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2007年12月23日日曜日

有馬記念・ファイナルステークス惨敗です~~

2007年12月23日は今年の中央競馬の最終日です。というわけで、例年どおり有馬記念とファイナルステークスをBETすることにしました。
近鉄・南大阪線と御所(ごせ)線に乗りながら、競馬新聞とにらめっこしながら、検討はしたのですが、有馬記念はまるで見当違いの予想となり、見事に外れ(㤭Ф)、ファイナルステークスは8番の単勝を買うつもりが、欲を出して8-11の馬連を購入し、当たっていたものを外すという技を最後にやってしまいました(å)。今年はあまり競馬をしなかったこともあり、全く当たりませんでした。
来年は少しは当たりを引き当てたいところですね。

盲腸線の旅(第37回)~JR羽衣線・鳳駅

今回はJR羽衣線の起点・鳳駅です。
鳳駅~東羽衣駅間は正式には阪和線の一部ですが、通称として、羽衣線、東羽衣線、東羽衣支線等が用いられることが多くなっています。この羽衣線は1.7kmの路線であり、駅数は鳳駅と東羽衣駅の2駅です。

JR東羽衣線・鳳駅・5番ホーム(2007年12月23日)

鳳駅は島式ホームの3面5線の橋上駅となっています。羽衣線は最も西側にある5番ホームより発着します。この羽衣線は天王寺側で、阪和線の本線(天王寺駅~和歌山駅間)と線路がつながっています。


JR東羽衣線・鳳駅・元6番ホーム(2003年3月11日)

ところで、羽衣線の島式ホームには5番ホームのほかにもうひとつ乗降場があり、それがこの6番ホームです。上の写真を撮影した2003年にはすでに線路は撤去されていましたが、この6番線は行き止まりになっていました。現在は工事用車両・資材の置き場となっています。


JR東羽衣線・鳳駅・和歌山方面ホーム(2007年12月23日)

ちなみに、1番及び2番ホームは和歌山方面のホームとなっています。


JR東羽衣線・鳳駅・天王寺方面ホーム(2005年1月1日)

3番及び4番ホームは天王寺方面ホームとなっています。この天王寺方面ホームと和歌山方面ホームが斜めに配置されているのがこの鳳駅の特徴となっています。
この鳳駅は羽衣線との分岐駅であり、快速ばかりでなく、一部の特急も停車する堺市の重要な駅となっています。
次は終点・東羽衣駅の予定です。

2007年12月16日日曜日

盲腸線の旅(第36回)~南海多奈川線・多奈川駅

南海・多奈川線・多奈川駅・1番ホーム(2006年9月3日)

今回は南海多奈川線の終点・多奈川駅です。
多奈川駅は頭端式ホームの2面2線の地平駅です。2007年現在ではこの1番ホームを使用する電車はほとんどありません。


南海・多奈川線・多奈川駅・2番ホーム(2006年9月3日)

一方、こちらが2番線ホームとなっていますが、左側のホームは使用されていません。このため、多奈川駅は実質島式ホーム1面2線となっています。


南海・多奈川線・多奈川駅・ホーム未使用部分(2006年9月3日)

この駅も直通急行が来ていたため、ホームが長くなっていますが、現状では2両編成で運用されているため、柵で未使用部分は区切られています。そのためか、未使用部分は荒れ気味です。


南海・多奈川線・多奈川駅・駅舎(2006年9月3日)

多奈川線の駅舎の周りにはロータリーが設置されています。
多奈川線は平日は1時間に2~3本、土休日では2本運行されており、ローカル風情をもった路線です。
多奈川線は今回で終了となります。
次回は久しぶりにJRの東羽衣線・鳳駅の予定です。

2007年12月10日月曜日

盲腸線の旅(第35回)~南海多奈川線・深日港駅

南海・多奈川線・深日港駅・ホーム(2006年9月3日)

今回は南海多奈川線の深日港駅です。深日港駅は単式ホームの1面1線の地平駅であり、多奈川方面及びみさき公園方面とも同一のホームを用いています。長いホームをもつ深日港駅ですが、2両分の長さのみ使用されています。


南海・多奈川線・深日港駅・上屋の下(2006年9月3日)

