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2014年1月13日月曜日

年末年始旅行(2013~2014年)(5)福井観光・北庄城及び福井城址編


では、大名町交差点(A)を離れ、福井城址及び福井城と同じ場所にあった北庄城址を巡ることにします。時間的な都合もあり、まず柴田神社(B)まで徒歩で向かい、JR福井駅(C)を経由し、トヨタレンタカー(D)でレンタカーを借ります。



上の写真は福井市街を空撮したものです。ちなみに、この写真は成田から中国・青島(Qingdao)へ向かう際に撮影したものです。そういえば、昨年の上海旅行と青島旅行についてはアップしていませんでしたね。
それはさておき、北庄城・福井城は大きく2つの時期に分けることができます。
まず、越前朝倉氏が織田信長により滅亡させられた後、越前一向一揆を経て、その一向一揆を平定した功により、柴田勝家が1575年に築城したのが北庄城です。その北庄城は1583年に賤ヶ岳の戦いにより柴田勝家が敗れ、お市の方とともに自害する際に、消失してしまいました。ここまでの北庄城が第1期にあたります。
次に、1600年に徳川家康の次男である結城秀康が北庄に封ぜられると、1601年より天下普請により柴田勝家の北庄城の跡地に築城が開始され、約6年をかけて完成しました。その後、北庄城から改名した福井城が第2期にあたります。現在、福井県庁、県会議事堂及び県警察本部がある本丸跡もこの第2期の遺構となります。

まず訪れたのは柴田神社です。ここは柴田勝家が築城した北庄城の本丸があったと伝えられていた場所です。この場所は前述の第2期の福井城の城郭内にあたります。

柴田神社は1890年(明治23年)に旧福井藩主・松平春嶽、旧藩士及び住民からの発意により、元々柴田勝家とその妻であるお市の方(織田信長の妹)を祀っていた石祠のあった場所に作られたものです。なお、上の写真は柴田勝家の像です。

また、お市の方の像も建立されています。

更に、浅井3姉妹の像もありました。この柴田神社内に1998年創建された3姉妹を祀った境内社・三姉妹神社があります。奥の左が茶々、奥の右が初、手前が江となります。

上の写真は柴田勝家築城の北庄城の石垣遺構と考えられており、本来は高く積まれていたものが結城秀康の福井城築城の際に取り除かれ、石垣の根石のみが残った状態であると考えられているようです。

この柴田神社内には柴田勝家時代の北庄城天守復元模型があります。ただし、柴田勝家時代の天守の絵図や図面は残っておらず、当時の北庄を訪れた宣教師ルイス・フロイスの記述と羽柴秀吉が小早川隆景に宛てた書状のみがあるだけです。

<ルイス・フロイスの記述>
「城及び他の家の屋根の、ことごとく立派な石で葺いてあって、その色により一層城の美観を増した。」
「その城の屋根は甚だ滑らかで、轆轤(ろくろ)にかけたごとく形の整った石を以て葺いてあった。」
<羽柴秀吉の書状>
「城中に石蔵を高く築き、天守を九重に上げ候。」

このため、外観については北庄城と同時期に建築された丸岡城(福井県坂井市)や松本城(長野県松本市)などを参考にして制作したとのことです。


トヨタレンタカー(A)からレンタカーに乗り、福井城址(B)に向かいます。選んだ車種は私が乗り慣れているヴィッツです。

福井城址の近くにはコインパーキングがあり、そちらにヴィッツを止め、福井城址に入ります。降雪が本当に酷くなってきました。

この屋根付きの橋は御廊下橋といい、福井城築城400年を機に復元されたものです。本丸内には政庁と藩主の居住部分を合わせた本丸御殿がありましたが、歴代藩主の中には本丸御殿には居住せず、現在の中央公園にあった西三ノ丸御座所に居住していた藩主がいました。その西三ノ丸御座所と本丸御殿を往復するための藩主専用の橋がこの御廊下橋です。屋根がついている珍しい形態をしています。

山里口御門跡を通り、天守台に上ります。なお、手前の建物が福井県警察本部、奥の建物が福井県庁です。

本丸の北西側(福井県警察本部の北側、福井県庁の北西側)に天守台があります。では天守台に上りましょう。

 天守台に上りました。では、更に天守跡に上ります。

天守跡に上りました。降雪により真っ白になっています。残されている天守絵図によると、外観は4層であるが、最下層の階高を高くとり、2階分の床を張っており、内部は5層になっていました。なお、白漆喰総塗籠の外壁をもった4層5階の天守は1669年に火事により焼失し、再建されませんでした。

天守台のそばには井戸があります。この井戸は「福の井」といいます。福井は前述のとおり北庄が改名されましたが、「北庄」の「北」が「敗北」にあたり不吉とされ、福井藩第3代藩主・松平忠昌により「福居」に改名され、その後「福居」が「福井」に改名されたとのことです。その「福井」の由来とされるのが「福の井」です。

では、福井城址を後にし、越前朝倉氏の居城のあった一乗谷へ移動します。





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