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2010年9月8日水曜日

故郷めぐりの旅(本章前編)~第2の故郷広島の併用軌道並走

いよいよ広島の併用軌道を並走します。広島での併用軌道並走はほぼ1年前のことになります。



まず、八丁堀から白島線から始めます。



八丁堀と紙屋町の間も走行します。



舟入、江波方面にも向かいます。江波車庫のそばも通り、江波から己斐方面にも向かいます。




路面電車がほぼ高規格化している広島にもこういう場所が残っています。グリーンのペイント部分は小網町電停です。ちなみに、上写真の左手の町名は堺町といいます。



ちなみに、原爆投下以前の広島には上の地図のA~Bの間、つまり、本通商店街~中島町(現在の平和記念公園)~堺町と長い商店街がありました。その広島の繁華街を狙って原子爆弾が投下され、中島町はほとんど建物がなくなり、現在の平和記念公園となりました。なお、現在の繁華街となっている本通、八丁堀、紙屋町といった場所は大正時代以降、広電が路面電車を敷設してから発展していきました。
蛇足ですが、旧城下町から発展した都市の中で、堺商人が活躍した証として、堺もしくは栄という地名が結構残っています。

小網町を通過した後、横川駅前を経由し、広島港まで併用軌道を並走し、無事に全国の併用軌道並走を完了しました。この後、広島呉道路が無料になっていることを良いことに、呉へ向かいます。


(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年6月1日火曜日

大阪-西脇紀行(第13回)・黄金週間編(5/1~5/5)・本章その3東京~湘南編(5/3中編)

都電荒川線の並走も終わり、本郷通りを走行し、駒込駅前まで再び戻ります。

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駒込駅前より本郷通り、不忍通りを経て、護国寺入口より首都高速道路に入ります。経路は首都高速池袋線、都心環状線、羽田線、横羽線及び横浜新道を経て、一般道に出た後、江ノ島に向かいます。



とは言え、首都高速道路に入ったとたん、このような渋滞に巻き込まれてしまいました。前日とは異なり、ほとんど動かなくなりました。
今回は「首都高速道路の渋滞教習」のようです。牛歩のように進むため、都心環状線に入るまで、30分以上かかりました。
都心環状線に入ると、前日のように堀割の狭い道路を高速で多くの車が左右に行き交う道路に変貌しました。首都高速道路は初心者には全く優しくない道路です。
この後も事故渋滞、合流渋滞、交通量が多いことによる渋滞等幾度となく渋滞に巻き込まれました。まさに今までの中で忍耐が試された運転となりました。



予定より大幅に遅れ、ようやく江ノ島付近に到着しました。しかしながら、江ノ島付近に駐車するための渋滞が発生しており、なかなか江ノ島駅付近に向かえません。



これまた30分以上かけ、江ノ電の江ノ島~腰越間の併用軌道にたどり着くことができました。いよいよ、「Tramway Killer号」の第19のターゲット、江ノ島電鉄の併用軌道を並走します。しかし、この併用軌道は歩行者、自転車、バイクが多く行き交う、比較的車の交通量が多い狭い道路上にあるため、なかなか運転が難しい道です。



その上、上の動画のように4両編成の電車が車のすぐ隣をゆっくりと通過するため、やはり恐いです。


(2008年1月3日、七里ヶ浜駅付近にて撮影)

七里ヶ浜駅付近や稲村ヶ崎駅付近にも上の写真のような併用軌道はあるのですが、非常に迷惑になりそうなので、ここでの並走はやめることにしました。
これで広島の一部を除き、日本全国の併用軌道を走行が完了しました。
では、湘南から諏訪湖へ向かいます。
次回は断章その2(5/3後編)湘南~諏訪湖編の予定です。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
なお、日付がないものは全て2010年5月3日に撮影したものです。

2010年5月28日金曜日

大阪-西脇紀行(第13回)・黄金週間編(5/1~5/5)・本章その2東京編(5/3前編)


さいたま市に一泊した後、JR線をしばらく眺めた後、東京に向かいます。



再び、首都高速埼玉大宮線に乗り、東京に向かい、南下します。途中、志村PAで休憩した後、板橋出口より一般道に降ります。




板橋出口からは国道17号線こと白山通りを南下し、東京在住時にはほぼ毎日お世話になった西巣鴨駅前のセブンイレブン、都電荒川線・新庚申塚電停の踏切、巣鴨駅前を通り、不忍通り、本郷通りと進み、私の会社の本部のそばを通過し、都電荒川線の併用軌道のある明治通りを目指します。