 深日港駅には不釣り合いなほど大きな上屋があります。深日港には現在、定期航路がないため、寂れていますが、この上屋がかつてこの駅が淡路島への定期航路の連絡駅として賑わっていた頃を偲ばせます。


南海・多奈川線・深日港駅・臨時改札口(2006年9月3日)

また、その頃の繁忙期にはこの臨時改札口も使用したものと思われます。


南海・多奈川線・深日港駅・駅舎(2006年9月3日)

深日港駅の駅舎はみさき公園側にあります。この深日港駅の南側には岬町役場が、北側には深日港がそれぞれあります。
次回は多奈川線の終点、多奈川駅の予定です。

2007年12月2日日曜日

盲腸線の旅(第34回)~南海多奈川線・深日町駅

南海・多奈川線・深日町駅・ホーム(2006年9月3日)

今回は南海多奈川線の深日町駅です。深日町駅は単式ホームの1面1線の盛土駅であり、多奈川方面及びみさき公園方面とも同一のホームを用いています。本線直通急行である「淡路号」が運行されなくなり、2両分の長さのみ使用されています。
この深日町駅にはもうひとつ使用されていないホームがあり、国道26号線に架かる多奈川線の橋梁が複線分あることから、深日町駅は相対式ホーム2面2線の入れ違いが可能な駅であった可能性があります。


南海・多奈川線・深日町駅・駅舎(2006年9月3日)

深日町駅の駅舎は盛土高架の下にあります。
次回は深日港駅の予定です。

2007年11月25日日曜日

盲腸線の旅(第33回)~南海多奈川線・みさき公園駅

今回は南海多奈川線の起点、みさき公園駅です。
南海多奈川線は泉南郡岬町に敷設された2.6kmの路線で、駅はこのみさき公園駅、深日町駅、深日港駅及び多奈川駅の4駅です。そもそも、戦時中の1944年(昭和19年)、岬町に疎開してきた軍需工場の通勤運輸のために開業しました。

南海・多奈川線・みさき公園駅・5番ホーム(2006年9月3日)

みさき公園駅は島式ホームの2面5線の盛土駅であり、1番と2番ホームの島式ホーム、3番と5番ホーム、3番ホームの和歌山市側を切り欠いた4番ホームがある島式ホーム2つで構成されています。多奈川線はそのほとんどが5番ホームより発着しています。
次回は深日町駅の予定です。

2007年11月19日月曜日

盲腸線の旅(第32回)~南海高師浜線・高師浜駅

南海・高師浜線・高師浜駅・ホーム(2007年11月17日)

今回は南海高師浜線の終点・高師浜駅です。
高師浜駅は単式1面1線のホームをもつ高架駅です。


南海・高師浜線・高師浜駅・駅舎(2007年11月17日)

高架ホームの南側には高師浜線の地上時代の駅舎が解体されずに残っています。これは地元の要請により、保存されたものです。駅舎の正面入口上部にはステンドグラスがはめ込まれており、それがこの駅舎の歴史を物語っています。
また、高架ホームの下には、地上時代のホーム跡も残されています。
高師浜線は平日、土休日とも1時間に3~4本運行されており、のんびりとした雰囲気をもった路線です。
高師浜線は今回で終了となります。
次回は南海多奈川線のみさき公園駅の予定です。

2007年11月17日土曜日

写真雑記その14~開店休業中

神戸電鉄・新開地駅・1番線ホーム

写真雑記・第14回目は神戸電鉄の新開地駅です。たまたま、金曜日の午後に休みがとれたので、有馬方面に行こうとし、新開地駅に着いたとたん、長田駅でのレール折損のため、新開地駅~鈴蘭台駅間が運転休止となりました。
1番ホームに停車している電車ですが、乗客を外に出し、消灯されています。


神戸電鉄・新開地駅・2~3番線ホーム

2番線、3番線ホームに停車している電車も、同様に消灯されてしまい、新開地駅に停車していた電車は全て開店休業状態となりました。
しかし、今回といい、西武池袋線・練馬駅といい、たまたま通りかかっただけなのに事故に逢ってしまう私って、どうなんでしょうか。
しょうがないので、山陽電車で須磨浦公園に向かうことにしました。

2007年11月10日土曜日

写真雑記その13~渡らないべきか?注意して渡るべきか?

