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2010年9月3日金曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第4回(神戸市須磨区)

(赤い地域が今回訪れる神戸市須磨区)
(ピンクの地域が既に訪れた市町村)

堺っ子の兵庫県旅行記の第4回は再び摂津国の神戸市須磨区です。
神戸市須磨区といえば、白砂青松の海岸がある須磨海岸があり、夏になると、海水浴客でにぎわう場所です。
堺っ子としては、白砂青松の海岸といえば、浜寺を思い浮かべるのですが、これを思い浮かべるのはかなりの年齢の人になるかもしれません。(1961年、堺泉北臨海工業地帯造成により海水浴場としての浜寺の歴史は終わりました。)
(私の)須磨区のイメージは公園がやたら多いとともに、結構静かな住宅街といったところです。



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前回の垂水区からの続きなので、須磨浦山上遊園からスタートします。なお、上の地図にある水色の印の場所を訪れました。
なお、緑色の印は前回の神戸市垂水区で訪問した場所です。


(写真①)

リフトで谷を越え、せっつ駅に到着しました。ここはもう神戸市須磨区です。


(写真②-1)

ここには須磨浦展望閣があり、回転展望台(要は360°展望できる施設のことで、決して回転しているわけではありません。)よりすばらしい眺望をみることができます。


 (写真②-2)

この回転展望台からは写真②-2のような淡路島をはじめ、明石海峡から大阪湾までの眺望が楽しむことができます。


(写真②-3)

天気が良ければ、写真②-3の関西空港や友ヶ島も見ることができます。


(写真③-1)

では、須磨浦展望閣より須磨浦カーレーターで下へ降ります。


 (写真③-2)

カーレーターとは聞き慣れない乗り物ですが、複数のゴンドラを斜面にしかれたベルトコンベアで運ぶことにより人を運ぶ、リフトのような連続輸送システムです。このカーレーターは非常に珍しい乗り物で、現在、世界で唯一、この須磨浦山上遊園にあるだけです。(びわ湖バレイにもありましたが、廃止されています。)


 (写真③-3)

カーレーターのゴンドラは写真③-3のように降りていきます。なお、このカーレーター、結構揺れるので、撮影するのが大変でした。


(写真④-1)

カーレーターの下側の駅には東部展望台があります。ここからは明石海峡大橋ばかりでなく、東西に伸びる神戸の町並みが須磨から三宮あたりまで見ることができます。


(写真④-2)

白砂青松といわれた須磨の海岸が一望できます。


(写真⑤)

では、須磨浦ロープウェイに乗り、下に向かうことにします。しかし、それにしても、源義経はよくこんな坂を馬で駆け下りようと考えましたね。



(写真⑥)

須磨浦ロープウェイの須磨浦公園駅に到着しました。では、須磨浦公園を散策します。


 (写真⑦)

須磨浦公園駅の西側に平敦盛の胴塚があります。


 (写真⑧-1)

敦盛塚を離れ、須磨浦公園駅前の駐車場出入口のすぐ隣の道を入り、山陽電車の跨線橋(敦盛橋)を渡り、坂を登っていくと、いくつかの句碑があります。
まずは、与謝蕪村のものです。「春の海 終日(ひねもす)もたり もたりかな 蕪村」


 (写真⑧-2)

次に、少し移動すると、松尾芭蕉のものがあります。「蝸牛(かたつむり) 角ふりわけよ 須磨明石 芭蕉」
この句は前回の神戸市垂水区でも述べた堺川(境川)のほとりで作ったものです。


(写真⑧-3)

更に、坂を登ると正岡子規、高浜虚子の句碑があります。
「虚子の東帰に ことづてよ 須磨の浦わ 晝(昼)寝すと 子規」
「子規五十回忌 月を思ひ 人を思ひて 須磨にあり 虚子」



(写真⑨-1)

須磨浦公園の東側へ移動すると、みどりの塔があります。このみどりの塔は1954年に開催された国土緑化大会記念植樹祭に、昭和天皇・皇后両陛下御来神記念として建てられました。