明治通りに近づくと、併用軌道が見えてきます。
「Tramway Killer号」の第18のターゲット、都電荒川線を並走します。JR王子駅のガード下までたどり着き、次は小台からのセンターリザベーション化された併用軌道まで進みます。



センターリザベーション化された併用軌道は交通量も比較的少なく、路面電車のことも気にせず走ることができるため、快適でした。



上記の都電荒川線併用軌道並走の途中、昼食と折り返しのため、アリオ西新井に立ち寄り、その屋上から現在建設中の東京スカイツリーを撮影しました。遠くからの撮影になりましたが、さすがに日本一の高さの塔なので、その姿を見ることができました。
都電荒川線の並走が終わったので、最後のターゲットのいる湘南へ向かいます。
次回は本章その3(5/3中編)東京~湘南編の予定です。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年5月24日月曜日

大阪-西脇紀行(第13回)・黄金週間編(5/1~5/5)・本章その1豊橋・浜名湖編(5/2前編)

豊橋で一泊し、朝食を採った後、いよいよ豊橋市街を走行することにします。
この豊橋の街には路面電車が走っています。ということで、「Tramway Killer号」の第17のターゲット、豊橋鉄道東田本線を並走します。



市内中心部の併用軌道は道路も広く、架線もセンターポール式になっているので、非常にすっきりとした感じになっています。



しかし、国道1号線から離れた場所から赤岩口電停までの区間は道路幅も狭くなり、この東田電停のように、安全島のない、かつての岐阜の路面電車のような電停も残っています。



再び、豊橋駅前に戻ると、ほっトラムが駅前電停から出発するところでした。
豊橋の路面電車の併用軌道並走が一通り終了したので、上海で浜松について熱く語っていたよく似た名前のH川さんを思い出しながら、一般道で浜名湖を目指します。



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豊橋駅の新幹線口から上記のルートで浜名湖へ向かいます。途中、関所跡や弁天島を通過し、その車窓から浜名湖で潮干狩りに勤しむ人たちを眺めながら、目的地である浜名湖パルパル近くにある華咲の湯へ向かいます。


浜名湖パルパル付近は舘山寺温泉の温泉街があり、今回は日帰り温泉の華咲の湯に入ることにしました。
私(男)が入ることができる温泉として、この華咲の湯には桧香の湯とダイダラボッチの湯があります。このうち桧香の湯には「かんざんじ黄金の湯」と呼ばれる有馬温泉の金泉のような赤っぽい湯と「かんざんじ白金の湯」と呼ばれる同じく銀泉のような無色透明の湯があります。ダイダラボッチの湯は「かんざんじ白金の湯」に似た無色透明の湯ですが、様々なお風呂が楽しめます。
3つの湯に入り、運転の疲れが癒されました。


浜名湖付近にきたので、昼食に鰻重を食べることにします。う~ん、満足です。



昼食後、かんざんじロープウェイに乗り、大草山の展望台に向かい、浜名湖の絶景を望むことにします。



展望台から浜名湖を見ると、複雑な地形のため、湖と陸が入り組んでおり、非常に美しい風景でした。
十分に景色を楽しんだ後、東名高速道路を東進し、首都圏へ向かいます。
次回は断章その1(5/2後編)東海道疾走編の予定です。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年2月4日木曜日

大阪-西脇紀行(第9回)(1/9~10・後編)

前回の続きです。



堺浜楽天温泉で一泊した後、堺でも自動車でなければ、行きにくいところに行こうと思い、西区石津の埋立地にある「みなと堺グリーンひろば」にまず行くことにしました。
この「みなと堺グリーンひろば」にはグランドや野球場があり、サッカーや野球をする人たちが朝9時の段階で、結構いました。なぜか、オランダの風車がありますが、おそらくかつての石津が風車でいっぱいだった(オランダ風ではなく、堺独自の風車です。)ことによるものかもしれません。なお、この風車の後方にはシャープの「グリーンフロント堺」が見えますが、風車とグリーンフロント堺の間には海があります。






