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2010年2月26日金曜日

劇場版「涼宮ハルヒの消失」を見る前に、聖地巡礼を行いました。

 

前回、述べたとおり劇場版「涼宮ハルヒの消失」を見る前に時間ができてしまったので、神戸三宮を一旦離れ、涼宮ハルヒシリーズの舞台となった西宮市にある甲陽園・苦楽園周辺へ行くことにしました。
とりあえず、阪急神戸本線・三宮駅から特急梅田行きに乗り、夙川駅に向かいます。
As written in the previous article, I had time before I watched the movie "The Disappearance of Haruhi Suzumiya". So I left Sannomiya of Kobe for a while, I went to near Koyo-en and Kuraku-en of Nishinomiya City known as a stage of Haruhi Suzumiya's series.
First, I got on a limited express bound for Umeda at Sannomiya station on Hankyu Kobe line and went to Shukugawa station.



夙川駅で甲陽線に乗り換え、甲陽園駅に到着しました。この甲陽園駅から駅の改札を出て、斜め左方向、一時預かり駐車場の方向に向かいます。
I changed at Shukugawa station for Hankyu Koyo line and arrived at Koyo-en station. I passed a ticket gate at Koyo-en station and went for a pay parking lot that is in left front of the station.



しばらく、スロープを上っていくと、階段が現れます。しかし、これはまだまだ序の口です。この階段を登り、右折した後、左折し、住宅街を抜け、丁字路交差点である夙川学院北交差点を右折し、割と急な坂道である県道82号線を登っていきます。
The stairs appeared after I went up a slope for a while. However it was still a beginning. I walked this stairs, turned right. Then I turned left, passed residential area, turned right at the T-junction of Shukugawa Gakuin Kita and climbed on the prefectural road No. 82 that was comparatively the steep grade.




夙川にかかる銀水橋を渡り、夙川学院短期大学の前を通り過ぎ、まだまだ登ります。
ところで、この県道82号線は西宮市中心部から神戸市北区まで続く道路なのですが、甲陽線と平面交差し、夙川学院中学高校のそばを通った後から、急な上り坂が連続します。それも比較的狭い道路です。しかも、この県道82号線は西宮市中心部から有馬方面、宝塚方面そして中国自動車道及び山陽自動車道に向かうのに適したコースのため、自動車の往来が多いです。かくいう私も西脇に住むようになり、この県道82号線を自動車でよく利用するようになりました。
I passed on Ginsuibashi bridge of the Shukugawa river and in front of Shukugawa Gakuin College. I still climbed.
By the way, the prefectural road No. 82 runs from Center of Nishinomiya City to Kita Ward of Kobe City. It has a grade crossing with Hankyu Koyo line and there is a continuously steep and narrow acclivity in north by the Shukugawa Gakuin High School. Additionally, because it is suitable that we drive from Center of Nishinomiya City for Arima area, Takarazuka City, the Chugoku Highway and the Sanyo Highway, many cars run on the road. After I live in Nishiwaki City, I also use this prefectural road No.82 often when driving a car.




20分ほどハイキングをすると、舞台となった西宮北高等学校が見えます。しかし、明らかに目的地は上の方にあります。
「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅱ」でキョンが早朝強制ハイキングコースと表現し、「サムディ イン ザ レイン」にて、光陽園駅(甲陽園駅)から2つ先にある祝川駅(夙川駅)にある大森電気店へ電気ストーブを取りに行き、それを学校まで持ち帰るように涼宮ハルヒに言われたときに嫌そうにしていたのがわかるくらいハードな通学路です。
After I hiked for 20 minutes, I could see Nishinomiya Kita Senior High School known as the stage. But the destination was above clearly.
Kyon expresses as an early hiking course in "The Melancholy of Haruhi Suzumiya II (the 2nd TV series episode 2)." And in "Someday in the rain (the 2nd TV series episode 28)," he keeps unpleasant when Haruhi Suzumiya tells him to bring an electric heater from Omori Electronics Shop, which was near Shukugawa station, in other words, two stations away of Koyo-en station, to their school. The road to Nishinomiya Kita Senior High School is a hard school route to be able to understand the above expression.

NOTE: 
The pronunciation of real two stations' name is same as anime's, though their kanji characters of reality is different from anime.



それでもめげずに登り切り、西宮北高等学校のそばに近づくと、携帯電話の着信音が鳴り響きました。
♪再び見る世界は、塵と残像、淡い影♪
思わず、封絶したい気分になりましたが、めげずに電話に出ます。K本さんからの電話でした。息を切らせながら、神戸元町の南京町で会うことにして、電話を切りました。ここでは着信音を「God knows...」か「ハレ晴れユカイ」にすべきだったかな。

However, I finished climbing up without being discouraged. As soon as I approach Nishinomiya Kita Senior High School, my mobile phone rings with music.
"Futatabi Miru Sekai wa, Chiri to Zanzo Awai Kage"(it means that "In the world that I see again, there is dust, afterimages and faint shadows.")

