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2009年6月27日土曜日

しゅらくの憂鬱・通勤編

西脇市・市役所前の坂道(2009年6月13日)

西脇は坂が多い町で、自宅と西脇の事業所の間には山があり、近道をすると、毎朝、強制山登りサイクリングを強いられます。遠回りをすれば、比較的平坦なコースとなるのですが、やはり近道を通りたいと思うので、よほどことがない限り、このコースを通ります。しかし、平坦な堺、広島を自転車で走行していた私としてはこの坂道はきついです。
しかし、この山をこえれば、あとは下り坂になり、恐ろしいくらいに自転車の速度が上がります。そのときの風がとてもいいのですけど。ただ、最近、この坂道コースを毎朝通っているためか、最初のうちは坂の頂上に達したときは息が切れ切れの状態だったが、最近では平気になってきました。
もしかしたら、筋肉がついたのかな。でも、早く自動車が来てほしいな。

大阪-西脇紀行(第1回)(6/6編)

さて、今回より「大阪-西脇紀行」が始まります。この「大阪-西脇紀行」は私、しゅらくが大阪市福島にある病院に通院するため、1ヶ月に1回必ず西脇-大阪を往復するのを利用し、様々な経路を試してみようという短絡的に思いついた企画です。
記念すべき第1回は大阪→西脇のみとなりますが、私の親父が転居の手伝いに徳島から西脇に来るというので、大阪から親父と合流する明石海峡大橋の高速舞子バス停に立ち寄り、そこからJRで西脇市駅まで行くことにしました。
利用する交通機関は次の通りです。

梅田
↓ 阪神電気鉄道・阪神本線
元町
↓ 神戸高速鉄道・東西線
西代
↓ 山陽電気鉄道・本線
舞子公園
↓ 徒歩
高速舞子バス停
↓ 徒歩
舞子
↓ JR西日本・山陽本線
加古川
↓ JR西日本・加古川線
西脇市


阪神・阪神本線・梅田駅(2009年6月6日)

まずは阪神梅田駅で直通特急・姫路行に乗車します。待っていたのは阪神なんば線でおなじみの1000系でした。乗り心地はよいのですが、いかんせん阪神山陽の直通特急は停車駅が多いため、なかなか舞子公園駅に着きません。


明石海峡大橋上のJRハイウェイバス(2009年6月6日)

結局、ちょうど良いタイミングで舞子公園駅に到着し、テクテクと高速舞子バス停まで歩いていきました。去年の11月24日に明石海峡大橋の高速舞子バス停で写真撮影しましたが、ここで親父を迎えることになるとは思いませんでした。


JR西日本・山陽本線・舞子駅(2009年6月6日)

親父とともにJR舞子駅に向かい、ここで姫路方面の快速電車に乗ることにしました。この舞子駅は新快速電車は無情にも通過するため、我々はただホーム上から眺めるだけです。


JR西日本・加古川線・加古川駅(2009年6月6日)

JRの快速電車で加古川駅まで到着し、いざ加古川線に乗ろうとすると、山陽本線と加古川線の間に自動改札機が設置されています。よく呼んでみると、加古川 線はICOCAに対応していないとのこと、つまり、PiTaPaも使用できないと言うことです。加古川線が大阪近郊区間に入っているのですっかり油断して しまいました。折角、PiTaPaで入場したのに意味ないやんけ。と思っていると、西脇市行は1時間に1本しかなく、しかもあと40分待たなければならな いとのこと。
「がび~ん!」衝撃を受けた私が20分ほど待つと、改造された103系が入線しました。ドアが開かないので訝っていると、ドアはボタンを押して開けるとのこと。
「が、がび~~ん!!」更に衝撃を受けた私は出発の時を根気よく待ちます。
改造103系が加古川駅を出発し、3、4駅経過すると、そこはすっかりローカルムードの車窓となり、乳牛も生で見ることができ、気分はすっかり「いい旅、夢気分」となりました。な、 なんで、新快速がバンバン走る山陽本線の隣にこんなローカルムードな加古川線が接続しているのだろうと思っていると、「牟岐線(徳島~阿南・牟岐方面に向 かうローカル線)なんか日和佐に向かう列車なんて2時間に1本程度しかないから、まだましやぞ。」親父が言うのを聞き、「え~い、ここで牟岐線と比べる な!!」と思わず言い返したい気持ちになりました。


西脇市駅前の神姫バス(2009年6月6日)

ともあれ、加古川線に約1時間ほど揺られ、ようやく西脇市駅に到着しました。とはいえ、西脇市駅は市街中心部よりかなり南にずれているので、神姫バスで自宅近くまで乗ることにしました。
結局、この旅程の半分近くを加古川線で使ったような気がします。 次回はどうやって大阪と西脇を往復しましょうか、う~む、ちょっと先が思いやられそうです。

