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2009年9月15日火曜日
大阪-西脇紀行(第4回)(8/30編)
「大阪-西脇紀行」の第4回目です。今回、再び阪急電車に乗ります。しかし、よく見てください、神戸本線ではなく、宝塚本線です。
今回は、前回の予告通り、阪急宝塚本線と阪急バスで有馬温泉へ行き、ゆっくりと日本三古湯のひとつに浸かり、疲れを癒した後、西脇に戻ることにします。
利用する交通機関は次の通りです。
梅田
↓ 阪急電鉄・宝塚本線
宝塚(宝塚駅前)
↓ 阪急バス(宝塚駅前~有馬温泉)
有馬温泉バス停
↓ 徒歩
銀の湯
↓ 徒歩
金の湯
↓ 徒歩
有馬温泉駅
↓ 神戸電鉄・有馬線(有馬温泉駅~有馬口駅)
有馬口駅
↓ 神戸電鉄・有馬線(有馬口駅~鈴蘭台駅)
鈴蘭台駅
↓ 神戸電鉄・粟生線
粟生駅
↓ JR西日本・加古川線
西脇市駅
↓ 神姫バス
アピカ西脇(旧鍛冶屋線・西脇駅)
梅田駅から宝塚駅までについて述べようと考えていたのですが、宝塚本線に乗っている間、爆睡してしまい、気づいたら宝塚駅でした。
宝塚駅に降りると、西宮名塩駅経由の有馬温泉行きの阪急バスが停車していました。景色を楽しむのなら蓬莱峡経由が良いのですが、時間もないので、これに乗ります。ただ、エコロジーのためなのか、バスのエンジンが切られていたので、冷房もなく、30℃を超えるバスの中では汗だくになってしまいました。
宝塚駅前を出発してすぐの頃は降車客も多かったのですが、バスが中国自動車道のそばまで来ると、降車客はほとんどいなくなり、少ない乗客がバスに乗り続けます。もしかして、これらの人たちは私と同じ有馬温泉を目指しているのかな、と思いつつ、西宮名塩駅前を通過し、半時間ぐらいバスが狭い道を進んでも、降車客はほとんどおらず、結局ほぼ全員が有馬温泉バス停まで乗車していました。
猿回しを見た後、目的である有馬温泉入湯を行います。有馬温泉には赤茶色をした金泉と透明な銀泉があります。まず、銀泉の外湯である「銀の湯」に入ります。温泉にはいるとやや白濁した透明な湯が張ってあり、非常に気持ちがいいです。効能はとにかく、癒されました。
続いて、金泉の外湯である「金の湯」に入ります。こちらは、赤茶色した湯が張ってあり、湯船の底が見えません。慎重に足を運ばせながら、肩まで湯につかります。何となく熱かったような気がしますが、気持ちが良かったので、良しとします。ただ、着色させないため、タオルは湯につけないように、頭の上に置きます。
温泉も十分に入ったので、炭酸煎餅を購入し、神鉄に乗り、西脇方面へ向かいます。まずは盲腸線状態になっている有馬線の一部である有馬温泉~有馬口間の電車に乗ります。
有馬口駅に到着すると、準急新開地行きが待っていましたので、ホーム上で素早く乗り換えます。
鈴蘭台駅まで準急新開地行きに乗り、そこから地下道を通り、粟生線を走る準急粟生行きに乗り換えます。
のんびりと、車内でくつろぎ、粟生駅に到着する頃には日没直前となっており、JR加古川線のホームに移り、改造された103系が到着する頃にはすっかり暗くなってしまいました。
半時間ほど、電車に揺られ、無事に西脇市駅に到着しました。ここからは神姫バスでアピカ西脇に向かい、自宅に戻ります。
次回は全てJRで帰ろうと思います。
2009年8月24日月曜日
続・旧鍛冶屋線跡を辿る(ほぼ8/8)・後編
いよいよ、後編です。ちなみに前回までの記事は下記の通りです。
グリーンプラザのある曽我井駅跡から先は西方向から次第に北方向に鍛冶屋線跡は向かいます。
車道に沿って進み、多可町の中心部に入ってくると、あかね坂公園が見えてきます。そこが中村駅跡となります。ちなみに、ここの駅名票はイミテーションです。
やはり、この中村駅跡のあかね坂公園にも元鉄道駅跡であることを示すデザインのタイルがありました。