鹿児島市電・二軒茶屋電停そばの2枚の看板(2003年9月20日) 

写真雑記・第13回目は鹿児島市電・二軒茶屋電停そばにある2枚の看板です。単線の線路はJR指宿枕崎線です。一方の手前の看板はJR指宿枕崎線を運営しているJR九州のもので、「この場所は踏切ではなく、危険なので、付近の踏切へ迂回してください」とこの場所を横断しないように警告しているものです。他方の奥の看板は線路の向こう側にある日之出町住民の町内会のもので、「(この場所を渡るときは)左右の安全を確かめましよう。」とこの場所で線路を横断するときの注意を促しているものです。
この矛盾する看板がどうして同じ場所にあるのでしようか?
二軒茶屋電停の最寄踏切は南鹿児島駅前電停側に約350m離れた場所にあり、場所によっては700m以上歩かなければならず、二軒茶屋電停から700m弱離れた隣の南鹿児島駅前電停と同じ程度歩かなければなりません。この場所を横断すれば、すぐに二軒茶屋電停に行けます。
しかし、便利とはいえ、踏切ではない場所を横断されるのは、危険であり、JR九州としては安全上認められないのでしょう。一方、日之出町の住民も危険なのは承知しているが、利便性から横断せざるを得ないのでしょう。だから、JR九州は線路横断の危険性を警告する看板を、日之出町の町内会は左右の安全を確認する看板を作ったのだと思います。つまり、線路横断に関するスタンスの異なる団体が看板をそれぞれ作ったことで、2つの看板が同じ場所に立ってしまったものと思われます。
ただ、JRも横断できないように、柵で閉鎖すればいいものを、線路内に入れるような柵の構造にしていますし、町内会の看板にも(線路横断時なのは状況から明らかなのに、そう書けないので、)どういうときに左右の安全を確認するのか書いていません。
踏切を作れば良さそうなのですが、安全にこの場所で横断ができる日が来れば良いですね。
参考にしたウェブサイト:鹿児島の市電と街(鹿児島の市電と街その4)

盲腸線の旅(第31回)~南海高師浜線・伽羅橋駅

南海・高師浜線・伽羅橋駅・ホーム(2006年9月3日)

今回は南海高師浜線の伽羅橋駅です。 伽羅橋駅は1面1線の単式ホームの高架駅です。このため、同一ホームに羽衣行、高師浜行の電車が入ってきます。


南海・高師浜線・羽衣駅・大雄寺旧跡(2006年9月3日)

伽羅橋駅前には大雄寺旧跡を示す石碑があります。大雄寺は南北朝時代に南朝の後村上天皇の勅願により、三光国師が建立した七堂伽藍の大寺院です。大雄寺門前にあった芦田川に架かっていた伽羅橋が駅名の由来です。
ちなみに、この大雄寺は「高師の浜の寺」と呼ばれていましたが、次第に「浜の寺」「浜寺」と呼ばれるようになりました。これが高石市に隣接する堺市・浜寺の由来となりました。
次回は高師浜線の終点、高師浜駅の予定です。

2007年11月7日水曜日

小沢一郎の暴走

この臨時国会は呪われているのでしょうか?
臨時国会開催直後に安部首相が突如辞任し、国内外を驚愕させたと思えば、臨時国会閉幕直前に野党第一党の党首が辞任表明、そして撤回するというごたごたが生じ、国政が心配になる思いです。
小沢党首の暴走気味の独断専行があったともいわれていますが、実際はどうだったのでしょう。
当ブログでは政治・宗教の話については、ほとんどしないのですが、またびっくりしたので、敢て書き込みをしました。

