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2014年3月1日土曜日

年末年始旅行(2013~2014年)(15)大阪宿泊・京阪堺移動編


蹴上駅から京阪山科駅に戻り、JR山科駅(A)で乗り換えました。目的は14:15発の関空特急はるかに乗車し、天王寺駅から阪堺電車に乗ろうという算段でした。
ところが、乗車した14:08発の新快速・網干行きが京都駅(B)に到着したのは14:13を少し過ぎていました。さすがに、乗り換えができるはずもなく、購入した自由席特急券をどうするか思案することとなりました。


思案した結果、14:49発のひかり471号岡山行きに乗車することにしました。帰省ラッシュもあったので、デッキに乗車し、京都(A)から新大阪(B)に向かいます。


新大阪駅(A)で在来線であるJR京都線に乗り換え、そのまま大阪駅に向かいます。

大阪駅でJR大阪環状線に乗り換え、内回りで新今宮駅に向かい、新今宮駅で南海本線に乗り換え、堺駅(B)まで向かいます。
堺駅から南海バスで弟のどりあん邸に向かい、どりあんと合流し、友人との忘年会を行うため、北花田駅に向かいます。


北花田駅(B)には堺東駅(A)からバスで向かいます。予定より早く到着したので、北花田駅前にあるイオンモール堺北花田で時間をつぶすことにしました。おかけで、2冊の本(「シュリーマン旅行記 清国・日本」「朝鮮紀行」)を購入することになりました。


現地集合だったので、歩いて「ときはま線」を南下し、かごの屋で忘年会をすることになりました。病気や入院の話題で盛り上がり、我々もすっかり歳をとったと感じました。


楽しい1次会の後、カラオケで2次会を1次会同様に楽しく行いました。こうして1年の最後を飾る恒例行事が終了し、私とどりあんはどりあん邸に戻りました。

2011年3月28日月曜日

パンクしない自転車が被災地に送られたようです。

ニュースを見ていたら、自転車を被災地へ送ることが報道されていました。
被災地では自動車が使用できないため、自転車が活躍するそうですが、がれき等が多いため、中に空気が入っている普通のタイヤではパンクが頻繁に発生するそうです。そこで、16年前の阪神淡路大震災の経験をふまえ、中に特殊な樹脂が入ったタイヤの自転車144台が被災地である仙台市へ堺市が送ったとのことです。
我が故郷、堺市は自転車のまちでもあり、国産自転車・部品製造のシェア4割があります。また、堺市と仙台市との関係性は、伊達政宗が仙台城を築く際に堺の石工を招いたことから始まります。その仙台城の移徒式(1603年・慶長8年)の祝宴の際、伊達政宗が石工たちに踊りを所望し、即興で踊ったものが現在の「仙台すずめ踊り」につながっています。
更に石巻市にも150台を送るとのことです。
ナイス、堺市!

2009年7月15日水曜日

遂に自動車を買ってしまった………

マイカー(2009年7月11日)

西脇に転勤したという事情もありますが、よもやこの私が自動車を買うことになろうとは3ヶ月前には想像もしませんでした。私はトヨタのVitzを購入してしまいました。納車は7/11でした。
元々自動車に全く興味がなかったので、自分の目的と無難な線で選んでしまいました。とは言え、ETCを付け、Bluetooth対応のカーナビを付け、ハンズフリーでの会話ができるようにしました。相変わらず情報系の機器には弱いことが判明したしゅらくでした。
いくら興味がなかったとはいえ、自分が選んで購入した愛車には違いありません。そこで、この愛車に名称をつけることにします。
その名は「Tramway Killer(路面電車殺し)」です。とりあえず、日本全国の全併用軌道を路面電車とともに併走できればと考えています。
で、愛車納車から2日目、仕事によるものとはいえ、9年ぶりに車の運転をした私が向かった先は、恐ろしいことに、


マイカーin堺浜(2009年7月12日)

我が故郷、堺です。中国自動車道を走り、渋滞の阪神高速道路を抜け、堺市内に入り、堺駅前まで走りました。プラットプラットの駐車場に止めたりするなど、運転のリハビリをする間もなく、いろいろなことを経験しました。その後、ホームセンターに行くため、堺浜シーサイドステージに向かいました。とにかく、堺は暑いこと、暑いこと。明らかに西脇より暑いです。


初音ミク(フィギュア(2009年7月12日)