ベルディーホールの横を通り過ぎ、中町中学校までたどり着くと、車道は丁字路になっており、鍛冶屋線跡である直進方向には遊歩道が設置されています。その入口にあるモニュメントとして、山田錦つまり米粒を模したものがありました。
遊歩道をしばらく歩くと、橋があります。この橋をよく見ると、鉄橋を改装したものであることがわかります。
橋を渡り、鍛冶屋駅跡に近づくと、信号機用のリレーボックスが遊歩道脇に残されています。なお、リレーボックスは2つ設置されています。
遊歩道を抜けると、鍛冶屋駅跡に到着します。鍛冶屋駅跡には改装した駅舎が残されており、鍛冶屋線の資料館となっています。
中にはいると、資料室がありますが、鍵がかけられているため、中にはいることはできません。
また、駅舎横にはキハ30系気動車が静態保存されています。
これで鍛冶屋線跡を西脇市駅から鍛冶屋駅まで辿りましたが、総じて言えることは鍛冶屋線の各駅跡にはきちんと鍛冶屋線があったことを示すものが残されており(特に市原駅跡、鍛冶屋駅跡には資料館があり)、また、廃線跡は遊歩道もしくは車道として整備され、現在もしっかり利用できるようになっている点が好感をもてます。おそらく、利用客がそれなりにおり(特に西脇~野村駅(現西脇市駅)は乗客がたくさんあったようです。)、鍛冶屋線は惜しまれつつ廃線になったことが要因かもしれません。
2009年8月23日日曜日
続・旧鍛冶屋線跡を辿る(ほぼ8/8)・前編
前回の「旧鍛冶屋線跡を辿る」では市原駅跡から南下し、加古川線との合流駅である現在の西脇市駅(旧野村駅)まで向かいましたが、今回は逆に鍛冶屋方面に向かうことにしました。
まず、市原東交差点から北へ向かう遊歩道です。ここから鍛冶屋へ向かいます。
遊歩道を北上して、しばらくすると、羽安駅跡が見えてきます。
遊歩道は県道296号線と交差するところで終わり、鍛冶屋線跡は車道に変わり、北から西へと向かう方角を変えます。
ちなみに、この鍛冶屋線跡を利用した車道の家々をよく見ると、道路側に玄関のない家をたくさん見ます。これは廃線跡を利用した道路に面する家によく見られるものです。(つまり、通常、線路側には玄関は設けないので、鉄道から転換した道路に面する側には玄関がないことが多いわけです。)
上記の車道にはこのような電車(鍛冶屋線は非電化路線でしたが、)の絵が描かれており、鉄道があったことを示しています。この絵が出てくると、まもなく曽我井駅跡になります。
車道の右側にグリーンプラザが見えてくると、その手前が曽我井駅跡です。その場所には曽我井駅の駅名票があります。なお、上記写真と下の2枚の写真は8月23日に撮影したものです。
思い出の曽我井駅という内容の説明が駅名票の近くにあります。
国鉄時代の鍛冶屋線乗車キャンペーンのものが曽我井駅跡には残っていました。これはもう20年以上前のものなので、かなり色あせています。
この曽我井駅跡の近くには贈答品には喜ばれるクワムラ食品株式会社があります。
では、自転車に乗り、鍛冶屋線跡をさらに辿っていきます。後編に続く!!
2009年7月14日火曜日
大阪-西脇紀行(第2回)(7/5編)
「大阪-西脇紀行」の第2回目です。どうしても西脇→大阪については中国ハイウエイバスに乗車することが多いので、今回も含め、次回以降大阪→西脇の復路について様々な経路を試すこととします。
今回は、ちょっとこじゃれた甲陽園のツマガリの洋菓子を食べたかったのと金曜日に職場からK本さんと一緒に大阪に行ったため、自転車を職場においていったことから、甲陽園に立ち寄った後、職場の最寄り駅である比延駅で降りることにしました。
利用する交通機関は次の通りです。
梅田
↓ 阪急電鉄・神戸本線
夙川
↓ 阪急電鉄・甲陽線
甲陽園
↓ 阪急電鉄・甲陽線
夙川
↓ 阪急電鉄・神戸本線
三宮
↓ 神戸高速鉄道・東西線
新開地
↓ 神戸高速鉄道・南北線
湊川
↓ 神戸電鉄・有馬線及び三田線
(神鉄)三田
↓ 徒歩
(JR)三田
↓ JR西日本・福知山線
谷川
↓ JR西日本・加古川線
比延

