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2004年3月8日月曜日

ボス追悼編

2月28日のほぼ1日を費やした会議にも出席し、3月1日の朝礼にはいつもと同じように出席していたので、あまりに突然の悲報に驚きを隠せませんでした。今回は故人を偲び、この独り言を記述したいと思います。なお、以下、故人をボスと呼称します。

私のプロフィールにも記述していますが、もともと私は薬学を専攻していました。ところが、私の就職活動が良くなかったためか就職に苦労することと なり、そのときに助けてくれた人がボスでした。こうして、私は1994年(平成6年)4月1日、完成直後の大阪・堺の事業所に配属されることとなりまし た。
大阪・堺の事業所の始動時には、今思えばよくこれでやったなというスタッフ(当然、私も含まれる訳ですが。)だったので、苦労の連続でした。ボス も新しい事業所を何とか安定化させようと、何度も東京から来阪したり、職員のてこ入れ、教育、東京からの応援等を行い、私が東京に転勤する前には大阪・堺 の事業所はようやく安定し始め、私の技量も何とかまともになり始めました。また、大阪にいた翌日には兵庫県西脇市に飛ぶなど精力的に仕事をされていまし た。
ところが、最近の経済情勢から例外なく、私の職場の経営も苦しく、そのトップともなると、かなりのストレスになったものと思われます。そのため、 ボスは一度倒れ、入院を余儀なくされました。退院後、大阪時代の私が知っているボスの姿は東京ではほとんど見ることができなくなりました。
ボスは実は阪神ファンで、2003年(平成15年)に18年ぶりに阪神が優勝したこともあり、非常に喜んでいました。私も阪神ファンなので、阪神 優勝祝勝会を企画し、ボスやその他の方に資金援助してもらい、(なんと東京で)楽しく六甲おろしを数回大合唱しました。そのとき、仕事時とは異なり、かな りうれしそうな表情をしていたのが非常に印象的でした。
2004年(平成16年)2月28日の会議の懇親会では偶然にもボスの対面の席に座ることとなり、仕事の話や大阪市電等の大阪の話で盛り上がりま した。普段は昼食で会ってもあまり多くは話さないのですが、このときはたくさん話すことができ、今にして思えば幸運だったと思います。また、ボスは競馬も しており、このときに東京競馬場での勝ち負けの話や東京競馬場-大井競馬場のはしご(しゅらくの独り言・東京競馬場スペシャル編及び大井競馬場スペシャル編と同じことです。)の話を聞くことができました。
2004年(平成16年)3月1日朝、新しく入社した方の紹介を最後にボスの声を聞くことはありませんでした。 我々としては突然トップがいなくなり、衝撃を隠すことができないのですが、残された者としては何もなかった かのように仕事を行わなければならないと思います。様々な困難が待っているかもしれませんが、乗り越えていかなければ行けないでしょう、銀河英雄伝説のヤ ン亡き後のヤン艦隊のように。
ボスのご冥福を祈りたいと思います。

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