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2011年8月28日日曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第8回(赤穂市)


久しぶりの堺っ子の兵庫県旅行記の第8回は播磨国の赤穂市です。実は前回の小野市との間に、神戸市北区、明石市、西宮市、香美町、新温泉町及び淡路市を訪問しており、今回は神戸市北区の予定でしたが、諸般の事情で赤穂市を先に紹介します。


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さて、赤穂市といえば、忠臣蔵と塩田ではないでしょうか。忠臣蔵であまりに知られているため、播州(播磨国)のイメージが赤穂に引きずられてしまっている感があります。



(写真①-1)

JR加古川線、山陽本線及び赤穂線を乗り継いで、播州赤穂駅にやってきました。


(写真①-2)

駅の南出口には「忠臣蔵」と大きく書かれた額が飾られていました。


 (写真①-3)

出口の階段には仮名手本忠臣蔵の双六からとったと思われる絵が壁に埋め込まれていました。


(写真②)

播州赤穂駅を出て、南に向かうと、赤穂城の大手門が見えてきます。


(写真③-1)

大手門を入るとすぐに、大石邸長屋門に到着します。その名の通り、浅野家筆頭家老大石内蔵助一家三代が57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋です。元禄14年(1701年)3月の浅野内匠頭長矩の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいた門でもあります。


(写真③-2)

大石邸は現在、赤穂大石神社の境内となっています。この赤穂大石神社の参道には47士の石像が並んでいます。


(写真③-3)

元禄赤穂事件以降、義士を称える人々により旧赤穂城の大石邸に小さな祠が設けられ、密かに祀られていましたが、1900年(明治33年)に「大石神社」として創建することが政府より許可され、1912年(大正元年)に社殿が竣工しました。 


 (写真③-4)

四十七士に関する宝物が義士宝物殿、宝物殿別館に展示されています。内蔵助が討ち入りに使用した采配等ばかりではなく、赤穂浅野家断絶後に赤穂を治めた森家の宝物も展示されています。


(写真③-5)

また、四十七士、浅野内匠頭長矩及び萱野三平重実の木像を収めた義士木像奉安殿、先ほどの大石邸長屋門の裏手にある大石邸庭園もあり、かなり見所があります。これらの4カ所については大人1人420円で拝観できます。


(写真④)

赤穂城址は公園となっていますが、その隣接するところに赤穂市立歴史博物館があります。赤穂市の歴史に関することが展示されており、元禄赤穂事件だけではなく、塩田開発で発展した赤穂の歴史が見ることができます。千種川からの上水道の資料もあり、大人1人200円で入場できます。
ここで人形浄瑠璃文楽「仮名手本忠臣蔵」の三段目及び四段目(塩冶判官高貞の高師直への刃傷と塩冶判官高貞の切腹の場面)のダイジェストビデオを見ることができます。仮名手本忠臣蔵は太平記の設定に仮託したものなので、浅野内匠頭長矩は塩冶判官高貞に、吉良上野介義央は高師直としています。


(写真⑤-1)

赤穂市立歴史博物館を後にし、赤穂城址の本丸に来ました。本丸跡には本丸御殿や天守閣といった建物がなく、天守台のみが残っています。


(写真⑤-2)

天守台から望んだ本丸跡です。右側に本丸御殿の間取りが示されています。この赤穂城址では工事が行われており、復元作業を少しずつ進めているものと思われます。


(写真⑥-1)

さて、赤穂城址を離れ、赤穂市立民俗資料館にやってきました。この建物は元々1908年(明治41年)に塩務局の庁舎として建てられました。現存する塩務局庁舎としては保存状態が良く、明治末期の洋風建築としても価値の高いものです。
その後、1949年(昭和24年)に日本専売公社赤穂支局、1982年(昭和57年)に赤穂市立民俗資料館となりました。この資料館には大人1人100円で入場できます。


(写真⑥-2)

かなり暑かったので、しばらく涼んだ後に、館内を見学しました。このような昔の道具がたくさん展示されていました。


(写真⑥-3)

古い紙幣も展示されていました。伊藤博文、岩倉具視といった私も使用したことのある紙幣はもちろん板垣退助の100円札やそれ以前の紙幣もありました。


 (写真⑦-1)