石津川駅からも見えた堺港発電所の6本の煙突です。ちょうどこの煙突の向こう側が石津川駅になります。



一方で、海を望むと水平線上に神戸の町並みが見えています。天気がいいと明石海峡大橋も見えそうです。



「みなと堺グリーンひろば」を後にし、時間が十分にあるので、関西地方でまだ並走していない併用軌道、京都の嵐電と、大津の京阪大津線を並走することにします。阪神高速道路から名神高速道路に入り、京都の街に入ります。目指すは三条通です。
ということで、「Tramway Killer号」の第15のターゲット、京福電気鉄道、通称嵐電の併用軌道を並走します。
嵐電西大路電停附近より三条通に入り、島津製作所を横目に見ながら、西進します。途中、狭い安全島の山之内電停を通り過ぎると、四条大宮方面へ向かう嵐電電車がやってきました。



嵐電の併用軌道は短く、しかも細切れですが、三条通上にあります。嵐電天神川電停では嵐山方面行きの嵐電電車を踏切で待つことになりました。
全般的に三条通は軌道敷進入可なのですが、道路の幅員が狭く、自動車やバイクの通行量も結構ある上に、歩行者もあちらこちらから出てくるという自動車にとっては非常に運転しにくい併用軌道です。ただし、阪堺線・大阪市内区間や土電・朝倉周辺に比べると怖さはないです。



嵐電併用軌道並走した後、三条通、国道1号線を東進し、滋賀県大津市にある京阪大津線の併用軌道も並走することにしました。第16のターゲットは「京阪電気鉄道・京津線及び石山坂本線」です。ここの併用軌道は嵐電よりも更に短いですが、なんといっても2両編成及び4両編成の電車と並走するというところがポイントです。
まずは浜大津駅附近の石山坂本線の2両編成が目の前を通過します。石山坂本線は三井寺駅と浜大津駅の間が併用軌道となっています。



続いて、浜大津駅附近の京津線の4両編成が目の前を通過します。京津線は上栄町駅と浜大津駅の間が併用軌道となっています。この京津線は路面電車(浜大津駅附近の併用軌道)、山岳鉄道(逢坂越えの急勾配)及び地下鉄(京都市内)の3つの顔を持っています。
上写真の4両編成で全長66mの800系が併用軌道を走る様子はまるで蛇のようです。今回は併用軌道上で並走しなかったため、わかりませんが、おそらく4両編成の隣に止まると、その圧迫感は並のものではないでしょう。そういう意味では走りにくい併用軌道だと思います。
無事に並走ができたので、京都東ICより名神高速道路、中国自動車道経由で滝野社IC、西脇へと戻ってきました。
残りの併用軌道は第4のターゲットで残っている広島電鉄と並走していない豊橋鉄道、江ノ島電鉄及び都電荒川線となります。(東急世田谷線は若林踏切部分が併用軌道のため、通過するぐらいになると思います。) 5月までには何とかしたいと思います。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年1月27日水曜日

2009年年末旅行第3日目~高知・日和佐編



宿泊したホテルサンルート高知はJR高知駅の近くにあり、土電の軌道線・併用軌道並走には絶好のロケーションとなっています。では「Tramway Killer号」の第14のターゲット、土佐電鉄の併用軌道を並走することにします。JR高知駅に向かうと、早速元名鉄岐阜600V線区で活躍した590形が出迎えてくれました。




高知駅前電停より桟橋線を南下し、桟橋通五丁目電停を抜け、いったん併用軌道並走を中断し、一度行きたかった桂浜へ行くことにしました。
相変わらず、細い道を勧めるいけずなカーナビのおかげで、細い道がスイスイ行けるようになり始めている私が嫌になりながら、ようやく桂浜に到着しました。
この桂浜に到着すると、目に入る「龍馬伝」の幟たちがありました。松山の「坂の上の雲」の次は、「龍馬伝」ですか。この高知もNHK大河ドラマ「龍馬伝」で沸いているようです。
まあ、「龍馬伝」はともかく、丘にある海援隊隊長・坂本龍馬の像を見た後、桂浜に下ります。



