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2010年2月16日火曜日

大阪-西脇紀行(第10回)(2/6~7)

今回の「大阪-西脇紀行(第10回)」も「Tramway Killer号」により西脇に帰ることにしました。



今回も前回と全く同じ場所に駐車しました。が、写真を取り忘れていましたので、大阪タワーがあった場所を掲載しました。現在は旧プラザホテルが残っているだけで、大阪タワーはもちろんのこと、旧朝日放送の局舎もなくなり、その跡地は駐車場となっていました。

まず、堺浜シーサイドステージまでのルートは下記の通りです。


福島駅前(A)
↓あみだ池筋
芦原橋駅前
↓府道29号線・国道26号線(ほぼ旧・新阪堺線電車道)
堺駅前(プラットプラット)(B)

堺浜シーサイドステージ・楽天温泉祥福(一泊)(C)

続いて、堺浜シーサイドステージから天理参考館までのルートは下記の通りです。

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堺浜シーサイドステージ・楽天温泉祥福(A)
↓府道29号線他
堺市立中央図書館(B)
↓府道2号線他
松原IC
↓西名阪自動車道
香芝SA
↓西名阪自動車道
天理IC

天理参考館(C)

更に、天理参考館からイオンモール藤井寺までのルートは下記の通りです。


天理参考館(A)
↓国道25号線他
彩華ラーメン本店(B)
↓国道25号線・府道12号線他
イオンモール藤井寺(C)

更に、イオンモール藤井寺から阪急・夙川駅までのルートは下記の通りです。




イオンモール藤井寺(A)

大堀入口
↓阪神高速14号・1号・3号
芦屋出口

阪急夙川駅(B)
↓阪急甲陽線
阪急甲陽園駅
↓阪急甲陽線
阪急夙川駅(B)

最後に、阪急夙川駅から西脇までのルートは下記の通りです。


阪急夙川駅(A)
↓県道82号・西宮北有料道路・県道82号
西宮北IC
↓中国自動車道
滝野社IC

アピカ西脇(B)



ということで、堺浜で一泊します。では、ここから奈良県天理に向かって出発します。



堺市立中央図書館に立ち寄る予定でしたが、あいにく開館前だったので、今回は諦め、西名阪自動車道で天理に向かうことにします。ただ、相変わらず私のカーナビはいけずであり、松原ICまでのルートにわざわざ鉄道線と平面交差する道順を示してきました。このため、三国ヶ丘駅での南海高野線との踏切で3つの電車を待つことになりました。府道2号線(中央環状線)経由で松原ICより西名阪自動車道に入り、香芝SAで休憩し、天理ICへ向かいます。



天理ICからしばらくすると、立派な建物が見えてきます。その中の天理参考館に向かいます。



天理参考館の中には世界各地の民俗資料が多数展示されていました。



その中には昔の日本住宅の様子も展示されていました。




2010年1月5日から3月8日まで天理参考館では新春展として、南海電車展が行われています。この南海電車に関する展示品は平芳資也氏(1963~2008)が寄贈されたもので、「南海太郎」という通称が有名な方でした。


 (この写真のみ2006年3月4日撮影)

私費を投じて上写真の阪堺電車の162号、163号を旧塗装に戻したことや住吉大社の初詣輸送の際には阪堺電軌のアルバイトスタッフとして従事されたりしていました。私も年始の住吉鳥居前電停で「南海太郎」氏を見かけたことがあります。



南海本線・泉大津駅の駅構内の電車行先案内幕も展示されていました。淡路号、白線急行及び赤準急が懐かしいですね。



南海本線の次は南海高野線電車の行先幕です。ここでは、泉北高速線乗り入れの準急和泉中央行きに合わせてみました。



南海電車の展示品を見終わり、天理参考館を後にし、昼食をとるため、彩華ラーメン本店に寄ることにします。



店内に入り、チャーシュー麺を頼みます。たくさんの白菜が入っています。四川省から仕入れている辛い辣醤がアクセントとなり、とても美味しいです。



彩華ラーメン本店を後にし、イオンモール藤井寺で買い物をした後、「涼宮ハルヒの消失」の劇場版も公開されたことですし、甲陽園のケーキハウスツマガリでクッキーを買うことにしました。例のごとく、夙川駅の駐車場に車を駐め、甲陽線に乗り、甲陽園に向かいます。



甲陽園駅を降り、ケーキハウスツマガリに向かい、クッキーを購入し、夙川駅に戻った後、県道82号線に沿って前述のルートを通り、西脇へ帰ることにしました。
次回はどうしようかな。

1 件のコメント:

  1. こつまなんきん2011年2月17日 17:52

    お久しぶりですね「こつまなんきん」です。ずいぶんと遅くなりましたが、南海電車展にご来場いただきありがとうございました。「南海太郎」こと故平芳資也氏はわたしの高校時代の先輩で、ある意味この趣味の上での師匠みたいな方でした。162・163号の塗装を旧塗装に戻したり、わたしたちも知らなかったんですが阪堺電車をマスコミで取り上げてもらえるように働きかけたりもしておられたようです。

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