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2009年8月24日月曜日

続・旧鍛冶屋線跡を辿る(ほぼ8/8)・後編


いよいよ、後編です。ちなみに前回までの記事は下記の通りです。
グリーンプラザのある曽我井駅跡から先は西方向から次第に北方向に鍛冶屋線跡は向かいます。
車道に沿って進み、多可町の中心部に入ってくると、あかね坂公園が見えてきます。そこが中村駅跡となります。ちなみに、ここの駅名票はイミテーションです。



やはり、この中村駅跡のあかね坂公園にも元鉄道駅跡であることを示すデザインのタイルがありました。



ベルディーホールの横を通り過ぎ、中町中学校までたどり着くと、車道は丁字路になっており、鍛冶屋線跡である直進方向には遊歩道が設置されています。その入口にあるモニュメントとして、山田錦つまり米粒を模したものがありました。



遊歩道をしばらく歩くと、橋があります。この橋をよく見ると、鉄橋を改装したものであることがわかります。



橋を渡り、鍛冶屋駅跡に近づくと、信号機用のリレーボックスが遊歩道脇に残されています。なお、リレーボックスは2つ設置されています。




遊歩道を抜けると、鍛冶屋駅跡に到着します。鍛冶屋駅跡には改装した駅舎が残されており、鍛冶屋線の資料館となっています。



中にはいると、資料室がありますが、鍵がかけられているため、中にはいることはできません。



また、駅舎横にはキハ30系気動車が静態保存されています。
これで鍛冶屋線跡を西脇市駅から鍛冶屋駅まで辿りましたが、総じて言えることは鍛冶屋線の各駅跡にはきちんと鍛冶屋線があったことを示すものが残されており(特に市原駅跡、鍛冶屋駅跡には資料館があり)、また、廃線跡は遊歩道もしくは車道として整備され、現在もしっかり利用できるようになっている点が好感をもてます。おそらく、利用客がそれなりにおり(特に西脇~野村駅(現西脇市駅)は乗客がたくさんあったようです。)、鍛冶屋線は惜しまれつつ廃線になったことが要因かもしれません。

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