ヘッダーのタイトルイメージ

2010年8月6日金曜日

堺っ子の兵庫県旅行記・第1回(尼崎市)

「堺っ子の兵庫県旅行記」ということで、今回から始めました。

大阪府堺市出身である私がいろいろな縁があり、兵庫県の中央部に位置する西脇市に在住することとなりました。よくよく考えてみると、隣県である兵庫県のことをあまり知らなかったと感じ、また併用軌道並走も一段落ついたこともあり、ここは兵庫県全市町村(神戸市に関しては区単位)を一つ一つ訪れ、観光しようというのがこの企画です。

兵庫県は令制国制度下では摂津国・西半分、播磨国全域、丹波国西半分、但馬国全域、淡路国全域にほぼあたり、僅かに美作国、備前国の地域が含まれており、五畿七道の区分でも畿内、山陽道、山陰道、南海道と古代の区分を無視した形で兵庫県は成立しています。
明治維新後、国際港として開港した神戸の発展のため、多額の財政出動が求められましたが、財政的に苦しい旧摂津国・西半分を県域とする旧兵庫県(第二次兵庫県)だけでは十分な税収がありませんでした。そこで、明治新政府は飾磨県(旧播磨国)と豊岡県の西半分(旧但馬国及び旧丹波国西半分)を合併させ、神戸の後背地の税金を神戸港に投入し、但馬の生糸を播磨経由で神戸港より輸出することを考えました。更に庚午事変(稲田騒動)により名東県(徳島県)から淡路を分離した上で、摂津・西半分、播磨、丹波・西半分、但馬及び淡路の5地域が合わさった兵庫県(第三次兵庫県)が誕生しました。

前述の通り、気候風土や気質の異なる5地域が合併しているため、兵庫県には様々な面が認められます。神戸及び阪神間のように人口密集地(兵庫県の約6割)があると思えば、中部から北部にかけては過疎地や家島諸島のような島嶼部があり、阪神工業地帯や播磨臨海工業地帯といった重化学工業地帯があると思えば、農林水産業が主な産業なところもあります。また、県北部では日本海側気候で冬には積雪が認められるのに対し、県南部では瀬戸内海式気候で年間を通じて降雨量が比較的少なくなっています。


ということで、兵庫県をこれから詳しく知るために、49ある各市町村及び区(神戸市)を訪れます。



(赤い地域が今回訪れる尼崎市)

第1回は大阪市に隣接し、市外局番も06の摂津国にある尼崎市です。大阪と雰囲気にあまり違いが無く、庶民的な街という(私の中での)イメージがあり、阪神なんば線開業時には幾度も訪れた街を探索することにしました。



より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示

上の地図にある青印の場所を訪れました。では、始めることにしましょう。なお、地図上の印をクリックすると、吹き出しが現れ、簡単な説明が出てきます。その○囲みの数字と下の写真の数字は対応しています。


(写真①)

まず、阪神尼崎駅に到着しました。阪神優勝時の群衆のイメージが強いこの駅前から出発します。


(写真②)

写真①とは逆方向、つまり南側に出ると、間近で尼崎車庫から出てくる電車を撮影することができます。


(写真③)

写真②の位置から川を橋で渡ると、赤煉瓦のクラシックな建物が現れます。これは阪神電鉄の旧尼崎発電所です。1904年竣工ということなので、100年以上経過しています。なお、今は発電所としては機能していません。


(写真④)

写真③の旧尼崎発電所の南側に尼崎城跡があります。尼崎城があった場所には尼崎市立中央図書館があり、石垣及び土塀が復元されており、見る角度によっては難攻不落の図書館という感じになっています。


(写真⑤)

五合橋線の阪神本線高架付近に移動しました。実際の映像とは異なるアングルで撮影しましたが、「涼宮ハルヒの憂鬱」の「朝比奈ミクルの冒険Episode00」の始めに出てくる風景がここです。


(写真⑥)

写真⑤の場所から後ろを向くと、尼崎中央商店街の入口があります。前述の「涼宮ハルヒの憂鬱」に、このリニューアルされる前のアーケードを描いた「祝川商店街」が登場します。(設定では阪急夙川駅の近くにあることになっています。)
聖地巡礼ネタは他のサイトに任せることとして、目的物に向かうため、尼崎中央商店街へ入ります。


(写真⑦)