2007年11月4日日曜日

堺文化財特別公開と観光都市を考える

堺文化財特別公開(平成19年)ポスター

2007年(平成19年)11月1日~11日にかけて、堺市内にある16ヶ所の寺社・施設で普段非公開の文化財が特別に公開されることになりました。(一部の施設では9日~11日、あるいは11日のみ公開です。)
この特別公開はテレビや広報、あるいは駅設置のパンフレットで報されていました。そのため、この3日、4日はこれらの寺社・施設を巡回する人々を多く見かけました。ただ、遠方の人は少なかったようで、堺市内もしくは大阪府内の方が主だったようです。
この特別公開の特徴は非公開の文化財が公開されること以外に、観光ボランティアの方々がその文化財について、見学客に付き従い、説明をしてもらえることです。堺市に生まれながら、知らなかったこともたくさんあり、非常に勉強になりました。
スタッフの方々の動きをみていると、やる気が感じられ、好感をもちました。カウンターで訪問数をチェックしているようで、観光客がどれだけくるかの実験も兼ねて特別公開を行っているようです。また、妙国寺に堺市の観光に関する部署の幹部の方もいらしており、堺市のやる気を感じました。
観光ボランティアの方々のお話を聞いてみると、現在の市長になり、堺市を観光都市として売りだそうとしているようです。実際に、旅行会社にも色々と働きかけているそうです。そう聞いてみると、名所・旧跡の整備(旧堺港の灯台の整備等)が進められ、その案内もきれいで、わかりやすいものになっている理由の説明がつきます。
ただし、堺市が観光都市として機能するには、致命的な欠陥があるそうで、それらが次のものです。
  1. 多くの観光バスが駐車することができる駐車スペースがないこと。
    1. これがないとツアーバスを駐車させることもできません。
  2. 公衆便所の設置がほとんどないこと。
    1. 観光客も人間ですので、用を足す場所が必要です。
  3. 堺のお土産を集中させたお土産センターがないこと。
    1. お土産を買うのも観光の楽しみのひとつであり、堺にはお土産になるものが多いですが、所在がばらばらであり、どこで購入すればいいかわからないのが現状です。
    以下は私の所感です。私の推測なので、確たることはいえません。あらかじめ、ご了承下さい。
    観光客はバスのみで来るわけではなく、電車(この場合、南海本線(堺駅)、南海高野線(堺東駅)、JR阪和線(堺市駅))で来る場合もあり、それらはいずれも堺の観光資源からは離れた場所にあります。これらの鉄道と観光資源を結合するための装置として、大小路に敷設するLRTと阪堺線を位置づけようとしているのでしょう。そのため、阪堺線堺市内廃止を阻止したいのでしょう。また、阪堺線はその存在自体が観光資源です。(ちなみに、LRTについて、軌道敷設・架線設置等の工事が再来年ぐらいには行われる予定みたいです。来年の堺まつりのパレードにはふ とん太鼓が出る予定があるそうですが、再来年はないようです。堺まつりのパレードはLRTが敷設される予定の大小路で毎年行われています。)
    いずれにしても、堺市が同じく路面電車をもつ函館や長崎のような観光都市になるには、いろいろな問題をクリアしなければならないようです。また、堺の住民と観光客との摩擦も生じるでしょうから、その道のりはまだ険しいと思います。
    ちなみに、まだ文化財を見ていない方は、特別公開は来週の土日までやっているので、是非堺市へお越し下さい。

    盲腸線の旅(第30回)~南海高師浜線・羽衣駅

    今回は南海高師浜線の起点、羽衣駅です。
    南海高師浜線は白砂青松といわれた浜寺の南側にある海浜地区に敷設された1.5kmの路線で、駅はこの羽衣駅、伽羅橋駅及び高師浜駅の3駅です。


    南海・高師浜線・羽衣駅・3番線高師浜線ホーム(2006年9月3日) 

    羽衣駅は2面3線の橋上駅であり、高師浜線は3番ホームとして、2番ホームである南海本線上りホーム(難波方面)の後方を切り欠いた部分にあります。


    南海・高師浜線・羽衣駅南海本線ホーム(2006年9月3日) 

    こちらは南海本線のホームで、2番ホーム後方から撮影したものです。右側が単式ホームである1番線南海本線下りホーム(和歌山市方面)、左側が2番ホームとなります。


    南海・高師浜線・羽衣駅・仮ホーム(2007年11月3日) 

    2007年11月現在、羽衣駅は高石市内における南海本線・連続立体交差事業による高架化工事中です。このため、仮設ホームが高師浜線ホームの西側(海側)に設置されつつあります。このため、この風景もまもなく見納めとなります。
    余談ですが、現在南海本線は石津川以南の堺市内、この高石市内、及び泉大津市内の連続立体交差事業による高架化が進行しているため、石津川~大津川までの南海本線の様子は激変するものと思われます。
    更に余談ですが、この「盲腸線の旅」の企画準備中(2006年秋頃)では、この南海高師浜線・羽衣駅が第1回の予定でしたが、「夙川公園へ花見に行く」の影響を受け、阪急甲陽線・夙川駅が第1回になりました。
    次回は伽羅橋駅の予定です。

    2007年10月31日水曜日

    御福餅、お前もか!

