2008年3月23日、大阪市営地下鉄開業75周年を記念して森之宮検車場が初めて一般公開され、懐かしの地下鉄車両、大阪市電2両及びトロリーバス1両も公開されることとなりました。
そこで、この日満38歳を迎えた私、「しゅらく」と同じく満35歳を迎えた弟、「どりあん」が広島電鉄第12回路面電車まつり以来、再び一緒に行動することとなり、この森之宮検車場へいくこととしました。(注:誕生日は3月24日なので、3月23日が年齢がひとつ増える日となります。)
さて、入口付近には今年度末で営業を終了する市営観光バスにじ号や懐かしのゼブラバスなどが展示されていました。検車場(車両工場)見学なので、検査中の現行地下鉄車両を見なければなりません。上の写真は検査されている谷町線車両です。
この大阪市交通局でも大きな車両が小さく見えるぐらいの広い建物の中に車両台車や様々な部品及びいろいろな機械が整然と設置されており、きちんと車両整備が行われていることが感じられました。
懐かしの地下鉄車両を3両を見た後、本日のメインイベントである市電保存庫に向かいました。
地下鉄車両があった建物をでると、既に長蛇の列ができていました。
「これ、もしかして市電見学の行列なん?」と2人ともつぶやき、それに気づいた職員の方が述べられました。「申し訳ございません。現在、市電見学を希望される方はこちらに並んでいただいています。」
思わず、私は叫びました。「人気者やなあ~。大阪市電。」
仕方が無いので、最後尾に並ぶことにしました。
「こんなことなら、もっと早く来れば良かった。」(しゅらく)
『あんたが、寝坊せえへんかったら良かったんや。』(どりあん)
「そんなこと言うても、昨日仕事してたんや。一生懸命報告書打っとたんやで。」
『こっちかて、仕事しとったわ。』
「まあ、ええわ。このくらいの行列、新千歳空港に比べればましや。夢も希望もない状態で、 7時間も立ち放しやったやから。」
大阪市交通局の方の適切な対応のおかげで、1時間後には市電保存庫にたどり着きました。外からの見学だけでしたが、たいへんきれいな状態の大阪市電801号、2201号及びトロリーバス255号を見ることができ、非常に満足しました。
ちなみに、大阪市電801号は前と中央の2ヶ所に左右非対称の出入口(いわゆる大阪市電形)を初めて設置した形式として、大阪市電2201号は今では当たり前のワンマンカーの形式として保存されています(大阪市電全廃時には電車に車掌が乗車しているのが当たり前でした。)。トロリーバスの保存車はあまりないので、貴重なものと言えるでしょう。
「ところで、801号の方向幕が新千歳になっているのは偶然なんやなあ?」
『偶然やろ。』
(ちなみに、新千歳というのは、大正区にあった新千歳町電停のことであり、新千歳町行きということです。ただし、新千歳町行きは28系統なので、新千歳の横の系統番号16は合っていません。)
何か釈然としないものを残しながら、2人は森之宮検車場を後にしました。
今回は森之宮検車区の市電保存庫が初めて公開され、緑木にある市電保存庫は以前から公開されているので、大阪市交通局が静態保存している大阪市電車両は全て一般公開されたことになります。非常にきれいに保存されているので、これからも大事に保存をしてほしいと感じました。
大阪市とは関係ないですが、京都市交通局が保存している京都市電を是非一般公開してほしいと感じているのは私だけでしょうか。
追伸、
何故この時期に一般公開したんでしょうね。路面電車の日関連の6月でもなく、鉄道の日関連の10月でもなく、大阪市営地下鉄の開業月の5月でもなく、ちょっと不思議に感じました。
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2008年3月23日日曜日
開業したおおさか東線に乗ってみた。
2008年3月15日のJRのダイヤ改正に伴い、急行銀河のように消えたものもあれば、あらたに誕生したものもあります。今回は新規開業したJRおおさか東線に乗ってみました。
今回はJR東西線・新福島駅よりJRの新型車321系に乗り、おおさか東線に向かうことにしました。
JR東西線及び片町線(学研都市線)を経由し、難読駅でお馴染みの放出(はなてん)駅に到着し、 おおさか東線の電車を待つことにしました。しばらくすると、関西線(大和路線)と同じうぐいす色の201系が入線してきました。