まずは阪急梅田駅で特急・新開地行に乗車します。十三、西宮北口と順調に飛ばし、夙川で一旦降車します。

夙川駅の地下通路を通り、甲陽線に乗り換えます。乗車する電車は私のyoutubeのページでもお馴染みの6023-6557-6123編成です。

早朝、甲陽園に来たため、まだツマガリが開店していなかったので、水道路踏切で阪急甲陽線と阪神バスとのツーショット写真などを撮影しました。また、男三人組が阪急甲陽線が水道路踏切を通過するときの写真を撮影していました。どうやら、彼らは涼宮ハルヒの憂鬱の聖地巡礼の一団のようです。
そうして時間をつぶしているうちにツマガリが開店し、無事に甲陽の風プリンとケーキ(名前はツマガリ)を購入しました。

再び、甲陽園駅で甲陽線に乗り、夙川駅に向かいます。

夙川駅に戻り、再び神戸本線・特急新開地行に乗り換えます。サクサクっと岡本、三宮と進み、神戸高速鉄道に乗り入れ、地下へ入ります。

新開地駅で阪急特急を降車し、準急三田行きに乗り換えます。ここから、しばらくは山岳鉄道コースとなります。終点の三田まで乗り続けました。

三田駅で神戸電鉄からJRに乗り換え、223系の丹波路快速で篠山口駅まで乗車します。実は福知山線の今回乗車する区間は初めてなので、少し緊張しています。

丹波路快速から見る車窓は長閑な田園風景が広がっており、大阪から離れていることを実感できます。

丹波路快速の終点である篠山口駅では普通福知山行が待っており、急いで乗り換えますが、車内に入ってびっくり、なんとワンマンカーでした。谷川駅までは三駅で到着します。

谷川駅に到着しましたが、なんとも長閑な場所でした。福知山線ホームに隣接して加古川線のホームがありました。先ほどの普通福知山行は2両編成でしたが、加古川線は1両です。これもワンマンカーです。

