宿泊したホテルサンルート高知はJR高知駅の近くにあり、土電の軌道線・併用軌道並走には絶好のロケーションとなっています。では「Tramway Killer号」の第14のターゲット、土佐電鉄の併用軌道を並走することにします。JR高知駅に向かうと、早速元名鉄岐阜600V線区で活躍した590形が出迎えてくれました。
高知駅前電停より桟橋線を南下し、桟橋通五丁目電停を抜け、いったん併用軌道並走を中断し、一度行きたかった桂浜へ行くことにしました。
相変わらず、細い道を勧めるいけずなカーナビのおかげで、細い道がスイスイ行けるようになり始めている私が嫌になりながら、ようやく桂浜に到着しました。
この桂浜に到着すると、目に入る「龍馬伝」の幟たちがありました。松山の「坂の上の雲」の次は、「龍馬伝」ですか。この高知もNHK大河ドラマ「龍馬伝」で沸いているようです。
まあ、「龍馬伝」はともかく、丘にある海援隊隊長・坂本龍馬の像を見た後、桂浜に下ります。
桂浜に下りました。幸いにもこの日の太平洋は穏やかでした。坂本龍馬もこの太平洋を見て、日本の将来を考えていたのでしょうか。
しかし、この風景をみると、ソフトバンクの携帯電話CMを思い出すのは私だけでしょうか。
桂浜を去り、再びいけずなカーナビの案内により細い道路を通過した後、桟橋線を北上し、高知駅前電停に到着した後、はりまや橋電停より後免線に沿って、進みます。所々、併用軌道ではありませんが、かまわず東の起終点である後免まで進みます。久しぶりにきた後免ですが、いつの間にか隣にローソンができていました。
続いて、元来た方向へ東の起終点の後免電停より桟橋線と平面交差するはりまや橋を経由し、西の起終点の伊野電停へ向かいます。後免電停より伊野電停までは22.1kmと非常に長く、南海本線でいうと、難波から忠岡のちょっと手前までの距離となり、結構な距離です。無事に伊野電停に到着し、折り返して「はりまや橋電停」に向かうのですが、途中の朝倉にはどうしても軌道敷を走らなければならない場所があります。つまり、その道路は両側2車線分しかなく、そのうち北側の1車線分が単線の軌道敷となっています。(ちなみに、この道路は軌道敷進入可です。)伊野へ向かう場合は軌道敷上を通りませんが、はりまや橋へ向かう場合は軌道敷上を通らなければなりません。しかも、軌道は単線なので、場合によっては車と路面電車の進行方向がかち合う場合が生じます。正直、あまり通りたくない気持ちですが、「やらないで後悔するよりもやって後悔した方が良いって言うよね!」という気持ちで朝倉駅前からその道路に進入します。
道路に入り、しばらくは順調でしたが、予想通り、軌道敷上を進行中に向こうから路面電車がやってきました。げっ!という気持ちになりましたが、幸いこちらに向かってくる車はいません。そこで、軌道敷の右側へ移動し、路面電車をやり過ごすことができました。阪堺線大阪市内区間よりもスリルのあるこの道路、もう通りません。
朝倉方面からの帰り、はりまや橋電停に到着しました。何回かはりまや橋電停の前を通りましたが、伊予鉄の大手町駅前とは異なり、平面交差する路面電車の絵は撮影できませんでした。orz
時間も迫ってきたので、室戸岬、日和佐経由で徳島市に向かいます。基本的に国道55号線の旅となります。
国道55号線を東進し、高知市、南国市そして香南市まで来ると、国道55号線は太平洋岸を進むことになります。整備された道、そんなに多くない車の通行量、フロントガラスを通して飛び込んでくる青い空・青い海・緑の山々、これらのため、ドライブをするには非常に良い道です。
約2時間かけ、ようやく室戸岬に到着しました。室戸岬には陸援隊隊長・中岡慎太郎の像があります。
この室戸岬は大阪における三大台風(室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風)が通過したことで知られています。ちなみに、室戸台風、第二室戸台風はここに上陸し、ジェーン台風はここをかすめ、次の目的地・日和佐に上陸しました。また凄まじい記録を残したことで知られ、室戸台風は上陸時の中心気圧が911.6ヘクトパスカル、第二室戸台風は最大瞬間風速84.5m/s以上(風速計が振り切れたため、以上となりました。なお、時速に変換すると304.2km/h以上)を記録しました。
この日は良い天気だったのですが、岬という場所のため、やはり風は強かったです。
室戸岬には月見が浜があり、その名の通り月の名所であり、朝日が美しいことで知られています。夕方に来たこともあり、満月が既に海の上に出ていました。交通の便が良くないため、変に観光地化されていないのも良かったです。
再び、国道55号線に戻り、やはりドライブするには良い道だなあと思いながら、夕日が沈んだ後、しばらくして日和佐駅に到着しました。20年以上ぶりの日和佐です。到着したとき、加古川線西脇市駅よりも本数の少ない牟岐線日和佐駅に上下線の気動車が奇跡的に停車していました。
日和佐は四国八十八箇所霊場の第23番札所・薬王寺の門前町です。この薬王寺は堺とは深い縁のある行基が創建し、空海が再興したとされる薬師如来を本尊とする寺です。また、ウミガメで町おこしを行っている町としても知られています。
しゅらくの本家筋の伯父、伯母に挨拶すべく、町の中に入っていくと、あちこちに「ウェルかめ」の幟があります。ここもNHK朝の連続テレビ小説の舞台になっていたことに気づきました。私は路面電車巡りと本家筋挨拶でこの旅程を組んだのですが、偶然にもNHKドラマの聖地巡礼の旅になっていたようです。
本家前に到着しましたが、やや不安な気持ちで玄関の呼び鈴を鳴らします。なにせ20年以上もの経年による容貌、体格の変化のため、親父の名前を出す必要がありましたが、親父似の容貌で何とか認識してもらいました。伯父、伯母に会い、元気だったので安心しました。特に伯父は80歳なのに、70歳ぐらいにしか見えず、相変わらず元気なのが印象的でした。
挨拶の後、アカウミガメの産卵で有名な大浜海岸に行きました。しかし、照明がほとんどなかったので、真っ暗で何も見えませんでした。残念。ちなみに上の写真は三脚を用い、シャッター速度を遅くした写真です。明るいように見えますが、実際には真っ暗です。
では、日和佐を離れ、一路両親のいる徳島市へ向かいます。
次回に続く。
(注)
上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