2009年6月26日金曜日

せっかくなので、阪急三複線をじっくり観察した。(6/6)

阪急・神戸本線・十三駅付近(2009年6月6日)

S谷さんに斡旋してもらった新大阪のビジネスホテルに宿泊したので、福島の病院に行く前に、阪急神戸本線、宝塚本線、京都本線の三複線を淀川に架かる橋の十三駅側で阪急電車を撮影しました。
ビデオで三複線の特急及び急行電車が同時に淀川の橋梁を並んで走っている様子を撮ろうとしましたが、残念ながらうまく撮ることができませんでした。仕方がないので、この日はあきらめ、次回(おそらく7/4)に持ち越すこととしました。ただ、梅雨なので、天気が心配です。

2009年6月22日月曜日

いよいよ、堺とはしばらくのお別れです。(6/5)

堺・石津・堺港発電所(2009年6月5日)

6/5(金)、いよいよ、堺の事業所の最終日になりました。堺の事業所に再赴任にして4年、長かったようで短かった4年でした。6月第1週をホテル住まいしていた私は石津の最後の写真として、埋立地にある関西電力の発電所の煙突を撮影しました。
この日、仕事を終え、飲み会の後、S谷さんがご厚意で宿泊の手配をしていただいた新大阪駅のビジネスホテルに宿泊し、いよいよ、翌日西脇にむかうことになります。

2009年6月21日日曜日

写真雑記その15~めぞん二刻

めそん二刻(2009年5月31日)

さて、久しぶりの写真雑記のコーナーですが、前の記事で鍛冶屋線跡を自転車で疾走していると、「めぞん二刻」の文字が見えてきました。こんな写真雑記ネタを西脇に来て早々に見つかるとは思いませんでした。オーナーさんはめぞん一刻のファンなのでしょうか。
いや~、ほんまにびっくりした。

旧鍛冶屋線跡を辿る(5/31)


折角、西脇市に来たので、1990年(平成2年)に廃止された鍛冶屋線跡を自転車で行ける範囲で辿ってみました。新居は旧鍛冶屋線跡の道路のすぐ近くにあるので、まず市原方面に向かい、北上していきましたが、進めば進むほど淋しくなり、林の中を抜けていくような感覚に襲われ、本当に市原に着くことができるのかと不安になり始めたときに市原駅跡が見えてきました。市原駅跡にはキハ30系気動車が2両とホームが保存されていました。



続いて、旧駅舎を復元した鍛冶屋線市原駅資料館が建てられていました。



内部には鍛冶屋線の資料がたくさんしかもきれいに保管されており、地元の人の鍛冶屋線に対する想いが感じられました。
資料を読むと、まず、加古川~西脇(現アピカ)が、次いで西脇~鍛冶屋の鍛冶屋線が開業し、野村(現西脇市駅)~谷川の現加古川線がその後に開業したようです。なるほど、だからT見さんは加古川線のことを谷川線と呼んでいたわけなのかと、納得してしまいました。



では、市原駅跡で南に引き返し、旧西脇駅跡に建ったアピカ西脇まできました。このアピカ西脇には高速バスのバス停があり、ここから新大阪や大阪、神戸三宮に行くことができます。西脇~野村間の利用客は大変多かったみたいなので、廃止する必要があったのかなと思いますが、今となってはどうしようもないですね。



アピカ西脇からは自転車道になっており、これが西脇市駅まで続きます。西脇大橋付近では踏切の跡を見ることができます。



更に南に行くと、加古川線の西脇市駅に到着します。よくみると、旧鍛冶屋線が直線で、谷川に向かう現加古川線が曲がっており、旧鍛冶屋線が本線格なのがここでも解ります。
とりあえず、旧鍛冶屋線跡を辿る旅はひとまず終わりました。自動車に乗るようになったら、鍛冶屋駅跡も訪ねてみようと思います。
なお、翌日は再び大阪・堺に戻り、1週間ホテル住まいをすることとなりました。

さらば堺の家、そして(5/30)

堺の我が家その1(2009年5月30日)

5/30いよいよ転居する日がやってきました。あれだけ物だらけだった我が家もすっかり箱詰めされ、トラックに積み込まれたため、何もなくなってしまいました。いよいよ、西脇に向かうときが来ました。


堺の我が家その2(2009年5月30日)

部屋の窓から阪堺線を眺める生活もわずか1年半で終了しました。さらば、阪堺線!そして堺の我が家!
荷物を運ぶトラックとともに、阪神高速道路、中国自動車道を経由し、1時間半後には西脇の新しい住宅に到着しました。
西脇の新しい住宅に到着すると、兵庫のT橋さんが待っており、荷物の搬入を手伝っていただきました。一通り落ち着いた後、部屋で4時間ほど話し込み、その後、食事のため、四川料理の店に行き、やはり2時間ほど話し込みました。
なんだか、新しい場所での生活が楽しみになってきました。