    昨日、伊勢土産の御福餅に「先付け」と呼ばれる不正が行われていたということで、三重県と農林水産省の立ち入りが入りました。
    御福餅は赤福餅によく似ており、餅の周りにこしあんを包んだいわゆるあんころ餅で、こしあんに3本の筋が入っているのも同じです。(ただし、赤福餅は伊勢神宮の近くを流れる五十鈴川の川の流れを表しているのに対し、御福餅は夫婦岩のある二見浦の波を表しています。)そればかりでなく、その包装もよく似ています。
    ちなみに、下記のウェブサイトを参考にしました。http://homepage1.nifty.com/sasapon/index.html 
    このため、赤福の不正が発覚し、販売が中止された後に、赤福餅によく似た御福餅の売れ行きが急激に伸びましたが、製造日の翌日を製造日として表示していたいわゆる「先付け」を27年前から御福餅でも行われていたということです。
    赤福餅の件でも驚きでしたが、御福餅でも同じようなことが行われていたことは「御福餅、お前もか!」と驚きを通り越して、呆れるしかありません。(今のところ、御福餅には赤福餅のような冷凍保存、売れ残りを再利用といったことは報道されていないようですが。)
    あんころ餅は結構各地にあるらしいので、それらを食べるしかないのかもしれません。ちなみに私は堺の「大寺餅」を薦めます。(もちろん、こしあんに3本の筋はありません。)

    2007年10月28日日曜日

    天然温泉足湯おやっとさあ in 鹿児島空港

    鹿児島空港の足湯(2007年10月27日) 

    前回のブログでも述べましたが、今週の週末は鹿児島で鹿児島市電の取材です。その鹿児島を訪問する際に、鹿児島空港をほぼ利用していますが、すぐに空港リムジンバスに乗るので、気づかなかったのですが、よくみると、足湯のスペースがあります。
    この足湯は「鹿児島空港天然温泉足湯おやっとさあ」と呼ばれており、鹿児島市等へ行く空港リムジンバスの出発までの待ち時間に利用されていることが多いようです。「おやっとさあ」とは「おつかれさま」という意味です。
    写真では誰もいないように見えますが、たくさんの人が利用していました。


    鹿児島空港の飲泉湯(2007年10月27日) 

    足湯スペースの隣には飲泉湯があり、足湯の温泉を飲むこともできます。
    飲んでみると、硫黄の臭いがしているため、腐った卵を飲んでいるような(といっても、腐った卵を飲んだことはありませんが。)感じを受けました。あまり美味しくはなかったですが、酸っぱくもなく、刺激のある温泉ではありませんでした。
    鹿児島市内へ行くバスも来たので、口直しにお茶を飲み、鹿児島市内で鹿児島ラーメンを食べることを楽しみにしながら、バスに乗ることにしました。
    そうそう、飲用の注意事項があるため、 注意してください。
    え~っと、「飲用は食後とし、飲用の直後には茶、コーヒーなどを飲まないで下さい。」
    って、お茶飲んでもうたし、しかも食前やし。ああ、気のせいか、気分も悪くなっているような気がするし、どないなるんやろ、この旅は。
    (結局、何もなく、無事に2日間鹿児島で過ごすことができました。)

    2007年10月21日日曜日

    色々あったこの土日

    この10/20及び10/21は色々とありました。
    まず、10/20に母親が(私にとっては)いきなり大阪に来たことです。大阪市内の病院に向かう途中でいきなりメールが携帯電話に入り、「今、船に乗りました。」とのこと。寝耳に水の私は弟に母親の来阪を確認すると、「知っているよ。」とのこと。母親曰く、10/18及び10/19に電話をしたとのことですが、電話をかけたときには不在だったので、私の弟に告げ、私には告げなかったそうです。10/21に家具が搬入されるので、その手伝いにきたとのこと。100%私が大阪にいることを確信できるとはいえ、(事実、家具搬入があるので、大阪にいなければならないのですが、)やや強引な気がします。ちなみに、来週は鹿児島に行くので、来週だったら確実に私に会えません。
    次に、堺まつりのパレードが10/21に行われました。パレードについては、「しゅらくの堺ぶらり見聞録・第34回堺まつり開催」を参照願います。