折角、堺浜に行ったので、ちょっと高級な回転寿司を昼食として食べ、隣のゲームセンターに入り、クレーンゲームをしました。そうすると、500円で初音ミクのフィギュアをゲットしてしまいました。
その後、大和川を渡り、予定外だった大阪市内の運転もやってしまいました。歩行者、自転車、バイク等が非常に多く、神経がとても疲れてしまいました。再び、渋滞の阪神高速道路、中国自動車道を通り、仕事場へ行き、(西脇の事業所にとっての)新しいシステムの準備を行い、自宅に戻ったときには日が沈む直前でした。
というわけで、路面電車及び鉄道がメインとなっているこのブログにも「自動車の話題」のカテゴリーが加わってしまいました。おそらく、あらゆるところにドライブをすると思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

2009年6月22日月曜日

いよいよ、堺とはしばらくのお別れです。(6/5)

堺・石津・堺港発電所(2009年6月5日)

6/5(金)、いよいよ、堺の事業所の最終日になりました。堺の事業所に再赴任にして4年、長かったようで短かった4年でした。6月第1週をホテル住まいしていた私は石津の最後の写真として、埋立地にある関西電力の発電所の煙突を撮影しました。
この日、仕事を終え、飲み会の後、S谷さんがご厚意で宿泊の手配をしていただいた新大阪駅のビジネスホテルに宿泊し、いよいよ、翌日西脇にむかうことになります。

2009年6月21日日曜日

さらば堺の家、そして(5/30)

堺の我が家その1(2009年5月30日)

5/30いよいよ転居する日がやってきました。あれだけ物だらけだった我が家もすっかり箱詰めされ、トラックに積み込まれたため、何もなくなってしまいました。いよいよ、西脇に向かうときが来ました。


堺の我が家その2(2009年5月30日)

部屋の窓から阪堺線を眺める生活もわずか1年半で終了しました。さらば、阪堺線!そして堺の我が家!
荷物を運ぶトラックとともに、阪神高速道路、中国自動車道を経由し、1時間半後には西脇の新しい住宅に到着しました。
西脇の新しい住宅に到着すると、兵庫のT橋さんが待っており、荷物の搬入を手伝っていただきました。一通り落ち着いた後、部屋で4時間ほど話し込み、その後、食事のため、四川料理の店に行き、やはり2時間ほど話し込みました。
なんだか、新しい場所での生活が楽しみになってきました。

2009年6月18日木曜日

堺文化財公開(平成21年春季)

平成19年、20年と連続して開催されていた堺文化財公開が平成21年は秋季だけではなく、春季にも開催されました。今回は「堺と天下人の物語 ~信長・秀吉・家康~」というテーマで三寺社の文化財が平成21年5月20日から24日にかけて公開されました。
私は徳島から(結婚式出席のため)名古屋経由で堺に来た母に転居の手伝いをしてもらい、この三寺社を見学することにしました。


堺・南宗寺・唐門(2009年5月24日)

まずは南宗寺です。南宗寺は前回、前々回も公開されていたのですが、今回は上の重要文化財である唐門が開門され、ここから南宗寺に入ることができるようになったことが公開のポイントです。唐門は征夷大将軍と堺奉行にだけ通行が許された門であり、歴代の堺奉行は就任後、この唐門を通って参詣したとのことです。


堺・南宗寺・唐門・瓦(2009年5月24日)
実際にこの唐門には徳川家の葵の紋が用いられています。


堺・南宗寺・徳川家康の新墓(2009年5月24日)

唐門を通ると、この徳川家康の墓の前に到着します。この徳川家康の墓は戦後、水戸徳川家家老の子孫である三木啓次郎や松下電器の松下幸之助らが建立したものです。この墓のあった場所にはかつて東照宮拝殿があり、徳川家康と縁のある場所といえます。
ちなみに、観光ガイドのボランティアの方によると、松下幸之助が「ナショナル」でテレビ放映するコンテンツを三木啓次郎に相談したところ、明るいナショナルのイメージから水戸黄門を薦め、松下幸之助は水戸黄門が続く限りスポンサーを続けるといった逸話があるそうです。


堺・南宗寺・伝徳川家康の墓(2009年5月24日)

