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2008年4月20日日曜日

…迂闊、堺駅西口~出島が廃止されていたとは…

大阪市営バス29A系統・堺駅西口バス停(2007年10月7日)

2008年3月30日に、大阪市交通局の市バスの系統に変更がありました。この中に住之江公園~三宝~堺駅西口~出島の29A系統及び住之江公園~三宝の29B系統が統合された上、29A系統は住之江公園~三宝~堺駅西口に短縮されました。つまり、堺駅西口~出島間は廃止となりました。両者合わせて1時間に2本程度になっているので、三宝地区の乗客が住之江公園に出る場合は減便となりますが、主に利用客が多い堺駅西口から住之江公園に出ている乗客にとってはあまり変化はありません。
また、堺駅西口~出島間が廃止になっても、実際には南海バスがほぼ同じルートを通っており、乗客も少なかったこともあり、あまり影響はないものと思われます。また、三宝地区にも南海バスが走っていることからこちらも大きな影響はないでしょう。
ただ、いくらこの3月が仕事で忙しかったとはいえ、またホームページで名古屋鉄道・岐阜600V線区のリニューアルに集中していたとはいえ、メインコーナーである新阪堺、大阪市電三宝線及び大阪市営バス29系統関連情報を見逃すとは、、、迂闊。
てっきり、阪堺線と大小路で平面交差する予定の堺市LRTが新設されたときに、この大阪市営バスの廃止が始まるものと思いこんでいました。それにしても、迂闊。
さて、愚痴を言っても仕方ないので、堺駅西口~出島間のバス路線について、その歴史を現在からさかのぼって述べると、1994年(平成6年)に堺駅に西口ができたときに、大阪市営バスが乗り入れました。堺駅西口ができる以前の1968年(昭和43年)より、住之江公園~出島間を大阪市営バスが大阪市電三宝線の代替として運行されていました。つまり、大阪市営バスは出島まで40年間走っていたことになります。路面電車である大阪市電三宝線として、1944年(昭和19年)~1968年(昭和43年)まで24年間走りました。ただし、途中戦災により2年間ほど休止していました。更に、前身である新阪堺電鉄として、1934年(昭和9年)に龍神通(大浜北町バス停付近)から湊ノ浜(出島のひとつ南の電停)まで延長したときから1944年(昭和19年)に大阪市電気局(現在の交通局)に買収されるまでの10年間走っていました。
ということで、実は路面電車として出島まで走っていた年数よりも、廃止後市電代替のバスとして走っていた年数が長かったことになります。この長く続いていた出島までのバス運行がなくなることはしゅらく個人としては大変寂しいものがあります。というのは、ホームページの「新阪堺調査局」を開設するにきっかけが出島を転回する大阪市営バスだったからです。ただし、前述のように経営的には今回の29A系統、29B系統の統合は妥当だと思います。
この堺市側の終点が堺駅西口になったというのも何かの因縁で、堺駅西口は戎島にあり、元々の新阪堺電鉄の特許が芦原橋から堺市戎島までとなっており、新阪堺線特許線上にあった南海鉄道の発電所(これは堺化学工業株式会社堺事業所内に旧跡として現存しています。)の撤去問題、国道16号線建設(現在の国道26号線及び旧国道26号線)等あり、最終的に浜寺公園の北まで延伸しましたが、元の特許線の位置に新阪堺の後身である大阪市営バスの終点が設置されることになります。
今後のことを考えると、堺市LRTが堺浜方面に敷設されたときに、大阪市営バス29A系統は再び短縮され、住之江公園方面から四つ橋線が延伸したとき、この29A系統は完全に廃止されるものと思われます。それもそんなに先ではないと感じています。

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