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2011年8月31日水曜日

今回も2年前の明石海峡大橋走破の動画をアップしました。

また、大分前に編集済みの動画をYouTubeにアップしました。



素材は2年前の明石海峡大橋を淡路方面に向かっているときに撮影した自動車の前面眺望です。また、ぼちぼちとアップしていきます。 

2011年8月28日日曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第8回(赤穂市)


久しぶりの堺っ子の兵庫県旅行記の第8回は播磨国の赤穂市です。実は前回の小野市との間に、神戸市北区、明石市、西宮市、香美町、新温泉町及び淡路市を訪問しており、今回は神戸市北区の予定でしたが、諸般の事情で赤穂市を先に紹介します。


より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示

さて、赤穂市といえば、忠臣蔵と塩田ではないでしょうか。忠臣蔵であまりに知られているため、播州(播磨国)のイメージが赤穂に引きずられてしまっている感があります。



(写真①-1)

JR加古川線、山陽本線及び赤穂線を乗り継いで、播州赤穂駅にやってきました。


(写真①-2)

駅の南出口には「忠臣蔵」と大きく書かれた額が飾られていました。


 (写真①-3)

出口の階段には仮名手本忠臣蔵の双六からとったと思われる絵が壁に埋め込まれていました。


(写真②)

播州赤穂駅を出て、南に向かうと、赤穂城の大手門が見えてきます。


(写真③-1)

大手門を入るとすぐに、大石邸長屋門に到着します。その名の通り、浅野家筆頭家老大石内蔵助一家三代が57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋です。元禄14年(1701年)3月の浅野内匠頭長矩の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいた門でもあります。


(写真③-2)

大石邸は現在、赤穂大石神社の境内となっています。この赤穂大石神社の参道には47士の石像が並んでいます。


(写真③-3)

元禄赤穂事件以降、義士を称える人々により旧赤穂城の大石邸に小さな祠が設けられ、密かに祀られていましたが、1900年(明治33年)に「大石神社」として創建することが政府より許可され、1912年(大正元年)に社殿が竣工しました。 


 (写真③-4)

四十七士に関する宝物が義士宝物殿、宝物殿別館に展示されています。内蔵助が討ち入りに使用した采配等ばかりではなく、赤穂浅野家断絶後に赤穂を治めた森家の宝物も展示されています。


(写真③-5)

また、四十七士、浅野内匠頭長矩及び萱野三平重実の木像を収めた義士木像奉安殿、先ほどの大石邸長屋門の裏手にある大石邸庭園もあり、かなり見所があります。これらの4カ所については大人1人420円で拝観できます。


(写真④)

赤穂城址は公園となっていますが、その隣接するところに赤穂市立歴史博物館があります。赤穂市の歴史に関することが展示されており、元禄赤穂事件だけではなく、塩田開発で発展した赤穂の歴史が見ることができます。千種川からの上水道の資料もあり、大人1人200円で入場できます。
ここで人形浄瑠璃文楽「仮名手本忠臣蔵」の三段目及び四段目(塩冶判官高貞の高師直への刃傷と塩冶判官高貞の切腹の場面)のダイジェストビデオを見ることができます。仮名手本忠臣蔵は太平記の設定に仮託したものなので、浅野内匠頭長矩は塩冶判官高貞に、吉良上野介義央は高師直としています。


(写真⑤-1)

赤穂市立歴史博物館を後にし、赤穂城址の本丸に来ました。本丸跡には本丸御殿や天守閣といった建物がなく、天守台のみが残っています。


(写真⑤-2)

天守台から望んだ本丸跡です。右側に本丸御殿の間取りが示されています。この赤穂城址では工事が行われており、復元作業を少しずつ進めているものと思われます。


(写真⑥-1)

さて、赤穂城址を離れ、赤穂市立民俗資料館にやってきました。この建物は元々1908年(明治41年)に塩務局の庁舎として建てられました。現存する塩務局庁舎としては保存状態が良く、明治末期の洋風建築としても価値の高いものです。
その後、1949年(昭和24年)に日本専売公社赤穂支局、1982年(昭和57年)に赤穂市立民俗資料館となりました。この資料館には大人1人100円で入場できます。


(写真⑥-2)

かなり暑かったので、しばらく涼んだ後に、館内を見学しました。このような昔の道具がたくさん展示されていました。


(写真⑥-3)

古い紙幣も展示されていました。伊藤博文、岩倉具視といった私も使用したことのある紙幣はもちろん板垣退助の100円札やそれ以前の紙幣もありました。


 (写真⑦-1)

さて、赤穂市中心街を後にし、播州赤穂駅から岡山方面へ2駅目の備前福河駅に向かいました。
あれ、ここは兵庫県旅行記ではないかと思われる方もいると思いますが、ここは間違いなく兵庫県赤穂市です。ただし、ここは播磨国ではなく、備前国にあたる場所です。
というのは、1955年(昭和30年)3月1日、岡山県和気郡福河村にあったこの地に備前福河駅が開業した後、1963年(昭和38年)9月1日、地元の要望により備前福河周辺が兵庫県赤穂市に編入された経緯があるからです。


(写真⑦-2)

備前福河駅の後ろに見えるJA兵庫西がこの地が兵庫県にあることを示しています。
この後、播州赤穂へ向かい、播磨の中心地、姫路で一泊しました。
次回こそ神戸市北区をお伝えしたいと思います。