なぜ、この南宗寺に徳川家康の墓があるのでしょうか?実は徳川家康は大坂夏の陣のとき、槍で突かれ、討ち死にしたという伝説がこの南宗寺にはあります。合戦中のため、家康の死は秘され、遺骸を南宗寺の開山堂の下へ仮に葬り、その後、上写真の無銘の供養塔が建てられたとされています。ちなみに、その後の家康は影武者が務めたとのことです。この無銘の供養塔では十分ではないという話が出て、三木啓次郎や松下幸之助らが徳川家康の墓を建立することになったそうです。
この話について、伝説の域を出ないのですが、この南宗寺に2代将軍秀忠、3代将軍家光が相次いで参詣していることも前の伝説が語られている要因と考えられています。


堺・大安寺・枯山水(2009年5月24日)

次は大安寺です。場所は南宗寺のほぼ隣といってもよいくらいの場所にあります。ここではやはり重要文化財に指定されている本堂と本堂内にある同じく重要文化財の狩野派の襖絵が公開されました。以前の公開よりも近くで襖絵を見ることができました。なお、襖絵の撮影が禁止されていたので、代わりに大安寺の枯山水をアップしておきます。


堺・妙国寺・天然記念物の蘇鉄(2009年5月24日)

最後は妙国寺です。今回のテーマでは信長と縁のある蘇鉄が有名です。妙国寺から株を分けられ、安土城に植えた蘇鉄が「堺に帰りたい」の泣き叫び、信長がその蘇鉄を切らせたところ、赤い血のような液体を出し、恐ろしくなった信長が蘇鉄を妙国寺にもどしたというのが大まかなあらすじです。上の写真は安土城から戻ったとされる天然記念物の蘇鉄です。


堺・妙国寺・ただの蘇鉄(2009年5月24日)

妙国寺には安土城には行かなかった蘇鉄もあるのですが、こちらは天然記念物には指定されていません。こちらの方が立派なのですが、逸話のあるなしで大きな違いがでている例です。おや、秀吉の話はどうしたのか、という人もいらっしゃると思いますが、今回の文化財公開に当たり、大阪城から秀吉の朱印状が妙国寺に戻っており、これがここで公開されていました。この妙国寺は本能寺の変のとき、家康が宿泊しており、ここから伊賀越えをし、三河まで帰りました。
秋季に文化財公開があると思いますので、西脇から堺にまた行きたいと思います。

2009年6月10日水曜日

2009年黄金週間(5/10)

堺魚市場・イベント・風船芸人(2009年5月10日)

転居の準備で鬱々真っ盛りだったため、昼食をとるため、堺駅に向かいました。そうしたら、堺魚市場でイベントが行われており、ちょうど風船を使ったショーが行われていました。


堺魚市場・イベント・会場(2009年5月10日)

せっかくなので、ここでベトナム料理やインド料理を食べ、若干心を落ち着けた後、再び家に戻り、転居準備を行いました。
今回の黄金週間は直前に転勤の内示を受け、五連休以外の土休日は転居準備にするはめになったばかりでなく、その五連休には高熱を出すなど、随分と予定が狂いました。秋の五連休は無事なことを希っております。

2008年12月15日月曜日

2008年もやっさいほっさい祭りを見に行った。

今年も去年に引き続き、やっさいほっさい祭りを見に行きました。今回は新たに購入したビデオカメラでこのやっさいほっさい祭りを追うことにしました。
三脚を持ち、気合いを入れて、祭事の始まる1時間前から準備していると、祭事を運営する関係者の方から、撮影した映像を提供してもらえないかと依頼され、快諾した私は堺まつりに引き続き、腕章を付け、撮影することになりました。ただし、今回は静止画ではなく、動画(フルハイビジョン、5.1chサラウンド)です。このため、デジタル一眼レフカメラも持ってきたのですが、一切使用せず、ビデオ撮影に集中することになりました。このため、今回の写真は動画からキャプチャーしたものです。


やっさいほっさい祭り・火付け神事(2008年12月14日)

やっさいほっさい祭りは石津太神社の重要な祭事です。拝殿の前の広場に108束のシバを積み重ね、燃やします。上の写真はちょうど108束のシバに点火するための火が拝殿より出てくるところです。


やっさいほっさい祭り・どんとの炎(2008年12月14日)

点火後、火は大きな炎となり、燃え上がります。この火祭りは過ぎ去っていく今年中の様々な悪いことがなくなり、来年には幸せがたくさんあるように、人々の祈りを込めて行われます。


やっさいほっさい祭り・火渡り神事前の祈祷(2008年12月14日)