では、おおさか東線に乗車開始します。
JRおおさか東線は城東貨物線を一般旅客用に転換した路線であり、沿線には線路の近くにまで家屋が接近しており、非常に狭苦しい印象を持ちました。実際に、起終点両駅と新加美駅を除き、全て1面2線の島式ホームになっていました。
JR河内永和駅に近づくと、高架の近鉄奈良線が見えてきました。
JR河内永和駅を出発すると、すぐにJR俊徳道駅が近づきます。途中、車窓より近鉄大阪線が見えます。近鉄の河内永和駅及び俊徳道駅とも普通のみが停車する駅なので、おおさか東線との連絡はあまり考慮に入れていないものと思います。(両駅の隣接駅である布施駅に優等列車が停車する事情もあると思いますが。)
おおさか東線の久宝寺駅に到着しました。関西線とは同一ホームで乗換ができるようにダイヤが組まれていました。所要時間は放出駅からは15分程度で到着しますが、今回はたまたま大阪環状線でのダイヤが乱れたため、5分ほど余計にかかりました。(大和路快速が大阪環状線に乗り入れている関係で、大阪環状線の遅れが関西線及びおおさか東線に及んだものと思われます。)
このおおさか東線を乗車したのち、関西線でJR難波駅に戻ることにしました。新福島駅からJR難波駅までにかかった旅費は210円でした。
このおおさか東線はまだ南半分が部分開業したのみで、新大阪駅~鴫野駅(鴫野駅~放出駅は片町線(学研都市線)と共用)の北半分がまだ開業していません。このおおさか東線の真価が問われるのは新大阪駅と結ばれる北半分が開業したときだと思います。
とにかく、赤字にならないことを祈っています。
今回はJR東西線・新福島駅よりJRの新型車321系に乗り、おおさか東線に向かうことにしました。
JR東西線及び片町線(学研都市線)を経由し、難読駅でお馴染みの放出(はなてん)駅に到着し、 おおさか東線の電車を待つことにしました。しばらくすると、関西線(大和路線)と同じうぐいす色の201系が入線してきました。
では、おおさか東線に乗車開始します。
JRおおさか東線は城東貨物線を一般旅客用に転換した路線であり、沿線には線路の近くにまで家屋が接近しており、非常に狭苦しい印象を持ちました。実際に、起終点両駅と新加美駅を除き、全て1面2線の島式ホームになっていました。
JR河内永和駅に近づくと、高架の近鉄奈良線が見えてきました。
JR河内永和駅を出発すると、すぐにJR俊徳道駅が近づきます。途中、車窓より近鉄大阪線が見えます。近鉄の河内永和駅及び俊徳道駅とも普通のみが停車する駅なので、おおさか東線との連絡はあまり考慮に入れていないものと思います。(両駅の隣接駅である布施駅に優等列車が停車する事情もあると思いますが。)
おおさか東線の久宝寺駅に到着しました。関西線とは同一ホームで乗換ができるようにダイヤが組まれていました。所要時間は放出駅からは15分程度で到着しますが、今回はたまたま大阪環状線でのダイヤが乱れたため、5分ほど余計にかかりました。(大和路快速が大阪環状線に乗り入れている関係で、大阪環状線の遅れが関西線及びおおさか東線に及んだものと思われます。)
このおおさか東線を乗車したのち、関西線でJR難波駅に戻ることにしました。新福島駅からJR難波駅までにかかった旅費は210円でした。
このおおさか東線はまだ南半分が部分開業したのみで、新大阪駅~鴫野駅(鴫野駅~放出駅は片町線(学研都市線)と共用)の北半分がまだ開業していません。このおおさか東線の真価が問われるのは新大阪駅と結ばれる北半分が開業したときだと思います。
とにかく、赤字にならないことを祈っています。
2008年3月20日木曜日
盲腸線の旅(第42回)~近鉄道明寺線・道明寺駅
今回は近鉄道明寺線の起点、道明寺駅です。
近鉄道明寺線は大和川を挟み、藤井寺市と柏原市を結ぶ2.2kmの路線で、駅は道明寺駅、柏原南口駅及び柏原駅の3駅です。
この近鉄道明寺線は近鉄の路線の中でも、最も歴史の古い路線であり、1898年(明治31年)に河陽鉄道が柏原駅~古市駅間を開業させたのが始まりです。(注:近鉄直系の起源は1914年(大正3年)に現在の近鉄奈良線を開業した大阪電気軌道であり、この大阪電気軌道の後身である関西急行鉄道が河陽鉄道を継いだ河南鉄道の後身である大阪鉄道(2代目)<通称:大鉄>を合併しました。)
