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2009年6月21日日曜日

旧鍛冶屋線跡を辿る(5/31)


折角、西脇市に来たので、1990年(平成2年)に廃止された鍛冶屋線跡を自転車で行ける範囲で辿ってみました。新居は旧鍛冶屋線跡の道路のすぐ近くにあるので、まず市原方面に向かい、北上していきましたが、進めば進むほど淋しくなり、林の中を抜けていくような感覚に襲われ、本当に市原に着くことができるのかと不安になり始めたときに市原駅跡が見えてきました。市原駅跡にはキハ30系気動車が2両とホームが保存されていました。



続いて、旧駅舎を復元した鍛冶屋線市原駅資料館が建てられていました。



内部には鍛冶屋線の資料がたくさんしかもきれいに保管されており、地元の人の鍛冶屋線に対する想いが感じられました。
資料を読むと、まず、加古川~西脇(現アピカ)が、次いで西脇~鍛冶屋の鍛冶屋線が開業し、野村(現西脇市駅)~谷川の現加古川線がその後に開業したようです。なるほど、だからT見さんは加古川線のことを谷川線と呼んでいたわけなのかと、納得してしまいました。



では、市原駅跡で南に引き返し、旧西脇駅跡に建ったアピカ西脇まできました。このアピカ西脇には高速バスのバス停があり、ここから新大阪や大阪、神戸三宮に行くことができます。西脇~野村間の利用客は大変多かったみたいなので、廃止する必要があったのかなと思いますが、今となってはどうしようもないですね。



アピカ西脇からは自転車道になっており、これが西脇市駅まで続きます。西脇大橋付近では踏切の跡を見ることができます。



更に南に行くと、加古川線の西脇市駅に到着します。よくみると、旧鍛冶屋線が直線で、谷川に向かう現加古川線が曲がっており、旧鍛冶屋線が本線格なのがここでも解ります。
とりあえず、旧鍛冶屋線跡を辿る旅はひとまず終わりました。自動車に乗るようになったら、鍛冶屋駅跡も訪ねてみようと思います。
なお、翌日は再び大阪・堺に戻り、1週間ホテル住まいをすることとなりました。

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