炎が収まると、火伏せ神事が行われます。まず、燃え残った火に対し、祈祷が行われます。ついで、本殿内で神人(えびすさん)に選ばれた一人が水をかぶり身を清める神事が行われます。


やっさいほっさい祭り・火渡り神事(2008年12月14日)

その後、 神人を大勢のまわしをしめた、裸・素足の若者達が神人をかつぎ、残り火の中に飛び込み、火渡りをします。3回火渡りを行い、その後、石津太神社の周りを3周します。
毎回、すごい祭りだと感じていましたが、今回は腕章を付けての撮影だったため、やっさいほっさい祭りの普段は見ることができない部分も見ることができ、大変面白かったです。ただし、堺まつりでも感じましたが、撮らなければならないというプレッシャーも感じ、祭りが終わった後、疲れたため、速攻で帰宅し、すぐに寝てしまいました。
来年もまたやっさいほっさい祭りを見に行きたいと思います。

2008年11月23日日曜日

堺文化財特別公開(平成20年)その2

堺・開口神社・無礙庵(2008年11月9日)

今回は11月9日編です。堺文化財特別公開に開口神社にはいろいろな文化財があり、今年は去年とは異なり、茶室が公開されました。茶室「無礙庵(八窓庵)」は江戸後期の建物で「武野紹鴎」好みのつくりといわれています。1945年(昭和20年)の戦災で焼失しましたが、1989年(平成元年)に復元したものです。
ちなみに、ここではお茶と大寺餅が販売されていました。(開口神社のことを大寺さんと言います。)私はしっかり購入しました。
次いで、堺東方面に向かい、祥雲寺に向かいました。今回の公開部分は写真撮影禁止だったので、写真はありません。ここで、印象的だったのは説明してくれたボランティアの方が非常に良かったですね、いろいろな意味で。また、この祥雲寺は出羽海部屋大阪場所の宿舎があり、それも公開され、土俵を間近でみることができたのも良かったですね。
来年もこのイベントが催されることを願っています。

2008年11月22日土曜日

堺文化財特別公開(平成20年)その1

堺文化財特別公開(平成20年)

去年、初めて行われた「堺文化財特別公開」が今年も行われることになりました。2008年10月31日~9日の間、普段は非公開もしくは予約により公開されている文化財が予約なしで見ることができました。
今年は新たに特別公開されることになった文化財を見学することにしました。今回は11月2日編です。


宿院頓宮・飯匙堀(2008年11月2日)

まず、宿院頓宮の飯匙堀(いいがいぼり)です。内部に関しては写真撮影禁止なので、外からの写真となりました。2つの鳥居をくぐり、内部に入ると、名称通りの堀のようなくぼみがあり、くぼみの底は砂地になっているようでした。周囲の石垣は一部崩れかけているところがあったため、石垣の1メートル手前までしか行くことができませんでした。
飯匙堀は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が所持していた潮干玉(しおひるたま:水をなくす玉)を埋めたところであると言い伝えられ、その堀の形状が飯匙に似ていることから名付けられました。
その言い伝え通り、飯匙堀はいくら雨が降っても水がたまらないといわれています。実際には砂地であるために水はけが良いため、水がたまらないと思われます。ただ、今年9月5日の堺で降った集中豪雨のときも水がたまらなかったかは不明とのことでした。


千利休屋敷跡(2008年11月2日)

宿院頓宮からフェニックス大通を西方向に進み、大道筋を超えた次のかどで左折すると、元市立堺病院跡の空き地のそばに千利休屋敷跡があります。屋敷跡には柵があり、普段は内部に入ることができませんが、今回は内部に入ることができました。ただし、内部での写真撮影は禁止されていたので、上写真は柵外からの写真です。
屋敷跡といっても、井戸と灯籠があるだけでしたが、めったに入ることができないため、貴重な体験をしました。
しかし、千利休屋敷跡のすごさは外見ではなく、所有者がいまだに千家であるところです。てっきり、堺市が所有しているものだと思っていたのですが、堺市は土地を管理しているだけとのことです。この千利休屋敷跡は堺の歴史を感じさせます。


少林寺・枯山水(2008年11月2日)

場所を少し移動し、少林寺に到着しました。少林寺では今回本堂が公開されました。本堂は撮影禁止なので、庭の枯山水を写真の掲載しました。
本堂では住職さんが堺の昔の話をしていたようですが、時間があまりなかったため、聞くことができなかったことが残念でした。