(写真⑨-2)

このみどりの塔の正面から見て左側の地球儀が落ちています。これは阪神淡路大震災時に落ちたものをそのままにし、震災モニュメントとしているものです。


(写真⑩)

この須磨浦公園(須磨浦公園駅(西側)から一ノ谷バス停(東側)までの地域)は上述の文章でところどころ触れられていますが、源平の戦いの一ノ谷の戦いが行われた戦の浜です。


(写真⑪-1)

須磨浦公園を離れ、須磨海岸にやってきました。背景の山が鉢伏山、更にその後ろに明石海峡大橋が半分見えています。


 (写真⑪-1)

海水浴シーズン中なので、海の家もたくさん並んでいます。


 (写真⑪-1)

この海の家、実はJR須磨駅の真ん前にあります。徒歩1分以内にあるロケーションです。というのも、JR須磨駅は砂浜のすぐそばにあるためです。


(写真⑫)

JR須磨駅の東にある須磨海浜公園には「赤灯台」と呼ばれる鉄製の洋式灯台が保存されています。この「赤灯台」は2代目の和田岬灯台として使用されていたもので、1963年に廃灯になった後、この須磨海浜公園に移されました。
ちなみに、初代は8角形の木製洋式灯台で1871年に完成しました。木製洋式灯台である旧堺灯台は1877年に完成しているので、その6年前には和田岬には灯台があったことになります。なお、初代和田岬灯台は現存しておらず、旧堺灯台は現存する最古の木製洋式灯台となっています。


(写真⑬-1)

須磨海浜公園を離れ、須磨離宮公園を目指しますが、あいにく休業日のため、門が閉じていました。この須磨離宮公園は高校時代(高校は大阪市阿倍野区にあります。)に体育祭の代替で出かけた記憶があります。


(写真⑬-2)

須磨離宮公園前の歩道橋からも大阪湾が見えます。この離宮道の手入れされた松並木が良い雰囲気を出しています。この離宮道周辺はジェームス山とともに神戸西部の高級住宅地となっています。浜寺と同様、白砂青松の景勝地が閑静な住宅地にさせているのかもしれません。



(写真⑭-1)

少し場所を移動し、源平合戦ゆかりの須磨寺にやってきました。これは本堂です。この本堂は1602年に豊臣秀頼により再建されました。


(写真⑭-2)

立派な三重の塔があります。これは本堂に比べれば、最近の1984年に再建されたものです。


(写真⑭-3)

更に歩いていくと、平敦盛の首塚があります。平敦盛は首と胴が別々の場所に葬られていることになります。この須磨寺には立派な本坊、書院があり、また平清盛寄進の宝物等があり、色々と見所があります。



(写真⑮-1)

再び、須磨浦公園駅に戻り、海側にある須磨海つり公園を訪れました。ここは海釣りをする場所なので、釣り竿を持ってきたり、レンタルしたりするのですが、私は写真を撮るだけだったので、若干係員に怪訝そうな顔をされながら、入場料だけ支払い、中に入りました。



(写真⑮-2)

海つり公園から、砂浜に打ち寄せる波と海岸沿いを走るJR線を眺めることもできます。



(写真⑮-3)

海つり公園は沖合400mまで釣台が伸びており、この施設自体が大きな魚礁となっているようです。かなり沖まで行くことができるので、鉢伏山に隠されることなく、明石海峡大橋の全体を見ることができます。


(写真⑮-4)

この海つり公園から須磨浦公園側を撮影してみました。ちょうど、一ノ谷の古戦場を海から眺めたようになります。山が海岸にかなりせまっていることがわかります。

今回、私が訪れた場所は私が抱いていた須磨区のイメージ通りの場所でした。長田区に近い鷹取付近や北区・西区に近い名谷付近ではまた違った雰囲気にはなるのでしょうが、それは別の機会に確認することとします。
次回は神戸市兵庫区です。

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