道明寺駅は島式、単式複合式の2面3線のホームをもつ地上駅です。道明寺線は上の写真のとおり、島式ホームにある1番ホームより発着します。道明寺線は2両編成のワンマンカーにより運行されています。
島式ホームにある2番ホームと単式ホームにある3番ホームが本線である近鉄南大阪線用となっています。
前述の通り、柏原駅~道明寺駅~古市駅が敷設された後、古市駅~河内長野駅の区間が本線として更に敷設されました。しかし、大鉄が後から大阪阿部野橋及び奈良の橿原神宮方面に進出し、本線筋が南大阪線(大阪阿部野橋駅~道明寺駅~古市駅~橿原神宮前駅)に切り替わりました。このため、道明寺線(柏原駅~道明寺駅)と長野線(古市駅~河内長野駅)が支線化されました。
上の写真にあるように、道明寺駅の北側で近鉄南大阪線は大きく西にカーブしているのがわかります。このカーブは南大阪線の中でも最も急なカーブです。
上の写真は道明寺駅の南隣の古市駅南側を撮影したものであり、古市駅南側で南大阪線と長野線が分岐しており、こちらも本線である南大阪線(左の特急電車のいる方)が東にカーブしているのに対し、支線である長野線(中央の回送電車がいる方)が直線であることがわかります。
次回は柏原南口駅の予定です。
近鉄道明寺線は大和川を挟み、藤井寺市と柏原市を結ぶ2.2kmの路線で、駅は道明寺駅、柏原南口駅及び柏原駅の3駅です。
この近鉄道明寺線は近鉄の路線の中でも、最も歴史の古い路線であり、1898年(明治31年)に河陽鉄道が柏原駅~古市駅間を開業させたのが始まりです。(注:近鉄直系の起源は1914年(大正3年)に現在の近鉄奈良線を開業した大阪電気軌道であり、この大阪電気軌道の後身である関西急行鉄道が河陽鉄道を継いだ河南鉄道の後身である大阪鉄道(2代目)<通称:大鉄>を合併しました。)
道明寺駅は島式、単式複合式の2面3線のホームをもつ地上駅です。道明寺線は上の写真のとおり、島式ホームにある1番ホームより発着します。道明寺線は2両編成のワンマンカーにより運行されています。
島式ホームにある2番ホームと単式ホームにある3番ホームが本線である近鉄南大阪線用となっています。
前述の通り、柏原駅~道明寺駅~古市駅が敷設された後、古市駅~河内長野駅の区間が本線として更に敷設されました。しかし、大鉄が後から大阪阿部野橋及び奈良の橿原神宮方面に進出し、本線筋が南大阪線(大阪阿部野橋駅~道明寺駅~古市駅~橿原神宮前駅)に切り替わりました。このため、道明寺線(柏原駅~道明寺駅)と長野線(古市駅~河内長野駅)が支線化されました。
上の写真にあるように、道明寺駅の北側で近鉄南大阪線は大きく西にカーブしているのがわかります。このカーブは南大阪線の中でも最も急なカーブです。
上の写真は道明寺駅の南隣の古市駅南側を撮影したものであり、古市駅南側で南大阪線と長野線が分岐しており、こちらも本線である南大阪線(左の特急電車のいる方)が東にカーブしているのに対し、支線である長野線(中央の回送電車がいる方)が直線であることがわかります。
次回は柏原南口駅の予定です。
2008年3月17日月曜日
さようなら寝台急行・銀河
2008年3月14日、急行銀河が最終運転されました。正確な乗車回数は忘れましたが、5回程度乗車したように思います。
座席で寝なければならない深夜バスやムーンライトながらとは異なり、「銀河」は横になって寝ることができるのが魅力的でした。ただし、「銀河」は電気機関車が客車を牽引する列車であり、駅に停車する度に振動するので、慣れていないとそのたびに目が覚めてしまうのが難点でした。
最近では、ホテルの宿泊代や航空運賃が安くなったため、そちらを利用することが多くなり、すっかり利用しなくなってしまいました。
時代の流れとはいえ、廃止は寂しく思います。もう少し、利用すれば良かったと感じています。
2008年3月9日日曜日
激走!東武伊勢崎線・久喜駅発、東急田園都市線・中央林間駅行き急行電車乗車その3
渋谷駅でまさに通勤電車並みの混み具合となった急行中央林間行き電車は東急田園都市線に入りますが、二子玉川駅まではずっと地下を走ります。
まず、渋谷駅を出ると、東急世田谷線との連絡駅である三軒茶屋駅に停車します。上の写真は地上にある世田谷線の三軒茶屋駅の様子です。世田谷線はすっかり今風の車両になりました。
