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2009年11月19日木曜日

大阪-西脇紀行(第7回)(11/14~15後編)

前回の続きです。
堺浜楽天温泉祥福にて一泊した後、今回の第一の目的地である姫路へ向かうことになりました。
今回もいくつか過去の写真を使用していますので、2009年11月15日に撮影したものは撮影日を省略し、それ以外は撮影日を記述します。




(2009年8月30日、南海電鉄・堺駅東口にて撮影)

姫路に向かう前にK本さんを堺駅西口まで送ることにします。




堺駅西口からはkinbooさんとともに姫路に向かいました。阪神高速道路、第二神明道路、加古川バイパス、姫路バイパスと乗り継ぎ、約2時間程度で姫路に到着しました。姫路城近くの駐車場に「Tramway Killer号」を駐め、目的の場所へ向かうことにします。
姫路城が目的のkinbooさんとはここで別れました。kinbooさんの姫路城訪問記について、下記のアドレスから見ることができますので、興味のある方はこちらをご覧ください。




姫路城からしばらく歩き、山陽姫路駅に入ります。目的地は山陽姫路駅の隣駅である手柄駅なので、普通・阪急三宮行電車に乗ります。




1駅なので、すぐに到着しました。構内踏切のある懐かしいタイプの駅です。


 

手柄駅から西へしばらく歩いていくと、姫路市手柄山中央公園があります。公園は山の上にあるので、階段を上っていきます。





公園内には35年ぶりに日の目を見た姫路モノレールの車両が展示されています。姫路に今回来たのはこの姫路モノレールを見たいがためです。今回はそれ以外ありません。(姫路の皆様、申し訳ありません。)




折角なので、上から運転台部分を拡大して撮影しました。




車両の横には台車と駆動装置が展示されていました。ただ、完全な形ではないようです。




手柄山中央公園の上にある緑の相談所の建物に向かいます。ここにはかつて姫路モノレールの手柄山駅の駅舎があったところです。この建物の下にかつてのコンコース跡があるとのことなので、早速向かいます。




コンコース跡へ降りる階段はまさに駅の階段の仕様になっています。




コンコース跡には人がたくさんいました。ここでは姫路モノレールに関する資料が展示されていました。




姫路モノレール唯一の中間駅であった大将軍駅の駅名票です。




実は、姫路モノレールの軌道はまだ姫路市内に残っています。上写真では右下に軌道が残っているのがわかります。この軌道は写真中央にあるビルまで続いていました。





そのビルの近くまで行き、撮影したものが上の写真です。このビルには先程、駅名票があった大将軍駅がありましたが、今は立入禁止となっています。






この軌道はしばらく姫路駅の方角に向かっており、さながら古代遺跡のように姫路の街に残っています。



(2009年7月19日、明石海峡大橋にて撮影、ビデオ撮影分を後日静止画化)

旧姫路モノレールの遺構を辿るのが終了し、両親のいる徳島市へと向かいます。実は祖母の状態が悪く、11/21~23はどうしても開けることができない予定があったため、急遽見舞いに行くことにしました。
姫路バイパス、加古川バイパス、第二神明道路等を抜け、神戸淡路鳴門自動車道を通り、明石海峡大橋と通り、淡路島を通過します。



(2009年7月19日、大鳴門橋にて撮影、ビデオ撮影分を後日静止画化)

大鳴門橋を通過すると、徳島県に入ります。高速道路を降り、しばらくすると、両親邸に到着しました。そこで、両親と一緒に祖母の入院している徳島赤十字病院に向かいます。
正直、祖母の状態は良くありませんが、できるだけ長く生きてほしいと思い、病院を後にしました。また、近いうちに見舞いに行きます。
見舞いが終わると、とんぼ返りで神戸淡路鳴門自動車道を通り、山陽自動車道を経由し、西脇に戻ってきました。自宅に到着した時間は22時前となっており、すっかり周辺は静かになっていました。
次回も諸般の事情で車かな。


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