Instinctively, I wanted to spell "Fuzetsu." However, I answer the calling without being discouraged. Its calling was Mr. K.'s. I promised to meet him at Nankin Town of Kobe City known as famous chinatown in Japan while cutting my breath. I wish my mobile phone music were "God knows..." or "Hare Hare Yukai".
NOTE:
"Fuzetsu" is one of powerful magic spells in "Shakugan no Shana." "Fuzetsu" stops all sorts of causalities, including time, for ordinary living beings. "Fuzetsu" is translated to "Seal" in English.)



なお、この西宮北高等学校のある苦楽園からの眺めは最高であり、西宮北口駅付近のビルや臨海地区、大阪湾、大阪のビル群、生駒山脈があり、とても贅沢な景色がすばらしいです。ちなみに、堺市西区にある石津臨海地区にある6本の煙突も見えていました。
また、夕日の浴びた景色や夜景もおそらくきれいだと思います。聖地巡礼とは関係なく、この景色を撮影するために訪れたいと思います。
さて、神戸に戻るとしましょう
Further, the view from Kuraku-en where there is this Nishinomiya Kita Senior High School is best. The luxurious view, in which there are Nishinomiya-kitaguchi station's buildings, sea-side district in Nishinomiya City, Gulf of Osaka, Osaka City's buildings, and Ikoma Mountains, is excellent. Additionally, I could see six chimneys which stand in Ishizu sea-side district of NIshi-ward, Sakai City.
Also, I guess that evening view lightened in sunset and night view, too, are beautiful probably. I want to visit here to take pictures of this view without purpose of visiting stages of Haruhi Suzumiya's series.
Well, I will go back to Kobe City.

音符内の歌詞(赤太斜体字):「JOINT」(「灼眼のシャナⅡ」 OP1)より

「JOINT」
歌:川田まみ、作詞:川田まみ、作曲:中沢伴行
編曲:中沢伴行、尾崎武士

The lyrics which was written with red bold italic characters was quoted from "JOINT": It is the 1st opening theme of "Shakugan no Shana II".
 

"JOINT"
Singer: Mami Kawada
Lyrics by: Mami Kwada
Music by: Tomoyuki Nakazawa
Arrangement by:Tomoyuki Nakazawa, Takeshi Ozaki

2010年2月25日木曜日

「涼宮ハルヒの消失」の劇場版を見に行きました。

2月14日(旧暦1月1日)に三宮にある神戸国際松竹で「涼宮ハルヒの消失」を見に行きました。
「涼宮ハルヒの消失」は2006年及び2009年にTV放映された「涼宮ハルヒの憂鬱」の続きにあたる話であり、原作の涼宮ハルヒシリーズの中でも人気が高い話となっています。
当初、12:50からのチケットを購入しようとしましたが、11:30頃に到着したときには既に売り切れで、16:00からのチケットを購入しました。
甲陽園及び南京町周辺で時間をつぶした後、16:00からの上映に臨みました。
感想を端的に述べると、「見に来て良かった。」です。

162分(2時間42分)のとても長い上映時間でしたが、上映時間を長いとは感じませんでした。映画館に時間ぎりぎりに入ったもので、のどが渇いた状態だったのですが、その渇きを忘れるぐらいに映画に集中していました。
基本的には原作である第4巻「涼宮ハルヒの消失」の通りでしたが、原作の内容を昇華した形で描写されている部分も多数ありました。

では、私が感じた印象的なシーンを5つ挙げます。
以下、映画の内容が記述されているので、ご覧になりたくない方はご注意願います。最後に飛ぶをクリックすると、最後の方に飛びます。また、原作の涼宮ハルヒシリーズやTV版をご覧になっていない方については同作品中で用いられる用語があり、不明な点もあるかと思いますが、ご了承願います。
最後に飛ぶ




まず、文芸部室で鍵である5人が揃い、PCが起動し、脱出プログラムが起動したとき、主人公キョンが元の世界に戻すことを決意するシーンです。

原作ではPCが起動した後、キョンのモノローグが続き、元の世界に戻すことを決意した後、
 俺はポケットからくしゃくしゃの紙片を取り出し、
「すまない、長門。これは返すよ」
差し出した白紙の入部届けに、長門の白い指が緩慢に伸びた。
となっています。