二子玉川駅付近でようやく地上・高架に出、急行電車は二子玉川駅に停車します。ここでは大井町線との連絡駅となっており、同一ホーム上で乗換も可能となっています。
二子玉川駅を出発し、多摩川鉄橋を渡ると、東京都から神奈川県に入ります。(そういえば、埼玉県から東京都に入るときは触れなかったなあ~。)
二子玉川駅を出ると、溝の口駅、鷺沼駅と停車します。この宮崎台駅はその両者の間の駅であり、急行電車は通過します。
田園都市線は仕事の関係で数度乗車したことがあり、鷺沼駅近くにある某アパレルの品質管理の担当者に会いに行ったものです。
鷺沼駅を出た急行電車はたまプラーザ駅、あざみ野駅、青葉台駅と停車していきますが、少しずつ乗客が減っていくものの、混んだ状態は変りませんでした。
そして、次の目標地点であるこどもの国線との連絡駅である長津田駅に到着し、ようやく多くの乗客が降り、座席に空きが見られるようになりました。夕日も沈み、辺りは暗くなり始めました。(上記写真は中央林間駅から戻り、撮影したものなので、すっかり真っ暗となっています。)
(なお、こどもの国線もいずれ「盲腸線の旅」で掲載する予定です。)
長津田駅を出発し、南町田駅に停車し、16時に鷲宮駅を出てから、2時間強かけて、18時過ぎに中央林間駅に到着しました。
この電車は折り返し、急行南栗橋行きとなり、やはり2時間強かけて、南栗橋駅に行きます。
中央林間駅を出ると、すっかり暗くなっていました。
上記の記録にあるように、鷲宮駅から一度も降りることなく、中央林間駅に来ました。
さてさて、これからこどもの国線の取材、取材。取材後は岐阜へ行かなきゃ!
これにて、今回の激走! は終わりです。次回はどこへ行こうかなあ~。
2008年3月6日木曜日
激走!東武伊勢崎線・久喜駅発、東急田園都市線・中央林間駅行き急行電車乗車その2
急行中央林間行きは春日部駅を出発し、せんげん台駅、越谷駅、新越谷駅及び草加駅に次々に停車します。この間、少しずつ車内の乗客が増え始め、座席が埋まっていきます。
草加駅を出ると、大師線との接続駅である西新井駅に停車します。この辺りに来ると、立っている乗客が増え始めます。(大師線については、「盲腸線の旅」でいずれ掲載する予定です。)
西新井駅を出ると、北千住駅に停車します。この北千住駅で浅草・押上方面と上野、日比谷、中目黒方面が分岐します。浅草・押上方面は東武伊勢崎線を進み、上野、日比谷、中目黒方面は東京地下鉄日比谷線に乗り入れます。私が乗っている直通電車は東京地下鉄半藏門線を経由するので、このまま東武伊勢崎線を進みます。
北千住駅は東武伊勢崎線-東京地下鉄日比谷線だけでなく、JR常磐緩行線(常磐線各駅停車)-東京地下鉄千代田線、JR常磐快速線、つくばエクスプレス線が集まっており、交通の要衝となっています。
ちなみに、私が乗った直通電車の始発駅である久喜駅からこの北千住駅の区間が東武鉄道の発祥の路線です。
北千住駅を出ると、曳舟駅に停車します。この曳舟駅で浅草方面と押上方面に分岐します。私が乗っている直通電車は半藏門線に乗り入れるため、押上方面へと向かいます。
また、曳舟駅は亀戸線との接続駅でもあります。(亀戸線についても、「盲腸線の旅」でいずれ掲載する予定です。)
この曳舟駅から押上駅の間に、地下に潜り、押上駅に停車します。押上駅からは東京地下鉄半藏門線となり、各駅に停車していきます。地下に潜ってからしばらくは眠いながらも起きていたのですが、銀座線との接続駅である三越前駅を過ぎると、猛烈な眠気が襲いかかり、眠ってしまいました。
目が覚めると、これまた銀座線との接続駅である表参道駅でした。車内はほぼ満員近くになり、人のざわめきでいっぱいになりました。この表参道駅は同一ホーム上で銀座線と乗換ができる駅です。
電車の中はほぼ満員の状態で、渋谷駅に進入しました。私が乗車した電車は半藏門線では各駅停車していましたが、東急線内では再び急行運転となります。このため、この渋谷駅で更に乗客が乗車し、通勤ラッシュ時のような混み具合となりました。
次回は渋谷駅から終点の中央林間駅まで進みます。
2008年3月4日火曜日
激走!東武伊勢崎線・久喜駅発、東急田園都市線・中央林間駅行き急行電車乗車その1