    我孫子道3番線より発車(2007年10月21日) 

    この堺まつりが行われているため、阪堺線の我孫子道~浜寺駅前が臨時増発となり、6分ごとに電車が来ていました。パレードの途中で、我孫子道へ行き、3番線からの発車の写真を撮影しました。(このとき、グループで行動されていた同業者も見かけました。また、我孫子道の近所のおばちゃんに「今日は撮影会ですか?」という始末でした。㤭Ф
    家具搬入があるので、自宅に戻り、母親と一緒に家具搬入を待っていると、家具がやってきました。てっきり、できあがったものを持ち込むだけと思っていましたが、パーツを持ち込み、その場で組み立てたので、1時間ぐらい作業を見学することになりました。


    大小路電停・ふとん太鼓と阪堺線(2007年10月21日) 

    家具搬入後、再び堺まつりのパレードを見に行きました。ふとん太鼓がちょうど大道筋にさしかかっていたところなので、阪堺線とふとん太鼓を一緒に撮影しました。


    いっぱいいる阪堺線電車(2007年10月21日) 

    しかし、本当に今日の阪堺線は本数が多く、電車の中から2両3両が見えていました。6分ごとに電車がくれば、かなり便利になると思うのですけどね~。



    綾ノ町での少女達(2007年10月21日) 

    こうして、綾ノ町電停で降ると、電車の中から、「カメラマンさ~ん。」とかわいい声が聞こえてきました。声のする方を見ると、「写真撮って~。」とかわいい少女達が声をかけてくるではないですか。「はい、チーズ。」とシャッターを切った写真が上の写真です。「ホームページに載せるからね。」と告げてから、彼女たちは電車とともに去っていきました。


    河口慧海生家の跡(2007年10月21日) 

    話は続行し、「しゅらくの堺ぶらり見聞録」での『「てくてくろーど」を行く』シリーズで取り損ねた河口慧海生家の跡の碑の撮影をするべく、綾ノ町電停から北上し、何処にあるかわからないで、北旅籠町西でカメラをもちながらうろうろしていると、「何を撮影していますのん?」と通りがかりの酒を飲んだおっちゃんが声をかけてきました。ちょうどいいやと思い、「河口慧海の生まれた家の碑って、どこにあります?」を逆に質問したら、おっちゃん曰く、「知らへんで。」ああ残念と思っていたら、別の更に歳のとったおっちゃんが「ここから2、3軒さきにあるで~。」と教えていただきました。そしたら、先に質問してきたおっちゃんが「河口慧海ってどんな人。」ということになり、一緒に碑を探すことになりました。見つけたのですが、「わからんわ、こんなとこにあったら。」というくらい非常にわかりにくいところにあり、以後話が弾み、次の風間寺も付き合ってくれ、高須神社電停で分かれました。いろいろな話を聞かせてもらい、大変おもしろかったです。
    その後、イトーヨーカ堂へ行き、母親と弟と一緒に夕飯を食べ、とりあえず休みは終了しました。家族との再会、いろいろな人との出会い、いろんな意味で楽しかった休日でした。次週は鹿児島です。「しゅらくの日本全国路面電車の旅」の取材等を行います。どうなることやら。

    赤福餅について

    赤福餅 

    三重県・伊勢地方ばかりでなく、大阪から名古屋に驅け、広く販売されていた「赤福餅」に売れ残った商品を一部冷凍保存し、製造日を改竄して再販売したり、あんこともちを分離し、一部を再利用するという事実が判明しました。あまりに有名な和菓子の不祥事なので、日本全国が驚きに包まれました。
    ところで、「赤福餅」には私が弟と話していたときに気づいたのですが、「赤福餅」を購入すると、水っぽくない普通の「赤福餅」にときどき水っぽい赤福餅が混じっていたことがありました。当時は何故かわかりませんでしたが、おそらく、それが冷凍保存された「赤福餅」を解凍したものだったのでしょう。冷凍保存された料理を解凍すると、料理が水っぽくなることがよくあります。
    売れ残りの商品を冷凍、再販売し、その製造日を改竄するのは、消費者に対する背信行為といえます。赤福餅の名前の由来となった『赤心慶福』は「まごころ(赤心)を尽くことで素直に他人の幸せを喜ぶことができる。」という意味ですが、その精神はどこに行ってしまったのでしょうか?
    ところで、上記のことは34年前から行われているとのことなので、私が伊勢へ修学旅行に行ったときには既に不正が行われていたことになります。やれやれ。