加古川線電車である125系に乗ると、さすが新しい車両だけあって、とてもきれいで、快適な座席でした。前回利用した加古川駅~西脇市駅間よりも良いです。

のんびりと加古川をときどき眺めながら、ようやく目的地の比延駅に到着しました。ここより徒歩で職場に向かい、自転車で自宅へ戻りました。
今回は摂津から隣接する播磨へ向かうのにわざわざ丹波を経由するお馬鹿な経路で帰ってきたため、時間がかかりました。とにかく疲れました。次回は比較的まともな帰り方を選択します。
今回は、ちょっとこじゃれた甲陽園のツマガリの洋菓子を食べたかったのと金曜日に職場からK本さんと一緒に大阪に行ったため、自転車を職場においていったことから、甲陽園に立ち寄った後、職場の最寄り駅である比延駅で降りることにしました。
利用する交通機関は次の通りです。
梅田
↓ 阪急電鉄・神戸本線
夙川
↓ 阪急電鉄・甲陽線
甲陽園
↓ 阪急電鉄・甲陽線
夙川
↓ 阪急電鉄・神戸本線
三宮
↓ 神戸高速鉄道・東西線
新開地
↓ 神戸高速鉄道・南北線
湊川
↓ 神戸電鉄・有馬線及び三田線
(神鉄)三田
↓ 徒歩
(JR)三田
↓ JR西日本・福知山線
谷川
↓ JR西日本・加古川線
比延
まずは阪急梅田駅で特急・新開地行に乗車します。十三、西宮北口と順調に飛ばし、夙川で一旦降車します。
夙川駅の地下通路を通り、甲陽線に乗り換えます。乗車する電車は私のyoutubeのページでもお馴染みの6023-6557-6123編成です。
早朝、甲陽園に来たため、まだツマガリが開店していなかったので、水道路踏切で阪急甲陽線と阪神バスとのツーショット写真などを撮影しました。また、男三人組が阪急甲陽線が水道路踏切を通過するときの写真を撮影していました。どうやら、彼らは涼宮ハルヒの憂鬱の聖地巡礼の一団のようです。
そうして時間をつぶしているうちにツマガリが開店し、無事に甲陽の風プリンとケーキ(名前はツマガリ)を購入しました。
再び、甲陽園駅で甲陽線に乗り、夙川駅に向かいます。
夙川駅に戻り、再び神戸本線・特急新開地行に乗り換えます。サクサクっと岡本、三宮と進み、神戸高速鉄道に乗り入れ、地下へ入ります。
新開地駅で阪急特急を降車し、準急三田行きに乗り換えます。ここから、しばらくは山岳鉄道コースとなります。終点の三田まで乗り続けました。
三田駅で神戸電鉄からJRに乗り換え、223系の丹波路快速で篠山口駅まで乗車します。実は福知山線の今回乗車する区間は初めてなので、少し緊張しています。
丹波路快速から見る車窓は長閑な田園風景が広がっており、大阪から離れていることを実感できます。
丹波路快速の終点である篠山口駅では普通福知山行が待っており、急いで乗り換えますが、車内に入ってびっくり、なんとワンマンカーでした。谷川駅までは三駅で到着します。
谷川駅に到着しましたが、なんとも長閑な場所でした。福知山線ホームに隣接して加古川線のホームがありました。先ほどの普通福知山行は2両編成でしたが、加古川線は1両です。これもワンマンカーです。
加古川線電車である125系に乗ると、さすが新しい車両だけあって、とてもきれいで、快適な座席でした。前回利用した加古川駅~西脇市駅間よりも良いです。
のんびりと加古川をときどき眺めながら、ようやく目的地の比延駅に到着しました。ここより徒歩で職場に向かい、自転車で自宅へ戻りました。
今回は摂津から隣接する播磨へ向かうのにわざわざ丹波を経由するお馬鹿な経路で帰ってきたため、時間がかかりました。とにかく疲れました。次回は比較的まともな帰り方を選択します。
2009年6月27日土曜日
大阪-西脇紀行(第1回)(6/6編)
さて、今回より「大阪-西脇紀行」が始まります。この「大阪-西脇紀行」は私、しゅらくが大阪市福島にある病院に通院するため、1ヶ月に1回必ず西脇-大阪を往復するのを利用し、様々な経路を試してみようという短絡的に思いついた企画です。
記念すべき第1回は大阪→西脇のみとなりますが、私の親父が転居の手伝いに徳島から西脇に来るというので、大阪から親父と合流する明石海峡大橋の高速舞子バス停に立ち寄り、そこからJRで西脇市駅まで行くことにしました。
利用する交通機関は次の通りです。
梅田
↓ 阪神電気鉄道・阪神本線
元町
↓ 神戸高速鉄道・東西線
西代
↓ 山陽電気鉄道・本線
舞子公園
↓ 徒歩
高速舞子バス停
↓ 徒歩
舞子
↓ JR西日本・山陽本線
加古川
↓ JR西日本・加古川線
西脇市

まずは阪神梅田駅で直通特急・姫路行に乗車します。待っていたのは阪神なんば線でおなじみの1000系でした。乗り心地はよいのですが、いかんせん阪神山陽の直通特急は停車駅が多いため、なかなか舞子公園駅に着きません。

結局、ちょうど良いタイミングで舞子公園駅に到着し、テクテクと高速舞子バス停まで歩いていきました。去年の11月24日に明石海峡大橋の高速舞子バス停で写真撮影しましたが、ここで親父を迎えることになるとは思いませんでした。

親父とともにJR舞子駅に向かい、ここで姫路方面の快速電車に乗ることにしました。この舞子駅は新快速電車は無情にも通過するため、我々はただホーム上から眺めるだけです。

JRの快速電車で加古川駅まで到着し、いざ加古川線に乗ろうとすると、山陽本線と加古川線の間に自動改札機が設置されています。よく呼んでみると、加古川 線はICOCAに対応していないとのこと、つまり、PiTaPaも使用できないと言うことです。加古川線が大阪近郊区間に入っているのですっかり油断して しまいました。折角、PiTaPaで入場したのに意味ないやんけ。と思っていると、西脇市行は1時間に1本しかなく、しかもあと40分待たなければならな いとのこと。
「がび~ん!」衝撃を受けた私が20分ほど待つと、改造された103系が入線しました。ドアが開かないので訝っていると、ドアはボタンを押して開けるとのこと。
「が、がび~~ん!!」更に衝撃を受けた私は出発の時を根気よく待ちます。
改造103系が加古川駅を出発し、3、4駅経過すると、そこはすっかりローカルムードの車窓となり、乳牛も生で見ることができ、気分はすっかり「いい旅、夢気分」となりました。な、 なんで、新快速がバンバン走る山陽本線の隣にこんなローカルムードな加古川線が接続しているのだろうと思っていると、「牟岐線(徳島~阿南・牟岐方面に向 かうローカル線)なんか日和佐に向かう列車なんて2時間に1本程度しかないから、まだましやぞ。」親父が言うのを聞き、「え~い、ここで牟岐線と比べる な!!」と思わず言い返したい気持ちになりました。