劇場版では、「栞」と「入部届け」がアップになった背景の中、キョンのモノローグが続いた後、元の世界に戻すことを決意し、キョンがポケットから「入部届け」を出すと同時に、「栞」を落としてしまい、その「栞」を(消失)長門が拾うとする前に、キョンが自分で拾い、「入部届け」を(消失)長門に返しています。
「栞」と「入部届け」は元の世界に戻すか、改変された世界のままにするかの選択肢を象徴するものであり、劇場版ではその原作の表現に、上記下線部の描写を加えることでその選択肢を長門有希の力を借りずに自分で選んだことを示しているのでしょう。


次に、キョンが脱出プログラムを起動させ、時間跳躍をするシーンも印象的です。
前述の行為後、キョンが脱出プログラムを起動させるため、PCのエンター(Enter)キーを押します。このエンターキーについて、ネットでhttp://p4d.co.jp/attic/dosharuhi.htmlを見て、感じたことですが、あれは改変されていない元の世界、正確には改変が及ばなかった3年前の七夕に戻るという意味を劇場版ではかけている可能性があると思われれます。
原作では特に機種の特定はしておらず、コンピュータ研より奪取した最新機種の三世代ばかり旧型とだけ、記述されています。
そして、PCのCRTモニタ(これも別の場所に記述あり)にメッセージが表示され、

Ready?
O.K.さ、もちろん。
俺は指を伸ばし、エンターキーを押し込んだ。
その後、脱出プログラムが起動します。

それに対し、劇場版ではWindows95が動くCRTモニタのPC-9821(*1)が描写されていました。後は原作同様にエンターキーを押し込み、脱出プログラムが起動します。
ここで気になったのは、押したエンターキーとPCの機種です。PC98シリーズのキーボードはその晩期に現在普及しているPC/AT互換機との互換性のため、エンター(Enter)キーとなったようですが、長らくこのエンター(Enter)キーに対応するキーはリターン(Return)キーと呼ばれていました。このエンターキーを押す行為に「戻る(Return)」の意味を含ませたのかもしれません。


更に、この直後キョンは原作では強烈な 立ちくらみに襲われ、俺は思わずテーブルに手をつこうとして、そしてぐるりと視界が回る。耳鳴り。誰かの声が遠くからから聞こえることになります。
劇場版では様々な人物が台詞を話しているのですが、その中でも私が特に聞きとれたものが朝倉の「許さない」をいう台詞です。これが後の襲撃シーンの伏線になっています。

(*1)
TV版では、コンピュータ研より奪取した最新機種は液晶モニタのタワー形のPC/AT互換機であり、搭載OSがWindowsXPでした。家庭用PCに搭載されてきたOSがWindows95、同98、同Me及び同XPとなってきたことを考えるとちょうど三世代ばかり旧型になります。また、Windows95の時代にはPC/AT互換機(DOS/Vマシンとも呼ばれていました。)とNECのPC-98シリーズが併存していました。

第3に、(異常動作をおこした)長門による12月18日早朝の時空改変の後、改変作業を終えたばかりの(消失)長門を前にし、自問自答するキョンのシーンです。原作では
それでだ、俺。そう、お前だよ、俺は自分に訊いている。
(中略)
-そんな非日常な学園生活を、お前は楽しいと思わなかったのか?
(中略)
「楽しかったに決まっているじゃねえか。解りきったことを訊いてくるな」
(中略)
宇宙人に未来人に超能力者だそ?
どれか一つでも充分なのに、オモシロキャラ三連発だ。おまけにハルヒまでがそこにいて、より一層のミステリーパワーを振りまいているんだぞ。これで俺が面白くないわけないだろうが。そんな立場が不満だと言ったら、そんなことを言う奴を俺は半殺しにするかもしれん。
となっています。

劇場版では自問自答の心理描写を2人のキョンで表現していました。机を前に椅子に座っている1人目のキョンとその後ろの机から1人目のキョンの頭を足蹴にする2人目のキョンが訊ね、1人目のキョンがそれに対し、足をはねのけ、立ち上がり、答えていました。キョンが今までの傍観者的立場から、能動的に動くことを決意したシーンであり、その自問自答を視覚的に明瞭に示したことがわかる表現でした。
また、キョンが袖をつかんでいた(消失)長門から離れ、自動改札を通過したとき、元の世界への切符ともいえる「栞」が自動改札機を通っていたのも印象的でした。