さて、赤穂市中心街を後にし、播州赤穂駅から岡山方面へ2駅目の備前福河駅に向かいました。
あれ、ここは兵庫県旅行記ではないかと思われる方もいると思いますが、ここは間違いなく兵庫県赤穂市です。ただし、ここは播磨国ではなく、備前国にあたる場所です。
というのは、1955年(昭和30年)3月1日、岡山県和気郡福河村にあったこの地に備前福河駅が開業した後、1963年(昭和38年)9月1日、地元の要望により備前福河周辺が兵庫県赤穂市に編入された経緯があるからです。


(写真⑦-2)

備前福河駅の後ろに見えるJA兵庫西がこの地が兵庫県にあることを示しています。
この後、播州赤穂へ向かい、播磨の中心地、姫路で一泊しました。
次回こそ神戸市北区をお伝えしたいと思います。

2011年3月21日月曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第7回(小野市)


半年ぶりの堺っ子の兵庫県旅行記の第7回は摂津国ではなく、播磨国の小野市です。
小野市は播磨国にあり、摂河泉の堺市出身の私には少しイメージしにくい場所です。そろばんが名産品です。
なお、諸般の都合により暑さがようやく落ち着き始めた春木だんじり祭の翌週の取材を寒さがようやく落ち着きつつある時期にアップしています。



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今回は電車ではなく、車で回ることとします。今回はひまわりの丘公園からスタートします。なお、上の地図にあるマゼンダ色の印の場所を訪れました。


(写真①-1)

では、ひまわりの丘公園に入ります。


 (写真①-2)

このひまわりの丘公園はその名の通り、花畑にひまわりが植えられているばかりか、季節により菜の花、コスモスが植えられています。また、遊戯施設、レストラン、小野の物産、野菜及び米パンを販売する場所もあり、市民がたくさん訪れています。


(写真①-3)

ひまわりの丘公園にはキツネ塚古墳群がありますが、こんもりとした土盛なので、見つけにくいかもしれません。


(写真②-1)

ひまわりの丘公園を離れ、南東にある浄土寺に向かいます。境内へ入るのに拝観料は必要ありません。浄土寺は平安時代末期~鎌倉時代初頭にあたる建久年間(1190年~1198年)に創建された高野山真言宗の寺院であり、本尊は薬師如来と阿弥陀如来です。


(写真②-2)

浄土寺の境内中央にある池の東側にある薬師堂です。近世では本堂として扱われていました。「浄土寺縁起」によると、後述する広渡廃寺の本尊であった薬師如来坐像をこの薬師堂に安置されたとのことです。この薬師堂は永正14年(1517年)に再建されたものです。ちなみに国の重要文化財に指定されています。


(写真②-3)

次に浄土寺の境内中央にある池の西側にある浄土堂です。浄土堂は国宝に指定されており、建久5年(1194年)に上棟され、「天竺様」という建築技法を用いています。東大寺南大門とともに「天竺様」を伝える貴重な建物であり、お堂としては日本唯一のものです。
薬師堂及び浄土堂の東西の配置は東方瑠璃光世界の教主である薬師如来がいる場所、西方極楽浄土の教主である阿弥陀如来がいる場所に合わせています。


(極楽寺浄土寺のパンフレットより引用)

また、浄土堂には仏師快慶による阿弥陀三尊像があります。この阿弥陀三尊像も国宝に指定されています。なお、この阿弥陀三尊像は写真撮影禁止のため、浄土寺のパンフレットのものを引用しました。好天の日には堂背の蔀戸から射し込む西日が床に落ち、その反射を背景に西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊の姿を拝することができるとのことです。
なお、この阿弥陀三尊像がある浄土堂に入るには拝観料が必要となります。

<浄土堂の拝観について>
拝観時間:
9:00~12:00、13:00~17:00(4月~9月)
9:00~12:00、13:00~16:00(10月~3月)
(12月31日及び1月1日は拝観できません。)
拝観料:500円


 (写真③-1)

さて、浄土寺から少し移動し、共進牧場にやってきました。共進牧場といえば、サンテレビで放映されていたCMを思い出します。


(Astalot117さんがアップした共進牛乳CMの動画、YouTubeより)

