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2008年11月15日土曜日
ぶらり広島散歩紀行その2
ぶらり広島散歩紀行の第2日目はまず、白島線での動画撮影となりました。しかし、動画(ビデオ)と静止画(写真)では勝手が違うため、反省点が多いものとなりました。やはり、動画撮影には三脚が必要ですね。
動画撮影後、広島に折角来ているので、原爆関係遺跡を見ることにしました。代表的なのはやはり原爆ドームですが、今回は袋町小学校平和資料館に行くことにしました。私が広島に住んでいた頃はこの平和資料館の元となった西校舎はまだ現役だったようですが、頻繁に袋町小学校の前を通っていたにもかかわらず、良く覚えていません。大阪、東京と渡り歩いているうちに、老朽化の進んだ西校舎を取り壊し、その一部を利用した平和資料館ができました。
この袋町小学校平和資料館には被爆直後、被災者が書き残した伝言が展示されています。これらの伝言を見ると、非常に胸が詰まります。このコンクリート壁に残っている伝言は黒板で隠されたり、漆喰で覆われたりしたため、そのまま保存されることとなり、被爆から54年経過した1999年(平成11年)に再発見されることになりました。
場所が変り、南区の比治山下にある多門院の鐘楼です。鐘の上の梁が被爆当時のまま残されています。
いくつかの原爆遺跡を巡った後、呉線に乗り、呉ポートピアパークに静態保存されている旧呉市電車両を見に行くことにしました。乗車した電車は大阪環状線や阪和線で走っているものとはちょっと雰囲気が異なっていますが、103系です。
半時間ほど乗車し、呉ポートピア駅を降りると、呉ポートピアパークが広がっています。かつては呉ポートピアランドという遊園地でしたが、現在は市民公園となり、無料開放されています。
その中に、旧呉市電の1001号が展示されています。呉市電が1967年(昭和42年)に廃止になるのに伴い、この1001号は対岸にあたる松山市の伊予鉄道の軌道線で2004年(平成16年)まで第二の人生を過ごすことになりました。その後、伊予鉄道から呉市に返還され、市章を付け、塗装と前照灯を呉市電当時に戻し、呉市電の外観に戻しています。しかし、冷房装置や内部設備、広告には伊予鉄時代の名残が認められました。
この旧呉市電車両はすっかり子供達の遊び場となっており、運転台に子供がいない時はほとんどありませんでした。
この後、広島土産を多量に購入し、堺に戻りました。
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