更に、朝倉の襲撃シーンも非常に印象に残りました。というより、背筋が寒くなるほどインパクトがありました。
原作では
朝倉は俺の血が絡みつくアーミーナイフを挨拶するように振った。
「そうよ長門さん。わたしはちゃんとここにいるわよ。あなたを脅かす物はわたしが排除する。そのためにわたしはここにいるのだから」
朝倉は嗤った。
「あなたがそう望んだんじゃないの。でしょう?」
となっています。
劇場版ではキョンの血が絡みつくサバイバルナイフを持ちながら、朝倉涼子があざけりの笑いを含ませ、舞いながら朗らかに台詞を放ちます。その様子はホラー以外の何者でもありませんでした。


最後に、改変騒動が一応収束し、キョンのもとに正常化された長門が訪れ、自身の処分が検討されようとしていることを告げるところから、雪が降るまでのシーンです。

原作では
ベッドに横たわりながら俺は天井を見つめ続け、それが報われたのは深夜になってからのことだった。面会時間はとっくに過ぎている。
病室の扉がゆっくりとスライドし、通路の光が小さな人影を床に落とす。
この日、最後に俺を見舞いに来たのは、セーラー服を着た長門有希の姿だった。
とあり、病室にいたキョンのもとに(正常化された)長門が訪れています。
その後、自身の創造主である情報統合思念体に自身の処分が検討されていることを告げた長門に対し、キョンは長門の処分が実施された場合、世界改変の能力を持つ涼宮ハルヒを焚き付け、長門を取り戻すことを宣言し、それに対し、「ありがとう」と長門が述べています。この後、原作ではエピローグに入るため、病院での描写はされていません。
劇場版では原作と異なり、甲南病院の屋上に佇んでいたキョンのもとに(正常化された)長門が訪れています。その後、原作同様にストーリーが展開し、「ありがとう」と長門が述べた後、雪が降り始め、キョンが「ゆき」と述べます。この台詞に長門有希が反応を見せます。この「ゆき」というアクセントが微妙で、私にも長門のファーストネームである「有希」と聞こえましたが、状況を考えると「雪」と言っているのでしょう。ここは制作者側がどちらにもとれるように意図的に行ったのだと思います。ラストシーンが印象的になるように、病室ではなく、雪が降る冬の神戸の夜景を選んだのかもしれません。(高いビルが印象的だったのですが、高いビルは阪神御影駅前に建設されている御影タワーレジデンスですかね~。)

よく考えると、劇場版で原作に付け加えられた、あるいは変更された箇所が上記印象的なシーンとして感じたところですね。
でも、(元の)長門が抱いていた感情によるものと思われる内部エラー(「消失」の直前の話となる「サムデイ イン ザ レイン」の長門の様子から「キョンと一緒にいたい」という想いがあったものと推測されます。)により、宇宙人、未来人及び超能力者が存在しない普通の世界に改変され、長門自身は宇宙人ではなく、普通の少女となり、涼宮ハルヒがキョンのそばにいない状況を作り出したにもかかわらず、肝心のキョンには涼宮ハルヒがそばにいる元の世界を望まれ、元に戻されたことを考えると、切ないですね。



とにかく、今回の劇場版「涼宮ハルヒの消失」は非常に良かったと思います。ストーリー、作画(私には背景が特に印象的でした。)、声優陣、音楽等が高いレベルだったと思います。ただし、私はTV版28話分と「消失」を含めた原作小説の涼宮ハルヒシリーズを全て見ているため、非常に楽しめましたが、そうでない人には理解するのに苦しいかもしれません。特に3年前の七夕のシーンでは「笹の葉ラプソディ」を見ておかないとわかりにくいでしょう。まあ、エンドテロップにもありましたが、全てのファンに感謝とあるように、ターゲットをハルヒファンに絞り、ほぼ原作通りに丁寧に作ったことが良い映画になった物と思われます。劇場版を何回か見ると、いろいろなことが次々と発見できるかもしれないですが、私には時間とお金がないので、映画館での鑑賞は1回だけになりそうです。
DVDもしくはBlu-Rayが出たならば、即購入することになりそうです。あ、それから2009年のTV新作部分のDVDについて、エンドレスエイトの件(*2)もあって購入を躊躇っていましたが、劇場版に免じて購入することにします。
(*2)
エンドレスエイトについては、8話もやるべきではなく、せいぜい3話(ループに気づかないで脱出失敗・ループに気づいたけれど、脱出失敗・ループに気づき、脱出成功)だと現在でも思っています。8話それぞれについては、手を抜いていないことはわかるのですが、企画に問題があったと個人的には思います。