2011年8月26日金曜日

大分落ち着きました。

大分落ち着きました。落ち着いてきたので、今日の出来事を記述します。冷静になるべく、兵庫県赤穂市に行きました。赤穂といえば、忠臣蔵です。四十七士が討ち入りすることになったのは主君である浅野長矩が吉良義央へ刃傷沙汰を起こしてしまったからです。歴史的には吉良側に非がなく、浅野側に非がある説があるようですが、一般の日本人には忠臣蔵の影響があり、吉良悪玉説が幅を効かせています。何れにしても刃傷沙汰を起こしてえらい迷惑を受けたのは赤穂藩士なので、自重すべきなのでしょう。と、大石神社で思索に耽りました。
ここで忠臣蔵での浅野長矩の心中を思い、狂歌を一首詠みます。

こうずけの 詐術に翻弄 浅野君
播磨を想いて 耐えに耐えらむ

広島の浅野本家も大変だったろうな〜。

ちょっと落ち着きを取り戻しました。

ちょっと落ち着きを取り戻しました。でもさっきのことが発作のように起きなければいいのですが。

理性が感情を抑えられない

理性が感情を抑えられない。今まで生きてきた中で初めての経験。あと二日で何とかなるかなあ。自信がない。

絶対に許さない。(I shall not forgive at all. 我完全不宽恕。)

2011年8月24日水曜日

ボイコットします!!(I shall boycott!!)

無題以来、久しぶりに怒りを覚えました。
某団体には何の恨みも怒りもありませんが、2011年9月23日に開催されるイベントの出席をボイコットします。出席すると、とんでもない言動を吐きそうなので。

Since "Mudai (untitled)," I became angry in long time.
I have no grudge and rage to a certain organization, but I shall boycott its event on September 23rd, 2011. Because I will give someone impolite and cruel words when joining.


2011年8月23日火曜日

今回は2年前の阪神なんば線の動画をアップしました。

前回の記事にあるとおり、動画を撮ったまま未編集のものが多かったので、久しぶりに編集を行い、YouTubeにアップしました。



素材は2年前の阪神なんば線です。快速急行・三宮行きの阪神1000系が新淀川橋梁を渡河する様子をとらえています。また、ぼちぼちとアップしていきます。

2011年8月19日金曜日

久しぶりにビデオを整理しました。

外付けハードディスクに保存していたビデオを整理していると、「2008年我的旅行」という編集済みのビデオを再発見しました。内容は2008年2月~2009年1月の間における旅行先の写真をスライドショーにし、BGMをつけたものです。折角なので、YouTubeにアップしたものを下に埋め込みました。



この動画を改めて見返してみると、1年の間に、広島に3回、北海道に2回、しかも北海道から北部九州までよくもまあ、あちこち行っているものです。我が故郷、堺と第二の故郷、広島が多いのは広島に長く住んだ堺っ子故かもしれません。
加えて、この動画は元々、中国人の知人に対し、2009年春節(2009年1月26日)用に作製したものです。そのため、1年の括りが旧暦に準拠しており、タイトルが中国語であり、孫文記念館を取り上げています。
改めて2009年以降も作製しても良いかもしれません。

2011年8月6日土曜日

こんな偶然ってあるんかいな。

さて、久しぶりの更新です。なお、文章のみです。
週末金曜日の夜、今日も所長業の疲れを癒すため、いつものように(ひとり)カラオケをしていたときのことです。
2時間、建物の端っこの部屋を一人で貸し切り、思う存分、自分の好きな曲や趣味に走った曲等を歌い、1時間を経過した頃、私の借りている部屋の扉に人影が見え、心の中で、わ、間違って入ってくる!と思った瞬間、案の定、間違えて一人の男性が入ってきました。ただし、見知らぬ人ではなく、良く顔の知った人が入ってきました。
「あっ、すいません。(しゅらくの本名)さん!!」
「えっ、(同業他協会の所長さんの本名)さん。」
「ひとりですか。」
「ええ。」と私が答えると、
「今日はOさんの歓迎会なんです。」とのこと。
その後、同業他協会の職員さんが私の部屋に入り、私はうまくない歌をなんと3曲も披露することとなりました。
どうやら、歓迎会を行っている部屋は長辺が短辺に比べ、非常に長い長方形の形をした同じ建物の、私の部屋のちょうど対角線上の端っこにあり、所長さんは長辺の真ん中にある階段を登り、中央の廊下を右折するところを、左折してしまい、間違えて私のいる部屋に偶々入ってきたようです。
折角なので、私も歓迎会場に挨拶に伺うことにしました。そのOさんは一昨日、昨日と弔事があったので、いませんでしたが、(同業他協会の職員さんとそのお客さん)がいました。当然のことながら、あちらも驚愕の表情が読み取れました。
そりゃそうだわなあ~。
ともかく、同業他協会の所長さんと固い握手をして、
「これからもよろしくお願いします。」
と互いに言葉を交わしながら、時間切れの私は家路につくことになりました。
それにしても、場所が私と他協会の歓迎会がほぼ同時刻に行われていたこと、2つの部屋が対角線上の端っこにあったこと、他協会の所長さんが間違えて部屋に入ったこと等
こんな偶然ってあるんかいな。