大阪市電の展示スペースとなっているテントに入ると、大阪市電2201形、2601形及び3001形で使用されていた方向幕(複製)が展示されていました。
私がじっと見ていると、元交通局職員のボランティアの方がどこでも表示しますよ、とのことだったので、「じゃあ、29系統の桜川二丁目!!」、私は思わず頼んでしまいました。マニアックなチョイスに多少驚いた表情をしながら、「はい、桜川二丁目。ただし、系統番号は出ないので、臨時系統で我慢してくださいね。」と桜川二丁目に合わせてもらいました。
「じゃあ、次は29系統の出島!!」と頼むと、出島行きに、
「ちょっと目先を変えて、30系統の福島西通!!」では、福島西通行きに、
「う~ん、31系統の上六(上本町六丁目:近鉄奈良線・大阪線のターミナル駅の最寄電停)はないのか、では、30、31系統の三宝車庫前!!!」と頼むと、三宝車庫前行きに早変わりしました。ボランティアの方がこの複製の方向幕が手作りであり、その苦労を語られた後、私と大阪市電に関する話で盛り上がった後、「あちらの市電保存館には辰巳先輩がいらっしゃいますので、もっと詳しい話が聞けると思いますよ。」とおっしゃったので、「えっ、辰巳さんはあの「大阪市電が走った街、今昔(の著者)の辰巳さんですか。」と尋ねると、「ええ。」とのこと。
ボランティアの方にお礼を言った後、市電保存館の方へ向かいます。
(ちなみに、大阪市電は1969年4月に全廃されており、1970年3月生まれの私は当然乗ったこともなければ、見たこともありません)
市電保存館へ向かう途中、展示物があったので、立ち寄ります。
中にはいると、大阪市電2階建て電車の台車に使用されていたヘルブラント台車がありました。
また、地下鉄30形も展示されていました。
再び、外に出、四つ橋線車両がたくさん止まっている中、マルタイことマルチプルタイタンパーが展示されていました。このマルタイは列車走行に伴うレールのゆがみを矯正する車両です。
ようやく、市電保存館に到着しました。6両の大阪市電車両がおり、それぞれ見学します。上の写真は戦前の傑作車両1601形です。
次は戦後に誕生した大阪市電最高傑作とも言われている3001形です。
こののち、市電保存館前で静態保存されている車両の沿革について、元交通局職員の方の説明を聞きます。
その説明の後、いよいよ辰巳さんとの質問タイムがやってきました。大阪市電の技師だった辰巳さんに、新阪堺買収に関すること、大阪市電廃止に関すること、大阪市電で残る可能性があった路線について質問し、ご存じの範囲で答えていただきました。ありがとうございました。
来年も辰巳さんがいらっしゃるとのことなので、そのときには「大阪市電が走った街、今昔」にサインをしてもらおうと思います。
おおさか市営交通フェスティバル終了後、堺市に戻り、西脇へと戻りました。
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