引用文献
「涼宮ハルヒの消失」、谷川 流 著、株式会社角川書店 発行(赤太文字斜体字

2010年2月16日火曜日

ケータイ国盗り合戦を始めました。

うさうささんに招待され、ケータイ国盗り合戦を始めました。
ケータイ国盗り合戦とは、携帯サイトの無料ゲームです。全国を600地区に分割し、「国盗り」を押すことにより携帯電話の現在地に該当する1地区を自国の領土とすることができるゲームです。つまり、ある地区を「国盗り」をするためには実際にその地区へ行く必要があるということです。
記念すべき最初の統一国は我が故郷、和泉国・堺地区です。
続いての統一国は播磨国・西脇三木地区です。
とりあえず、播磨国を統一し、播磨守を目指すか、摂津国の支配領域を増やし、堺と接続するかを目指すことにします。
それにしても、1年前にこれを知っていたら、容易に領国を増やせていたような気がします。

大阪-西脇紀行(第10回)(2/6~7)

今回の「大阪-西脇紀行(第10回)」も「Tramway Killer号」により西脇に帰ることにしました。



今回も前回と全く同じ場所に駐車しました。が、写真を取り忘れていましたので、大阪タワーがあった場所を掲載しました。現在は旧プラザホテルが残っているだけで、大阪タワーはもちろんのこと、旧朝日放送の局舎もなくなり、その跡地は駐車場となっていました。

まず、堺浜シーサイドステージまでのルートは下記の通りです。


福島駅前(A)
↓あみだ池筋
芦原橋駅前
↓府道29号線・国道26号線(ほぼ旧・新阪堺線電車道)
堺駅前(プラットプラット)(B)

堺浜シーサイドステージ・楽天温泉祥福(一泊)(C)

続いて、堺浜シーサイドステージから天理参考館までのルートは下記の通りです。

大きな地図で見る

堺浜シーサイドステージ・楽天温泉祥福(A)
↓府道29号線他
堺市立中央図書館(B)
↓府道2号線他
松原IC
↓西名阪自動車道
香芝SA
↓西名阪自動車道
天理IC

天理参考館(C)

更に、天理参考館からイオンモール藤井寺までのルートは下記の通りです。


天理参考館(A)
↓国道25号線他
彩華ラーメン本店(B)
↓国道25号線・府道12号線他
イオンモール藤井寺(C)

更に、イオンモール藤井寺から阪急・夙川駅までのルートは下記の通りです。




イオンモール藤井寺(A)

大堀入口
↓阪神高速14号・1号・3号
芦屋出口

阪急夙川駅(B)
↓阪急甲陽線
阪急甲陽園駅
↓阪急甲陽線
阪急夙川駅(B)

最後に、阪急夙川駅から西脇までのルートは下記の通りです。


阪急夙川駅(A)
↓県道82号・西宮北有料道路・県道82号
西宮北IC
↓中国自動車道
滝野社IC

アピカ西脇(B)



ということで、堺浜で一泊します。では、ここから奈良県天理に向かって出発します。



堺市立中央図書館に立ち寄る予定でしたが、あいにく開館前だったので、今回は諦め、西名阪自動車道で天理に向かうことにします。ただ、相変わらず私のカーナビはいけずであり、松原ICまでのルートにわざわざ鉄道線と平面交差する道順を示してきました。このため、三国ヶ丘駅での南海高野線との踏切で3つの電車を待つことになりました。府道2号線(中央環状線)経由で松原ICより西名阪自動車道に入り、香芝SAで休憩し、天理ICへ向かいます。



天理ICからしばらくすると、立派な建物が見えてきます。その中の天理参考館に向かいます。



天理参考館の中には世界各地の民俗資料が多数展示されていました。



その中には昔の日本住宅の様子も展示されていました。




2010年1月5日から3月8日まで天理参考館では新春展として、南海電車展が行われています。この南海電車に関する展示品は平芳資也氏(1963~2008)が寄贈されたもので、「南海太郎」という通称が有名な方でした。


 (この写真のみ2006年3月4日撮影)

私費を投じて上写真の阪堺電車の162号、163号を旧塗装に戻したことや住吉大社の初詣輸送の際には阪堺電軌のアルバイトスタッフとして従事されたりしていました。私も年始の住吉鳥居前電停で「南海太郎」氏を見かけたことがあります。



南海本線・泉大津駅の駅構内の電車行先案内幕も展示されていました。淡路号、白線急行及び赤準急が懐かしいですね。



南海本線の次は南海高野線電車の行先幕です。ここでは、泉北高速線乗り入れの準急和泉中央行きに合わせてみました。



南海電車の展示品を見終わり、天理参考館を後にし、昼食をとるため、彩華ラーメン本店に寄ることにします。



店内に入り、チャーシュー麺を頼みます。たくさんの白菜が入っています。四川省から仕入れている辛い辣醤がアクセントとなり、とても美味しいです。



彩華ラーメン本店を後にし、イオンモール藤井寺で買い物をした後、「涼宮ハルヒの消失」の劇場版も公開されたことですし、甲陽園のケーキハウスツマガリでクッキーを買うことにしました。例のごとく、夙川駅の駐車場に車を駐め、甲陽線に乗り、甲陽園に向かいます。