中央三番街にくると、それはあります。プロ野球開幕から始まる「阪神優勝マジック表示」です。ただ、この表示は可動式となっており、商店街の道の上を前後に動いていることには驚きました。


次回は尼崎市の後編の予定です。尼崎市の別な面をみることができます。

と、思いましたが、追記で記述します。



(追記 2010年8月8日)


より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示

阪神尼崎駅の南側には寺町という地域があります。1617年、膳所藩から尼崎藩に移封された戸田氏鉄が尼崎城を築城する際に、大物周辺にあった寺院を現在の位置に集めたのが始まりです。
国や県、市の重要文化財が多数あり、景観の保全、整備が進められています。


(写真⑧)

阪神尼崎駅から南西方向に進むと、立派な三重の塔が現れます。寺町の中心的寺院である本興寺のものです。


(写真⑨)

三重の塔と反対方向から望んだ本興寺です。阪神尼崎駅前の高層ビルが背景に写っています。



(写真⑩)

寺町の西の方に進むと、長遠寺(じょうおんじ)の多宝塔です。これも尼崎の街の中にあります。


(写真⑪)

写真中央の道路左側は寺町で昔ながらの寺院があり、右側には現在の住宅地があるというなんとも不思議な光景です。


(写真⑫)

尼信(あましん)でお馴染みの尼崎信用金庫の本店が寺町の南側にあり、その本店の西側にある別館の隣には赤煉瓦の尼崎信用金庫記念館、その後ろには尼信博物館があります。


より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示

では、一旦阪神尼崎駅より離れ、西に向かいます。



(写真⑬)

阪神尼崎駅から普通車で神戸方面に2駅移動すると、尼崎センタープール前駅に到着します。その尼崎センタープール前駅の高架下には阪神電鉄の研修所があり、その中に阪神電鉄の戦前製の小型車2両(左:1141形1150号車、右:601形604号車)が静態保存されています。


(写真⑭)

尼崎センタープール前駅から更に普通車で神戸方面に1駅移動すると、武庫川に到着します。写真⑭の橋梁は阪神高速3号神戸線と国道43号線のものです。


より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示

逆に東に向かい、阪神尼崎駅より更に東に向かいます。


(写真⑮)

阪神尼崎駅より普通車で1駅大阪方面寄りの阪神大物駅から北東へ向かうと、大物公園があります。この大物公園には蒸気機関車D51の静態保存車があります。どういういわれかはよくわかりません。


(写真⑯)

D51の近くには残念さんの墓があります。残念さんとは長州藩士・山本文之助のことであり、1864年の蛤御門の変のとき、京都から山口へ帰国の途中、この大物で捕まり、自決しました。その死に際、「残念、残念」と叫んだというので、幕府に反感を持つ民衆の同情を受け、大阪からも墓参りの人が絶えず、残念さんと呼ばれるようになったようです。
ちなみに、写真⑯には残念さんの墓は写っていません。関係者以外立入禁止となっていたので、説明板を撮影しただけとなりました。



より大きな地図で 堺っ子の兵庫県旅行記 を表示

阪神大物駅から阪神尼崎駅へ戻り、車に乗り、県道42号線尼崎宝塚線を通ります。


(写真⑰)
※動画として撮影したものを後に静止画キャプチャしたものです。

尼崎宝塚線、通称尼宝線は元々阪神系の宝塚尼崎電気鉄道(尼宝電鉄)が鉄道を敷設するために建設したものですが、両端にあたる宝塚市内及び尼崎市内での建設のめどが立たなくなり、道路に切り替えたものです。当初は阪神の専用道路でしたが、戦時中に兵庫県に買収され、一般に開放され、現在に至っています。
写真17はその尼宝線と阪急神戸本線との立体交差に当たる部分です。この尼宝線はこの跨線橋を挟み、両側とも片側2車線の道路ですが、ここだけ片側1車線となります。また、道路の跨線橋にしては傾斜がゆるやかです。このことからも元々、鉄道が通る跨線橋だったことが伺えます。

今回はどちらかというと、阪神沿線の尼崎市を主に訪問したのですが、庶民的な街だけではなく、歴史のある街であることを感じました。


ちなみに、この尼崎市と堺市は非常に近く、阪神高速5号湾岸線、4号湾岸線を通れば、すぐに堺に到着します。今回はこのルートで堺市へ向かいました。

次回は、いきなり県庁所在地である神戸市中央区です。

0 件のコメント:

コメントを投稿