂餅も食わなあかんな。1個210円やで。でも美味しいで~。」
この「美のや」には駐車場はないので、南海電車か阪堺電車を利用した方がいいと思います。




与謝野晶子の出身校である泉陽高等学校を横目で見ながら、狭い一方通行の道が入り、八百源来弘堂に到着しました。堺の旧市街地は南側は戦時中の堺大空襲で焼けてしまいましたが、北側の一部は焼けなかったところがあるため、狭い道が入り組む状態になっています。
この「八百源来弘堂」にも駐車場がない上、南側へ向かう一方通行の狭い道の前に店舗があるので、阪堺電車の利用がいいと思います。私はkiribooさんを店舗の前で降ろし、その場所をしばらく離れ、再びkiribooさんを店舗の前で拾いました。





「おっ、15時10分前や。近くのプランタンで夕張メロンパンが焼き上がるから買うて帰ろうか。」
NTTの裏にあるコインパーキングに車を駐め、焼きたての夕張メロンパンをプランタン工房で購入しました。この夕張メロンパンは中に夕張メロンをたっぷり入れたクリームが入っており、絶品です。ただし、炎髪灼眼の討ち手のようにメロンパンの内部に何かを入れるのを邪道とする人には向かないかもしれません。
このプランタン工房にも駐車場はありません。阪堺電車の利用をお勧めします。車を利用する方は近くのコインパーキングに駐車するのが良いと思います。




さて、用件が大分すんだので、
「芥子餅、大寺餅、最中もあるけど、時間もおしているから、神戸方面に向かおうか。」と運転を始めたところ、
『あの~、ツマガリに寄りたいのですが。』
「おっ、西宮に寄っていくことにするか。」
ということで、急遽西宮に寄ることになりました。なぜか、ツマガリのある甲陽園で私がkiribooさんに滋賀県豊郷町の「けいおん!」の町おこしの話を解説しながら、ツマガリの上の階にある喫茶カブトヤマに入り、コーヒーと洋菓子を堪能しました。上の写真は当日のものです。男2人で来るのはこれで2回目です。と、欲望のまま購入した和菓子、洋菓子を見て、しばらくこれは甘いものしか食わんことになるなあ。これでは血糖値が上昇する!といっても、後の祭り。しばらくは甘いものが続くことになってしまいました。
スケジュールがだいぶん後ろにずれてきたので、予定していた神戸三宮はパスし、kiribooさんに無理を言って、神戸市西区にある伊川谷へ向かいました。



さくっと、上写真の目的物をゲットし、国道175号線を北上し、西脇に戻りました。kiribooさんお疲れ様でした。
そういえば、今日は12月4日、昨日「けいおん!」の映画が公開されましたね。京阪グループ、USJ、ローソン、ナムコ等あちこちでキャンペーンをしていました。相当、力をいれている証左ともいえるでしょう。
ところで、この記事では当然のことながら、私、しゅらく視線で記述しましたが、kiribooさんの記事は下記にありますので、ご覧ください。
http://kiriboo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-8f86.html

2011年12月1日木曜日

神戸マラソン折り返しイベント中止

2011年11月20日、第1回神戸マラソンが行われ、その折り返し点にあたる明石海峡大橋でラジオの公開録音等のイベントがあるとのことなので、明石海峡大橋のある舞子公園に向かいました。が、残念なことにこの日は強風が吹きすさび、イベントは中止になっていました。



前日(実際には当日未明)のその公開録音の行う予定だった番組中で天候で中止になったらどうしようといったことが語られていましたが、見事にそのとおりになってしまいました。


ゆるキャラのイベントもあったようですが、当然中止となり、各地のゆるキャラたちが明石海峡大橋の下でうろうろとしていたのが印象的でした。

ルーツ探しの旅

ルーツ探しといっても、私のルーツではありません。私の母のルーツです。所用のため、11月12日に徳島から両親が堺へ出てくることになりました。そのついでにルーツ探しのため、神戸を経由するとのこと。ちなみに、私の母は実質徳島県人なのですが、出生地が神戸市の新開地付近という神戸っ子なのです。折角なので、補正予算作成という重要な仕事があったのですが、堺まであのTramway Killer号を乗り付け、神戸まで案内することにしました。
母の生まれた場所の周辺には神戸高速鉄道の大開駅があります。とはいえ、この辺りは1995年(平成7年)の阪神淡路大震災、1968年(昭和43年)の神戸高速鉄道の開通そして1945年(昭和20年)の神戸大空襲により母の生まれたときから随分と変化、というより激変しています。
母の父、つまり私の祖父は戦時下に出征し、肺結核を患い、母が生まれる前に亡くなっています。その後、母の母、つまり私の祖母が神戸を離れ、徳島で母を育てていったとのことです。母によると、戦時中及び終戦直後の混乱もあり、母の父の墓がどこにあるかもわからないとのこと。って私が生まれてから随分と年月が経っているけど、初めて聞いたぞ、その話。結局、母の父の墓の手がかりはわかりませんでした。
それにしても、母の誕生や、神戸大空襲前に祖母と母が神戸を離れる際どさを考えると、私やどりあんの命も結構危ういものだったようです。ちなみに、父も病気がちで抗生物質ペニシリンが入手できるようになったことで死ぬこともなく、健康に過ごせたとのこと。ますますこの命は大切にしないといけないなと改めて感じた私でした。
(でも、私もどりあんも未婚であり、子供もいないので、2人の血統は断絶の危機にはあるのですが。)
ちなみに、両親は因縁の神戸に徳島から出てきたのですが、いろいろなことがあって神戸を離れ、私が生まれる前に堺に住むようになったようです。私のプロフィールにある「神戸っ子になり損ねた堺っ子」とはそういう事情によるものです。