甲陽園駅を降り、ケーキハウスツマガリに向かい、クッキーを購入し、夙川駅に戻った後、県道82号線に沿って前述のルートを通り、西脇へ帰ることにしました。
次回はどうしようかな。

2010年2月9日火曜日

恵方巻を食す


最近、住吉大社への初詣、今宮戎神社への十日戎への参拝と某団体のようにシーズン毎にオンタイムな行事をしめやかに実行しているような気がしますが、気にせず2月3日の行事も行います。
2月3日といえば、節分です。そこで、近くのかっぱ寿司で巻き寿司を購入し、今年の恵方である西南西(正確には西微南らしい)の方向に向かい、ただただ無病息災を祈りつつ、黙々と食べていました。600円強をはたいただけあり、美味しい巻き寿司でした。
2007年に上海にいたときにはわざわざ巻き寿司を切らせずに1本持ってこさせ、恵方を向いて、黙々と食べたこともありました。あのときは、まるまる1本の太巻きを怪訝そうに運んできた中国人はもちろんのこと、恵方巻にあまり馴染みのない関東在住の日本人にも驚きの目で見られましたが、そんなことは関係なく関西地区の行事を粛々と実行いたしました。




外を見ると、星がきれいだったので、おもわず三脚を使い、シャッター速度を遅くして撮影しました。西脇はとにかく空がきれいであり、地上の光もそれほど強くないので、堺に比べると、段違いに見える星の数が多いです。星座少年(!?)になったつもりで、オリオン座を眺めていました。オリオン座のα星であるベテルギウスが赤く、β星であるリゲルが青白く見えるのがよくわかります。
さて、次のオンタイムな行事は情人節と重なった春節でしょうか?

2010年2月8日月曜日

そうだ、鳥取へ行こう!

今宮戎神社、嵐電及び京阪大津線の併用軌道を走行した後、1/16、17、23、24及び30と西脇で引きこもり生活をしていたのですが、さすがにどこか行きたくなり、砂丘が見たくなったので、「そうだ、鳥取へ行こう!」と思い立ち、日曜日の12時に西脇から鳥取へ向かうことにしました。






ルートは上記地図の通りで、往路は中国自動車道の佐用ICからほぼ智頭急行線に沿う形で国道373号線を北上し、鳥取自動車道で鳥取市内に入ります。復路は日本海沿岸を進み、餘部鉄橋を経由して、豊岡、養父、朝来及び丹後市を通った後、西脇市に戻ります。



ということで、鳥取砂丘に到着しました。砂の丘の向こうに何があるのでしょうか。進んでみます。



やたらに大きい砂浜でした。この近くにはらくだや馬がいたのですが、撮影すると料金が発生するので、撮影はしていません。では向こう側に見える砂丘に向かいます。



この砂丘、高さが結構あり、大阪の天保山及び堺の蘇鉄山をはるかに超える高さです。この急斜面を登るのには砂浜坂路調教のため、足の筋肉をかなり使うことになりました。(単なる運動不足ということもありますが。)



砂丘の頂上に到着しました。今日の日本海はこの時期にしては比較的穏やかでした。



砂丘頂上からスタート地点に戻り、砂の中をよく見ると、雪がしっかりと残っていました。



砂丘も見たので、帰路につきます。途中の餘部鉄橋は現在、新しい橋が架橋されつつあります。



時間を見ると、気動車が来る時間だったので、上の餘部駅まで行きます。新しい橋の工事前までは定番の撮影スポットがあったのですが、工事のため、閉鎖されていました。駅から気動車が渡ってくる動画(これは後日アップします。)を取り終わり、再び下に戻ります。



餘部駅から下に戻る途中、撮影しました。餘部鉄橋とその下にある家々そして日本海が見え、いい感じの風景です。


 

餘部鉄橋の下には客車転落事故の慰霊塔があります。6人の方が亡くなっており、この日も慰霊碑に手を合わせる人を見かけました。
餘部鉄橋を後にし、冬の但馬路を進み、無事に西脇に到着しました。
今回は日本海側の天気が穏やかで本当によかったです。

(追記2010年2月11日)
動画をアップしました。ご覧ください。


2010年2月4日木曜日

大阪-西脇紀行(第9回)(1/9~10・後編)