さて、予定になかった東京出張により、私は3月の第1土曜日は関東地方にいました。そこで、せっかくの機会なので、東京から距離のある場所を取材することとし、テレビアニメ「らき☆すた」で物語の舞台となった関東最古の大社とされる鷲宮神社(埼玉県北葛飾郡鷲宮町)に行くこととなりました。
また、2週間後の東京出張のついでに実施しようとしていた「盲腸線の旅」シリーズの一環として、東急こどもの国線(長津田駅は横浜市緑区)を先に取材することにしました。
今回の「激走!」はこの両者の取材の合間企画として行ったものです。たまたま、この両者の間には首都圏の直通運転の中でも、最長距離級(1位が東武日光線・南栗橋駅~東急田園都市線・中央林間駅、2位が東武伊勢崎線・久喜駅~東急田園都市線・中央林間駅)の直通運転が行われているので、この直通運転の起点から終点まで乗り通してみようと考えました。このため、実際には直通電車1本を乗り通しただけなので、途中の画像は乗車前に前もって撮影したもの、もしくは以前の日に撮影し、ストックしていた写真を用いています。
予定では、全三回です。
まずは運賃がいくらかかるかよくわからないので、あらかじめ購入したPASMOに2000円チャージすることとしました。(しかし、これでICカードはSuica、ICOCA及びPiTaPaに続き、4枚目になりました。はよ、統合してくれ。)
鷲宮神社を参拝した後、いよいよこの鷲宮駅から遥か遠くの中央林間駅まで向かいます。鷲宮駅は久喜駅の隣の駅なので、普通久喜行き電車に乗り、田園風景を眺めながら、久喜駅に向かいます。
久喜駅には既に急行・中央林間行きが待っていました。同一ホーム上で乗換え、発車を待ちます。ちなみに、上の写真は急行・中央林間行きではなく、私が鷲宮に向かうときに乗っていた急行久喜行き電車を久喜駅で撮影したものです。
乗車する人数もまばらで、しかも10両編成あるため、しばらくはゆったりと座ることができました。急行も和戸、東武動物公園と各駅に順次停車していきます。上の東武動物公園駅は日光線との合流・分岐駅となっています。
東武動物公園駅を出発すると、次は東武野田線との接続駅である春日部駅に停車します。この春日部駅は前述した「らき☆すた」の主人公たちが通っている高校(アニメ版では原作者の出身高校である春日部共栄高等学校がモデル)の最寄駅となっています。オープニングタイトルにこの構図が登場します。
一般的にはこちらの方が知られているかもしれません。「クレヨンしんちゃん」の主人公野原しんのすけが在住し、作品の舞台となっている場所も春日部市です。これまた、原作者が春日部市在住ということが舞台として使用されたということです。
次回は、この春日部駅から渋谷駅まで進みます。
また、2週間後の東京出張のついでに実施しようとしていた「盲腸線の旅」シリーズの一環として、東急こどもの国線(長津田駅は横浜市緑区)を先に取材することにしました。
今回の「激走!」はこの両者の取材の合間企画として行ったものです。たまたま、この両者の間には首都圏の直通運転の中でも、最長距離級(1位が東武日光線・南栗橋駅~東急田園都市線・中央林間駅、2位が東武伊勢崎線・久喜駅~東急田園都市線・中央林間駅)の直通運転が行われているので、この直通運転の起点から終点まで乗り通してみようと考えました。このため、実際には直通電車1本を乗り通しただけなので、途中の画像は乗車前に前もって撮影したもの、もしくは以前の日に撮影し、ストックしていた写真を用いています。
予定では、全三回です。
まずは運賃がいくらかかるかよくわからないので、あらかじめ購入したPASMOに2000円チャージすることとしました。(しかし、これでICカードはSuica、ICOCA及びPiTaPaに続き、4枚目になりました。はよ、統合してくれ。)
鷲宮神社を参拝した後、いよいよこの鷲宮駅から遥か遠くの中央林間駅まで向かいます。鷲宮駅は久喜駅の隣の駅なので、普通久喜行き電車に乗り、田園風景を眺めながら、久喜駅に向かいます。
久喜駅には既に急行・中央林間行きが待っていました。同一ホーム上で乗換え、発車を待ちます。ちなみに、上の写真は急行・中央林間行きではなく、私が鷲宮に向かうときに乗っていた急行久喜行き電車を久喜駅で撮影したものです。