桂浜に下りました。幸いにもこの日の太平洋は穏やかでした。坂本龍馬もこの太平洋を見て、日本の将来を考えていたのでしょうか。
しかし、この風景をみると、ソフトバンクの携帯電話CMを思い出すのは私だけでしょうか。



桂浜を去り、再びいけずなカーナビの案内により細い道路を通過した後、桟橋線を北上し、高知駅前電停に到着した後、はりまや橋電停より後免線に沿って、進みます。所々、併用軌道ではありませんが、かまわず東の起終点である後免まで進みます。久しぶりにきた後免ですが、いつの間にか隣にローソンができていました。




続いて、元来た方向へ東の起終点の後免電停より桟橋線と平面交差するはりまや橋を経由し、西の起終点の伊野電停へ向かいます。後免電停より伊野電停までは22.1kmと非常に長く、南海本線でいうと、難波から忠岡のちょっと手前までの距離となり、結構な距離です。無事に伊野電停に到着し、折り返して「はりまや橋電停」に向かうのですが、途中の朝倉にはどうしても軌道敷を走らなければならない場所があります。つまり、その道路は両側2車線分しかなく、そのうち北側の1車線分が単線の軌道敷となっています。(ちなみに、この道路は軌道敷進入可です。)伊野へ向かう場合は軌道敷上を通りませんが、はりまや橋へ向かう場合は軌道敷上を通らなければなりません。しかも、軌道は単線なので、場合によっては車と路面電車の進行方向がかち合う場合が生じます。正直、あまり通りたくない気持ちですが、「やらないで後悔するよりもやって後悔した方が良いって言うよね!」という気持ちで朝倉駅前からその道路に進入します。
道路に入り、しばらくは順調でしたが、予想通り、軌道敷上を進行中に向こうから路面電車がやってきました。げっ!という気持ちになりましたが、幸いこちらに向かってくる車はいません。そこで、軌道敷の右側へ移動し、路面電車をやり過ごすことができました。阪堺線大阪市内区間よりもスリルのあるこの道路、もう通りません。



朝倉方面からの帰り、はりまや橋電停に到着しました。何回かはりまや橋電停の前を通りましたが、伊予鉄の大手町駅前とは異なり、平面交差する路面電車の絵は撮影できませんでした。orz
時間も迫ってきたので、室戸岬、日和佐経由で徳島市に向かいます。基本的に国道55号線の旅となります。



国道55号線を東進し、高知市、南国市そして香南市まで来ると、国道55号線は太平洋岸を進むことになります。整備された道、そんなに多くない車の通行量、フロントガラスを通して飛び込んでくる青い空・青い海・緑の山々、これらのため、ドライブをするには非常に良い道です。
約2時間かけ、ようやく室戸岬に到着しました。室戸岬には陸援隊隊長・中岡慎太郎の像があります。
この室戸岬は大阪における三大台風(室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風)が通過したことで知られています。ちなみに、室戸台風、第二室戸台風はここに上陸し、ジェーン台風はここをかすめ、次の目的地・日和佐に上陸しました。また凄まじい記録を残したことで知られ、室戸台風は上陸時の中心気圧が911.6ヘクトパスカル、第二室戸台風は最大瞬間風速84.5m/s以上(風速計が振り切れたため、以上となりました。なお、時速に変換すると304.2km/h以上)を記録しました。
この日は良い天気だったのですが、岬という場所のため、やはり風は強かったです。



室戸岬には月見が浜があり、その名の通り月の名所であり、朝日が美しいことで知られています。夕方に来たこともあり、満月が既に海の上に出ていました。交通の便が良くないため、変に観光地化されていないのも良かったです。

 

再び、国道55号線に戻り、やはりドライブするには良い道だなあと思いながら、夕日が沈んだ後、しばらくして日和佐駅に到着しました。20年以上ぶりの日和佐です。到着したとき、加古川線西脇市駅よりも本数の少ない牟岐線日和佐駅に上下線の気動車が奇跡的に停車していました。



日和佐は四国八十八箇所霊場の第23番札所・薬王寺の門前町です。この薬王寺は堺とは深い縁のある行基が創建し、空海が再興したとされる薬師如来を本尊とする寺です。また、ウミガメで町おこしを行っている町としても知られています。
しゅらくの本家筋の伯父、伯母に挨拶すべく、町の中に入っていくと、あちこちに「ウェルかめ」の幟があります。ここもNHK朝の連続テレビ小説の舞台になっていたことに気づきました。私は路面電車巡りと本家筋挨拶でこの旅程を組んだのですが、偶然にもNHKドラマの聖地巡礼の旅になっていたようです。