大仙公園・黄梅庵(2008年11月2日)

自転車で旧堺市街から御陵通を東進し、坂道を駆け上り、大仙公園の黄梅庵に行きました。黄梅庵は普段は非公開ですが、今回は内部も含め、公開されました。
この黄梅庵は茶道の四天王と称された松永安左エ門翁が奈良にあった今井宗久所領の茶室を小田原に再興したもので、屋敷内の梅実が黄熟したころに完成したため、黄梅庵と名付けられました。1980年(昭和55年)に市制90周年事業の一環として、相続人の松永安太郎氏より寄贈され、移築されました。
2008年11月9日編はその2でお伝えします。

2008年11月19日水曜日

2008年堺まつり・その2

2008年堺まつり・石津ふとん太鼓・堺市民会館前(2008年10月19日)

堺まつり・パレードの最後を飾るふとん太鼓は出番まで堺市民会館前で待機しています。今回は石津太鼓仲連合会のカメラマン補助ということで、石津のふとん太鼓を中心に追いかけ、撮影しました。


堺まつり・石津ふとん太鼓・堺市民会館前(2008年10月19日)

ふとん太鼓が堺市民会館前でパフォーマンスを行い、大小路の待機場所である阪神高速・堺線高架下へ移動を始めました。


2008年堺まつり・石津ふとん太鼓・阪神高速道路下(2008年10月19日)

阪神高速・堺線高架下には堺まつりに参加するふとん太鼓が9台(例年は10台、1台は修復のため欠席)勢揃いしています。


2008年堺まつり・ふとん太鼓・スタート(2008年10月19日)

堺まつりふとん太鼓連合保存会・役員の皆さんの紹介が行われた後、各ふとん太鼓がスタート地点より大小路を西へパレードを開始しました。石津のふとん太鼓はパレードの前から2番目です。これから、楽しくも苦しい撮影が始まりました。


2008年堺まつり・ふとん太鼓・少女(2008年10月19日)

単にふとん太鼓だけ撮影しても面白くないと思い、様々な被写体を色々なアングルで撮影しようと試みました。


2008年堺まつり・ふとん太鼓・男(2008年10月19日)

そのため、ふとん太鼓の周りをまるで地球を回る月のように動き回ることになり、体力的には結構ハードなものとなりました。担ぎ手の人たちに比べると、たいしたことないと思いますが。


2008年堺まつり・ふとん太鼓・大道筋(2008年10月19日)

ふとん太鼓がようやく中間地点の大道筋にさしかかり、大道筋中央の阪堺線を横断し、堺駅前に向かいました。


2008年堺まつり・ふとん太鼓・市小学校前(2008年10月19日)

ふとん太鼓もいよいよゴール手前の市小学校前まで達し、ふとん太鼓の担ぎ手の人たちにも疲れがさすがに見えたものの、テンションはそれに反し、高まってきました。


2008年堺まつり・ふとん太鼓・堺駅前(2008年10月19日)

ふとん太鼓もゴール地点の堺駅前に到着し、ふとん太鼓周辺からは安堵の雰囲気が漂っていました。私もこれで撮影の仕事は終了となりました。
今回の撮影は補助とはいえ、仕事であり、「要求されたものを撮影しなければならない」ことが緊張感を与えていましたが、被写体をどう撮影するか、違ったアングルで撮影できるか等、真剣に集中して考えながら撮影したことができ、個人的にはかなりしんどかったですが、楽しかったです。
(普段も一応考えていますが、必死さという点では違っていました。特に1週間前のぶらり広島散歩紀行の1日目などはテーマも決めず、ただ広島の街をぶらぶら歩き、「そのとき、撮影したいものを撮影する。撮影できなかったものは諦める。」という姿勢でしたので、今回の堺まつりの撮影とは対照的でした。)
また、機会があればやってみたいと考えています。
次回は、堺文化財特別公開についてです。
ところで、来年の堺まつりはどうなるのでしょうか?堺まつり会場の大小路はLRTの特許取得の後、軌道敷設工事や架線設置工事を行うはずでしょうから。まあ、私が考えてもしょうがないですね。