乗車する人数もまばらで、しかも10両編成あるため、しばらくはゆったりと座ることができました。急行も和戸、東武動物公園と各駅に順次停車していきます。上の東武動物公園駅は日光線との合流・分岐駅となっています。
東武動物公園駅を出発すると、次は東武野田線との接続駅である春日部駅に停車します。この春日部駅は前述した「らき☆すた」の主人公たちが通っている高校(アニメ版では原作者の出身高校である春日部共栄高等学校がモデル)の最寄駅となっています。オープニングタイトルにこの構図が登場します。
次回は、この春日部駅から渋谷駅まで進みます。
2008年3月1日土曜日
盲腸線の旅(第41回)~JR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)・和歌山市駅
今回はJR紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅)の和歌山市駅です。和歌山市駅は島式ホーム1面と櫛形ホームによる3面6線(現在は3面5線が使用されています。)となっています。和歌山市駅は南海本線の和歌山市におけるターミナル駅であり、JR紀勢線は和歌山市駅の2番ホームから発着します。かつては2番ホームの駅ビル側に1番ホームがありましたが、廃止され、駐車場となっています。なお、2番ホームは行き止まりとなっています。
和歌山市駅は南海電気鉄道の管轄駅であり、JR紀勢線の2番ホームと南海本線の3番降車ホームは上写真のように同一プラットホーム上にありますが、両者の間には柵と中間改札が設置されており、お互いには行き来できないようになっています。なお、中間改札には磁気式の自動改札機と南海側にはICカード用の簡易改札機が設置されています。
この和歌山市駅が南海電気鉄道の駅であることは、南海のロゴがあり、JRのロゴがないこの駅ビルを見ればわかります。
3~5番ホームが南海本線・和歌山港線のホームとなっています。このうち、3番ホームは行き止まりとなっており、4~5番ホームが南海本線・和歌山港線直通となっています。
島式ホームにある6番ホームは南海加太線ホームとなっており、この和歌山市駅で折り返し運転を行っています。
島式ホームの南海加太線と同じ側にある7番ホームは現在は使用されていませんが、かつて南海和歌山港線の普通車用ホームがありました。和歌山港線普通車が運行されていた頃は、この7番ホームもJRの2番ホームと同様、柵と中間改札で他のホームと仕切られていました。
なお、加太線(6番ホーム)と和歌山港線普通車用ホーム(7番ホーム)との間に双方の線路終端標識が立てられ、砂利が盛られ、枕木が置かれています。しかし、線路と架線はつながっています。
南海本線が紀ノ川を越え、新たなターミナル駅として和歌山市駅を設置した時、旧和歌山駅(現紀和駅)と和歌山市駅を結ぶ連絡線1.5kmを紀和鉄道と南海鉄道がそれぞれ敷設したことが紀和駅~和歌山市駅間の路線のはじまりです。
紀和駅から0.5kmを紀和鉄道が、和歌山市駅から1.0kmを南海鉄道が敷設しました。その両者の境界(国社分界点;敷設当時は別の名称のはずですが、便宜上後世の表現を用います。)が上の写真の場所となります。ただし、現在は高架工事中のため、この辺りの様子は大きく変化しています。
その後、紀和鉄道は関西鉄道、国鉄と変遷しましたが、和歌山市駅からの1.0kmの路線(南海国社連絡線)を南海が所有していました。つまり、国鉄の車両は他社の路線を通り、紀勢線の終点である和歌山市駅へ行っていました。しかし、国鉄の分割民営化され、JR西日本が誕生して以降、南海はJR西日本に対し、この国社連絡線を丸ごと貸与しました。つまり、貸与とはいえ、JRの車両は自社の路線を通り、和歌山市駅に行くようになりました。
紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅間)は和歌山の二大ターミナル駅を結んでいるにもかかわらず、1時間に1~2本しか運行されないローカル路線であり、高架化が行われるものの、将来的にあまり劇的な変化は起こらないものと思われます。
紀勢線(和歌山駅~和歌山市駅間)は今回で終了です。
次回は近鉄道明寺線・道明寺駅の予定です。
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