    2007年10月15日月曜日

    ドラマのロケ現場を見学した。

    ドラマの撮影 in 浜寺公園駅

    2007年9月30日、貝塚から堺市内の自宅に戻るときに、たまたま阪堺線へ乗り換えるため、浜寺公園駅に降りたところ、なにやら人だかりがあるのを見ました。しかも、よく見ると、現代風の服装の中に、戦後すぐのような、しかも完全に冬の服装を着ている明らかに浮いている人たちがいました。
    現代風の服装をしたギャラリーの話し声を聞き取ると、どうやらNHKのテレビドラマのロケがこの浜寺公園駅で行われるらしいとのこと。どうせ、暇だし、ロケでも見学をすることにしました。
    上の写真は撮影が始まる30分以上前のもので、手前の方々がロケを見学しているギャラリー、奥の人たちがエキストラの方々です。改札口跡の場所にセットが組み立てられ、戦後すぐのようなポスターがたくさん貼られているようでした(写真中央)。(本番での写真撮影はスタッフの方から厳重に禁止されていましたので、撮影しておりません。)
    セットの位置の確認、エキストラの方々の立ち位置の確認、演技の確認等があり、私が浜寺公園駅を降り、リハーサルが行われるまで1時間程度経過しました。その間にもギャラリーは増えてきました。
    リハーサルが行われた後も、特急ラピートやサザンが通過し、なかなか本番が始まりませんでしたが、いよいよ本番となったときに、主演女優が登場しました。
    本番は1回では終わらず、2回目でOKが出ました。この後、すぐに撤収作業が始まり、あっという間に撮影が終了しました。わずか1分たらずの撮影のために1時間以上の準備がロケ撮影には必要なことがわかり、大変な仕事だと改めて思いました。
    ところで、遠目だったのと、何のドラマのロケなのかわからなかったこともあり、主演女優が誰かわかりませんでした。とほほ。(後で、ウェブサイトで調べたところ、この11月下旬にNHKで3夜連続で放送される「海峡」というドラマで、主演女優の長谷川京子さんがいらっしゃたようです。)

    2007年10月9日火曜日

    盲腸線の旅(第29回)~南海汐見橋線・岸里玉出駅

    今回は南海汐見橋線の終点、岸里玉出駅です。
    南海本線が地平を走っていた時代、南海高野線(汐見橋駅~極楽橋駅間)は南海本線をオーバークロスしていましたが、南海本線が高架になり、南海高野線は岸里玉出駅で分断されることになりました。

    南海・汐見橋線・岸里玉出駅・汐見橋線ホーム(2007年6月16日)

    岸里玉出駅は高架駅であり、6番線の汐見橋線ホームは1面1線の単式ホームです。


    南海・汐見橋線・岸里玉出駅・南海本線ホームより(2007年6月16日)

    高野線ホームが1、2番線、南海本線ホームが3、4番線となっています。上写真でもわかるとおり、ホームのない難波方面行きの通過線があるため、5番線ホームがありません。
    汐見橋線は今回で終了となります。
    次回は南海高師浜線の羽衣駅の予定となります。

    2007年10月2日火曜日

    盲腸線の旅(第28回)~南海汐見橋線・西天下茶屋駅

    南海・汐見橋線・西天下茶屋駅・岸里玉出方面駅舎

    今回は南海汐見橋線の西天下茶屋駅です西天下茶屋駅の岸里玉出方面の駅舎は趣のあるものとなっています。


    南海・汐見橋線・西天下茶屋駅・汐見橋方面駅舎

    一方、汐見橋方面にも駅舎があります。なお、西天下茶屋駅は無人駅となっています。


    南海・汐見橋線・西天下茶屋駅・駅構内

    駅構内は2面2線の相対式ホームであり、この駅も年季の入ったものとなっています。
    ちなみに、西天下茶屋駅前商店街はNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」の舞台です。
    次回は南海汐見橋線の終点、岸里玉出駅の予定です。