前回の続きです。



堺浜楽天温泉で一泊した後、堺でも自動車でなければ、行きにくいところに行こうと思い、西区石津の埋立地にある「みなと堺グリーンひろば」にまず行くことにしました。
この「みなと堺グリーンひろば」にはグランドや野球場があり、サッカーや野球をする人たちが朝9時の段階で、結構いました。なぜか、オランダの風車がありますが、おそらくかつての石津が風車でいっぱいだった(オランダ風ではなく、堺独自の風車です。)ことによるものかもしれません。なお、この風車の後方にはシャープの「グリーンフロント堺」が見えますが、風車とグリーンフロント堺の間には海があります。






石津川駅からも見えた堺港発電所の6本の煙突です。ちょうどこの煙突の向こう側が石津川駅になります。



一方で、海を望むと水平線上に神戸の町並みが見えています。天気がいいと明石海峡大橋も見えそうです。



「みなと堺グリーンひろば」を後にし、時間が十分にあるので、関西地方でまだ並走していない併用軌道、京都の嵐電と、大津の京阪大津線を並走することにします。阪神高速道路から名神高速道路に入り、京都の街に入ります。目指すは三条通です。
ということで、「Tramway Killer号」の第15のターゲット、京福電気鉄道、通称嵐電の併用軌道を並走します。
嵐電西大路電停附近より三条通に入り、島津製作所を横目に見ながら、西進します。途中、狭い安全島の山之内電停を通り過ぎると、四条大宮方面へ向かう嵐電電車がやってきました。



嵐電の併用軌道は短く、しかも細切れですが、三条通上にあります。嵐電天神川電停では嵐山方面行きの嵐電電車を踏切で待つことになりました。
全般的に三条通は軌道敷進入可なのですが、道路の幅員が狭く、自動車やバイクの通行量も結構ある上に、歩行者もあちらこちらから出てくるという自動車にとっては非常に運転しにくい併用軌道です。ただし、阪堺線・大阪市内区間や土電・朝倉周辺に比べると怖さはないです。



嵐電併用軌道並走した後、三条通、国道1号線を東進し、滋賀県大津市にある京阪大津線の併用軌道も並走することにしました。第16のターゲットは「京阪電気鉄道・京津線及び石山坂本線」です。ここの併用軌道は嵐電よりも更に短いですが、なんといっても2両編成及び4両編成の電車と並走するというところがポイントです。
まずは浜大津駅附近の石山坂本線の2両編成が目の前を通過します。石山坂本線は三井寺駅と浜大津駅の間が併用軌道となっています。



続いて、浜大津駅附近の京津線の4両編成が目の前を通過します。京津線は上栄町駅と浜大津駅の間が併用軌道となっています。この京津線は路面電車(浜大津駅附近の併用軌道)、山岳鉄道(逢坂越えの急勾配)及び地下鉄(京都市内)の3つの顔を持っています。
上写真の4両編成で全長66mの800系が併用軌道を走る様子はまるで蛇のようです。今回は併用軌道上で並走しなかったため、わかりませんが、おそらく4両編成の隣に止まると、その圧迫感は並のものではないでしょう。そういう意味では走りにくい併用軌道だと思います。
無事に並走ができたので、京都東ICより名神高速道路、中国自動車道経由で滝野社IC、西脇へと戻ってきました。
残りの併用軌道は第4のターゲットで残っている広島電鉄と並走していない豊橋鉄道、江ノ島電鉄及び都電荒川線となります。(東急世田谷線は若林踏切部分が併用軌道のため、通過するぐらいになると思います。) 5月までには何とかしたいと思います。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年2月3日水曜日

大阪-西脇紀行(第9回)(1/9~10・前編)

さて、今回の「大阪-西脇紀行(第9回)」も引き続き、「Tramway Killer号」により西脇に帰ることにしました。





今回も毎度お馴染みの駐車場に車を駐めます。

今回のルートは下記の通りです。


福島駅前
↓あみだ池筋
芦原橋駅前
↓府道29号線・国道26号線(ほぼ旧・新阪堺線電車道)
堺駅前(プラットプラット)
堺浜シーサイドステージ
↓バス
堺駅
↓南海本線・高野線
今宮戎駅
↓徒歩
今宮戎神社
↓徒歩
今宮戎駅
↓南海高野線・本線
堺駅
↓バス
堺浜シーサイドステージ・楽天温泉祥福(一泊)
みなと堺グリーンひろば
住之江入口
↓阪神高速15号堺線・1号環状線・11号池田線
豊中IC
↓名神高速道路
京都南第1IC
嵐電・西大路三条電停
↓三条通
嵐電・帷子ノ辻電停附近
↓三条通
嵐電・西大路三条電停
↓三条通・後院通・大宮通・国道9号・国道1号・国道161号線
京阪大津線・浜大津駅
京阪大津線・三井寺駅
京阪大津線・浜大津駅
↓国道161号・国道1号線
京都東IC
↓名神高速道路
吹田JCT
↓中国自動車道
滝野社IC
アピカ西脇