2008年11月18日火曜日

2008年堺まつり・その1

2008年堺まつりは京阪中之島線が開業した10月19日に行われました。早朝、京阪中之島線の撮影を終了した後、堺まつりの撮影のため、堺に戻りました。
今年はUZRさんとともに、報道カメラマンの役割も担いながら、撮影することとなりました。
去年とは異なり、歩道からではなく、関係者以外立入禁止となっている車道から撮影することになりました。上の写真は堺市長を始めとする堺市関係者が集まり、開会式を行っているときの写真です。


08年堺まつり・火縄銃一斉発射(2008年10月19日)

堺旧市街の東西方向のメインストリートであった大小路を東から西へパレードするのが堺まつりです。パレードの内容も樣々あります。開会式直後には鎧甲冑の武者が火縄銃で空砲を撃つものもあります。上の写真はちょうど空砲を撃ったときのものです。火縄銃の銃口の前(銃口は上に向いていますが。)で撮影したのですが、射撃後、すさまじい発射音と衝撃波を体に感じ、もう銃口の前には立たないよう心の中で誓いました。


08年堺まつり・一輪車(2008年10月19日)

堺まつりのパレードは京都時代祭のような様々な時代の扮装をした人々のパレードばかりではなく、こういった一輪車に乗りながらパレードしたり、ダンスをしながらパレードしたりバラエティに富んだものとなっています。


08年堺まつり・阿波踊り(2008年10月19日)

阿波踊りや仙台雀踊りもパレードします。しかし、阿波踊りも徳島ローカルではなくなりましたね~。


08年堺まつり・阪堺線大小路駅(2008年10月19日)

阪堺線も堺まつり当日には普段の倍の密度の6分に1本の割合で運行されています。上の写真は大小路駅の恵美須町方面の臨時降車場です。いつもの乗降場は乗車場となっていました。


08年堺まつり・阪堺線大小路交差点(2008年10月19日)

折角なので、少しだけ自分の趣味の写真を撮影させていただきました。大小路と大道筋の交差点のど真ん中で阪堺線を撮影しました。普段なら自動車が行き交う場所なので、まず撮影できません。しかも、大小路に敷設されるLRTの工事や営業が始まると、上のような阪堺線のみの写真も撮れなくなると思われるので、(勝手に)貴重な写真が撮れたと思っています。
次回は、今回の報道カメラマンとしての義務である石津のふとん太鼓に付き従って撮影した写真を掲載する予定です。

2008年9月6日土曜日

昨日の雨には驚いた。

昨日の集中豪雨には驚きました。午後3時前に雨が降り始め、すぐバケツをひっくり返すような雨に変りました。今までの経験からすぐに止むものと思いましたが、意外にも豪雨は降り続けました。そういうことをしているうちに、道路は冠水し始め、台所にたまった水が流れなくなるなど、これは大丈夫かと不安になり始めた頃、雨が降り始めてからようやくほぼ1時間経過して止みました。
後刻、ニュースを見ると、堺市だけに集中豪雨が降っており、堺区では降水量93.5mm/時間であり、職場の西区のそれは異なると思いますが、それにしても凄い雨でした。
なお、勤務時間中だったので、写真は撮影しておりません。

2008年8月24日日曜日

宿院に現れた非日常光景

旧市立堺病院跡と南海バス(2008年8月24日)

昨日(8/23)及び今日(8/24)、宿院から堺駅にかけ、普段なら見ることがない大勢の人々による行列が現れていました。しかも、若い女性が多く、性別及び年齢に偏りのある違和感を感じさせる行列でした。
特に、旧市立堺病院跡は多くの南海バスの臨時停留場となっていました。次々とバスは発車していき、どこぞへと消えて去っていきました。
警備員を思われる人が持っているボードにはa-nation08と書いていたので、webで調べてみると、8/23及び8/24にavexの巨大野外ライヴが堺で行われていたとのことです。場所は堺市西区・石津の埋立地の先にある「みなと堺グリーンひろば」で行われているとのこと。どえらいところでやっているなあと思いながら、こんなに人が集まるものと感心していました。
更にwebで調べてみると、過去には大阪南港や神戸で行われていたようですが、堺での開催は初めてのようです。


少林寺町西交差点にて(2008年8月24日) 

そのおかげで、路線バスが走らないこの交差点にも路線バスが現れ、たまたまその隣に消防車が止まったため、上のような非日常的な写真が撮れました。
南海バス以外にも別の会社のバスもかり出されているようで、夜の堺駅西口駅に大きな観光バスが停車しており、狭くなったロータリーを通りにくそうに大阪市営バス(新阪堺の後身)と南海バス(堺浜に向かうバス)が続いて通っていたのが印象的でした。