    更新再開のお知らせ

    転居先でのインターネツト接続が復活しましたので、更新を再開します。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    2007年9月28日金曜日

    転居による更新休止のお知らせ

    私の転居のため、しばらく更新を休止します。
    おそらく、来週の半ば頃には更新を再開する予定です。
    阪堺線沿線に戻ることになりましたので、更新再開後、阪堺線の情報もお知らせできると思います。
    しばらくの間ですが、よろしくお願いいたします。

    2007年9月19日水曜日

    盲腸線の旅(第27回)~南海汐見橋線・津守駅

    南海・汐見橋線・津守駅・駅舎(2003年8月15日)

    今回は南海汐見橋線の津守駅です。津守駅は無人駅であり、駅舎もシンプルな造りとなっており、あまり愛想がありません。この駅舎は汐見橋方面ホーム側に建っています。


    南海・汐見橋線・津守駅・ホーム(2003年8月15日)

    2面2線の相対式ホームであり、岸里玉出方面ホームへは構内踏切で渡ります。構内は上屋の状態も含め、かなり年季が入っています。


    南海・汐見橋線・津守駅・高野線跨線橋(2004年10月23日)

    「新阪堺調査局」を本体とするこの「新・しゅらくの独り言」としては上の写真の跨線橋をふれなければなりません。
    この津守駅の岸里玉出側には上の跨線橋が存在しており、現在は車が通っていますが、かつては新設軌道(通称、専用軌道)が敷設されており、新阪堺線、後の大阪市電三宝線がオーバークロスして通っていました。


    南海・汐見橋線・津守駅・架線柱(2004年10月23日)

    新阪堺線は1927年(昭和2年)10月1日に開通しましたが、この新阪堺線が敷設されていた頃、南海高野線(現在の汐見橋線の区間を含む)は複線化を始めていた頃でした。1924年(大正13年)3月18日に住吉東~我孫子前間の複線化を皮切りに、1926年(大正15年)12月1日までに、新阪堺線が立体交差している木津川~西天下茶屋間を除き、汐見橋~堺東間の複線化が完了しました。以後、何故か木津川~西天下茶屋間は複線化がしばらく行われず、堺東~北野田間が複線化された後の1930年(昭和5年)4月12日にようやくこの区間が複線化されました。
    (南海高野線複線化の参考文献:『南海電気鉄道百年史』)
    何故木津川~西天下茶屋間の複線化が遅れたかについては、その原因として新阪堺線の跨線橋建設が遅れたことが考えられます(1927年(昭和2年)になってようやく建設されはじめました。)。
    ちなみに、上の写真は跨線橋付近の架線柱ですが、日付でもわかるように木津川~西天下茶屋間が複線化されたときに建てられたものです。
    次回は西天下茶屋駅の予定です。

    2007年9月16日日曜日

    岸和田だんじり祭と岸和田駅

    岸和田だんじり2007・地車(2007年9月16日)

    昨日、今日と岸和田でだんじり祭りが行われました。だんじりビデオやDVDが岸和田商店街で売られているように、岸和田っ子はこの時期になると居ても立っても居られないというほどの祭りです。
    堺っ子の私もせっかくの祭りを見物することにしました。
    この岸和田のだんじり祭りはすっかり全国区になり、しかも祭礼日を土日に設定したため、見物客がいっぱい来ていました。


    岸和田だんじり2007・臨時切符売場(2007年9月16日)

    岸和田駅でも1年のうち、最も乗降客が多くなる岸和田のだんじり祭りに対応するため、南海電鉄も職員を一時的に増員し、臨時切符売場や精算所、臨時改札を設置していました。


    岸和田だんじり2007・臨時改札口PiTaPa(2007年9月16日)

    ではPiTaPaはどうするのかなあ?と思っていたら、臨時の有人改札口に、「盲腸線の旅」の阪神武庫川線の東鳴尾駅、洲先駅でも登場したPiTaPa専用のIC読取り機を出場用として臨時に設置していました。
    なるほど、磁気カードは大がかりな自動改札機が必要になるけれども、ICカードはコンパクトなIC読取り機が必要になるだけなので、この点が優位なのか~と妙に感心した私でした。