『きょうしんぎゅ~うにゅ~う、よ~いぎゅ~うにゅ~う(共進牛乳、良い牛乳)』のCMソングが私には印象に残っています。そういえば、写真③-1の建物は1970年代からあるのですね。


(写真③-2)

牧場なので、当然のことながら牛がいます。


(写真④-1)

また、国道175号線(小野バイパス)を越え、旧国道175号線方面に向かうと、浄土寺で少し触れた広渡廃寺跡歴史公園があります。この広渡寺は平安時代後半まで続いていましたが、その後荒廃しました。基壇と呼ばれる建物の基礎部分があるため、建物の配置がわかります。


(写真④-2)

この史跡の端に1/20スケールの伽藍縮小模型があり、往事の様子を偲ぶことができます。かなり大規模な寺院だったようです。
<広渡廃寺跡歴史公園の利用>
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)入園料:無料


 (写真⑤-1)

さて、今回の締めも温泉です。今回は白雲谷温泉ゆぴかです。湯量及び成分とも豊富であり、三木断層から湧出した温泉基準の14倍以上の成分を含んだ温泉は疲れを癒すには十分です。


 (写真⑤-2)

この白雲谷温泉はその名の通り、白雲谷池のほとりより湧出しています。そのため、このような美しい景色を眺めながら、温泉に入ることができます。

<白雲谷温泉ゆぴかの利用について>
営業時間:10:00~22:00(年末年始、施設定期点検日は休み)
入浴料:大人(中学生以上)600円 小人(小学生)300円
ウェブサイト:http://www.yupika.com/op.html


(写真⑤-3)

白雲谷温泉で汗を流し、疲れを癒した後はやはりフルーツ牛乳でしょう。共進牧場のフルーツ牛乳をグイッと飲み干し、白雲谷温泉を後にしました。
今回は小野市の郊外を主に訪問しましたが、小野市中心街もいずれ訪問したいと思います。
次回は神戸市北区です。

2010年10月6日水曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第6回(宝塚市)



堺っ子の兵庫県旅行記の第6回は神戸市を離れ、摂津国の宝塚市です。
宝塚市といえば、箕面有馬電気軌道として始まった現在の阪急電鉄の宝塚本線の終点であり、宝塚歌劇団やかつての宝塚ファミリーランド等があった阪急グループの牙城の一つがある場所をイメージします。


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今回は阪急宝塚駅前からスタートします。なお、上の地図にある紫色の印の場所を訪れました。


(写真①)

では、手塚治虫記念館へ向けて歩いていきます。


(写真②)

駅前の商店街を抜けると、花のみちと呼ばれる遊歩道があります。残暑が厳しい中、この道を歩いていきます。


(写真③)

花のみちを通っていくと、宝塚バウホール(写真③)、宝塚大劇場と宝塚歌劇が上演されるホールが現れてきます。


(写真④)

その宝塚バウホールと宝塚大劇場の前にはベルサイユのばらの像が建っています。



(写真⑤-1)

花のみちを歩き終わり、阪急今津線の高架下をくぐると、手塚治虫記念館が見えてきます。
手塚治虫は1933年(昭和8年)から1952年(昭和27年)の間、現在の兵庫県宝塚市に在住していました。では、中に入ります。


2010年9月24日金曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第5回(神戸市兵庫区)


堺っ子の兵庫県旅行記の第5回は摂津国の神戸市兵庫区です。
神戸市兵庫区といえば、大輪田泊、兵庫津と呼ばれる日宋貿易で栄えた港町であり、兵庫県の名称の由来となった場所です。
堺っ子の私の個人的なイメージとして、兵庫区の東側にある中央区の三宮や元町の華やかさに隠れて、あまりイメージできませんが、両親の話から昔は栄えていた街だったというイメージをもっています。




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今回はJR和田岬駅前からスタートします。なお、上の地図にある黄色の印の場所を訪れました。黄色の線は兵庫七福神を訪問するために通った道です。



(写真①:2010年8月22日)

さて、車を和田岬駅の地下駐車場に駐め、「盲腸線の旅」で訪問した和田岬駅からスタートします。3年前と異なり、駅舎が無くなっており、その跡にはコンビニとバス停みたいな上屋をもった簡素な駅となっていました。