本家前に到着しましたが、やや不安な気持ちで玄関の呼び鈴を鳴らします。なにせ20年以上もの経年による容貌、体格の変化のため、親父の名前を出す必要がありましたが、親父似の容貌で何とか認識してもらいました。伯父、伯母に会い、元気だったので安心しました。特に伯父は80歳なのに、70歳ぐらいにしか見えず、相変わらず元気なのが印象的でした。
挨拶の後、アカウミガメの産卵で有名な大浜海岸に行きました。しかし、照明がほとんどなかったので、真っ暗で何も見えませんでした。残念。ちなみに上の写真は三脚を用い、シャッター速度を遅くした写真です。明るいように見えますが、実際には真っ暗です。
では、日和佐を離れ、一路両親のいる徳島市へ向かいます。

次回に続く。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。

2010年1月23日土曜日

2009年年末旅行第2日目~松山市内編

さて、宿泊したホテルサンルート松山はJR松山駅の近くにあり、伊予鉄の軌道線・併用軌道並走には絶好のロケーションとなっています。では「Tramway Killer号」の第13のターゲット、伊予鉄道・軌道線の併用軌道を並走することにします。





フジグランのある宮田町電停より、道後温泉方面に向かいます。松山城の南側を通り、松山市役所、愛媛県庁のそばを通り抜け、しばらくすると、松山市の中心商店街のある大街道電停が見えてきます。このあたりはいくつもの運転系統の路面電車が集まるため、頻繁に電車と出会います。
大街道を抜け、松山城の南側から東側を通り、松山城をバックにし、道後温泉電停へ向かい、東進します。




道後温泉電停に到着すると、すぐに来た道を戻ったのですが、行きとは異なり、松山城の南側にある南堀端電停より枝線に入り、松山市駅前に入ります。伊予鉄・鉄道線の松山市駅が見えてくると、坊ちゃん列車が松山市駅前電停より出てきました。




松山市駅前から出発点の宮田町電停に戻り、西堀端電停より松山城西側を通り、西堀端~本町六丁目電停間を往復します。




一通り、併用軌道を並走した後、道後温泉へ向かい、久しぶりに松山市内を観光することにしました。道後温泉にある臨時駐車場に車を駐め、道後温泉本館へ向かいます。道後温泉電停の留置線にはちょうど坊ちゃん列車が留まっていました。




道後温泉電停からしばらく歩き、商店街のアーケードを抜けると、そこには道後温泉本館の建物が見えてきます。この道後温泉本館にはいるのも、与島PAに行ったのと同様に、約20年ぶりとなります。
この道後温泉本館はまるで上海にある南翔饅頭店のように、1階から3階にかけ、上の階に上るほどサービスの質と入湯料が高くなります。1階は神の湯(階下)として、「神の湯」を銭湯のように入るだけです。2階は神の湯(2階)と霊の湯(2階)があり、まず神の湯(2階)については1階と同じ「神の湯」に入るものの、2階の大広間で休憩ができ、温泉に入った後、お茶とお菓子をいただけます。また、霊の湯(2階)については、少し湯船がデラックスになった「霊の湯」に入れるだけでなく、「神の湯」も入ることででき、2階の大広間(前述の神の湯(2階)の大広間とは別の場所)で休憩ができ、やはりお茶とお菓子がいただけます。最後に3階は霊の湯(3階個室)となっており、入湯は霊の湯(2階)と同じですが、個室で休憩ができるデラックスなものです。ちなみに、お茶とお菓子もいただけます。また、霊の湯に入ると、2階、3階個室とも、皇室専用の又新殿(ゆうしんでん)を別料金なしで見学することができます。
前回は金のない学生だったため、1階にある神の湯(階下)で湯に浸かっただけですが、今回は奮発して3階個室の霊の湯に入ることにします。




