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2009年8月19日水曜日
天目一神社に参拝しました。(8/8)
西脇市大木町には天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を祭った天目一神社(あめのまひとつじんじゃ)があります。この天目一箇神は鍛冶の神として知られ、奈良時代に編纂された「播磨国風土記」の託賀郡(多可郡)の条に天目一命(あめのまひとつのみこと)として登場します。このため、播磨国多可郡(現在の西脇市、多可町及び神河町の一部)の地が古代から鍛冶に関する高度な技術を持っていた可能性もあるとのことです。そういえば、西脇市と多可町を通っていたJRの廃線の名称も鍛冶屋線といいますね。(ちなみに、この天目一神社はJR鍛冶屋線廃線跡のすぐ近くです。)平安時代に編纂された「延喜式」には多可六座の一つにこの天目一神社が含まれており、全国でも重要な神社の一つだったようです。現在の天目一神社は大正時代に再興されたものです。
立派な鳥居をくぐり、しばらく歩いていくと、狛犬と拝殿が見えてきます。周囲は田園風景ですが、神社内は高い木々が植えられており、神社としての雰囲気を感じます。
拝殿の奥には本殿があり、これも神社らしい立派な建物があります。
普段は人がいませんが、毎年12月の第一日曜日には「ふいご祭り」が行われ、播磨地区ばかりでなく、丹波、但馬、美作及び和泉からも参詣者があったそうで、現在は参詣者は少なくなったそうですが、「ふいご祭り」は盛大に行っているそうです。
和泉から参詣者というのはもしかすると堺からかもしれません。堺は包丁の町ですから。美作国は岡山県北部ですが、この岡山県津山市にも中山神社というのがあり、金山彦命(=天目一箇神)が祭られているので、この関係でここまで参詣していたのかもしれません。(ちなみに、天目一箇神を知ったのは灼眼のシャナの「天目一個」をググり、中山神社にヒットしたときです。)
ふいご祭りは一度見たいと思います。
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70歳目前で今は大阪に住まいしています。大木町は故郷で、「天目一神社」が由緒あることは中学校社会科の先生(脇坂俊夫)から教わっています。収穫祭である秋祭りはありましたが12月の「ふいご祭り」は知りませんでした。また鍛冶の神様であることも知りませんでした。子供のころから神主さんは不在で子供たちの遊び場でもありました。。
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