(写真①:2007年6月3日)

ちなみに、上の写真は3年前の和田岬駅です。


(写真②)

和田岬駅はJR和田岬線と神戸市営地下鉄海岸線が乗り入れており、地下鉄海岸線が通っている道路より海側は三菱系の企業の敷地となっており、勝手に入ることはできません。ということで、海側からその様子をうかがうことにします。7月に乗船した神戸港をクルーズした際、撮影したのが上の写真です。海上自衛隊の潜水艦が三菱重工業・神戸造船所にいます。ウィキペディアで調べたところ、「はくりゅう」という名称があるようです。就役は2011年2月の予定とのことなので、これは就役前です。


(写真③)


同じく、7月に撮影した和田岬の様子です。この和田岬付近に和田岬砲台があるはずなのですが、どこにあるのかわかりませんでした。
地図で見ると、和田岬は特徴ある出っ張った形をしていますが、これは旧湊川から運ばれた土砂と明石海峡からの海流により運ばれた土砂が堆積したために形成されました。

2010年9月6日月曜日

堺っ子の兵庫県旅行記の訪問各市町村区一覧を作成しました。

堺っ子の兵庫県旅行記の訪問各市町村一覧を作成しました。右上のページにある「堺っ子の兵庫県旅行記訪問各市町村区」をクリックすることで、アクセスできます。
こうして、兵庫県の地図を見ると、西脇市(43の地域)はやや阪神地区、丹波地区に寄っていますが、ほぼ兵庫県の中央に位置しています。まさに絶好のロケーションです。
業務連絡は以上です。

2010年9月3日金曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第4回(神戸市須磨区)

(赤い地域が今回訪れる神戸市須磨区)
(ピンクの地域が既に訪れた市町村)

堺っ子の兵庫県旅行記の第4回は再び摂津国の神戸市須磨区です。
神戸市須磨区といえば、白砂青松の海岸がある須磨海岸があり、夏になると、海水浴客でにぎわう場所です。
堺っ子としては、白砂青松の海岸といえば、浜寺を思い浮かべるのですが、これを思い浮かべるのはかなりの年齢の人になるかもしれません。(1961年、堺泉北臨海工業地帯造成により海水浴場としての浜寺の歴史は終わりました。)
(私の)須磨区のイメージは公園がやたら多いとともに、結構静かな住宅街といったところです。



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前回の垂水区からの続きなので、須磨浦山上遊園からスタートします。なお、上の地図にある水色の印の場所を訪れました。
なお、緑色の印は前回の神戸市垂水区で訪問した場所です。


(写真①)

リフトで谷を越え、せっつ駅に到着しました。ここはもう神戸市須磨区です。


(写真②-1)

ここには須磨浦展望閣があり、回転展望台(要は360°展望できる施設のことで、決して回転しているわけではありません。)よりすばらしい眺望をみることができます。


 (写真②-2)

この回転展望台からは写真②-2のような淡路島をはじめ、明石海峡から大阪湾までの眺望が楽しむことができます。


(写真②-3)

天気が良ければ、写真②-3の関西空港や友ヶ島も見ることができます。


(写真③-1)

では、須磨浦展望閣より須磨浦カーレーターで下へ降ります。


 (写真③-2)

カーレーターとは聞き慣れない乗り物ですが、複数のゴンドラを斜面にしかれたベルトコンベアで運ぶことにより人を運ぶ、リフトのような連続輸送システムです。このカーレーターは非常に珍しい乗り物で、現在、世界で唯一、この須磨浦山上遊園にあるだけです。(びわ湖バレイにもありましたが、廃止されています。)


 (写真③-3)

カーレーターのゴンドラは写真③-3のように降りていきます。なお、このカーレーター、結構揺れるので、撮影するのが大変でした。


(写真④-1)

カーレーターの下側の駅には東部展望台があります。ここからは明石海峡大橋ばかりでなく、東西に伸びる神戸の町並みが須磨から三宮あたりまで見ることができます。


(写真④-2)

白砂青松といわれた須磨の海岸が一望できます。


(写真⑤)

では、須磨浦ロープウェイに乗り、下に向かうことにします。しかし、それにしても、源義経はよくこんな坂を馬で駆け下りようと考えましたね。