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2015年1月17日土曜日

阪神淡路大震災から20年経ちました。

阪神淡路大震災から20年経過しました。
今回は1995年1月17日の朝の話をしたいと思います。

当時は私は会社の社員寮があった大阪府高石市に住んでいました。海岸線が目と鼻の先にあり、付近には旧国道26号線があります。また、震災から10ヶ月後にセアカゴケグモが初めて発見された高石斎場の近くでもありました。

当日は火曜日で、ちょうど成人の日(1月15日)が日曜日と重なり、1月16日が振替休日となり、3連休となっていました。(今では成人の日が1月の第2月曜日にあてられているため、3連休は当たり前になっていますが、当時は1月15日固定だったので、3連休になると嬉しかったものです。)

通常であれば、6時半頃に目覚めるところですが、不思議なことに午前5時45分に目覚めました。しかも、前日はどちらかというと夜遅くに就寝したというのに。
「なんでやろ、こんな朝早くに起きるなんて。」と呟きながら、1分間ほど天井をぼーっとして見つめていると、突然、今までに経験したことのない強さの震動が襲ってきました。

「あかん、これはでかい地震や。震源地、この辺に間違いない。」
眠気は一気になくなったものの、動揺していたのか、頭だけをこたつの中に入れながら、震動が収まるのを待ちました。

震動が収まった後、早速テレビをつけ、NHKにチャンネルをあわせ、情報収集を行いました。各地の震度が報道されており、大阪は4(体感的にはそれ以上に思えましたが。)、京都は5、豊岡は5、彦根は5,姫路は4となっており、どうやら大阪が震源地ではなかったことがわかりました。しかしながら、このとき神戸の震度が表示されておらず、違和感を覚えたものです。その後、震度6が出て、神戸付近が震源地であることが判明し、更に震度7に修正され、この地震がとんでもない地震であることを認識しました。

時間が経過すると、神戸市内及び阪神地区の被害が明らかになってきました。三宮にある多くのビルの倒壊、グチャグチャに倒れている阪神電車、倒れている阪神高速3号神戸線、炎とともに黒煙をあげる長田の市街地がテレビから伝わってきました。

そうしているうちに出勤時間が近づいてきました。本来、新入社員であった私が事務所の鍵を持つことはなかったのですが、たまたま、責任者がその前の週の12日から13日(木曜日、金曜日)に風邪で休んでおり、私が鍵を持っていました。
南海電車も地震後の点検のために運転を見合わせていましたが、事務所のある石津川駅と社員寮のあった高石駅の距離はそう遠くなく、また、中間にある駅の一つである浜寺公園駅の近くには実家があり、そこに通うために自転車を浜寺公園駅前駐輪場に置いていました。
そこで、浜寺公園駅まで歩き、そこから事務所へは自転車で向かいました。誰もいない事務所に到着し、鍵を使って中に入りました。被害状況を確認すると、自分のPC-9801UV2のキーボードが少し傷ついた以外は被害はなく、安心しました。
その後、8時25分頃になると、一斉に事務所の複数の電話が鳴り始めました。全て、職員の遅刻を伝える電話でした。1時間後、所長が出勤し、残りの職員が出勤してきましたが、その日はあまり仕事になりませんでした。

この地震は自身が体験した1995年の出来事としては、一番印象に残っている思い出となっています。しかし、この地震と同じぐらいの衝撃を受ける事件がこの2ヶ月後に起こるとは思いませんでしたが。

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