ともあれ、加古川線に約1時間ほど揺られ、ようやく西脇市駅に到着しました。とはいえ、西脇市駅は市街中心部よりかなり南にずれているので、神姫バスで自宅近くまで乗ることにしました。
結局、この旅程の半分近くを加古川線で使ったような気がします。 次回はどうやって大阪と西脇を往復しましょうか、う~む、ちょっと先が思いやられそうです。
記念すべき第1回は大阪→西脇のみとなりますが、私の親父が転居の手伝いに徳島から西脇に来るというので、大阪から親父と合流する明石海峡大橋の高速舞子バス停に立ち寄り、そこからJRで西脇市駅まで行くことにしました。
利用する交通機関は次の通りです。
梅田
↓ 阪神電気鉄道・阪神本線
元町
↓ 神戸高速鉄道・東西線
西代
↓ 山陽電気鉄道・本線
舞子公園
↓ 徒歩
高速舞子バス停
↓ 徒歩
舞子
↓ JR西日本・山陽本線
加古川
↓ JR西日本・加古川線
西脇市
まずは阪神梅田駅で直通特急・姫路行に乗車します。待っていたのは阪神なんば線でおなじみの1000系でした。乗り心地はよいのですが、いかんせん阪神山陽の直通特急は停車駅が多いため、なかなか舞子公園駅に着きません。
結局、ちょうど良いタイミングで舞子公園駅に到着し、テクテクと高速舞子バス停まで歩いていきました。去年の11月24日に明石海峡大橋の高速舞子バス停で写真撮影しましたが、ここで親父を迎えることになるとは思いませんでした。
親父とともにJR舞子駅に向かい、ここで姫路方面の快速電車に乗ることにしました。この舞子駅は新快速電車は無情にも通過するため、我々はただホーム上から眺めるだけです。
JRの快速電車で加古川駅まで到着し、いざ加古川線に乗ろうとすると、山陽本線と加古川線の間に自動改札機が設置されています。よく呼んでみると、加古川 線はICOCAに対応していないとのこと、つまり、PiTaPaも使用できないと言うことです。加古川線が大阪近郊区間に入っているのですっかり油断して しまいました。折角、PiTaPaで入場したのに意味ないやんけ。と思っていると、西脇市行は1時間に1本しかなく、しかもあと40分待たなければならな いとのこと。
「がび~ん!」衝撃を受けた私が20分ほど待つと、改造された103系が入線しました。ドアが開かないので訝っていると、ドアはボタンを押して開けるとのこと。
「が、がび~~ん!!」更に衝撃を受けた私は出発の時を根気よく待ちます。
改造103系が加古川駅を出発し、3、4駅経過すると、そこはすっかりローカルムードの車窓となり、乳牛も生で見ることができ、気分はすっかり「いい旅、夢気分」となりました。な、 なんで、新快速がバンバン走る山陽本線の隣にこんなローカルムードな加古川線が接続しているのだろうと思っていると、「牟岐線(徳島~阿南・牟岐方面に向 かうローカル線)なんか日和佐に向かう列車なんて2時間に1本程度しかないから、まだましやぞ。」親父が言うのを聞き、「え~い、ここで牟岐線と比べる な!!」と思わず言い返したい気持ちになりました。
ともあれ、加古川線に約1時間ほど揺られ、ようやく西脇市駅に到着しました。とはいえ、西脇市駅は市街中心部よりかなり南にずれているので、神姫バスで自宅近くまで乗ることにしました。
結局、この旅程の半分近くを加古川線で使ったような気がします。 次回はどうやって大阪と西脇を往復しましょうか、う~む、ちょっと先が思いやられそうです。
2009年6月21日日曜日
旧鍛冶屋線跡を辿る(5/31)
折角、西脇市に来たので、1990年(平成2年)に廃止された鍛冶屋線跡を自転車で行ける範囲で辿ってみました。新居は旧鍛冶屋線跡の道路のすぐ近くにあるので、まず市原方面に向かい、北上していきましたが、進めば進むほど淋しくなり、林の中を抜けていくような感覚に襲われ、本当に市原に着くことができるのかと不安になり始めたときに市原駅跡が見えてきました。市原駅跡にはキハ30系気動車が2両とホームが保存されていました。
続いて、旧駅舎を復元した鍛冶屋線市原駅資料館が建てられていました。
内部には鍛冶屋線の資料がたくさんしかもきれいに保管されており、地元の人の鍛冶屋線に対する想いが感じられました。
資料を読むと、まず、加古川~西脇(現アピカ)が、次いで西脇~鍛冶屋の鍛冶屋線が開業し、野村(現西脇市駅)~谷川の現加古川線がその後に開業したようです。なるほど、だからT見さんは加古川線のことを谷川線と呼んでいたわけなのかと、納得してしまいました。
では、市原駅跡で南に引き返し、旧西脇駅跡に建ったアピカ西脇まできました。このアピカ西脇には高速バスのバス停があり、ここから新大阪や大阪、神戸三宮に行くことができます。西脇~野村間の利用客は大変多かったみたいなので、廃止する必要があったのかなと思いますが、今となってはどうしようもないですね。
アピカ西脇からは自転車道になっており、これが西脇市駅まで続きます。西脇大橋付近では踏切の跡を見ることができます。
更に南に行くと、加古川線の西脇市駅に到着します。よくみると、旧鍛冶屋線が直線で、谷川に向かう現加古川線が曲がっており、旧鍛冶屋線が本線格なのがここでも解ります。
とりあえず、旧鍛冶屋線跡を辿る旅はひとまず終わりました。自動車に乗るようになったら、鍛冶屋駅跡も訪ねてみようと思います。
なお、翌日は再び大阪・堺に戻り、1週間ホテル住まいをすることとなりました。
2009年1月3日土曜日
2008年年末旅行・激走!特急乗車数珠つなぎ(函館-近鉄難波)
今まで、主に各地の路面電車のある都市の訪問日記を記述したのですが、今回の旅行にとって、それらは経糸であり、特急を乗り継ぐというのが今回の旅の緯糸に当たります。函館から大阪まで乗り継いだ特急その他について述べたいと思います。
(札幌-函館は深夜バスで移動しましたので、除きます。)