階段を上り、3階の休憩室に案内されました。良い感じの和室です。この広い個室をたった1人で利用する贅沢は堪りません。




同じく、3階の休憩室から眺めた外の様子です。神の湯か霊の湯のどちらかから桶を床に置くコーンという響く音や、体を洗うときの湯が落ちるジャバーという音が周りから聞こえ、温泉風情を十分に堪能できます。




浴衣に着替え、霊の湯及び神の湯にじっくりと浸かり、疲れを落としてきました。これで2009年は有馬温泉と道後温泉という、日本三古湯のうち2つに入ったことになります。ちなみに、あと一つは南紀白浜温泉です。
霊の湯、神の湯に入った後、又新殿を見学しました。2階には「御居間」、「御次の間」、「玉座の間」と手前から奥にかけて配置されており、一番奥の「玉座の間」は一段高くなっており、玉座と三種の神器のレプリカがあり、御簾がかけられるようになっていました。「玉座の間」はその名称の通り、天皇陛下のみが使用する部屋で、陛下以外の皇室の方はその一つ手前の「御次の間」を使用するそうです。なお、「玉座の間」の隣には警護が控える「武者隠しの間」があります。1階に下りると、洞の間(うつおのま)には最上の御影石、庵治石でできた浴槽があります。これ以外にも御手洗所として(未使用の)畳敷きのお手洗いがあり、さすがにやんごとなき貴人が使用する優雅な造りでした。ちなみに、又新殿内部の写真については松山市のホームページで見ることができます。(松山市観光ガイドの道後温泉をクリックしてください。)なお、この又新殿は1950年(昭和25年)に昭和天皇が来浴されて以来、使用されていないとのことです。
又新殿見学の後、3階へ戻り、夏目漱石と道後温泉と関わりを展示した「坊ちゃんの間」を見学した後、休憩室に帰ります。休憩室に入って、しばらくすると、上の写真のようにお茶とお菓子(坊ちゃん団子)が出てきました。坊ちゃん団子はやはり美味しかったです。




さて、道後温泉も十分に満喫したので、次もやはり約20年ぶりに城山の上にある松山城に登ることにします。大街道電停へ伊予鉄の路面電車に乗り、大街道電停からロープウェイのりばまでの間、NHKでドラマ化されている「坂の上の雲」の幟をいくつも見ることになりました。ああ、上海で夕食の度にあのH澤さんがおっしゃっていた「坂の上の雲」はここが舞台だったのか、と今更ながらの感慨を抱きながら、ロープウェイに乗り込みます。




残念ながら、天守閣は年に一度の煤払い(年末なので当然ですね。)のため、見学はできませんでした。天気が良かったため、城山からは瀬戸内海の海と島も見え、松山市街も一望できるので、一見の価値はあります。ちなみに、天守閣も江戸時代に建てられたものが残っている現存天守なので、本物の天守閣を見たい方にはお勧めです。(ただし、登るのはしんどいですよ。)




往路について、ロープウェイで城山へ上ったので、 復路はとなりのリフトで下りることにします。
大街道電停から道後温泉電停に戻り、松山市を後にし、高知市に向かいます。予定では国道33号線で高知へ向かう予定でしたが、すっかり夕刻となっており、初めての道(おそらく山間部を抜けることになる)なので、そのルートは諦め、高速道路でむかうことにします。




その高知に向かう前に伊予鉄の大手町駅附近に向かいます。この大手町駅附近には郊外線である鉄道線と市内線である軌道線が平面交差している箇所があり、ここでは路面電車が踏切の前で、鉄道である郊外電車の通過を待機する様子が頻繁に見られます。かつては日本各地にあったものですが、現在では日本で唯一の箇所になりました。動画としてアップしていますので、ご覧ください。

大手町駅を後にし、再び高速道路に入ります。夕日も沈み、周囲の暗い中、四国中央市から高知県に入り、トンネルだらけの高知自動車道を高知市に向かます。午後8時くらいに高知市内に到着し、ホテルの1階の駐車場に駐めます。ただ、松山以上に狭い駐車場で空いていた1箇所に駐めるのに何回も切り返しを行う羽目に陥りました。どうやら、今回の度は私の苦手な車庫入れを訓練する旅となりそうです。はりまや橋附近で土佐料理をいただき、すぐにホテルに戻り、就寝し、翌日に備えます。

次回に続く。

(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。