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2009年11月1日日曜日

2009年白銀週間(9/21)・本章その4 ~ 平泉町・中尊寺編 ~



一関市に宿泊し、寒い朝を迎え、いよいよ青森に向かい、北上していくのですが、その前に平泉町にある中尊寺に寄ることにします。
8時前に一関を出発し、30分足らずで平泉に到着します。とりあえず、平泉町営中尊寺第2駐車場に駐め、国道4号線を横断した後、中尊寺の参道入口に向かいます。



中尊寺は山の上にあり、月見坂と呼ばれる参道をひたすら登ることになります。運動不足は私にはちょっときつい坂でした。



途中、門のような場所があります。上の写真もそうですが、参道には立派な杉の木が植えられています。この中尊寺は伊達歴代藩主により厚く保護されていたとのことで、樹齢350年のこれらの木々は伊達藩により植樹されたものです。



八幡堂、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂等を回った後、本堂にたどり着きました。この中尊寺は天台宗の高僧である慈覚大師円仁により850年開かれたとされており、本尊は阿弥陀如来です。



峯薬師堂、不動堂、大日堂、梵鐘、阿弥陀堂、弁財天堂を回った後、中尊寺の宝物館でもある讃衡蔵に着きました。ここで、拝観料800円を支払い、宝物を見た後、金色堂に行きます。この讃衡蔵は奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)を讃える宝蔵という意味とのことです。ちなみに、この中尊寺の開山は慈覚大師円仁と申しましたが、実質上の開祖は藤原清衡です。



貴重な宝物を見学した後、いよいよ本日のメインイベントである金色堂へと参ります。なお、金色堂は環境管理が行われている覆堂の中にあり、写真にはその覆堂が写っています。なお、金色堂は写真撮影不可なので、写真はありませんが、建物全体が金で覆われており、見事な装飾がなされていました。その金色堂には奥州藤原氏3代の遺体と泰衡の首級が納められています。



金色堂を見学した後、経蔵に立ち寄りました。この経蔵にはかつて経典が収められていました。現在は讃衡堂に保管されています。



続いて、旧覆堂に行きます。この旧覆堂は室町時代中期(16世紀)に建設され、1963年(昭和38年)の新覆堂建設まで金色堂を風雪から守っていました。
松尾芭蕉が「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだときには、この旧覆堂の中の金色堂を見たものと思われます。



旧覆堂の内部は上の写真のようになっています。



旧覆堂を離れ、中尊寺内による白山神社には立派な能舞台があります。この能舞台、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとのことです。



釈迦堂の横を通り過ぎ、来た道を逆に進み、戻ることにしました。途中の東物見から景色を見ると、随分と高いところに登ったものと思い知らされます。



当然、月見坂を今度は下ることになるのですが、急勾配のため、慎重に降ります。



参道入口の近くには武蔵坊弁慶のものと伝えられる墓があります。
とにかく、中尊寺でも金色堂は一度見たかったので、駆け足でしたが、十分満足しました。
では、中尊寺を後にし、青森港へ向け、北に進みます。

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