2007年11月4日日曜日

堺文化財特別公開と観光都市を考える

堺文化財特別公開(平成19年)ポスター

2007年(平成19年)11月1日~11日にかけて、堺市内にある16ヶ所の寺社・施設で普段非公開の文化財が特別に公開されることになりました。(一部の施設では9日~11日、あるいは11日のみ公開です。)
この特別公開はテレビや広報、あるいは駅設置のパンフレットで報されていました。そのため、この3日、4日はこれらの寺社・施設を巡回する人々を多く見かけました。ただ、遠方の人は少なかったようで、堺市内もしくは大阪府内の方が主だったようです。
この特別公開の特徴は非公開の文化財が公開されること以外に、観光ボランティアの方々がその文化財について、見学客に付き従い、説明をしてもらえることです。堺市に生まれながら、知らなかったこともたくさんあり、非常に勉強になりました。
スタッフの方々の動きをみていると、やる気が感じられ、好感をもちました。カウンターで訪問数をチェックしているようで、観光客がどれだけくるかの実験も兼ねて特別公開を行っているようです。また、妙国寺に堺市の観光に関する部署の幹部の方もいらしており、堺市のやる気を感じました。
観光ボランティアの方々のお話を聞いてみると、現在の市長になり、堺市を観光都市として売りだそうとしているようです。実際に、旅行会社にも色々と働きかけているそうです。そう聞いてみると、名所・旧跡の整備(旧堺港の灯台の整備等)が進められ、その案内もきれいで、わかりやすいものになっている理由の説明がつきます。
ただし、堺市が観光都市として機能するには、致命的な欠陥があるそうで、それらが次のものです。
  1. 多くの観光バスが駐車することができる駐車スペースがないこと。
    1. これがないとツアーバスを駐車させることもできません。
  2. 公衆便所の設置がほとんどないこと。
    1. 観光客も人間ですので、用を足す場所が必要です。
  3. 堺のお土産を集中させたお土産センターがないこと。
    1. お土産を買うのも観光の楽しみのひとつであり、堺にはお土産になるものが多いですが、所在がばらばらであり、どこで購入すればいいかわからないのが現状です。
    以下は私の所感です。私の推測なので、確たることはいえません。あらかじめ、ご了承下さい。
    観光客はバスのみで来るわけではなく、電車(この場合、南海本線(堺駅)、南海高野線(堺東駅)、JR阪和線(堺市駅))で来る場合もあり、それらはいずれも堺の観光資源からは離れた場所にあります。これらの鉄道と観光資源を結合するための装置として、大小路に敷設するLRTと阪堺線を位置づけようとしているのでしょう。そのため、阪堺線堺市内廃止を阻止したいのでしょう。また、阪堺線はその存在自体が観光資源です。(ちなみに、LRTについて、軌道敷設・架線設置等の工事が再来年ぐらいには行われる予定みたいです。来年の堺まつりのパレードにはふ とん太鼓が出る予定があるそうですが、再来年はないようです。堺まつりのパレードはLRTが敷設される予定の大小路で毎年行われています。)
    いずれにしても、堺市が同じく路面電車をもつ函館や長崎のような観光都市になるには、いろいろな問題をクリアしなければならないようです。また、堺の住民と観光客との摩擦も生じるでしょうから、その道のりはまだ険しいと思います。
    ちなみに、まだ文化財を見ていない方は、特別公開は来週の土日までやっているので、是非堺市へお越し下さい。

    2005年2月1日火曜日

    堺市が美原町を合併

    今日は大変寒い日になりましたが、私の出身市である大阪府堺市が隣接する美原町を合併し、市域を拡大した日でもあります。大阪府内で市町村合併が行われ たのは1972年(昭和47年)に阪南町(現在の阪南市)とのことで、約30年ぶりのことのようです。堺市は昔から京阪神に次ぐ関西4番目の政令市を目指 していましたが、この合併で一歩進んだようです。まっ、政令市を目指すのは一向に構わないのですが、大和川を挟んで、北に隣接する政令市のようなことがな いようにお願いしたいものですね。
    さて、前の土日は一日中寝ていたので、競馬のネタはありません。全くの空です。ほんとカラ。残業が多かったからなあ、先週は。とほほ。