自宅

一旦、堺浜に向かい、そこで駐車し、宵戎の今宮戎神社へお参りをしてから、再び堺浜に戻ります。その翌日は石津の埋立地にあるみなと堺グリーンひろばに行き、嵐電と京阪大津線の併用軌道を並走し、名神高速道路と中国自動車道を経由し、西脇に戻ります。



ということで、またまた堺浜に来てしまいました。シャープのCMで全国に知られるようになった「グリーンフロント堺」です。まだ、本格的な稼働はしていないようです。
この「グリーンフロント堺」を間近でみることができる堺浜シーサイドステージで夕食を取ります。



十分に腹ごなしをした後、堺駅に戻り、南海電車で今宮戎駅まで向かいます。高野線の各停に乗るのも久しぶりです。
駅は初詣の住吉大社駅と同様、臨時改札口が設けられていました。今年も兵庫県西脇市在住にも関わらず、律儀に住吉さんとえべっさんに参拝することができました。



今年は西脇の事業所の商売繁盛を願い、笹の飾りを買うことにし、なんと6500円も奮発しました。「えべっさん、今年はよろしくたのんまっせ。」



それに対するえべっさんの回答は「凶」。「おおっ、何てこったい!」しかし、よく見ると、商いについては「志を大きく高く、成功疑いなし」とあるので、志を大きく高くもち、いかなる凶事にも立ち向かい、成功したいと思います。
えべっさん、がんばりまっせ。

この後、堺浜に戻り、温泉でひとっ風呂浴びることにしました。
次回に続く。

2010年2月2日火曜日

2009年から2010年への年越と住吉大社への初詣

どりあん邸を離れた後、車で中百舌鳥の友人のもとに向かいます。友人を拾い、堺駅前まで一緒に行くことになりました。
「悪いなあ~。まだ車を買って半年ほどしかたってないから、運転に問題があるかもしれへんよ。」
「いや~、僕が運転免許を取って1週間のときに、軽トラに乗って、真夏の暑いときに一緒に京都行ってくれたからかまへんよ。」
「そういえば、そんなこともあったなあ~。」
今も昔も、私は妙なところで度胸があるようです。
さて、堺駅前で一緒に居酒屋で鍋などつつきながら、色々と話をし、ほろ酔い気分で外に出たものの、強い冬型の気圧配置のため、冷たい北西の風が強く吹きつけ、すっかり酔いが覚めてしまいました。
続いて、カラオケをしましたが、周りを気にせず、お互いが好きな曲を歌いあう結果となったため、歌のジャンルが偏ることになってしまいました。
「JOINT」「ETERNAL BLAZE」等をこちらが歌えば、あちらは「motto☆派手にね!」「スクランブル」等を歌い、楽しいひとときでした。




カラオケで十分に歌った後、友人と別れ、ホテルに帰ろうとしましたが、23時30分頃だったので、これは住吉大社に初詣に行かねばと思い、そのまま堺駅から南海電車に乗り、住吉大社に向かいます。住吉大社に到着したとき、23時45分頃だったので、そのまま境内に入ります。住吉大社は年越しをしようとする人たちでいっぱいです。
そうしているうちに、0時となり、住吉大社で年を越すことになりました。「2010年の平穏」を住吉さんにまず祈りました。

ただ、新年早々不愉快だったのは神に捧げるお賽銭を餓○どもが明らかに私の頭を狙って投げてきたことです。おまけに何回も頭にタッチしてくる暴挙を行っていたため、その○鬼ども、特に暴挙を指示させてた卑怯者の巨魁に対し、殺気を放ちながら、睨み付けました。




住吉大社からホテルに戻り、一晩すごしました。翌朝、窓から見える南海電車を撮影し、阪堺電車を撮影するため、再び住吉大社に向かうことにしました。


 

元日の住吉大社はやはり人でいっぱいです。とりあえず、阪堺電車を撮影するため、下におります。


 

阪堺電車を一通り撮影した後、再び住吉大社の境内に入りました。そうすると、未明の出来事を思い出し、ムカムカと怒りが再び沸いてきたので、住吉さんに次のことを願いました。
「あの餓○どもに天罰を与え給え!」


 

それに対する住吉さんの回答は「世の中悪人ばかりではありません。」
住吉さん、申し訳ありませんでした。

この後、堺浜の楽天温泉に入り、日没の後、西脇へ帰りました。