まず、函館駅よりスーパー白鳥26号八戸行きに乗車しました。車窓を眺めると、(特に海峡線ですが、)北海道側は山が遠くに見えるだけで、建物が点在するものの、一面真っ白な原野が展開するだけでした。青森側も余り変化がなかったように見えました。

青森からは寝台特急日本海・大阪行きに乗車することになりました。実は寝台特急に乗車するのは初めてで、(寝台急行は何度かありますが。)この乗車と楽しみにしていました。

しかし、出発時刻の19:33になっても、列車は出発しようとしませんでした。青森駅のアナウンスによると、JR東日本の新幹線システム障害による東北新幹線の遅延に伴い、接続するリレー特急(スーパー白鳥)も遅延し、そのリレー特急の出発を待ち、寝台特急日本海が出発するとのことでした。
多少遅れても、寝台特急のことだから、すぐに回復運転するだろうと考え、富山にほぼ定刻通りに着くものと思っていました。しかし、山形付近で強風が吹いていたため、徐行運転を行ったとの事で、回復運転ができず、40分ほど遅れて富山駅に到着しました。ただし、富山駅で待つ必要がなくなったため、私にとってはかえって好都合でした。

富山から高岡までは普通車で向かいました。この北陸地方ではよく見かける寝台特急電車を改造した車両に乗りました。

高岡から福井まではサンダーバード32号大阪行きに乗車しました。移動する間にも天候が晴れたり、曇ったり、急に雨が降ったりとめまぐるしく変化していました。

福井駅から、しらさぎ64号米原行きに乗車し、米原駅に向かいました。この福井駅でしらさぎ64号は6分遅れとなっており、米原駅で接続するひかり430号とは4分しか余裕がなく(定刻で10分の接続時間)、米原駅での乗り換えが厳しいものになると予想されました。

