先ほどまで撮影していた福井鉄道と併走し、福井鉄道から離れ、県道5号線、国道158号線に沿って、一乗谷に向かいます。道路には雪は積もっていませんでしたが、雪は今までで経験したことがないほど降っており、前方が雪で見えにくく、運転しにくかったです。
さて、次に訪れようとしている一乗谷朝倉氏遺跡は戦国時代に越前を5代100年にわたり、実力で支配した朝倉氏の本拠地とも言うべき場所です。
一乗谷朝倉氏復元町並南駐車場に駐めました。ただし、年末のため、休業しており、車が一切いませんでした。そのため、内部には入ることができないので、外から見ることにします。それにしても積雪が30cmほどになっていたので驚きました。
一乗谷朝倉氏復元町並南駐車場に隣接する建物には「あさくらギャラリー」という看板がありました。どういったものを展示しているのか気になるところでしたが、休業日なので、やはり見ることができませんでした。
なお、この写真は某キャラ画像集のトップに使うことにします。
休業日のため、 復元町並を外から眺めることにしました。これは一応町人が住んでいたとされる町並です。
一応、武家屋敷群もありますが、遠くから見ることになったので、この写真が武家屋敷かどうかはわかりませんでした。
こちらは唐門で、朝倉氏の遺構ではなく、朝倉義景を菩提を弔うために移築された松雲院の山門で、現在のものは江戸時代中頃に建て替えられたものです。門内の上部には朝倉氏の「三ツ木瓜」の紋が刻まれています。
なお、この唐門の奥に朝倉氏の遺構である朝倉館跡があります。この場所にあった館に朝倉氏当主が居住していました。ちなみに朝倉義景の墓もこの中にあります。この朝倉館跡の背後の山に山城が築かれていました。
一乗谷を離れた後、降雪が続いたため、道路上は白い雪に覆われていました。道路の端はわかるものの、センターラインがどこか全くわからない状態で走り、いつもより神経を使いながらヴィッツを運転したため、三六温泉神明苑に到着したときには結構疲れてしまいました。まあ、疲れを癒すには温泉がいいでしょう。
それにしても、雪を融かすため、お湯があちらこちらからでており、水でぐちょぐちょになっています。
三六温泉の泉質は単純温泉で、効能の中には疲労回復が入っており、まさに今の私の状態にぴったりです。無色の透明のお湯でした。
ちなみに、三六温泉神明苑のウェブサイトはこちらです。
http://business4.plala.or.jp/sinmeien/index.html
その三六温泉神明苑の道路を挟んで反対側に旧瓜生家住宅があります。一乗谷の施設同様、年末のため、中には入ることができませんでしたが、外観だけは見ることができました。
この旧瓜生家住宅は福井県内最古級の民家とのことです。この旧瓜生家住宅の説明については鯖江市のウェブサイト(http://www.city.sabae.fukui.jp/index.html)より引用いたします。
この建物は、入母屋造茅葺(いりもやづくりかやぶき)、妻入りで、桁行9間(16.4m)、梁間6間(14.7m)、建坪約65.4坪の規模を有する。外観は全体に質素な印象を受けるが、南側には2間の式台(しきだい)と4間の濡縁(ぬれえん)を設け、柿葺(こけらぶき)の庇を付けているなど、神官の住まいとしての特徴が現れている。この開放的なつくりは多くの来客者を迎えるためで、一般の民家には見られない特徴である。<http://www3.city.sabae.fukui.jp/vod/takara/6/bunkazai/2.html参照>
内部の間取りは、前面から奥行2間半の「土間」、奥行2間の「板の間」が並び、その奥に「中の間」・「槍掛けの間」・「部屋」・「座敷」の4室が“田”字形に配置され、左右に1間づつの入側がついている。構造的には、棟下通りに柱が立ち、梁間4間を本屋、左右1間を下屋とする単純なものであるが、二股に分かれた股柱や下部を太く削り残した柱を使用するなどの特徴も見られる。
なお、この旧瓜生家住宅は1688年頃に火災に遭い、1699年に再建されたものが現在に残っているとのことです。
旧瓜生家住宅は神明社の敷地の北東隅にあります。瓜生家は神明社の宮司を代々勤めており、1129年から系図が始まる古い家柄とのことです。旧瓜生家住宅が神明社敷地内にあるのもその縁によるものと思われます。ただし、この地に移設されたのが1975年とのことで、それ以前は旧北陸道の東側にあったようです。
さて、三六温泉を離れ、越前市の越前めがねの里へ行くか、越前海岸に行くか決め、次に進みたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