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2008年1月21日月曜日

盲腸線の旅(第40回)~JR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)・紀和駅

JR紀勢線・紀和駅・仮設ホーム(2007年8月13日)

今回はJR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)の紀和駅です。紀和駅は現在、高架化工事のため、仮設ホームとなっています。単式ホーム1面1線の地上駅で無人駅となっています。


JR紀勢線・紀和駅・高架工事中(2007年8月13日)

仮設ホームの南側に、高架化の工事現場を見ることができます。


JR紀勢線・紀和駅・旧駅舎(2003年11月3日)

和歌山駅で少し述べましたが、このJR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅間)には複雑な経緯があります。特に、この紀和駅にとって凋落の歴史ともいえるでしょう。紀和駅は今でこそ、寂れた無人の中間駅となっていますが、元々は和歌山市のターミナル駅でした。ここでは紀和駅の歴史を中心にその経緯を述べたいと思います。
紀和駅(以下、当駅)は紀和鉄道(現在のJR和歌山線)が1898年(明治31年)に「和歌山駅」として開業させたものです。こうして、当駅は和歌山市第一のターミナル駅として、歴史が始まりました。
しかし、1903年(明治36年)に南海鉄道・南海本線のターミナル駅として和歌山市駅が開業し、大阪に行くのに便利な和歌山市駅に和歌山市第一のターミナル駅を奪われ、当駅は第二のターミナルとなりました。
その後、関西鉄道への買収、関西鉄道の国有化の経過があり、当駅は国鉄和歌山線の駅となりました。1924年(大正13年)には、紀勢西線が当駅から「東和歌山駅」である現在の和歌山駅を経て、箕島駅まで開業し、当駅は和歌山線と紀勢西線の分岐駅となりました。
1930年(昭和5年)に阪和電気鉄道が開業し、和歌山側のターミナルを「東和歌山駅」とし、紀勢線との接続駅を「東和歌山駅」とすると、当駅のターミナル駅としての地位は更に下がりました。阪和電気鉄道が南海鉄道・山手線を経て、1944年(昭和19年)に国有化され、国鉄阪和線となると、大阪から紀勢線へ国鉄のみでつながることとなり、大阪からの南紀ルートから当駅は外れるようになり、和歌山市における国鉄のターミナル駅は「東和歌山駅」に移りました。
当駅の凋落は戦後も続き、1968年(昭和43年)2月に当駅は現在の紀和駅と改称され、同年3月には「東和歌山駅」が和歌山駅と改称され、名実ともにターミナル駅としての地位を剥奪されました。
更に、和歌山駅発が和歌山線のメインルートとなり、当駅発のルートは廃止され、当駅は紀勢線の中間駅となりました。1978年(昭和53年)の紀勢線(新宮駅~和歌山駅間)の電化の際も、当駅を含む和歌山市駅~和歌山駅は電化されず、蓑島方面からの直通列車が激減しました。1985年(昭和60年)には急行「きのくに」が廃止され、当駅を発着する優等列車が消滅するとともに、列車の行き違い設備が撤去され、無人駅化されました。
そして、高架化工事によりかつてのターミナル駅の雰囲気を残した旧駅舎が取り壊され、高架化工事が完成したとき、当駅は完全に単なる中間駅となります。
なお、上の写真は高架化工事により取り壊された旧駅舎です。
紀和駅についてはこれで終了です。和歌山市駅~紀和駅間の路線についてはまだ述べたいことがありますが、それは和歌山市駅で述べたいと思います。
次回は和歌山市駅の予定です。

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