ところが、しらさぎ64号の遅れは4分に縮まった上、小田原駅の人身事故による影響で、ひかり430号東京行きが10分遅れで到着し、余裕で乗り換える事ができました。しかし、この旅行で新幹線の事故の影響を2度も受ける事になるとは思いませんでした。ただし、どちらも私にとってはたまたま都合が良かったのですが。
このひかり430号は豊橋を停車後、新横浜まで降りる事ができなくなるので、少し緊張しながら移動をしました。

豊橋駅からはμチケットを購入し、名鉄の快速特急新鵜沼行きで名鉄名古屋に向かいました。このとき、中部国際空港に向かう家族(7名)と一緒の席になり、賑やかに神宮前まで過ごす事になりました。

名鉄名古屋駅から徒歩で近鉄名古屋駅に向かい、急いで速達型の特急券を購入しました。危うく、売り切れとなるところでしたが、無事に購入でき、特急近鉄難波行きに乗り、2時間強かけ、近鉄難波に到着しました。

近鉄難波駅を降り、乗っていたアーバンライナーNEXTは引き上げ線に入っていきました。
次回、この場所に来るのは引き上げ線の先にある阪神なんば線開通の時になると思います。
(札幌-函館は深夜バスで移動しましたので、除きます。)
まず、函館駅よりスーパー白鳥26号八戸行きに乗車しました。車窓を眺めると、(特に海峡線ですが、)北海道側は山が遠くに見えるだけで、建物が点在するものの、一面真っ白な原野が展開するだけでした。青森側も余り変化がなかったように見えました。
青森からは寝台特急日本海・大阪行きに乗車することになりました。実は寝台特急に乗車するのは初めてで、(寝台急行は何度かありますが。)この乗車と楽しみにしていました。
しかし、出発時刻の19:33になっても、列車は出発しようとしませんでした。青森駅のアナウンスによると、JR東日本の新幹線システム障害による東北新幹線の遅延に伴い、接続するリレー特急(スーパー白鳥)も遅延し、そのリレー特急の出発を待ち、寝台特急日本海が出発するとのことでした。
多少遅れても、寝台特急のことだから、すぐに回復運転するだろうと考え、富山にほぼ定刻通りに着くものと思っていました。しかし、山形付近で強風が吹いていたため、徐行運転を行ったとの事で、回復運転ができず、40分ほど遅れて富山駅に到着しました。ただし、富山駅で待つ必要がなくなったため、私にとってはかえって好都合でした。
富山から高岡までは普通車で向かいました。この北陸地方ではよく見かける寝台特急電車を改造した車両に乗りました。
高岡から福井まではサンダーバード32号大阪行きに乗車しました。移動する間にも天候が晴れたり、曇ったり、急に雨が降ったりとめまぐるしく変化していました。
福井駅から、しらさぎ64号米原行きに乗車し、米原駅に向かいました。この福井駅でしらさぎ64号は6分遅れとなっており、米原駅で接続するひかり430号とは4分しか余裕がなく(定刻で10分の接続時間)、米原駅での乗り換えが厳しいものになると予想されました。
ところが、しらさぎ64号の遅れは4分に縮まった上、小田原駅の人身事故による影響で、ひかり430号東京行きが10分遅れで到着し、余裕で乗り換える事ができました。しかし、この旅行で新幹線の事故の影響を2度も受ける事になるとは思いませんでした。ただし、どちらも私にとってはたまたま都合が良かったのですが。
このひかり430号は豊橋を停車後、新横浜まで降りる事ができなくなるので、少し緊張しながら移動をしました。
豊橋駅からはμチケットを購入し、名鉄の快速特急新鵜沼行きで名鉄名古屋に向かいました。このとき、中部国際空港に向かう家族(7名)と一緒の席になり、賑やかに神宮前まで過ごす事になりました。
名鉄名古屋駅から徒歩で近鉄名古屋駅に向かい、急いで速達型の特急券を購入しました。危うく、売り切れとなるところでしたが、無事に購入でき、特急近鉄難波行きに乗り、2時間強かけ、近鉄難波に到着しました。
近鉄難波駅を降り、乗っていたアーバンライナーNEXTは引き上げ線に入っていきました。
次回、この場所に来るのは引き上げ線の先にある阪神なんば線開通の時になると思います。
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